第26話【ゴブリンとの戦い④】

「全員、戻れ!中央で戦っている者たちよ、早く戻れ!」


 オーガの長の怒号が中央の戦場まで響き渡ると、ルークの心は期待と緊張が入り混じった。作戦通りにティア達がゴブリン軍師たちを奇襲できたのだろう。


 だが、ここで奴らを食い止めないと、戻られてしまう。遠くから聞こえてくるその声を確認したルークは、剣を強く握りしめ、周囲のオーガ兵たちを振り返って勢いよく声を張り上げた。


「今ここで踏ん張るんだ!もう少しで勝つ!最後の力を絞り出せ!」


 彼の言葉は鼓舞の響きをもって兵士たちの耳に届き、彼らの目に戦意の火が灯る。その一言一言が、オーガ兵たちの胸を打ち、士気をさらに高めていくのが感じられた。


 ルークの激励に応え、オーガ兵たちはそれぞれ剣を振りかざし、再びゴブリン兵たちとの激しい接近戦を展開する。


 刀身がぶつかり合い、血が飛び散り、地面に倒れるオーガやゴブリンの呻き声が混じる中、ルークは周囲を鋭い目で見渡し、戦況を冷静に見定めていた。


「あと1時間……」


 心の中で時間を刻むルークは、その限られた時間内にティア達がゴブリンの長を倒さなければならないと覚悟を決めていた。


 それまでに決着がつかないなら、撤退を決断するしかない。その重い決断が頭をよぎりつつも、今はこの瞬間、ただひたすら戦い抜く覚悟でオーガ兵達は戦い続けた。




 一方、ティアが率いる小隊がゴブリンの長と対峙していた。ゴブリンの長は周りのゴブリン兵たちを従えて威圧感たっぷりに立ち、通常のゴブリンとは明らかに異なる姿をしていた。


 緑色の肌は重厚で、身の丈も他のゴブリンを遥かに超え、まるで人の二倍はあろうかという巨大さだ。手には重そうな棍棒を握り締め、戦場に立つその姿は、見ただけで一目置かれる恐怖を伴っていた。


 長は怒りの唸り声をあげ、まるで巨岩のような足取りでティアに向かって歩み寄った。振り下ろされた棍棒は大地を震わせるかのような音を立て、ただ一撃で地面に大きな亀裂を生じさせる。


 しかし、ティアは身軽な動きでその攻撃をいとも簡単にかわし、長の虚空を裂く棍棒はむなしく空を切るばかりだった。


 ゴブリンの長はその様子に苛立ち、再び怒りの声をあげながら何度も攻撃を繰り返した。だが、いかなる攻撃もティアには届かない。


 彼女は冷静そのもので、長の動きの一つ一つを見極め、鋭い目で隙を見つけては巧みにかわし続けていた。


 そして、ゴブリンの長の動きにわずかな隙が生じたその瞬間、ティアの剣が閃き、長の脇腹に深い一閃を浴びせた。


 痛みに顔を歪ませた長は呻き声を漏らしながらティアを睨みつけたが、彼女は一切怯むことなく冷ややかな視線を長に向け続けていた。


 口の端をわずかに上げて挑発的に微笑みながら、「これが長とは情けないな」と静かに言い放つと、長はその挑発に一層怒り狂った。


「貴様あああああ!」と叫び、ゴブリン長は再び全力で棍棒を振り上げてティアに向かって襲い掛かった。しかし、長の荒々しい動きには隙が多く、ティアはまるで軽やかな風のようにその攻撃をかわし、再度長の脇腹に切りつけた。


 今度はもう片方の脇腹に、深く食い込む一撃を浴びせた。長は激しい痛みに耐えきれず膝をつき、血の混じった呻き声を漏らしてその場に崩れ落ちた。


 だが、長は倒れることなく、荒い息を整えながらゆっくりと立ち上がった。その目には深い苦痛と共に、未だ燃え上がる復讐の念が渦巻いていた。


 彼は腰に下げていた小瓶に手を伸ばし、震える指でその瓶を掴むと、呟くように言った。


「これを使うのは、本当はオーク達と戦うときにしたかったが……しかたないか」


 小瓶の中に入っている液体は、薄暗い青色をしており、まるで闇夜のような不気味な輝きを放っている。その液体を一気に飲み干すと、ゴブリンの長の身体に異変が生じ始めた。


 彼の肌は緑色から血のような赤色に染まり、その筋肉は見る間に肥大化していく。長の瞳は狂気に満ち溢れ、口から泡を吹きながら獣のような唸り声を上げた。


 その恐ろしい姿に、周りで戦っていたオーガ兵たちは思わず一歩後ずさりしてしまうほどで、彼の発狂したような叫び声が戦場に響き渡る。


 だが、ティアだけは一切動じることなく、冷静にその異様な姿の長を見据えていた。彼女の瞳には一切の怯えもなく、ただ鋭い剣を構え、相手の次の動きを見逃さないという強い意志が宿っていた。


 ティアの視界に映るゴブリンの長は、さっきとはまるで別人のように感じられた。肌は赤く染まり、筋肉が膨れ上がったその姿は、先ほどの巨躯よりもさらに異様で威圧感が増している。


 そして次の瞬間、その異常な力を宿した棍棒がティアに向かって、驚くべき速さで振り下ろされた。ティアは思わず剣で受け止めるが、その勢いに押され、瞬間的に表情がゆがんだ。


 力が上がっている……と内心で驚きを感じながらも、ティアは力を込めて相手の棍棒を跳ね返し、一度距離をとった。互いに呼吸を整え、にらみ合う戦場の中、ティアは冷静に観察しながら言葉を発した。


「驚いた。さっきとは別人だな。」


 その言葉に、ゴブリンの長は不敵な笑みを浮かべると、ティアに向かって叫んだ。


「これでお前は終わりだ!今の俺なら、魔人だって倒せる!」


 ティアはその言葉にふっと笑い、嘲笑するかのように応じる。


「魔人レベルだって?それは笑えるな。お前は所詮、ずっと格下のままだろう?」


 その一言が、ゴブリンの長の心に火をつけた。顔を真っ赤に染めて怒りに震えながら、

「格下だと!?ふざけるな!」と叫び、まるでティアの存在そのものを否定するかのように、拳を握りしめた。


 ティアはそんなゴブリンの長の姿を見つめると、表情を引き締めて静かに言った。


「ならば、私も本気をみせよう。」


 彼女はゆっくりと目を閉じ、深い呼吸を整え始める。その姿はまるで水面に浮かぶ静寂そのもので、戦場の喧騒の中でも一切動じない。ティアの中に澄み渡る静けさが広がり、彼女の全身から余分な力が抜け落ちていく。


 目を閉じているティアの姿に、ゴブリンの長はさらに苛立ちを感じた。


「目を閉じるとは いい度胸だな!ここで終わらせてやる!」


 怒声と共に、長は再び突進し、棍棒を振り上げて一気にティアへと迫っていく。その勢いは凄まじく、地面が揺れ、石や土が飛び散る。


 だが、ティアの顔は一切変わらず、彼女はただ穏やかに目を閉じたまま立っていた。彼女の体は何の抵抗も示さず、ただ風が流れるかのようにそこに存在する。


 その瞬間、彼女の生まれ持つスキル「明鏡止水」が発動された。彼女の心は澄み渡り、思考は無駄なく洗練され、すべてが一つの目標――敵を倒すことに集中していく。


 ティアの中で、ゴブリンの長の動きがスローに見える。彼が棍棒を振り下ろす一瞬、その姿がまるで霞のように見え、ティアは最適な戦法を直感で理解した。


 そして、次の瞬間、ティアは目をかっと見開き、相手の動きを見切ると同時に、完璧なタイミングで剣を横に振りぬいた。ゴブリンの長が目の前に迫った刹那、彼の体は横から一閃され、鮮やかな切断が施されていた。


 ティアの動きは美しく、そして無駄がなかった。まるで時が止まったかのように戦場は一瞬静まり返り、次の瞬間にはゴブリンの長が自らの体が切り裂かれたことを理解する間もなく、血しぶきを上げてその場に崩れ落ちた。


 ティアは、静かに息を整え、再び剣を鞘に納めると、何事もなかったかのようにその場に立ち尽くした。

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