うらら

内谷 真天

うらら

 花びら舞う。ひとひら。

 孤独な枝垂れ桜から、風が吹いて、ひらひら揺れる。やがて地面にぴたっと落ちる。

 また風が吹く。ひとひら。落ちる。繰り返す。何度も舞っては落ちる。

 誰かが言ってた、春は残酷な季節だって。

 誘われて甘い眠りの暇に春は満開の桜を少しずつ散らせてく。

 ひとひら、ひとひら。

 散るたびに僕の細胞も死んでゆく。

 やがて、花びらが地面を覆って油絵みたいにきれいなんだけど、見上げると枝垂れ桜に春はもうどこにもない。終わってしまった。

 ううん。初めから終わりは約束されていて、終わらないでほしいのに、終わってしまう。柔らかさに包まれた、残酷な季節。


 ❀


 小高い丘の、コンクリート敷きのごつごつした坂道を登り切ったところに、一本の古い大木が生っている。舞台を崖に突き出した観音堂の、こじんまりした境内に。

 あとは坂の中腹に錆びついた児童公園があるだけの、それだけの場所。誰からも忘れられたようにひっそりと封印されている。

 ずっと昔はだだっ広い水田の景色と一続きだった。山の麓を横切る高速道路にいつしか分断されてしまって、アンダーパスの境界を抜けると、山と壁に迫られた小さな世界。合わない辻褄の後始末を押し付けられたような窮屈な。僕が生まれるより前から。

 桜が舞っている。満開の。

 淡色の花。しなる枝。下を歩くときのふわっと香る木の匂い。

 匂いの先に、古木を見上げながら待っている、緑色の着物。舞台にあがるための小さな階段に、ふわっとかけながら、ひとつ。

「うららさん」と僕は呼びかける。

 そっと視線がおりてくる。僕を見て、前髪を揺らしながら微笑んでくれる。シニヨンに束ねた金色の髪。見とめて気持ちが楽になる。

 ぽんぽん、と招かれる。

 ある種の色を、僕は遠目のほうが濃く感じられてしまう。うららさんもまた。緑地の着物は近づくほど遠慮がちに、桜の柄も控えめに咲いている。横にかけると髪の印象をもっと華やかにする。

「水浅葱っていうの」って着物の色について、いつか教えてくれた。遠慮がちだけど春によく合う色目。

 僕を見て、静かに首を揺らす。

「また桜の季節」とうららさんが言う。

 柔らかい声。消えてしまいそうな細い声。その奥に白い鉄を差した、うららさんの薄い笑み。

 返事はせずに僕はぼんやり眺める。うららさんには背を向けて、花びらの舞い落ちる空白を。

 ひとひら。ひとひら。

 花びらが空白を流れてゆくたびに僕は生きてることを思い出す。上から下にふわふわ舞う時間に僕も共有されていて。

 桜の花の淡いのはどうしてだろう。まるで春そのものの色。暖かくて、優しくて、嘘のようで、一瞬のようで。

「夜もきれいなの」

「青空の方がいいよ」と僕は答える。

「だって」

「明るいほうがいい」

 夜の言葉はまた別なんだ。感傷的で、こぼれたカッターナイフみたいに鈍いけど痛い。太陽と雲を真上に添えてあるほうが桜の幹だって生き生きしてるから。

「言ってた、夜が好きだって」

「静かだからね」

 でも夜は現実が近すぎて。皮膚に陽射しを浴びてるあいだは、それよりも僕の体がどこか遠くにあるように感じられる。桜は美しいから。そういうのを眺めてるときは、乖離しちゃってる方がいい。

 風が吹く。花が舞う。現実の喧騒が観音堂にまで絶えず届いてる。

 ぐっと首を伸ばして高速道路を見下ろす。坂を登るどこかのタイミングで追い抜かしてしまう高速道路の背。こんな田舎なのに、ひっきりなしに車が行き交ってる。大型が通ると、特に響く。

 みんなどこを目指してるんだろう。

「忙しそうね」

「行く場所があるっていいよ」

「たまには休んでも」

「休まなくても平気な人たちなんだ」

 花びらが舞って沈黙。うららさんに見返すと、なんだか言いたそうにしてる。小首をかしげて意味を訊ねる。

「口ごたえするようになっちゃった」

「そういうつもりじゃ」

 と僕は首をふる。うららさんが悲しそうに微笑む。

「大きくなってくね」

「止まったままだよ。何もかも」

 坂の上に一本だけの大きな桜。管理の手も届かない寂れた観音堂。風が吹いて美しくって、乖離しちゃってる方がいい。


 ❀


 お堂の陰に雪が残ってる。

 桜はもう八分ほどなのに、寒さの長引く土地は季節が曖昧。白い地面の端っこで春の花がくたっと冬眠してる。

 ヒメオドリコソウ。紫の。好きな花。

 もう少し暖かくなればもっと立派に咲き誇る。日陰でも。今は冷たいから寝てる。それだけ。

 そうやって時を進ませてく。

 頑張りな、って僕はじっと見る。乖離しながら。

 うららさんの横顔が少しこっちに向く。

「春ね」と言う。

 うん。と僕は小さくうなずく。

「何度目かな」

「数えなくていいの」

 そうだね、と声には出さず心で思う。言葉にしたら嘘に気づかれてしまいそうだから。

 風が吹く。山の際だからいつでも吹いている。ヒメオドリコソウが渋々揺れる。群れになってみんなで眠たがってる。

 また風が吹く。柔らかいけどちょっぴり肌寒い風。腕をさすってるあいだに花びらが舞う。舞って、ひらひらと、うららさんの膝に載る。ひとひら。

 載って、ちょこん、と、もう動かない。

 甘えたの仔猫。見つめ合って僕たちはかすかに笑う。

 でも笑みはすとんと、いつもの僕に戻ってしまう。戻りながらうららさんの膝に視線を落とす。

「珍しい」とうららさんが言う。ここまで飛んでくるのは。

 うららさんもじっと愛でる。膝の上のひとひらを、春のように優しく、払い除けもせず、受け入れてしまう。

 またひとひら舞い落ちる。もうひとひら。三匹の甘えた。水浅葱の着物の上にごろんと寝る。どれも枝に実ってるときよりおとなしい色。

 おとなしいのにはっきりしてる。

 最初のひとひらが、そっとつまみ上げられる。衣擦れも聞こえない、呼吸する静物画みたいなゆるやかさで。瞳の近くでぼんやり観察してる。

 打ち上げられた貝殻みたいな、扁平な、しわだらけな、丸っこくて大ぶりな、先割れの特徴も弱いひとひら。どれも同じなのに近いと全然違う。膝に残った二つは、途中がくびれてるのと、細く尖ってるの。同じ花びら。同じ桜。

「きれいなのにね」と言う。咲き乱れているときは。

 その横顔に触れてみたい。一瞬の期待に心臓が苦しむ。違う。乖離でいい。

 視線だけが僕に向く。僕を見て哀れっぽく微笑む。

 乖離しちゃっていい。生身の僕はここにはなくて、漫然と受け入れる、だけの存在。そうあれれば楽なのに。

 楽なのに。

 白い爪。細い指。現実味のない、温度のある手。うららさんの。

 静物画の動きで口元に寄ってゆく。

 薄い唇。小さな唇。生気のない、温度のある唇。うららさんの。

 つまんだ花びらを舌先と触れ合わせる。

 どんな味がするんだろう。

 うららさんが、笑んで、じっと見る。すこし潤んだ、じっと。

 頬に押し付けられる。

 手のひらに僕の息を受けながら、弱く、長く、押し付ける。いちばん柔らかいところにぴったりくっつく。ひんやりした水気が頬を覚ます。

 舌先に触れたひとひらの花びら。拭えない。

 もうひとひら。膝からつまみあげて、次のは目尻に押し付けられる。水気と、視界の端にぼやけた花びらが留まる。

「こんなこと」と僕は言う。

 最後のひとひらが逆の目のくまに。弱く、長く。温度のある手。

 心臓が、止まらなくなって息苦しい。肩に重くのしかかる。乖離に生身が肉薄してしまう。

「やめてよ」と僕は訴える。

 うららさんが小さく首をふる。

 つまむもののなくなった指が僕の胸に触れる。

 触れながら、何かを認めてくれるように僕に微笑みかける。

「痣はもうないよ」

 涸れた涙が、つう、と流れない。涸れてしまってるから。


 ❀


 たまに誰かがやってくる。

 ほとんどは冒険好きの子どもたちで、多くても一度に三人、大抵は二人。誰からも忘れられた鈍色の場所に好奇心をくすぐられながらやってくる。

 一本桜に招かれる人もある。高速道路を横切る際に、目に留まって後日、という種類の。そういう人たちは不思議と一人でやってくる。大げさな一眼を手に抱えていたりして。

 そうやって境界線の先から現実を持ち込みながら、たまに誰かがやってくる。

 そんなとき、いつも僕はうららさんに別れを告げる。

 彼らの純真な楽しみを邪魔したくもないし、ここに現実は高速道路の喧騒だけでいい。

 今日も誰かがやってきた。

 その人はいつもと違ってた。

 こんな晴れた日に、わからないけれど、雨上がりのカタツムリみたいだった。

 大人なのに一眼の代わりに松葉杖をついて、子どもでもないのに隣にもう一人を寄り添わせて、ごつごつでざらざらの半端な舗装の坂道を、せいいっぱい時間をかけて不器用に登ってくる。

 僕は最初気づかない。やっと振り返ったのは坂道も残り僅かってときに、うららさんが指で教えてくれたから。

 松葉杖で先の地面を突いて、とは逆の足をゆっくり前に差し出して。慎重に。用心しいしい。葉っぱの上から落ちてしまわないようにって感じで。登ってく。

 息を入れる。残り僅かを休み休み動いてる。首を伸ばして引っ込めて後ろに糸を引きながら。あとちょっとの登頂まで長く長く到達しない。隣の女の人はずっと彼の背中に腕を回してる。

「妹さん?」

「どうだろ」と僕は答える。

 顔の雰囲気はよく似てる、けど歳が離れすぎてる気もする。女の人のちょっと遠慮がちな様子からいっても、親戚って間柄の方がしっくりきそう。

 別れを告げるのも忘れて僕は見入ってた。

 親戚って間柄とおんなじで、男の人の様子には、ひたむきって言葉がしっくりくる。苦しそうだけど、道の先には明るい未来みたいなのを据えている。じんわりと、じりじりと、坂を登ってく。

 そのうちに桜が散って、緑に茂って、赤く染まって、茶色く枯れて、寒々しい裸を古木が晒してるあいだにも、女の人はずっと背中に腕を回し続けてる。やがてまた花が咲き乱れた頃に、松葉杖の先端が頂上を押す。

 男の人がもたれかかる。女の人が受け止める。心配そうだけど嬉しさも含ませた愛らしい笑顔で。

 二人が桜を見上げる。二つとも喜びに変わる。乖離してない生身の表情。それを眺める僕の方がどんどん遠ざかってく。遠ざかるほど、温かくなる。

 お堂の近くまでやってくる。二人が会釈する。僕も会釈する。

 僕から視線を引き取って、二人はまた桜を見上げる。

「ね。来てよかったでしょ。勇気出せたじゃん」って女の人の声が届く。

「ありがとう」と男の人の声が届く。

 僕のことは意識の外で、二人だけの世界が、温かい心を強くする。煙たい目。奇妙の目。そういうものを注がれてしまうよりは。

 二人はまた長い時間をかけて坂を下ってく。境界線の向こうに帰ってく。

 桜が舞っている。散っている。すこしだけ青空の色が薄くなっている。

 振り返るとうららさんが微笑んでいた。

「優しい人たち」

「傷があるうちだから」

 と僕は答える。

「癒えたら冷たくなっちゃう?」

「忘れたらきっと」

「変わってっちゃう」とうららさんが言う。

 児童公園のフェンス越しに、アンダーパスの穴を見る。高速道路の壁にぽっかりあいた穴。二人はその穴をもう抜けたのかな、それとも、水田のどのあたりまで進んでるんだろう。変わらず松葉杖を突きながら?

「一人なら登れたかな」と僕は訊く。

「登らなくていいの」と背中に聞こえる。一人のときは。

「なぜ?」

「リハビリってそういうものじゃないでしょ?」

 そうだね、と僕は声には出さずに思う。

 言葉にしたら弱さを認めることになっちゃうから。


 ❀


 春が散った。冬が来て、長い夢だった。

 夢の始まりに、パンッ、と聞こえた。乾いた音。なにか割れる音。ビスケットよりは固くって、くるみよりは柔らかい。

 そうして冬が来た。僕の中からあらゆるものが抜け出て行きながら。

 抜け出たものは取り戻したかった。見当たらなかった。

 長い夢だった。

 葉っぱの落ちた古木をずっと眺めて、冬の冷気を皮膚に感じて、そのうち何も感じなくなって、お堂の段差に体育座りするしかない。僕以外のすべてを雪に覆わせた、しんと寂しい夢。

 夜の気配が濃くなってゆく。怖さにも慣れた。慣れても終わらない。古木の不気味な印象が中心に居座って、離れないし動かない。

 僕も離れられないし動けない。眼下にヘッドライトが止まないけれど僕はそれに載せてもらえない。左足が痛んでそこまで届かない。できない。やれない。どうにもならない。ない、ない、ない。無いことずくめの夢。結局見当たらない。

 いつからこうなったのか自分でも。

 とにかく、長い夢だった。

 一瞬の夢。段差にかけながら、首がこくんって落ちる刹那の夢。

 桜が咲き乱れてる。

「おはよう」と横から優しい声がする。

 うららさん。

「魘されてたよ」

「そんなに眠ってないよ」

「魘されてた」と優しく繰り返す。

 そんなことないよ、と声には出さない。大丈夫。

「でも嫌な夢だった。ずっとここに独りでいる夢」

「夢だよ」

「治らないんだ、左足が」

「夢。悪い夢」

 僕は首をふる。

「僕は望んでここに座ってた」

「夢の中で?」

「夢の中で」と僕はうなずく。「楽だったんだ。動き出す気力がなくて。初めのうちは居心地がよかった。気休めでも仮りそめでも、だとしても」

「今でも痛む?」

「ここにいれば感覚が麻痺してる」

 でも、動き出すと蘇る。そのうち動けなくなった。

「松葉杖はどこ?」

「ここにいる」

「一人で歩きたいんだ」

「そういうものじゃないんだよ」

 水浅葱がひらり舞うように揺れる。背中にうららさんの手が当たる。桜の花が空白を上から下に落ちてゆき、暖かくて、いつも寄り添うように語りかけてくる。

 誰かが言ってた、春は残酷な季節だって。


 ❀


 春が咲む。春が降る。また春が咲んで、また降り落ちる。

 地面いっぱいの花びらが、次に春が咲みかけるときにはどこにも消えている。どれも違うはずなのに同じ花。

 咲み降り繰り返す。

 高速道路の喧騒を響かせながら、境界線の内側に封印されたこの春も、変わらず繰り返す。乖離しちゃってるほうがいい。けど繰り返す。

 初めてうららさんを抱きしめた。

 水浅葱の着物は思ってたより滑らかだった。厚くって、その下の柔らかさには届かないけれど、そこには確かな硬さがあって。

 シニヨンに束ねた金色の髪から、ちょっぴり古めかしいけど暖かくってほんのり懐かしい香りがする。襦袢を覗かせながら頭を撫でてくれる。

 ずっとこうされたかった。言い出せなかったから。

「いつでもよかったのに」とうららさんが耳元にささやく。寄り添うように。

 でも背中に回した腕が空を切ってしまいそうだったから。そうなったら二度と現実から乖離できなくなっちゃいそうだったから。

「妄想なんじゃないかって」

 と僕は言う。うららさんが言う。

「ここにいる」

「一人じゃ歩けないんだ」

 歩けない。どうしても。

 弱くって、口にしたくなかった言葉。数々の。そのうちの一つ。

 空白を上から下に降ってゆく。

 僕の細胞が死んでゆく。僕の細胞が再生されてゆく。どれも同じはずなのに違う花。違う春。乖離したまま前に進まされてゆく。

 ずっとこうしてみたかった。

 できないまま花びらだけ死んでった。積み重なってった。

 ぎゅっと力を入れる。強く抱きしめる。

 痛い?

「大丈夫」

 僕の背中にも腕が回される。袷の奥の柔らかい腕。唇が震えてしまう。

「ずっとこうしていたい」

「いつまでも」と耳元に小さく。「いつまでも」

 僕は求めてた。ずっと。

 さまよってここにやってきた。そこにうららさんがいた。

 舞台から眺める小さな町並みをまるで恋するみたいに佇んでた。金色の前髪と水浅葱の袖をちょっぴり風に揺らしながら。

 これも夢だと思ってた。長い夢の内側。ずっと。

「怖かったね」

「そう。怖かったんだ」

 怖い。怖かった。大丈夫じゃない。大丈夫じゃなかった。過ぎてく春。止まったままの僕。言い出せなかった。今より弱くはありたくなくて。

「言わなきゃ伝わらない」

「うん」

 ぽんぽん、と優しく背中を叩いてくれる。あの頃より大きくなってしまった背中。

「もう、伝わった」と小さくてきれいな音色。

 だから大丈夫。大丈夫だよって。

 涸れたはずのなにかが溢れ出してくる。失ったはずのなにかが遠くに見える。遠い、存在を感じられるくらいの距離の先。

 誰かが言ってた、春は残酷だって。

 そんなこと言い出したの誰なんだろう。残酷ってくらい優しくなくっちゃ歩けないときもある。


 ❀


 すこし前まで満開だった桜が六分くらい。地面にたくさん寝ているけれどまだ見頃。

 大量に拾い集めた花びらを舞台に広げる。

 同じが一つもない。似たのを見つけて形を合わせる。初めてうららさんと会ったときに二人でした遊び。

 ちょっとしたコツがあって、それもうららさんから教えてもらったんだけど、なんだったかな。

「懐かしいね」

「うららさんは覚えてる?」

「忘れてないよ」

 あれからずっと一緒にいてくれた。どれだけ咲んで、どれだけ降っただろう。

 また誰かやってきた。

 枝垂れ桜に招かれた、一眼レフの人。

「行かなきゃ」と僕は言う。

「もう?」

 春が降るまでと思ってた。それまで泥んでいようって。でも今って感じがする。

 桜の下で一眼の人に会釈する。うららさんの手を取りながら。

 坂道を下りながら僕は言う。

「なにから始めよう」

「もう一度追いかけてみるとか」

「昔の夢?」でも僕は首をふる。「それはもういい。よりも、なれるなら、うららさんみたいに」

「それってどんな?」

「治せる人。壊すんじゃなくってさ」

 うららさんが照れくさそうに微笑む。初めて見た表情かもしれない。

「僕も誰かを救ってあげられれば」

「忘れちゃってもね」

「忘れちゃってからも」

 坂を下りきったところで、ひときわって感じの強風が山から吹き下ろす。

 思わず振り返る。

 孤独な枝垂れ桜が大きく、花びらを散らせて、舞台からも花が舞う。見上げた空白に一斉に飛び立っている。かつて翼を生やしていた子どもたちみたいに。

 一眼の人が慌ててシャッターを切っている。

 心が温まる。乖離しなくていい。もう。

 握る手にぎゅっと力を込めて、境界線のアンダーパスを、抜けてゆく。

 先にも花が舞う。

 ひとひら。ふたひら。

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うらら 内谷 真天 @uh-yah-mah

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