異世界でもPTA会長を拝命したので、ご指導ご鞭撻の程何卒宜しくお願い致します。

葵緋都

プロローグ

「PTA会長だか何だか知らないが、よその子どものこと気にする暇があったら自分の子供をちゃんと躾けろよ!」


 吐き捨てるように投げかけられた言葉に、頭の奥が鈍く軋んだ。

 自分と比べるとまだ遥かに小さな或斗(あると)の手を握り締め、俺はゆっくりと頭を下げ、言葉を絞り出した。


「申し訳ありませんでした」


 まだ言い足りないのか、苛立たしげな視線を寄越してくるその男は、或斗の同級生の父親である。隣の母親も同じような表情で憎々しげにこちらを、或斗を睨んでから視線を落とした。

 ふと隣を見やれば、月音(つくね)も深々と頭を下げていた。しかし妻の肩は微かに震えている。


「或斗」


 そっと名前を呼んで促すと、街灯に照らされたその顔は恐怖に強張り、明らかに血の気を失っている。或斗のか細い「ごめんなさい」の声が夜に溶けた。


「二度とうちの子と近づかないでね」


 凍えるような声音で母親が口にする。或斗は小さく頷いた。俺は或斗の肩を抱き、月音と視線を交わすと、その同級生の自宅前から踵を返した。繋いだ或斗の手は冷たかった。突き返された手土産のケーキの袋が、行きよりも重く感じる。

 角を曲がり、交差点を過ぎたところで月音は立ち止まると、不意に屈んで或斗を抱き締めた。


「ごめんね、一緒に謝りに行こうなんて言って。こんなことになるなら連れてこなかった」


 月音の声に涙が混じった。抱き締められた或斗は、これまで必死に堪えていただろう嗚咽を少しずつ漏らし始めた。


「或斗は悪くないよ。少なくとも、あんなに大人から強く怒られるほどのことはしてない。だから、自信を持って、前を向こう」


 或斗は答えるでもなく、小さな嗚咽を繰り返している。

 俺は妻と或斗の肩をまとめて抱いた。言葉は出なかった。情けない父親だ。


 夕方の担任教諭からの電話によると、うちの次男は今日、学校で些細なことから同級生と喧嘩になったらしい。以前から因縁のある相手と激しくやり合い、相手の腕に噛みついたということになっていた。或斗は「噛んではいない」と首を振ったが、とにかく先方の両親が謝罪を求めているということで本人と妻を伴って謝罪に向かうことになった。


 俺はこの時点では子ども同士の喧嘩ということで事態を楽観視していた。しかし同級生の親の激怒は想像の遥か上を行った。

 曰く、以前から我が子は或斗からいつもちょっかいをかけられてきた。

 度々学校を通じて苦情を伝えてきたのに、親は一切謝罪に現れない。

 授業妨害など問題行動を繰り返しており、改める素振りもない。

 我が子は体格も大きく、反撃すると可哀想だと思って大きな抵抗をしないのをよいことにエスカレートした。

 噛みつくなんて異常で、感染症のリスクもあり、こちらは訴えることもできる。


 俺と月音からすると寝耳に水のような話で、或斗に対し大人二人が代わる代わる感情的に恫喝を加える間、頭を下げ続けるしかなかった。しかし、改めて考えるとおかしなことを言われている。俺はPTA会長という立場上学校に行く機会が多く、恐らく一般の親御さんより先生方と子どもたちの様子をよく話している。或斗は喧嘩することはあっても一方的に手を出すことはないし、恒常的に授業を妨害しているなんて聞いたことがなかった。


 そもそも或斗は「噛んでいない」と言っており、誰もその様子を見ていないという。証拠として提示された写真も「噛み跡」と断じるのは難しいように見えた。


 逆上しているといって差し支えない相手を刺激するのは躊躇われたので、その場で反論することは避け、俺達は謝罪に徹した。

 しかし、俺は親として本当に正しかったのだろうか。立場など忘れて、我が子を信じて争うべきだったのではないか。そうすることが、彼の心を守ることだったのではないか。


 自問しながら帰宅すると、長女の星羅(せいら)と長男の昴(すばる)が驚いた様子で俺達を迎えた。


「え、どうしたの?なんか……泣いてる?」

「大丈夫、ちょっと揉めた。後で話すから、ご飯食べよう」


 俺は努めて明るく告げると、夕飯の準備に取り掛かった。星羅も昴も、或斗のことで謝罪に行くことは知っていたので、少し不安そうに顔を見合わせていた。


 或斗はお風呂に入って以降、いつもと変わらない明るい様子に戻っていた。

 それから、いつもより少しだけ早く就寝した。


「よーくん」


 一通りの片付けを終えた頃、ダイニングテーブルについた月音が声をかけてきた。俺は彼女の隣の椅子にかけると、目を合わせ先を促した。


「うん。どうした?」

「私は、悔しい」


 月音はぽつりと告げると、唇を噛んだ。俺は頷く。


「うん。悔しいな」

「或斗はきっと噛んでない。それに、授業を妨害したり、意味もなく攻撃したりもしない」

「俺もそう思う」

「時々、少しやり過ぎることはあるかもしれないけど……」


 眉根を寄せる月音に苦笑する。確かに、或斗は感情が昂ぶると激しく暴れることがある。

 しかし今年で小学校の4年生、まだ9歳だ。冒険心旺盛で、担任の先生からは正義感やリーダーシップを褒められていた。気をつけていかなければならないが、問題視するほどの材料ではないと思われた。


「それに……よーくんのこと」


 月音は視線を落とし、テーブルの上で組んだ手にきゅっと力を込めた。


「よーくんは、頼まれたから会長やってるだけなのに。仕事も家事もあるのに合間に時間作って、全部しっかり頑張ってる。会長をやってるからって、あんな言い方――」


 月音の目は赤かった。今日はすっかり涙腺が緩いみたいだ。俺は彼女の背中を手のひらでゆっくりとさすった。

 子どものために怒って、悲しんでくれるのはある意味当たり前かもしれない。しかし、こんな時に何だが、俺なんかのためにも感情を動かしてくれるというのは単純にありがたいなと思った。しかし月音は本当にいつまでも可愛い。


「いや、俺は全然ちゃんとできてない――というか、誤解があると思うんだよな。一方的に思い込んでるんだとしても、とんでもない問題児を俺達が放置してるという見方をしてるなら、彼らも……自分の子供を守ろうとしてるだけなのかもしれない」


「その言い方は……なんか、ムカつく」


 じと、と険しい表情になって月音は俺を睨みつけた。睨んでいても可愛い。


「言ってることは分かるけどさ……或斗にあんな言い方されて、まだそんな風には割り切れないよ」


 それから微かに目を伏せるようにして、


「あんなこと言われるくらいなら……それでもそんな言い方をしなきゃいけないんなら」


 月音は決然と言った。


「よーくんにはPTA会長、もうやめて欲しい」


 心臓が小さく跳ねた。


 そうか、俺の、せいなのか。

 俺が会長をやっているから、必要以上にヘイトを買ってしまった。

 俺が、月音を、或斗を、傷つけるようなことを言わせてしまった。

 この期に及んでその相手をかばおうとする半端な姿勢で、さらに月音を傷つけた。


 次男である或斗の小学校入学の数ヶ月前にPTA会長の唐突な打診を受けてから、3年と少し。分からないことだらけ、知らないことだらけだった自分にも、少しずつPTAの意味やそのあるべき姿が見え始めた気がしていた。これからは、子どもたちのためにもっとちゃんとPTAを支え、これからのPTAがよりよい方向に変わっていく力添えができるかもしれない。

 そんなことを、ぼんやりとだが考えていた。

 その矢先にこれだ。

 俺が分別もなく会長なんてやってるせいで、家族を傷つけてしまった。


 俺が何も言えずにいると、月音はそっと立ち上がり、おやすみ、と告げてそのまま階段を上がっていった。



 しばらくして子どもたちの寝室を除くと、全員が寝息を立てていた。もう5年近く使っている、三段目を引き出して使う型の三段ベッドが部屋の中央に鎮座している。最下段、或斗の顔を覗き込むと、頬に涙の跡が見える気がした。見つめると、少し眉根を寄せて苦しそうな表情をしている。

 頭に手を当て、前髪を親指で微かに撫でるようにしていると、やがて安らかな寝顔に転じた。


 眠れる気がせず、俺はリモートワークの日に使用している書斎もどきの椅子に腰を下ろした。

 明後日は学校で地域代表との会合がある。15時には職場を出られるように調整した……はず。

 週末は小学校PTA連合会主催のスポーツ大会だ。来週火曜日は、19時から地域の青少年育成会に出席しなければならない。これは残業しないように調整すれば何とか間に合うと思う。

 何とかやれている。やれているはずだ。

 しかし、そもそも俺は会長を続けるべきなのか。

 お飾りみたいなものだとしても、俺なんかが引き受けるべきではなかったのかもしれない。


 ぼんやりとこれからのことを考えていると、不意に脱力感が襲った。それは足の先から始まり、感じたことのない重さとなって身体を駆け上ってくる。感覚が消えていく。

 何だこれ、やばい。

 死ぬのか、俺は。


 椅子の背もたれが俺の全体重を引き受け、悲鳴のような軋みを上げた。直後、何も考えられなくなって俺の意識は干上がるように消えた。誰かの声か歌か、聴こえたような気がした。

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