中編
ミレーヌ達が帰ってからしばらく後。
王城のホールに音もなく現れた男性に、国王が慌てて駆け寄った。
「せ、精霊王様! 本日は事前にお越しの一報はございませんでしたが、いかがされましたか?」
「なに、未来の義娘のデビュタントだから、餞をしてやろうかと思い立ってな」
「なるほど! それであのような素晴らしい祝福を! 誠に感謝いたします。······ロクスター子爵家のミレーヌ嬢でしたな」
「さよう。また息子が参加年齢に満たないというのに、急遽参加したようで相すまなかった」
「そんな、恐れ多いことでございます!」
精霊王と呼ばれた男性は、王族に対しても鷹揚に構え、人ならざる神秘と威厳を漂わせていた。
ホワイトオパールを織り込んだような複雑な輝きを放つ白い衣服を身に纏い、白銀の長髪は瞳と同じく時折青く光って見える。整いすぎた相貌は生を感じさせないものだというのに、たしかにそこに存在するのが不思議であった。
それもそのはず、精霊はその生まれからして生身の人間とは全く違うものだ。
彼らは精霊界にある『息吹の源』と呼ばれる巨木状の泉から生まれる。精霊王も、彼の息子もそうだった。
彼らは泉の中で育ち、やがて花を咲かせ実として膨らみ、熟して生まれ落ちると、心が求めるままに飛んでいってしまう。
そうしてひときわ大きな花を咲かせた精霊王の息子も、あっという間にミレーヌの元へ向かったのだ。
「戻ってきたのか、息子よ」
「ええ。ミレーヌに汚いものを見せたくなかったものでね」
精霊王が振り向くと、そこには先程とは打って変わって大人びた雰囲気を漂わせるトッティがいた。表情を消したその顔は冷たく整い、精霊王によく似ている。
「彼らはどうなった?」
トッティが国王に顔を向ける。それは子供が向ける視線とは思えないほどの迫力がある。冷や汗をかいた国王がそれを受けて話し出す。
「······会場で倒れた侯爵令嬢他2名と、休憩室で待機していた令息3名はそれぞれ原液に近い媚薬を摂取したため、解毒も効かずに、その、そのまま」
「そんなものを成人を迎えたばかりの令嬢に断りもなく投与しようとするとは。人間は恐ろしいな」
精霊王は呆れたように零す。
「『美しい彼女を目にしたら
「それはもはや妄想だ。美しさを驕ったわけでもない無垢な令嬢が、こんな日に辱めと暴力を受ける理由にもならない」
たとい清浄の気であっても度を越したものは人にとっては凶器になり得る。それを強く漂わせた精霊王の静かな怒気に、国王は頭を上げられない。
「元々媚薬なんて言うものは家畜の繁殖用興奮剤なのでしょう。いい軍馬の掛け合わせのためだとか、食肉用の牛を効率よく増やすためにね。それを人間の繁殖のために改良したのがいわゆる媚薬。
人間用には『愛への一歩』なんていう、御大層な名前がつけられているけど、まあ家畜用のと目的は同じものだっていうのにねえ」
「そんなものを我が義娘に盛ろうとする人間がいるとは。危なっかしい世界になったものよ」
不快だと言わんばかりの精霊王の横で、淡々と話しながらもさらに怒りを滲ませるトッティ。あの潤んだミレーヌの瞳を多くの者が見たのだとしたら許せない。
「開発の始まりは王家繁栄っていうお題目のもとだ。······馬と同じもの使うわけにもいかないから、もっと違うエッセンスを入れたのかもなあ」
国王の横の王妃も、王子達も、宰相も、トッティの溜息を身震いしながら聞いている。周りの列席者達は、この人外の美貌の親子が精霊王なのだと初めて知り、驚くことしか出来ない。
トッティはそんな彼らにも牙を剥く。
「今でこそ市場にも廉価品が出回っていて、なかなか後継に恵まれない貴族家とかが、ありがたがって使っていたのでしょう? それ自体は悪くないさ。でも管理は厳重にしないといけなかったのじゃないかな? 本来の使用法から離れて、こんな風に下劣な理由で悪用しているのも、誰もが黙認してきたんでしょう? ······気持ちが悪いね」
「すまなかった、トッティ様。私の会場警備が甘かったために」
黒のローブを身に纏った魔術師師団の制服の男性がつかつかとやって来て、肩を竦めるトッティに頭を下げた。
「師匠――サンセット伯爵はロクスター子爵夫妻の方に注視していたのですから仕方ないですよ。魔術師長として、おかしな術の気配がしたら、そちらを警戒するのは当然です。······あの侯爵令嬢の父親は、可愛い娘のおねだりをなんでも聞くような親なのでしょう?」
そう言いながら酷薄な笑みを浮かべて、トッティがちらりと父侯爵を見やれば、彼は声にならない悲鳴を上げて床に座り込んでしまった。
「精霊王様、ご子息様。この度はミレーヌ・ロクスター嬢を危険に晒してしまい、誠に申し訳ありませんでした」
「私の婚約者がこのような事態を引き起こし、面目次第もございません」
国王と第二王子が慌てて頭を下げ、他の者達も震えながらそれに倣う。だが、精霊王は威圧をかけたような重苦しい空気をものともせずに、何とも答えない。
「さて息子よ、どうする?」
「あの子はご両親や領地が好きだからねえ。だから婚姻までは人間界で楽しく暮らしてもらおうと思っていたけれど。連れて行くしかないか」
「お待ち下さい! どうか、どうかもう少しミレーヌ・ロクスター嬢を地上にお残しいただいて······」
何とか縋ろうとする国王に、精霊王は冷酷な目を向ける。
「黙れ。ミレーヌがここで幸せに暮らしていると思えばこそ、息子との婚姻後もこの地に加護を与えようと考えておったのだ。しかしこの国の者は『精霊の光輪』が見えないのか? あんなに光り輝く人間は神や精霊に愛されている者だと誰でも気づくだろう? 決して穢してはならない存在だと」
人々は唐突に気づいた。この国がなぜ常に豊作で、大きな荒天もなく、美しい国でいられるのかを。厳しい自然の脅威は、ここ16年ほど起きていないということに。
「まあミレーヌは決して誰にも穢せないんだけどね」
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