ミレーヌ・ロクスター嬢のデビュタント
来住野つかさ
前編
ミレーヌ・ロクスター。
ほとんど表に出たことがないにもかかわらず、その名を持つ彼女はあまりに美しい令嬢としてデビュー前から噂になっていた。
父子爵に連れられて、ミレーヌが王城の華やかなホールに降り立った時、会場は一瞬音が消えたように静まり返った。デビュタントを祝う可愛らしい令嬢が多く集まるこの舞踏会の中においても、彼女が現れただけで空気がガラッと変わったのだ。
彼女が歩くごとに眩い金髪が煌めき、その肌はミルクのように白く、輝くばかりに美しい。その上、高揚のためかほんのりと頬を染めた様は途方もなく愛らしく、うっかり間近で目撃した令息が顔を真っ赤にしてしまうほどだ。
瞳を輝かせて両親に何事かを伝えながら、純白のドレスの裾をひらめかせて進むミレーヌの軽やかな足取りは、天使か妖精かと見紛うばかり。人々は会話を止め、驚きとともにしばし彼女を目で追っていた。
そんなひときわ美しい令嬢のミレーヌだったが、彼女はまだ婚約者が決まっていなかった。
デビュタントを終えてから決める家も多いため、それ自体は珍しいことではないが、類を見ないほどの美少女として注目を集めていた彼女ならば、たとい下位貴族だとしても早々に決まっていて不思議はない。
なので、すでに内々で高位貴族家に縁付くことが決まっているとも、あまりにも申し込みが殺到していて、彼女の父のロクスター子爵が厳選しているとも囁かれていた。
「お父様、お母様、王城って本当に素敵なところなのね。すべてが光り輝いて夢の国みたいだわ! 連れて来てくださってありがとうございます」
「可愛いミレーヌ、今日の佳き日にお前が無事にデビュタントを迎えられたことを嬉しく思うよ」
「そうよ。あんなに小さかったあなたがデビュタントだなんて感慨深いことだわ」
「わたくし、今日はお城のスイーツを食べるのを楽しみにしていたの。コルセットはきついけれど、少しくらい食べてもいいかしら?」
「全くこの子ときたら! 両陛下のダンスの後にするのですよ」
年頃の娘らしく両親に可愛らしいおねだりをするその姿は、その小声が聞こえた周囲の者の頬を緩ませた。お人形のようなのは見た目だけで、品の良い程度に表情が変わる彼女を見た者は、ますますミレーヌの魅力に惹きつけられていく。
と、その時、人々のざわめきで賑やかだったホールに、「国王陛下、並びに王妃殿下、王太子殿下、第二王子殿下のお成りです!」との声が響いた。
頭を下げる貴族達の前を、豪奢な装いの王族方がお出ましになり、着席される。
ミレーヌも周りに倣って綺麗な礼の姿勢をとっていたが、国王陛下の「楽にしてくれ」のお声で面を上げた。
華やかな開催の音楽が鳴り、デビュタントを迎える令嬢達は一列に並ぶように指示される。これから社交界に足を踏み入れる令嬢は、この儀式を終えてようやく成人として受け入れられるのだ。
高位貴族の令嬢から順に名前を呼ばれ、最後の方に呼ばれた子爵令嬢のミレーヌも一歩前に出てカーテシーをとる。国王陛下からお言葉を賜ったら、デビュタントの令嬢達は後ろに下がり、両陛下のダンスに移る。
自分達を見守る人々から拍手をもらって、デビュタントの令嬢達は両親の元に戻る。両陛下の落ち着いた美麗なダンスが終わると、いよいよ舞踏会の始まりだ。
無事に終わって良かった。ミレーヌが緊張から解き放たれたところで事件が起きた。
このような催しに不慣れなミレーヌを守るようにそばにいた両親だったが、高位貴族に呼ばれてしまい、突如一人で少し待つように言われたのだ。
楽しみにしていたスイーツも一人では取りに行きにくい。お母様が戻られたら一緒に連れて行ってもらおう。そう考えていた彼女のところに、「お一ついかがですか?」とウェイターより果実水を差し出された。
「ご親切にありがとうございます。これはお酒ではないですよね?」
「はい、さようです」
こういう時は色の薄いドリンクを受け取ること。ハンカチを添えてグラスを手に取ること。ドレスに零さないよう気をつけること。······そうね、葡萄やベリーのものは駄目だけれど、これは桃かしら? なら平気そうだわ。
家を出る前に受けたレクチャーを思い出しつつ、薄いピンクの飲み物を受け取ったミレーヌ。グラスからはおいしそうな甘い香りがする。
チラチラと彼女に話しかけようとする令息達の視線にも気づかない少女のミレーヌは、その液体をこくりと飲んだ。
――ドクン。
ミレーヌの様子が一変する。
心臓がどくどくと音を立て始め、頬に熱がたまり、目頭も同様に熱くなる。すぐに体全体が発熱しているような状態になり、彼女の体は急激な変化に戸惑い、くらりと揺れてよろめいた。
デビューでお酒を飲みすぎたのね、と周囲は好意と呆れをないまぜにした表情を浮かべる。ただでさえ神々しいほどの美少女のミレーヌだ。令息達はミレーヌの潤んだ瞳を見て、少女の中に色香を感じてドギマギし、余計に声をかけにくくなってしまう。
お酒だとしてもミレーヌが口にしたのはほんの一口だというのに、人々はよくある風物詩として捉えた。
メイドが音もなく近寄ってきて、休憩室に誘導しますと声をかける。
「いえ、結構です。両親をここで待ってからにしますわ」
「ご両親様にはこちらからお知らせしますよ。ほらこんなにふらついていらっしゃる」
ミレーヌが断っているのに、メイドは危ないですからと腕を取って移動させようとする。
そうこうしてる間にミレーヌの体はどんどん熱くなり、頭がぼんやりとしてくる。
おかしいわ。お酒じゃないと確認をしたのに、これはお酒の効果なのかしら。お父様にお願いして解熱剤をもらわないと。
なのに両親はまだミレーヌの元に戻ってこない。
「さあ、こちらですよ。お医者様もお呼びしますからね」
嫌なのにメイドの手を振りほどけない。思うように体を動かせないミレーヌが、熱い吐息混じりに小さな声を漏らした。
「トッティ······助けて」
小さな薔薇色の口がそう呟いた途端、彼女は文字通り発光した。
目を開けていられないほどの強く白い光がミレーヌを覆い、国王陛下を護衛する騎士達も俄に臨戦態勢に入る。人々は呆気に取られつつも、遠巻きに眺めることしか出来ない。
しばらく後。強い光が収まってみると、ミレーヌの横には先ほどまでいなかったはずの少年が立っていた。
優しい表情でミレーヌの肩を支える少年に、ミレーヌは弱々しい笑みを見せる。彼女の胸元で白く輝くオパールのようなネックレスは、いまだ乱反射するように複雑な光を放っている。少年は彼女よりも年下だろうか。しかしその姿はミレーヌに引けを取らない、息を呑むほどの美形だ。
「ミレーヌ、大丈夫?」
少年が軽く手を振るとミレーヌはコホリと咳をし、キラキラとした何かの結晶が吐き出されて少年の手に集まっていく。
「これは?」
「君が飲み込んだ、体で悪さしたものだよ。どう、すっきりした?」
「ええ、突然高熱が出たように思ったのだけど、元に戻ったわ」
それは良かった、と少年は言って、ぐるりと周囲を見渡した。と、そこへミレーヌの両親が慌てて戻って来る。
「これは冷え性の人が注文した、体を温めるドリンクだったみたい。ミレーヌには不要なものだからその人に返しちゃうね」
「あら、わたくしったらうっかり他の方のを飲んでしまったのね。申し訳ないわ」
ミレーヌが頬に手をあてて恐縮している内に、少年が再び手を振った。
するとその結晶は消えてしまう。
すっかり体調の良くなったミレーヌは少年と両親にふんわりと微笑む。
彼女の胸元のオパールネックレスもいつの間にか光を収めていた。
あまりにあっさりと終わった不思議な光景に、護衛騎士はミレーヌに話を聞きに行こうとするが、国王は首を振り引き留める。
「踊ろうか? 僕ミレーヌと踊りたい」
少年に手を引かれてダンスホールへ進むミレーヌは、にっこりしながらそれを受け入れる。美しい二人が踊り始めると、会場はまた華やかな音楽に包まれて他の者達も追随していく。
誰かが「あの少年はサンセット魔術師長のところの養子だったか弟子だったかじゃないか?」「たしか国境近くのスターツ男爵家の息子で、魔術の力にめっぽう優れていると噂の?」「あんなに美貌だったのか」などと少年の素性をひとしきり噂し、満足した人々はまた別の話題を楽しげに話し出した。
「ねえ、トッティはまだデビュー出来ない歳なのに、このままいてもいいの?」
「大丈夫さ、父様も来たみたいだもの」
「えっ、本当に?」
どこにいらしているのかしら、とミレーヌが周りを気にすると、ダンスホールを煌びやかに彩る巨大なシャンデリアからキラキラとした光の粉が舞い降りて、デビュタントの令嬢達を可憐に輝かせていく。
「あ! これはトッティのお父様が?」
「そうだね、ミレーヌと他の娘さん達への祝福かな。綺麗だね」
「なんて素敵なのかしら。いい思い出をありがとう! トッティとは今回一緒に出られないと思っていたのに踊れて嬉しいわ。······でもやっぱりルールだから良くないわよね」
目を伏せたミレーヌに、少年――トッティが慌てて声をかける。
「でも」
「人目を引く前に帰りましょう」
「いいの? お菓子は?」
「いいのよ、あなたともう踊れたんだから」
その横で、先程のウェイターとメイドと、それから第二王子の婚約者である美しき侯爵令嬢がそろって顔を紅潮させて、ふらふらと倒れた。
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