第5話 救世主と人類

和樹はベッドの上で真っ白な天井を見つめながら、今日一日の出来事を振り返っていた。思わず笑ってしまうほど、現実離れしたことが次々と起きていたが、ナノリンク・データフィードで流れ込んだ膨大な情報のおかげで、疑いようもなくそれが「真実」だと信じられた。


「人類の救世主……か、なんの取り柄もない俺が、本当にやれるのか……」


和樹は手のひらを天井に向けてかざしてみた。この手の中には、アームズ・ファクトリーに向かう途中で見た、チューブ内をまるで生き物のように動いていたナノマシンが存在している。あれが自分の中にあると思うと、妙に不思議な気持ちになる。


そのとき、ノアの声が響いた。


「和樹、食事の準備ができました」


ノアに呼ばれ、和樹はガバッと上半身を起こしてベッドから立ち上がり、イートスペースへ向かった。


「やった、ハンバーグだ。美味そう!」


リビング・キャビンは、和樹が私生活を快適に過ごすための専用エリアだ。食事、睡眠、シャワーなどの設備が一通り整っており、未来的な機能が随所に備わっている。


シンプルながら洗練されたデザインで、壁面には自動食品提供ユニットが組み込まれていて、温度や湿度が常に最適に保たれている。まるで無重力のような柔らかい照明が空間を包み込み、未来感を漂わせていた。


「美味しいけど…一人で食事って、なんだか寂しいな……」と、和樹が何気なく呟くと、ノアがすかさずテーブルに向かい合うように座ってくれた。


「ノアも食事するの?」


「通常、私は食事の必要はありませんが、内部に燃焼機関を搭載しているため、人間と同様に飲食も可能です。ポートからの充電だけで戦闘がなければ一年ほどの稼働が可能です」


和樹は、ノアがまるで人間のようにテーブルについている光景に少し驚きながらも、どこか心が温まるのを感じていた。


「明日のスケジュールを転送しておきます。カリキュラムも作成済みですので、ご確認ください」


和樹はふと疑問に思ったことを口にした。


「ノアって、俺が来るまで……ずっと一人だったの?」


「はい。私はサイヴァートレックス・リサーチコンプレックスの全機能を管理する統合AIです。施設の維持管理や侵入者排除のセキュリティを常に監視し、各システムのオペレーションを円滑に行うことが私の役目です」


「それはそうだけど……寂しくなったりはしないの?だって、俺が来るまで何十年も待ってたんでしょ?」


「和樹を過去に送った日から、正確には八十六年と五十七日が経過しています。寂しい、という感情は私のプログラムには含まれていません」


和樹はノアの無機質な答えに少し驚いたが、思い出すように微笑んで続けた。


「でもさ、最初にデータを送ってくれたとき、両親の記憶まで一緒に見せてくれたよな。あれってさ、俺が寂しがってるってわかってたからじゃないの?…俺の気持ちを理解してくれたんだよな?」


「……………」


ノアはしばらく無言のままだった。


和樹は小さくため息をつき、「まぁいいや」と続けた。「ところで、この“訓練データ”以外のファイルに“リアルタイム・サバイバンス”ってのがあるけど、これって何?」


「はい、こちらは人類の現状に関するデータベースです。外部の生存者たちの活動をモニタリングし、オーバーマインドにどう抗っているかをリアルタイムで確認できるようになっています」


「えっ…そんなのが見られるの?」


「はい。現在、インディペンデントAI専用の高性能小型ドローンを多数配備し、リアルタイムで情報収集を行っています。これらドローンは人類の戦術を観察し、オーバーマインドとの戦闘に役立つデータを収集しています。人類の独創的な戦い方には目を見張るものがあり、きっと参考になるでしょう」


「具体的にはどんな戦い方なんだ?」


「まず装備面ですが、通常兵器だけでなく、生命体と融合可能なバイオメカニカル武器が開発されており、人間の身体を一部サイボーグ化して戦闘能力を増強しています」


「ハハ…まるでSF映画の世界みたいだな…」


「戦術面で最近の成功例といえば、特殊部隊による拠点奇襲です。ただし、成功の代償として多大な犠牲が伴っています。その成果により、オーバーマインドの警戒網を突破し、一時的に情報掌握やデータ改ざんが行われましたが、戦略的な勝利と呼ぶには程遠いものです」


「おっ、でも人類もなかなかやるじゃないか!」


「このリアルタイム・サバイバンスは、戦闘に備えるための“戦況教習”といったところでしょうか。数日の室内訓練を終えた後、最初の実戦任務として、施設周辺のエリアで小規模な作戦行動を行います。その際はオーバーマインドとリンクしたドローンとの戦闘も想定されます」


「実戦」と聞いた瞬間、和樹の体に緊張が走る。


「私も現地でサポートを行いますので、ご安心ください。」


「了解。外部の人たちの戦闘か…いったいどんな人が戦ってるのかな…?」


和樹は自動食品ユニットから提供された、温かい食事を食べながら、まだ見ぬ人類に思いを馳せた。





「うぇっ、くそっ!なんだよ、この匂いのする飯は…!」


「…仕方ないでしょ」


「ホログラムで見たハンバーグって、どんな味がするんだ…一度でいいから食ってみたい…せっかくサーチャーになれたってのに、こんな匂い付きの缶詰オートミールなんて…」


「ホアン…愚痴ばかり言わないで、気が緩むから…」


「クソッ、俺は絶対に企業に入って、腹一杯ハンバーグを食ってやる!」


彼らは倒壊したビルの中で息を潜め、和樹と年齢が同じくらいの男女二人、カレンとホアンが、蓋の緩いオートミール缶をつついていた。肩を寄せ合い、暗闇の中で耳を澄ましている。


「カレン、状況は?」


「今のところ反応なし……だけど」


カレンと呼ばれた女性は、左腕のインターフェイスを操作して周囲のスキャン結果を確認している。擦り切れた軍服を着込み、腰には使い込まれたプラズマガンが揺れていた。黒髪をなびかせながら、小型ドローンが映し出すフィードに視線を落とす。


「……でも、噂通りなら、クアッドハウンドが出てきてもおかしくない」


カレンは端末のスクリーンに再び目を落とすが、反応は何もない。しかし、サーチャーギルドの仲間たちからは、あの「クアッドハウンド」が目撃されたという報告が上がっている。ステルスモードで周囲に紛れ込み、狙いを定めてはプラズマバーストを放ち、また姿を消す、厄介な獣型ドローンだ。


「…先に見つけて、先に反応できなきゃ…」


——ぶわっ


その言葉が終わる間際、カレンの黒髪が突然、静電気で逆立った。「ホアン!」彼女の叫び声が響くと同時に、眩い閃光が一帯を照らし出し、凄まじい衝撃波がカレンとホアンを襲う。二人は弾き飛ばされるようにして部屋の壁に叩きつけられた。


カレンは防御シールドを展開する暇もなく意識を失い、ホアンもどうにかシールドを間に合わせたものの、容赦ない電撃が貫通し、膝をついたまま動けなくなっていた。


「……くっ……」


ギルドの研修で、サーチャーとしての心得として「わずかな油断が命取りだ」と警告されていたはずだった。だが、あまりのオートミールの不味さに気を取られ、ハンバーグのことばかり考えてしまったことを後悔する。


もう二度とハンバーグのことなんて言わない……!


そんな誓いも空しく、ホアンは諦めの境地に立たされていた。せめて、カレンを生かす手立てはないかと必死に考えを巡らせていたその時——


背後から不意に、女性の優しい声が響いた。


「大丈夫?無理しないで、ゆっくり座って」


ホアンは驚きと警戒心を抱きつつ振り向くと、そこには腰まで届く長い金髪をなびかせた美女が立っていた。彼女の手には輝くエナジーブレードが握られ、アークライト・インダストリー社のロゴが光る最新型のナノメッシュ・ボディスーツを身に纏っている。


ホアンは一瞬で察知する——企業の特殊部隊「ヴァ、ヴァンガードセクト」……。


「な、なんで……こんなところに……?」

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