第5話 月あかりの下で


 ちょっと気は強いけど、すごく気は強いけど、とにかくアリエッタは聡明な姫君である。


 治政にも明るいし、領民たちのこともちゃんと考えてるし、いろんな知識を持っているのに、頭でっかちじゃない。

 サラソータ侯爵が後継者にと考えたのも納得、というか、彼女の優秀さに比較したらたいていのやつが霞んでしまう。


 だからさ、きっと理知的な美人なんだろうなーって漠然と思ってたんだよ。


 でも、やわらかく降り注ぐ月の光の中で人の姿を取り戻したアリエッタは、美人じゃなかった。


「あああああんまぁりぃだぁっ!!」

「失礼ですわね。あと五年もしたらすごい美女に成長しますわ」


 膝から崩れ落ちた俺に、美少女がふんすと鼻息を荒くする。

 いや、美幼女?


 もうどっちでも良いよ。

 どう考えても結婚適齢期じゃないってことははっきりしてるよ。


「参考までに、アリエッタさんはおいくつなんでしょうか?」

「なんでそんな卑屈な訊き方をするんですの? 十歳ですわ」

「ですよね。そんな気はしました」


 だいたい見た目相応ですね。

 ぱっちりした緑っぽい目も栗色のふわふわっとした髪も、美しさよりかわいらしさが前に出ちゃってるもん。

 ええ、ええ、十二歳以上には絶対に見えませんでしたとも。


「ちなみに、まだ殿方を迎え入れる準備はできておりませんので、朝から旦那様がやっていた初夜の用意は、すべて無駄になってしまいましたわね」


 くすくすと笑う。


 やめてよ!

 そういうこというの!

 絶対に確信犯だよね! こうなること判ってたよね!


「先に言ってくれよ……」

「訊かれていないことに答えないのは貴族のたしなみですわよ。旦那様」


 勝ち誇られました。

 たしかにそうだけど!


 発言内容が常に進退に直結する貴族社会では、話して良いことしか話さないというスキルが大変に重要だ。


 自分からペラッペラと訊かれてもいないことを喋るような人間は、まあ貴族の中で孤立するよね。

 下品なやつってレッテルを貼られて。


 だから、アリエッタが自分の年齢を申告しなかったのはおかしいことでもなんでもない。

 訊かなかった俺が悪いんだ。


 だけどさ、女性に年齢なんか訊けるかい? 諸兄は。


 サラソータ侯爵が花嫁として送ってきたわけだから、俺と年齢が釣り合ってると思うじゃん。

 思ってもおかしくないじゃん。


 期待したっていいじゃない!


 床に膝を突いたままの俺の肩を、ぽんとオリバーが叩いた。

 やめろ、そんな目で俺を見るな。


 貴族同士の結婚というのは、まんま政治なんだ。

 そこに恋愛が差し挟まれる余地はないし、そもそも本人の意思なんてまったく関係ないところで成立する。


 だから、十歳違い二十歳違いなんて夫婦は普通に存在するんだよね。

 一度も会ったことがないのに結婚したなんて例も珍しくない。


 その部分だけを切り取って考えたら、俺とアリエッタだってべつに珍しくもなんともないんだよなー。


「なのに、どうしてこんなにおかしいと感じるのか」

「旦那様に幼児愛好の趣味があるからではありませんか?」

「絶対に違う!」


 言うに事欠いてなんてこと言うんですか。

 もし俺にそんな嗜好があったなら、あなた大変なピンチなんですよ? アリエッタさん。

 笑ってる場合じゃないんですよ?


「アリエッタが鳥なのがおかしさの原因じゃないか!」

「まあ、白鳥と結婚する殿方は、そう滅多におりませんわね」


「他人事みたいに……」

「頑張って五年くらいで呪いを解いてくださいましね。そうしたら若い花嫁を手に入れることができますから」


 どこまで本気がわかんないことを言って笑うのだ。

 十歳でこれなんだよ。

 十五になったらどこまで成長するのか、末恐ろしい。


 けどまあ、それは将来のことにしておこう。

 今はこれで良い。




 で、衝撃の初夜騒動から、また幾ばくかの時が流れ、トンプネ川で鮭の遡上が始まったと連絡があった。


 設置したフィッシュホイールがちゃんと機能しているか確認するため、俺たちはさっそくリトリバ村へと向かった。

 徒歩なら一日だけど馬なら半日である。


 ちなみに俺の馬の鞍の前輪には、アヒルが座れる専用の席が作られてるんだよ。

 羽や水かきを傷めないように分厚いクッションが敷いてある豪華な専用席だ。


 城の職人がこんなもんを作っちゃうから、俺はペットの白鳥をものすごく可愛がっている親バカ領主だと思われるんだぜ。

 つらいなぁ。


 やがて、村長たちが木戸の外で待っているのが見えてきた。

 近づく俺たちに低頭する。


 手を振って応え、ひらりと馬から飛び降りれば、すかさずアヒルが肩に飛び乗った。

 すっかり定位置である。


「お待ちしておりました。男爵様」


 手綱をもち、村長が笑顔を浮かべた。


「リネカ。その顔は良い知らせみたいだな」

「ええ、そりゃもう」


 話したくて仕方ないって風情だよ。


「フィッシュホイールの件か」

「はい。男爵様の考案されたサクラメント水車、あれはとんでもないしろものですな」


 おい。

 適当な愛称を付けちゃうのはやめたまえよ。


「朝からいけすにはどんどん鮭が入って回収が間に合わず、何割かは川に戻している始末です」


 文句を言ってやろうと思ったんだけど、興奮冷めやらぬ村長はたぶん聞く耳持ってくれなさそう。

 俺は肩をすくめただけだった。

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