長寿す/令和の八百比丘尼
「……やっぱり木乃伊だね」
「……ですね」
再び巫術係の施設に訪れた僕と八恵さんは、やはり木乃伊を目下ろしていた。
昨晩、新たに発見されたこの木乃伊は持ち物などを鑑みて、湊愛結の成れの果てだと判断されている。
「MerMaid-Mate」のファンだけには飽き足らず、メンバー本人まで被害に遭ってしまったというわけだ。
あのアイドルグループが呪われているようにも思えてしまう。
「勝手なことを言うでない。これは呪いではなく、明確な殺意じゃて」
宇嘉野さんが室内に入って来た。何故かスーツの上から白衣を羽織っている。
そういえば、昨晩に解散してから木乃伊に関して調べ物をすると言っていたっけ。
ハッキリ「殺意」という単語を用いたということは、何か新しい情報を得たのだろうか。
「木乃伊の耳の中を調べてみたんじゃがな、蝸牛神経に微かながら弛緩した痕跡が見られたのじゃ」
「かぎゅうしんけい……?」
「耳がキャッチした音を、脳へと届ける神経だと思ってくれてよい」
なるほど、視覚における視神経みたいなものなのか。
でも、それが弛緩していたという事はつまり……どういうことだ?
「耳に入り込んだ音に、神経を痺れさせる効果があったってことですか?」
「神経だけではないわい。神経が痺れれば脳も痺れる。脳が痺れれば身体も痺れるじゃろ?」
八恵さんが尋ね、宇嘉野さんが答える。
確かに、神経と脳はお互いに情報を伝達する機能を持っている。
例を挙げるとすれば、目の前に硬そうなボールが飛び込んで来たとしよう。
網膜でその光景を把握し、視神経が脳へと伝え、脳はそのボールというリスクを避けるために全身へと回避を命じ、それに応じて身体は動く。
一度でも何らかの情報が入ってしまえば、脳に、身体に、何らかの影響が伝播するのだ。
「じゃあ、神経も脳も身体も麻痺する状況って……?」
「魅了じゃよ」
その単語で、何かが繋がったような気がした。
“人魚”といえば、その美貌やら、魅惑の歌声やら、人間を魅了するような逸話や創作物が後を絶たないイメージがある。
そういった大衆の共通認識があれば、認識で存在を保ってる怪異はそのイメージに沿った存在へと変容していく。
そして、そんな”人魚”の肉を喰らい、その魅惑の歌声を継承した人間––––––“八百比丘尼”であればどうだろう。
怪異として勘付かれることもなく、歌を披露しているだけで、多くの人間を魅了することができるのではないだろうか。
「あの……仮に被害者が魅了されていたとして、それが木乃伊化とどう関係が?」
八恵さんが申し訳なさそうに手を挙げる。
確かに、僕にもその点に関する解答は得られていない。
“人魚”といえば木乃伊というイメージがあるからといって、“人魚”自体が人間を木乃伊化させてしまうような伝承は何一つ見つからなかった。
警察官として犯行の方法そのものを解明しなくてはいけない以上、「なんとなくシンパシーを感じたから」では全く説明がつかない。
「あくまで推測じゃが、自分から命を捧げたのではないかのぉ」
「……彼らが、自分から木乃伊になったと?」
「心を奪われた人間というのは得てして、自分の持つ全てを差し出すものじゃ」
そう呟く宇嘉野さんの言葉は、どこか含みがあるように聞こえた。
長い年月を生き、様々な人間を見てきたであろう彼女だからこそ言えることなのだろう。
心を奪われ、恋に焦がれた者は、想い人に自分の全てを捧げようとする。
現代におけるそれは、推しの為に金銭と時間を消費することと同義だろう。
僕たちが昨晩垣間見た、アイドルとファンの関係性だ。
「被害者たちは、自分から木乃伊になってしまったと……?」
「あくまで推測じゃ。異譚課の把握しておらぬ怪異性を有しておる可能性もゼロではないからのぉ」
彼女の言う通り、これはあくまで推測の域を出ない。
それに僕からすれば、自分から木乃伊になる人間の心情は理解しがたいものだ。
憧れの相手を推すにも、まず自分が生きていなければ始まらないだろうに。
そして、その考え方では湊さんが木乃伊になった理屈がわからない。
控室での会話を反芻してみれば、あの人がグループメンバーに対して命を捧げるほどの親愛感情があったようには思えない。
“八百比丘尼”の容疑者として外すにしても、彼女は魅了された被害者としても当てはまらないのだ。
「むしろ、沼代渚沙が“八百比丘尼”だと考えると筋が通るように思うんですよね」
「あの照屋さん担当かの?」
「宇嘉野さんだって、あの人の様子が気になるって言ってたじゃないですか」
僕たちが事情聴取した際には過剰なまでに動揺していたらしいし、ファンに対して歌声を届けることも容易に実行できる立場だ。
それに、沼代さんなら湊さんを恨んでいても不思議ではない。
昨晩はぞんざいな扱いを受けていたし、殺意にも似た感情があっても仕方がないのではないだろうか。
正直に言えば、ステージ上であれほど綺麗な笑顔を浮かべられる人を疑いたくはないけど……。
「とりあえず、次はグループメンバー全員を尾行でもする?」
「でも、それをやりながらも犠牲者が……ってか“形代式神”はどうしたんですか!」
そう、僕たちが一度失敗していることを忘れてはいけない。
昨晩は巫術係が開発した“形代式神”による警戒網を敷いたにも関わらず、湊さんという被害を出してしまっているのだ。
それに術者である宇嘉野さんであれば、犯行時刻にどのメンバーが何処にいたのか把握できたはずではなかったのか?
「ふむん……それについてなんじゃが、儂に妙案がある」
返答したのは、やはり怪訝そうな表情の宇嘉野さん。
その手には、昨晩使用したばかりの“形代式神”があった。
「お主、お供の黒猫を呼び出しておいてくれ」
◆◆◆
「うにゃぁ。それで、どうしてウチが呼ばれたにゃん?」
「う~ん、それが僕にもわから––––––」
「––––––その前に。どうして貴女はひーくんと腕を組んでいるのかしら?」
宇嘉野さんに言われた通り、僕はハナビを呼び出し、そしてライブハウスに訪れていた。
どうやらあの人には何か策があるらしいけど、僕も八恵さんもその具体的な内容を聞かされてはいないのだ。
だから、ハナビに質問されても答えられないし……。
「ウチとダーリンの仲だからにゃん。部外者は黙ってるにゃあ……」
「そっちこそ、今ひーくんと一緒に仕事しているのは私なんだけど……?」
「ふしゃぁぁぁぁッッッ!!」
「ぽぽぽぽぽぽぽぽ……!!」
こんな風に喧嘩をされても困る。
美少女と長身美女に取り合いされること自体は嬉しいのだが、二人とも本気になりすぎて僕の腕にめっちゃ力が入っていることに気付いて欲しい。
八恵さんの方は骨からビキビキと音が聞こえるし、ヒバナの方はなんだか肌が焼けるように熱い。
これから仕事なのだから、こんなくだらない損傷はしたくないのだが……。
「––––––あの、何されてるんですか?」
「……え、坪倉さん!?」
僕の腕が限界を迎えかけたその時、前方から狼狽が聞こえた。
その声の主は、坪倉さん。
昨日伺った話だと、「MerMaid-Mate」は連日でライブ活動はしていないはずだったのだが。
「私は狐耳の刑事さんに、愛結に関して聞きたいことがあるって呼び出されて……」
どうやら宇嘉野さんは、僕たちに内緒で何かを行っているらしい。
僕たちはもちろんハナビや坪倉さんまで呼び出しておきつつ、肝心の彼女自身は何処にもいないのだから不可解だ。
「……あの、こちらも忙しいので、用が無いのなら––––––」
坪倉さんがうんざりとした表情を見せる中、僕のスマホが着信を知らせて来た。
電話をかけて来た相手は、宇嘉野さん。
僕は八恵さんたちにも情報が渡るよう、スピーカーの状態にして応答する。
「宇嘉野さん、一体どういうことですか!」
『小僧、マネージャーなる小童は到着したかの?』
「……坪倉さんなら来てますけど、まず説明をしてくださいよ」
『生憎じゃが、ゆっくり説明をしておる暇はないようじゃよ』
どういう意味だ?
八恵さんやハナビに視線を向けるが、彼女たちもピンと来ていない。
僕たちをこの場に置いてけぼりにしたのは彼女本人だろうに、どうしてそんな言い方をしているんだ?
『どうもこうもない。照屋さん担当の小童が、今まさに殺されかけておるのじゃよ』
「…………はぁ!?」
誰よりも先に悲鳴を上げたのは、坪倉さんだった。
無理もない。担当しているアイドルが二日連続で危機に瀕しているとなれば驚きもするだろう。
しかし、その言葉が本当であれば緊急事態だ。
今すぐに現場に向かわなくてはならない。
『式神を送っておる。それを追って、儂の下まで来るのじゃ』
「わかりました! それまで持ちこたえて下さい!」
見れば、いつの間にか“形代式神”が中空を浮遊している。
これこそ宇嘉野さんが送ってくれた遣いだろう。
八恵さんに坪倉さんを抱えてもらい、怪異の持つ身体能力を活かして急行する。
電話越しの宇嘉野さんが妙に落ち着いていたのが気になるが、僕は思考を放棄して急ぐのだった。
式神が導いてくれた先は、日の当たらない路地裏だった。
不気味な空気が漂い、昼間だと言うのに光の暖かさを微塵も感じない。
そんな場所に、お目当ての二人は居た。
まるで人質を取るように、宇嘉野さんの腕が、沼代さんの首に回されていた。
「……何してるんですか?」
「言ったじゃろ、こやつの命が殺されかけておる。儂の手によってな」
思わず耳を疑った。
怪異とはいえ、警察組織に所属する存在がやっていい所業じゃない。
羽交い絞めにされた沼代さんも怯えている。
これでは何処からどう見たって、宇嘉野さんが悪人のようだ。
だが、確信できる。
彼女は、何らかの策があってこんなことをしている。
僕の知っている宇嘉野玉萌という女性は、出不精だし、上から目線だし、面倒くさがりな性格をしているけれど、それでも心優しい御狐様だ。
昨晩、カメラ越しに僕は見た。
恥辱に悶えせながらも、八恵さんと、メンバーのみんなと一緒に、眩しい笑顔でピースをする彼女を。
だから乗ってあげよう。
理由もわからない彼女の芝居に、乗っかってやる。
「……見損ないましたよ、宇嘉野さん」
「ひーくん……!?」
「沼代さんを放して下さい!」
僕は迷いもなく刀を抜く。
わざとらしく声を張り、切っ先をこれ見よがしに突き付けた。
「くくっ、嫌じゃよ。この娘の肉で、儂の空腹を満たしてやるわい」
宇嘉野さんが微かに笑って答える。
どんと来てくれ先輩。これでも僕は、アドリブで話を合わせることに関してはプロフェッショナルなんだぜ?
「……さて、そろそろ喰ってしまおうかのぉ~?」
突然に大声をあげ、ふさふさの尻尾を振り回す宇嘉野さん。
僕視点では大袈裟な芝居だが、彼女をよく知らない人間の視点からすれば恐怖の光景だろう。
沼代さんの目には大粒の涙が流れ、自分の死を確信しているようである。
「っ……た、助けてぇ……つぼくらさん……!」
「な、渚沙っ……!!」
「いっただっきまぁぁぁぁぁぁぁす……!!」
沼代さんの擦れた声が届き、宇嘉野さんの狂気が響き渡る。
薄暗い路地裏に明らかな異変が起きたのは、その直後だった。
「………………ぇ?」
今の声は誰のものだっただろうか。
沼代さんか、あるいは八恵さんか。もしかすると僕のものかもしれない。
そんな間抜けな声は漏れてしまうほど、目の前に起きた現象は奇妙の一言に尽きるものだった。
水流が、形を伴って浮いている。
龍のように空中を漂い、蛇のようにうねり、魚のように泳いでいる。
僕たちの間を動き回って、その先端を宇嘉野さんの顔へと向けていた。
「––––––その子を放せ……! バケモノ……!!」
言葉の主は、空になったペットボトルを握っていた。
まるで空を舞っている水流の源が、さっきまでその中にあったかのように。
「ふむ、やはり“八百比丘尼”はお主じゃったか」
確信に満ちた、鈴の音のような声が響く。
宇嘉野さんの冷めた瞳が見据えたのは、捜査線上には居なかった人物だった。
彼女の名前は、坪倉夏芽。
「MerMaid-Mate」のマネージャーであり、そして誰よりも沼代さんを想う人だ。
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