偽物る/災イ招ク、牛ノ首
皮が切り裂かれ、血液が零れ、苦悶にうめく声が聞こえる。
吹き荒れる風の中で、私はその姿と音を一つとして漏らすことなく認識していた。
私は、ポケットに忍ばせておいた容器の蓋を開け、中へと指を突っ込む。
ヌルヌルとした感触が指の腹に乗り、大気に触れることで冷たさが広がる。
そして、突風の勢いに身を任せ、異物の乗った指を、生まれたばかりの傷口へと近づけた。
「––––––ほれっ! そぉらぁっ!」
「はいはい通ります通りますよぉぉっと!」
「辰兄さん、速度上げすぎだって!」
風が吹き上がり、枯れ葉や小枝を巻き上げながら、村人たちの間を縫うように進んでいく。
辰兄さんは半身を風に変化させることで加速し、それに乗った斬兄さんが村人の素肌へと切り傷を与える。
私の役目はその突風の内部から軟膏を塗布し、切り傷が早期に治るように、痛みが長引いてしまわないようにすることだ。
低級怪異譚“
つむじ風に乗って人の肌を切りつける、鼬の動物霊。
その傷からは血も流れないし痛みも小さいとされており、現在においてはある種の真空現象だと科学的解釈がされてもいる。
「釜島」という名前を与えられた私たちの正体だ。
その特異性は、私たちが三位一体である点。
三人の特技が揃って初めて、真の力を発揮する。
斬兄さんは、両の手首から成形する風の刃で人体を切り裂き、
辰兄さんは、身体を風へと変化させることで斬兄さんと私を運ぶ。
そして、私は自作した軟膏を塗布することで傷と痛みが残らないようにする。
これこそが“鎌鼬”の絡繰り。
風が走り、傷が生まれ、気付かない間に癒えていく。
斬兄さん単体の時とくらべて威力は下がってしまうけど、それでも一般人の足止め等を後腐れなく行う際には非常に便利な能力なのだ。
「––––––おっとっと! ブレーキぃぃ!」
辰兄さんの下半身が人間のそれに戻り、山の土へ突き刺さる。
激しい風が止み、私と斬兄さんも地に足を付けた。
目下には、斬られた痛みに驚き、その拍子に突風で目を回して倒れてしまった村民さんたち。
抵抗されても困るし、今のうちに拘束するなり手錠をかけるなりしておこう。
「グアアアアァァァッッッ……!?」
そのタイミングで、奥の方から不気味な叫び声が聞こえてくる。
振り返れば、白く輝くオオカミと、そこから断続的に放たれる光の波が見えた。
尾上さんが秘めているという神力、“大口真神”のものだろう。
正しき者を護る彼のスキルで、“牛ノ首”の存在そのものを押し退けているんだ。
黒い外套も、骨のような頭部も、徐々に塵となって消えていく。
神の力に触れたのだ、そう時間もかからないうちに存在ごと消滅するだろう。
「……く、くだん様ぁ…………!!」
「やめろぉ、私たちの村が……村が滅びてしまうぅ……」
「供物を、さ、捧げなければ……村がぁ……!」
足元で村民たちが呻いている。
そこには“牛ノ首”に対する懇願や、村の未来への憂い、悲哀の感情があった。
災いしか招かないような怪異であっても、この村の人々にとっては寄る辺だったのだろうか。
私は悔しそうな牛河さんの前で膝を折り、できるだけ優しい声で語り掛けた。
「もう“牛ノ首”は居ないも同然です。すべて話して下さい……」
◆◆◆
この村が利益を得る術を失って、“件”を呼び込むために儀式めいたことを始めたところまでは、斬鬼さんと治歳さんも既に聞いていた。
問題はその後。
生贄として捧げられた頭蓋を咀嚼し、村人たちの前に現れた“牛ノ首”。
突如やって来た得体の知れないバケモノを前に、彼らは懇願したのだという。
『何でも致します! 何でも捧げます! ですので村に居座っていただきたい!』
牛河さんが先陣を切って頭を下げたらしい。
村民たちの出した条件に乗り、“牛ノ首”はこの土地に居座ることを決めた。
その条件こそ、過去5年間に渡る「くだん様のお目見え」だった。
村が利益を得るために、“牛ノ首”は毎年牝牛の体内から這い出て、観光客の前で災いを予言する。
村民たちはその茶番に対する報酬として、人間の頭蓋を提供する。
これが、くだん様が毎年のように現れる仕組みだったわけだ。
ただ、村民たちが恐れていたことが一つ。
村に住んでいる人間が勝手に食われてしまうことを、どうにかして避けなくてはいけなかった。
そこで、捧げる人間であることの目印として設けたのが、牛肉の匂いだった。
村民は誰一人として牛肉を食べることはなく、食用の牛肉は全て観光客向けに調理されたのだ。
「じゃあ、森下勇一の口腔内に牛肉が詰め込まれていたのは……」
「邪魔になったから喰ってくれ、ってことだなァ」
視力を有していない“牛ノ首”が、如何にして村民と観光客を区別していたのか分からなかったが、そういう目印が仕込まれていたということだ。
過去5年間における変死体を調べ直せば、もしかすると排泄されていない牛肉がまだ残っているのかもしれない。
「なら、どうして森下勇一さんは殺されたんですか?」
「実は……年々、くだん様の予言が酷くなって……」
治歳さんの質問に答えたのは、勇一さんのお父さんだった。
どうやら年が経つにつれ、“牛ノ首”が予言する災いの規模と、それを避けるための要求が過剰になっていたらしい。
『供物ヲ捧ゲヨ……サモナクバ、怒リニ震エシ影、コノ土地カラ栄華ヲ奪ワン』
奴が求める供物の量が、年々少しずつ増えていったとのこと。
まさしく脅迫だ。俺に殺されたくなければ、黙って飯を持って来い、と言っているようにしか聞こえない。
村民もそれをわかっていながらも、村の繁栄が続くことを選んだ。
勇一さんは、村の為に他人を見殺しにすることに耐えられなくなったのだろう。
父親に相談しても、村役場に掛け合っても、まるで相手にされなかった。
だから観光客の前で事実を語り、強引にでも事態に変化を起こそうとした。
「その青年の方が、アンタらよりよっぽど人間味があるな」
今日ばかりは、斬鬼さんのぶっきらぼうな言い方にも賛同せざるを得なかった。
◆◆◆
翌朝。
僕の通報で、都市部から警察車両が複数台訪れていた。
目的はもちろん、この村の中枢人物たちの拘留だ。
一般の職員に怪異のことは理解できないかもしれないが、それでも観光客や勇一さんを殺害し、その遺体を山中に遺棄したことは事実だ。
牛若村の居住者全員とまでは言わなくとも、彼ら彼女らにはそれ相応の罰が下るだろう。
それに、事後処理は介入係の仕事ではない。
面倒な辻褄合わせは、処理係とか事務係にやらせておけばいいのだ。
一般職員に簡単な事情を説明した後、僕も尾上さんも釜島三兄弟もそそくさと村の入り口付近まで逃げた。
「おい! ふざけんなよ!」
「くだん様見るためにわざわざ東京から来たんだぞ!?」
「こっちは名古屋よ! なのに、いないとか何言ってるのよ!」
黒いセダン車に取り憑いたままの“朧車”に乗り込もうとすると、牛舎の方角から怒号が聴こえて来た。
忘れていた。今日が「くだん様のお目見え」の当日なんだっけか。
観光客のほとんどが牛舎に集まっている様子だし、村民の謝罪やら警官の説明やらに憤慨しているのだろう。
その光景を確信したのか、尾上さんが小さく呟いた。
「……『怒リニ震エシ影、コノ土地カラ栄華ヲ奪ワン』だったか?」
それは、予言の言葉だった。
『怒リニ震エシ影』というのは、“牛ノ首”のことであると同時に、観光客のことも暗示していたのだろう。
“牛ノ首”が報じた災いは、どのような形であれ必ず実現するという。
なら、『コノ土地カラ栄華ヲ奪ワン』とするのは、怒りに燃える観光客たちなのかもしれない。
いずれにせよ、この村はかつての栄光を二度と取り戻せない。
拘留されなかった村民が同じような儀式で怪異を呼び込んでしまう可能性もあるが、それでも観光客が再びやって来ることは無いだろう。
今は、噂でも不満でも、あっという間に広まってしまうから。
緑豊かな畦道を眺めながら、“朧車”は心地よい速度で走行していく。
運転席には僕。助手席には尾上さんを膝に乗せた治歳さん。斬鬼さんと辰真さんは後部座席という布陣だ。
ちなみにだが、僕と尾上さん以外の三人は寝息を立てている。
戦闘後、結局は一晩に渡って事情聴取することになっちゃったもんな。
疲れが溜まっているのも仕方ない。
むしろ、彼らが心地よく眠れるだけのドライビングテクニックを有する“朧車”がすごいのだ。
褒めてあげるつもりで、車のハンドル部分を撫でてやった。
ガシャン、ガシャン。
何故かワイパーが動いた。喜んでくれたってサインなのかな?
しかし突然に視界の中で物体が動いたのだ。僕はもちろん、尾上さんもビックリしちゃったようで。
「おいオメェよォ、俺をおちょくってんのかァ……?」
「ち、違いますって! 僕もまさかワイパーで返事されるとは……!」
というか、どうして尾上さんは起きたままなのだろう。
数分程度とはいえ、“牛ノ首”を消滅させる際に本来の能力を解放したのだ。
てっきり、僕以上に疲れているのかと思っていたのだが。
「あぁ、ちょっと気になることがあってよォ」
「気になることって、牛若村のことですか?」
「ちげェ。”牛ノ首”が遺言みてぇなこと言ってたんだよォ」
尾上さんの話では、奴が消え失せる直前、気になる言葉を口走っていたらしい。
音声を記録していたわけではないため、うろ覚えながらも尾上さんが再生する。
『……紛イ物ノ器ヨ、幾千年ヲ生キシ憎悪、時ヲ越ヘテ汝ニ降リ掛カルダロウ』
間違いなく、“牛ノ首”の予言だ。
憎悪が降りかかる……復讐されてしまうとか、そういった内容なのだろうか。
“牛ノ首”は、現れた年の災いを予言するという伝承がある。
もしかすると、本日「くだん様のお目見え」で報じるはずだった、今年の災いの内容なのかもしれない。
「……奴を倒した後でも、効力はあるんですかね?」
「わからん。だがよォ、予言の内容の精査はしておくべきかもなァ……」
頭の足りない僕では、尾上さんが納得できるような回答を用意できないだろう。
これも事後処理と同じだ。文献係にでも投げておけば適切に対処してくれる。
思考を放棄した僕は、念のために眠気を我慢しつつ、再び窓の外に視線を戻す。
その後頭部を、助手席の尾上さんが真っすぐに見つめていたことに、微塵も気付けないまま。
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