え、私のチューターが昭和おじさんって本気ですか?

ロン・イーラン

第1話 4月①

「今日もJR東日本をご利用いただきありがとうございます。

 次は武蔵小杉、武蔵小杉、お出口は左側です」


4月の初出勤日、すし詰めの満員電車の中、窓の外に目をやる。

あ、富士山だ!

冬の空気の澄んだ時期なら割と頻繁に見ることができるが、この時期には珍しい。

満員電車の中で隣りに立つおじさんの体臭がおろしたてのトレンチコートに移らないか少し気になっていたけれど、富士山が見れたことで一気に心が晴れに変わる。

今日はいいことがありそうだ!

そんな半ば自己暗示のような感想を抱きつつ職場へ向かう。


電車に揺られること30分、横浜駅についてから15分ほど歩くと私の勤務先であるオンダが見えてきた。オンダは50年以上の歴史を持つ音響メーカーで業界の中では中堅どころだ。

私、咲山香さきやまかおりは学生時代にバンドをやっていたことから音楽業界に就職したいと思っていた。最初は音楽配信会社や音楽系の出版社なども含めて広く就職活動をしていたのだが自分の属性、いわゆる理系大学院生からするとあまり現実的な選択肢ではなかった。そこで途中からは音響機器を扱うメーカーに絞って就職活動をすることになった。結果、第一希望ではなかったもののオンダに就職が決まったという次第だ。


入社してからは品質保証部に配属され、それ以来ずっとヘッドホンを担当している。品質保証といっても業務は多岐にわたるのだが、私は先月末までハードウェアの品質保証を3年間担当していた。それがこの4月から、担当替えでソフトウェアの品質保証を担当することになった。

所属の課自体は変わらないので職場のみんなはよく知った顔だ。けれども仕事内容が変わるということや4月の初日ということもあり、新入社員のような気分だ。私は緊張した気分で会社に向かって歩き続けた。


オンダの開発部隊が入るビルの1階入口をくぐり、駅の自動改札機のようなセキュリティーゲートに社員証をかざす。ゲートを抜けてエレベーターホールに出ると、一番奥のエレベータがすでに1階に到着していた。

ラッキー! 走れば間にあう!

小走りになりながら声を出す。

「すみませーん、乗りまーす!」

閉まりかけたエレベータにうまく滑りこみ今日のラッキーはこれだったかと反芻はんすうしていると不意に後ろから声をかけられた。

「かおりチャン、おはよう! 朝から元気だね」

50歳くらいのおじさんが声をかけてきた。

私は思わず心の中でつぶやいた。

「げ、昭和おじさんだ......」


昭和おじさんこと面道めんどうさんは私の課の先輩で私が入社した時から課にいた。見た目は中肉中背で身長は私よりも10センチほど高い。髪の毛もふさふさしており本人曰くいつも若くみられるそうなのだが、私からすれば腹は出ており顔も脂でてかっていることが多く、どう見ても年相応でしょ! と言いたくなる。

それくらいなら全然許せるのだが、問題はその言動だ。2020年も過ぎて何年か経つのに未だに女子社員を「チャン」付けで呼ぶことには面食らった。ここは昭和か? と。普段もなにかと意味がよくわからない野球を使った比喩表現が多く、私を含めた若手社員は彼のことを昭和おじさんと陰で呼んでいた。


「おはようございます」

私は眉間に皺が寄りそうになるのを必死にこらえ、仏の顔、仏の顔と以前京都・奈良旅行で見た仏様の顔を思い浮かべながら感情を表に出さず返事をした。

「あれ? ひょっとして髪切った?」

なんでおじさんが最初に気付くかな......。昨日、新年度に合わせ髪を切ってセミロングにしたことは事実だったが、できれば同年代の社員に最初に気付いてもらいたかった。そこで、私は聞こえなかったことにすることにした。だが、おじさんは構わず話しかけてくる。

「かおりチャンとは今日から一緒の係だね。全員野球でがんばろう!」

なんでこの人は他にも大勢の人が乗っているエレベーター内で話しかけてくるんだ、そんな悪態を心の中でついたがずっと無視するわけにもいかない。私は仕方なく小さな声で

「......はい」

とだけ答えた。


9時の始業開始の合図が鳴り終わるとすぐに課長の熊野さんが課員に集まるよう号令をかけた。熊野さん、通称クマさんはその名の通り熊を連想させるような風貌をしている。やや大柄でがっしりした体型をしている。日に焼けた顔で昭和おじさんと同じような顔のてかりはあるが腹は出ておらずラガーマンを思わせる。横縞のポロシャツを着せればラガーマンそのものなのだが、トレードマークは縦縞のワイシャツだ。

そのクマさんが課員が集まったタイミングでしゃべり始めた。

「前々から課員のみなさんには説明していた通り、今日から係のメンバーの組み換えを行います。ソフトウェア係の本杉はハードウェア係に、ハードウェア係の咲山はソフトウェア係に。本杉のチューターは藤川、咲山のチューターは面道にやってもらう」

この言葉を聞いた瞬間、私は思わず

「え!」

と声を出してしまった。そして続けざまに

「なんで私のチューターがソフトリーダーの古賀さんじゃなくて面道さんなんですか?」

すると涼しい顔でクマさんが答えた。

「咲山、不満か? 古賀を充てることはもちろん考えたがまだ若いし、なにより仕事量からお前の指導まで手が回らない。そこで俺と古賀、面道の三人で会話して面道にやってもらうことにした。面道は面白いぞ! 経験豊富でいろんなことを知っているからな」

最後はがはは! と豪快な笑い声でこの話を打ち切られてしまった。私は消去法でこの案にうなずくしかなかった。


朝のミーティングが終わると早速、昭和おじさんが近寄ってきた。

「かおりチャンにも事前に仁義を切っておくべきだったね。まあ悪いようにはしないから、これからよろしくね!」

相変わらずなにを言っているのかわからない。仁義を切るって昭和のヤクザか?

私は眉間に皺を寄せない努力をあきらめた。

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