相互救済
一ノ瀬 夜月
第1話 卒業、のちにニュース
約三万七千人のファンが押し寄せて賑わう、某ライブ会場。その、一角にて———
「開始時間が近づくと、ほなみんがエスポワールを卒業することに対して、実感が湧いてくるな〜」
「そうっすね。自分はゆいち〜推しだけど、この空間にいるだけで、同志達にあてられて、貰い泣きしそうな気がします」
「たっちゃん、まだ泣くのは早いって」
「いや、泣きそうになってない、みっつーさんの方こそドライでしょ。古参ファンなのに、悲しくないんすか?」
「いや、俺自身、ほなみんの卒業に関して、かなりの喪失感があるさ。けど、それよりも、今までの感謝の気持ちの方が強いんだ」
そう、今の俺があるのは、ほなみんのお陰だから———
彼は、身につけている年季の入ったリストバンドを眺めながら、約六年前の出来事を回想する。
みっつーこと
(やる気が出ないから、休憩がてら動画を漁っていたら、知らないアイドルグループのMVを見つけたな。どれどれ......センターの子はビジュアルが群を抜いていて、歌声も可愛くて良い感じだ。右の子も結構美人だし、ダンスのキレが半端ないな。このグループ、売れるんじゃないか?
けど、あれっ? 左の子は、何というか、目を惹く要素が無い気がするぞ。悪くは無いんだけど、ビジュアルはそこそこで、歌やダンスに関しても、周りについて行くのがやっとなのが分かる。もしかして、経験が浅いのか?
でも、明るい笑みを浮かべながら、全力を尽くして、視聴者を楽しませようとしている姿勢が見て取れるのは良いな。それに、彼女を見ていると、今の俺に必要なものが何か、分かった気がするよ。今から、目の前の課題に全力で取り組んで、楽しむとしますか——)
この時、心を入れ替え、努力を積み重ねたことで、彼の人生は、明るい方向へと進んでいったのだ。
「みっつーさん! ほらっ、始まりますよ」
「ごめんな、たっちゃん。考え事をしていたんだ。でも、折角のほなみんの晴れ舞台、全力で楽しむぞ」
心紬の宣言と同時に、会場は暗転し、総勢十一人のアイドル達が、ステージに現れた。彼女らは順番に、自己紹介を始める。
「は〜い、みんな、こんばんは! エスポワールのラブリー&歌唱担当、ゆいち〜だよ♪今日はなんと、ほなみんの卒業ライブなの〜。ぴえんな気持ちもあるけど、みんなで盛り上がろうね♡」
「フゥ〜、ゆいち〜最高!」
(たっちゃん、貰い泣きしそうとか言ってた割には、楽しんでるな。まぁ、一推しのアイドルが目の前に居るんだから、当然か......)
「こんばんは。エスポワールのビューティー&ダンス担当のれなよ。いつも通り、貴方達を私のダンスの虜にしてあげるわ」
『れな様、今日もお美し〜』
(やっぱり、二人の人気は凄まじいな。けど、ほなみんだって負けてないぞ。)
「皆さ〜ん、こんばんは! エスポワールのオールラウンダー兼元気印こと、ほなみんで〜す☆今日は、私の卒業ライブに来てくれて、本っ当にありがとう! 精一杯頑張るから、みんなも応援よろしくね〜」
「うおぉぉぉ、ほなみ〜ん!」
同様の流れで、他メンバーの紹介が進行し、いよいよ、ライブ本編に突入した。曲毎に異なる表現を魅せるエスポワールの面々。しかし、心紬の視線は、一貫してほなみんに釘付けだった。
(ほなみんを推し始めてから、もう六年か。そりゃあ、最初のライブの時に買ったリストバンドが消耗する訳だ。
初期の頃は、周りと比べて、出来ない子の印象があったけれど、ライブに行く度に上達して、今やグループ内でも、確固たる地位を確立している。
証拠に、メンバーのミスをフォローしたり、遠い席にいる人にファンサをする気配りまで出来るようになってるんだから、本当に彼女は、素晴らしいアイドルに成長したな。)
心紬が感傷に浸っている最中、最後の曲が行われ、ライブは幕を閉じた。
しばらくの期間、余韻に浸っていた心紬であったが、半年が経過した頃には、すっかり落ち着きを取り戻していた。しかし、そんなある日、彼の心を揺さぶるニュースが投下される。
「ほっ、ほなみんが、高校の頃の同級生と結婚だって!?」
(確かに、ほなみんは今年で二十五歳。つまり、俺と同い年だから、結婚をしてもおかしくない年齢だ。でも、いきなりのことすぎて、受け入れられない......)
一瞬困惑した心紬だったが、記事を読み進め、喜ばしい内容を見つけた。
「ほなみんが、事務所を移籍して、ソロアーティストデビューを決めたのか!」
(そうだよな、ほなみんはもう、アイドルを卒業した一人の女性で、アーティストなんだ。その門出となる結婚は、ファンとして祝ってあげたいよな。)
だが、心紬の予想とは裏腹に、元アイドルの結婚ネタは、ネット上で、賛否両論であった。加えて、この記事が公開された半月後に、大衆の意見を否定へ傾ける、特大ニュースが投下された。
「なっ、ほなみんがエスポワールのプロデューサーと密会!?」
(ほなみんは、同級生と結婚したはずなのに、歳の離れたグループプロデューサーと浮気してたのか? いや、でもほなみんは、そんなことをする人じゃない。あの時だって、誠実に対応してくれたんだから)
心紬は、数年前の出来事を思い出す———
(正直、ナメてた。冬に、野外で行う握手会は、思ったよりも寒いな。手袋はおろか、カイロすら持ってきてないぞ。しょうがない、ポケットで暖をとるしかないか。)
順番を待つこと数十分......
「次の方、どうぞ〜」
(やっと呼ばれた。けど、冷たい手で握手するのは、ほなみんに申し訳ないな。)
「こんにちは! いつも応援してくれて、ありがとうございます☆あれっ、握手しないの?」
「いや、俺の手が冷たいから、申し訳なくて......」
「全然大丈夫! 手を貸して下さ〜い」
彼女は心紬の手を包み込むように握り、息を吹きかけて暖める。
(あれっ、野外にいるはずなのに、ほなみんの手は暖かいな。)
「少し温まったかな? でも、まだ寒いようなら、私の予備のカイロを渡すよ!」
「いやいや、そこまでして貰わなくても......」
「ライブの時によく見かけるし、昔からのファンだよね? 貴方からは、カイロ一つじゃ釣り合わない位の声援を貰ってるから、そのお返しだよ〜。後、指のささくれ、お大事にね☆」
触れ合ったのは、一分にも満たない、僅かな時間。だが、この時の経験は、心紬が先程の記事を否定する根拠となりうるものであった。
(そうだ、ほなみんは人を傷つけるようなことはしない。きっと、同担の人達なら、分かってくれるはず。)
心紬はそう思い立ち、ヲタ仲間と繋がりまくっているアカウントに、とある投稿をした。
続く
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