海の底のどん底のような夜

海の底のどん底のような夜

蚊の羽音が五月蝿くて眠れない晩秋。

ミートルズ・トレップン・コインドッツは寝場所を変えようとコンフォーターを小脇に抱えリビングへ歩いた。

28歳だが定職につけず将来へのビジョンもよく分からないまま日々短期の肉体労働でその日その日をつなぐだけの暮らしをするミートルズ。

彼にとって就寝という行為はその目まぐるしい日常から逃れられる唯一の方法で、それを虫に邪魔されたことにミートルズは憤りを覚えていた。しかしミートルズの疲労した体は蚊と数分乱闘をすることすらも拒否していたのだ。ミートルズは自分の体に不相応なサイズのソファにコンフォーターを掛けようとした時、ソファの上に見覚えのない何かが見えた。ミートルズは目を凝らしてもそれが何かよく分からなかったため、天井にだらしなく垂れ下がっている紐を引き電気を着けた。唐突な明るさに目が慣れるまでの数秒を経た後、ソファの上のそれはマンボウだと分かった。ミートルズは午前2時だというのに蚊のおかげで目が冴えていたためこれが夢でないことは重々理解していた。人差し指2本分程度の大きさのそれは、ミートルズのイメージでのマンボウのサイズと乖離があったが、それは確かにマンボウだった。

ミートルズは驟雨の如く前振りなく降ってきた非日常に戸惑いを感じながらもティッシュペーパーを4,5枚取り、マンボウに触れてみちゃう。

ローションよりかは微弱な粘性がある感覚を紙越しに触れた途端、マンボウは突如として無機質に、体の向きも変えずに等速直線運動を開始した。

仮にも生物であろうものが織りなす無生物の象徴の様なその動き。

ミートルズは畏怖し、なんらかの刺激が加われば重心が狂ってしまったジェンガのように崩れ去るであろう、この空間に緻密に広がった世界観を崩さんとするべく音を立てないように慎重にゆっくりと自らの視点をマンボウのいる位置へ追いかけさせる。

マンボウはミートルズの大きくはないテレビの前でピタッと等速直線運動を停止させ、空中へ3mほど浮かび上がるとマンボウは顔の向きを不自然な緩急の付け方でテレビの方へ回し、テレビの中へゆっくりと突っ込んでいった。

嫌に湿気があり気温も快適とはお世辞にも言えなかった。窓から見えるピアノの黒鍵よりも深く静かな色と対象的な、照明から遠慮なく発射され続ける鋭い明るさ。今までの緊張感が嘘だったかのように、部屋にはなんでもない時間が流されていた。

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