短めの小説

柿井優嬉

医師

 私は内科医をしている。そして、息抜きは文章を書くことだ。帰宅後や休日に好き勝手記しているだけなのだが、近く小説を出版できることになった。

 職業が医者で、趣味で書いている小説を出版できるとは、なんと恵まれた野郎だと世間の人たちは思うだろう。しかし、小説の才能があるわけではない。今まで何度か文学賞に応募したことがあるけれど箸にも棒にもかからなかったし、そうした結果が出る前から十分な力量がないことは自覚していた。

 ではなぜ今回本を出せることになったのかというと、私の一人だけと言っていい親友が、数人の仲間と出版社をやっているからである。とはいえ、そういったコネがあれば誰でも出版できるわけではない。むしろ驚くべきことである。本を作るにはお金や労力が相当かかるから、売れる見込みがないものをタダで出版してあげるなんて普通は考えられないし、近年は出版不況で、特に小さい出版社はシビアな状況にあるに違いないのだから。なのに、そういう運びになったのは、大学の医学部にいけるほど裕福な私に比べて彼の家は貧しかったために、ご飯などをおごってやったことをおそらく恩に感じているのだろうけれども、回数も金額もそれほどではなく、要するに彼が善い奴だからである。

 ありがたいとしか言いようのない話ではあるが、申し訳ないのと、駄作を世に出すことを恥じる気持ちがあって、実は何度かその誘いを断った。しかし、この先どう頑張っても、私が自費ではない出版をできるチャンスなど訪れはしないだろう。どうせ売れず、目にする人はわずかなのだから、恥ずかしく思う必要もない。そう考え直し、彼の厚意を受けることにした。

 そして、いざ書く段になると、ほとんど買ってもらえないのが目に見えているにしても、親友への迷惑を少なくするために、できる限りたくさん売る気で執筆しようと思った私は、読書家を満足させられる高いレベルのものは書けないのだから、普段あまり本を読まない人たちに手に取ってもらえるよう、分量の少ない短編集にすることにした。これならば本を作るコスト面でも低く抑えられて良いだろう。

 タイトルは「短めの小説」。あまり本を読まない人たちに興味を持ってもらえそうじゃないかというのと、「短い小説」だとストレート過ぎて面白みがないのでは考え、ちょっとひねって、そう決めた。


「次の方、どうぞ」

 看護師が呼びかけると、小学校の高学年くらいの女のコとその母親であろう女性が、私のいる診察室に入ってきた。

「原因がわからないが、とにかく体調がすぐれない、ですか?」

 問診表を見て、私は尋ねた。

「はい。熱や痛いところなどはありませんし、近くのクリニックで診てもらってどこも悪くないとのことだったんですけれども、学校へ行くのが難しいほど気分が良くないようなので、もしかしたらもっと詳しく調べないとわからない病気なのかもしれないと思いまして」

 そう母親が説明した。確かに女のコは冴えない表情で具合が悪そうだった。

「わかりました。一通り検査をしてみましょう」

 私は言った。


 検査結果に気になる点はなかった。二人にそれを伝えた私は、母親だけを再び診察室に招いた。

「先生。本当にうちの子に悪いところはないんですか?」

 母親は心配顔で訊いた。

「はい、先ほど申し上げた通りです。学校でいじめられてはいないということですが、そうであっても具合が良くない原因は、おそらくストレスだと思います」

「ストレス、ですか?」

 母親は不服そうな表情になった。いじめをはじめとして学校生活に問題はないと言ったのにストレスならば、悪いのは家庭ってこと? 私はそんなに娘がストレスを感じるような言動なんて何もしちゃいないけど、などと口にしたげな様子だ。

「ええ。娘さん、ちょっとお見受けした限りですが、かなり真面目なコなのではありませんか?」

「そうですね。家ではわがままを言うときもありますけども、手に負えないほどになることはまずありませんし、学校では真面目な生徒で通っているようです」

「やはり。世間やメディアでは相変わらず『今どきの子は』などと子どもに問題行動がたくさんあるように語られますが、実際のところ最近は非常に真面目なコが多いんですよね。なぜかと申しますと、少子化で一人の子どもに親や祖父母ら大人の視線が集中し、期待を一手に引き受けるという状況に加え、昔はしつけとして体罰がある程度許されていて、親や教師たちからすると本人のためを思ってやっていても、当の子どもは反発の感情が芽生える一方、現在は虐待がよく報じられますけれども割合としては一部で、大半の親御さんはお子さんに十分過ぎるくらい愛情を注いでおり、その恩返し的な気持ちからも、大人たちが喜ぶ良い子であろうと年中気を張っている、といった経緯が考えられます。『今の子どもは甘やかされているから駄目なんだ。厳しくしろ』と言う人がいますが、それでは過去の校内や家庭内での暴力が頻発したときやもっとひどい状態になってしまうと思います。愛情を注ぐ今のスタンスは正しい。ただ、子どもが頑張り過ぎないように肩の力を抜いてあげることが必要だと私は考えています」

「なるほど」

 母親は納得した顔になった。

「すでにそうなさっているかもしれませんが、その場合はどうかはっきり言葉で伝えて、お子さんにのびのび好きなことをやらせてあげてください。きっと体調は良くなると思います」

「わかりました」


 それからしばらく経ったとある日、私は仕事でけっこう大きなミスを犯してしまった。なんとか大事に至らずに済んだものの、同僚の毛塚は病院のメンバー皆の前で私をののしり、こう付け加えた。

「そういえばお前、少し前に、母親と一緒に来た原因不明の体調不良の女のコを診察したろ。反町さんがその母親と知り合いで、グチられたらしいぞ」

 反町さんはうちの病院の女性看護師だ。

「好きなことをさせろと言うから娘に勧めたけれど、まったくやりたがらず、何も変わらないままちょっとしたら、元気になってまた学校に通いだした。あの先生がもっともらしく語っていたのは何だったのか。誤診みたいなものじゃないかってさ。勘弁してくれよ、いいかげんなことを言うのは。病院の信用が低下して、お前のせいでここのスタッフみんなが迷惑をこうむるんだからさ」

 毛塚は嫌な男だが、優秀な医師だし、妥当な言い分だと、みんな彼に賛同しそうだ。

 私がもう二度と通常の出版をできるチャンスはないだろうという点に関して、医者なんだからその気になれば医療のことでいくらでも本を出せるじゃないかと指摘する人がいるかもしれないけれども、ご覧の通り私はやぶ医者なので、そんな誘いもなければ満足なものを書く能力もないし、小説以上におこがましいくらいの気持ちがあるから、現実的ではないのである。

 つまり、私の人生は一見バラ色のようだが、現実は何もかもお粗末な状態で、華やかさなどは微塵もない。それでも恵まれていることに間違いはないけれど、医者になったのは、男は皆医師になる家に生まれて、他の職業に就くのは許されないような環境だったからに過ぎず、その地位を手に入れられても安堵といった心境で、喜びは大きくなかった。もちろん毎日精一杯仕事をしているし、患者が元気になれば嬉しいが、心の底からの充実感はない。そんな私が医者をしていることに申し訳なさも感じている。

 そういったなか、唯一と言っていい私の心の拠り所が、文章、とりわけ小説を書くことなのである。小説を書いているときだけ、自分は生きていると実感することができる。

 読んだ人を満足させられたり、役に立つことは一切ないだろうけれども、親友を待たせるのは悪いので、早く「短めの小説」を書きあげよう。

 そうだ。今日も帰ったら書き進めよう。

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