ルドルフ戦記
野志浪
前編 アルバン戦記
父は自由な人だった。
ある日の朝、突然「トマトが食べたい」と言い出して、庭で畑を耕し始めた。
買ってくればいいと伝えたが、「どうせ暇だから」という理由で、そのままトマト畑を完成させてしまった。
収穫できるころには、もうトマトへの情熱は消えていて、代わりに王都からフダンソウの種子を買ってきた。どうせ同じように、自分は食べずに僕へ押し付けるのだろうと思って尋ねると、「今度はお前だけで食べなくていい」と言ってきた。
その年は異常に雨が多かった。
町の農作物はほとんどダメになってしまったが、水害に強いフダンソウだけが生き残った。
町の人々はこぞって父の作物を買いに来たが、父は「趣味で作っただけだから」と言って、皆に平等に分け与えた。
雨季の明けた翌年の夏、父がまたトマトへの情熱を取り戻すと、今度はすぐに町の人々が大量にトマトを持って訪ねてきて、父は呑気にそれをたいらげた。
父は器用な人だった。
『アルバン戦記』と書かれた分厚い本が、父の書斎に置いてある。
僕がまだ幼いころ、父は僕を膝の上に乗せて、子供にも分かるように読み聞かせた。
最初のページをめくると、王都の高名な画家が描いたとされる肖像画が並んでいる。
額に傷のある英雄、アルバン。
そして、そのすぐ隣には、父にそっくりな男が剣を携えて凛々しく椅子に座っていた。
これは俺だ、すごいだろう、と自慢げに何度も語ってきた父は、やはりこのときもすぐに飽きたのか、3日後には本が鍋敷きに使われていた。
僕は何年経ってもこの本が大好きで、ときどき父の書斎に忍び込んでは、繰り返し読み耽った。
無名の剣士が、仲間と共に戦地を駆け巡る。
功績と共に名を馳せていくアルバンと、その鮮やかな快進撃。出会った人々との絆と愛。
一方で、仲間の死や別れについても劇的に綴られている。
この本は12の章から成っているが、その第11章が僕のお気に入りとなった。
“アルバンの無二の戦友、ルドルフは、ダルクセンで一行から離脱する。丸一晩惜しんだ涙の別れであった。”
僕の町の名が登場するこの一節で、いつも笑いが止まらない。
幼いころ、父が僕にどう読み聞かせたか忘れてしまったが、その後に母がこっそり教えてくれたのを覚えている。
父ルドルフはこの町で母に惚れて、目的地の直前で旅を止めて町に居座ったのだ。
“丸一晩”とは、父とアルバンが酒場で喧嘩を止めるのにかかった時間だという。
いかにも父らしい。英雄の一行には相応しくない不届き者だ。
今では家に剣なんて置いていないし、草刈り鎌と包丁以外の刃物を持っているところなんて、見たこともない。
父はいつも今と未来のことしか頭になくて、過去のできごとなんてすぐに忘れる。
僕が失敗して怒られたときも、次の日には何もなかったように川遊びへ連れて行ってくれた。
僕は、そんな父が好きだ。
この日、父のいない間に書斎で戦記を読んでいると、居間で何か大きな物音がした。
駆けつけてみると、母が倒れていた。
母の隣には、血の滴る剣を持った男が立っている。
男は暗がりの中でこちらを向くと、今度は僕の方に迫ってきた。
声も出せずに後ずさると、踵がドアにぶつかって少し動き、書斎の窓から西陽が一筋差して、男の顔を照らし出した。
その額に傷が見えたと同時に、腹部に強い衝撃が走って、そのまま僕の命は消えた。
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