第4話 奥後宮へ
――――どうにかこうにか、あの兄さまの鬼畜横暴ターンは終わったとはいえ。
兄さまと共に来た青年が私に向き直る。
「さて、ひとまずはその手の手当てだ」
「ええと、こんなの放っておいても……」
治る。むしろ血が出たのは多分あの兄のせい。同胞の妹相手でも容赦しないあの鬼がっ!
しかし……。
「セナ」
にっこり般若の笑みの魔王兄が恐ええぇっ!!いや、そもそもこの傷アンタのせい!……とは口が裂けても言えない。これはつまりはこう言うことだ。私が遠慮することよりも、自分がそもそもの元凶と言うことよりも……彼の申し出を拒むことが兄にとっては天誅だと言うこと……!
しかしなぁ……瞳の色が違うんだが、あの兄さまが大人しくすると言うことは……それしか考えられないんだけど。
そしてそうこう考えを巡らせている間にも、彼が手頃な布を取り出し掌に巻いてくれる。……優しい、のね?
まぁそもそもどう言った方かは詳しくはない。若くして覇権を握ったすごい方としか……。こんな兄さまでも、家族相手であっても妹相手であっても機密情報に関わる話はほぼしない。
だから兄さまの帝国での地位がどうであれ、うちの家族は兄さまに泣き付きはしないわね。今回のエイダのことだって、父さまと一番上の兄さまが何とかしたことだ。
むしろグイ兄さまのことは、こんな兄さまの手綱握っていてくださってありがとうございます……とますます臣下として感謝するに絶えない……って感じ。
「ついでだ。宮に案内する。セナ妃」
「ええと……ありがとうございます?」
「勝手にそこらの空いた宮を借りられたら困るんでな」
ギクッ!?まさか見ていたの!?――――と言うかこのタイミングのよさ……監視されていたとしても納得だ。
何せ最初の歓迎と言うなの挑発すら突っぱねて来ちゃったんだもの。
まさかとは思うが、皇帝陛下の不興を勝ってはいないわよね……?
そうではないかと言う予感と、やっぱり違うのではと言う思いが錯綜する中、彼は何故だか優しいし。
それに彼が兄の暴虐を止められる存在だと言うことを敢えて見せると言うことは、そう言うことよ?妹からしたらそうとしか考えられない。皇城での兄さまを知っているわけではないが、兄さまを制御できる以上はそうではないかと勘繰られる。
その可能性を抱えながらも彼は、兄さまを止めて、私を助けた。
一体どうして……?まさか兄さまの妹だからだなんて……そんな理由じゃぁないわよね?
そもそもこの兄さまは妹であろうと肉親であろうと、皇帝陛下のためなら一切の躊躇いもなく首をはねる男だ。
「ここらは改築予定なんだ」
あー……それで工事中のような感じだったのか。そう言うことは、そんな場所に今まで入れられていた
「その娘も侍女として連れていくのだろう?」
「え、えぇ!もちろんです!それからウーウェイも」
呼べばウーウェイがこちらに駆けてきてくれる。
「さて、こちらだ」
彼が案内しようとした時、完全に忘れかけていた声が響く。
「ちょっと待ちなさいよ!」
あの女官だ……!
「何でその蛮族が妃で、そのグズが妃の侍女なのよ!」
いや……だから蛮族じゃないっての。学ばないわね。
それからそんな風に見下す私の侍女になることを、この女は羨んでいるのか?それとも妃付きの侍女と言う響きに執着でもあるのか。リーミアが妃でなくなれば、皇城の女官として雇われたわけでもない彼女は職を失うからか。
「いいわ……私だって貴族の娘よ……!女官から妃になって、お前らを破滅させてやる!皇帝陛下だって、主民族の私の方がきっと喜んでくださるわ!」
兄さまを最側近に置いている皇帝陛下が主民族や少数民族にこだわるかしらね?たとえ必要だとしても、政治的に必要で妃に迎えるくらいだろうに。
しかし……兄さまが彼の言うことを聞いたことに、彼が誰かも予測できないとは。さすがは蛮族と冀族の区別もつかないだけのことはあるわね。
「あぁ、忘れてた」
兄さまがするりと剣を抜き去る。そして先ほどまでの残酷な笑みも浮かべずに女官に向かって脚を進める。
「これを生かしておく意味などないよねぇ」
その問いが誰に向けられたものか。そんなもの、この兄さまを制御し得るただひとりしか……あり得ない。
「そうだな。西部領主の前でその首を晒してやった方がよほど役に立つ」
先ほどまで私を手当てしてくれた優しい彼は、そこにはいない。驚くほど冷酷な、剣仙の主の顔だ。その彼の言葉に女官はガクガクと震える。
「私は西部領主の娘よ!」
それであんなにも偉そうだったのか。西部を臣民と賤民と言う訳の分からない独自の身分制度の元に統治する領主。
自治が認められている北部だって、それなりに帝国の法は守らなくてはならない。認められているものには限りも基準もある。
少なくとも臣民と賤民だなんて、そんな身分制度は帝国の法の中にはない。そりゃぁ平民庶民と貴族、皇族と言う身分のくくりはあるが。それとは反する独自の法。先帝時代に確立されたその独自の法の源流は一体いつからあったのか。ずっとずっと西部で燻っていたそれは、今では独自路線に進んでいく。そしてそれゆえに故郷を奪われたものや、名も人生も奪われたものがいる。
しかしそうまでしても、先帝が人質にと望んだのは
そして現帝陛下にとっても、しかり。
「その自覚があるのなら、少しは役に立ってもらおうか。喜べ。人質よりも名誉な……」
彼が述べる言葉にゾクリと背筋が凍る。
「こ、皇帝陛下が赦されないわ!皇帝陛下ならきっと私を選んでくださる!」
女官が彼の言葉を遮り叫ぶ。この期に及んでこの女官はまだ気が付かないのか。しかしそれはそうだ。この女官は西部の領主の娘だと言うのに、陛下のご尊顔も拝めぬ立場だったと言うことだ。
ま、謁見の間でも素顔を晒すことは稀だと言うし、彼女がそもそもそう言った場に通される分けでもないだろう。
ただ国民に広くしれわたっている事実は……燃えるような赤い炎の瞳と言うだけだ。
目の前の彼はその瞳を持っていないようだが……しかし兄さまを止められるのならば。それ以外は考えられないのよ。
「お前のようなものを選ぶことはない」
冷淡な彼の言葉が紡がれる。
「不愉快だ。首をはねよ」
「承知した」
彼の言葉に、女官は『え?』と呆けた顔をする。そしてグイ兄さまが表情を変えずに剣を振り上げる。
「いや……いやぁっ!やめて!助けてぇっ」
今度こそ命の危機を悟ったのか、女官が明後日の方向に走り出す。それで逃げ切れると思うのか。あの兄さまに背を向けたが最期だ。
リーミアをサッと抱きしめ視界を塞ぐ。
「セナさま……っ」
「いいのよ、あなたは見なくて」
己を苛んで来た女官とはいえ、リーミアがその最期を見届けたいと言うような子とも思えない。
その上あの悪魔のような兄さまの狩りを……見せたら絶対にトラウマになるわね。私は残念ながら慣れているし、ウーウェイも肝が据わっているから、大丈夫だけどね。そして兄さまにそれを命じる……彼も。
残虐な笑みを浮かべながら狩人が獲物を捉え、慈悲の欠片もなくトドメを刺す。
女官の断末魔の悲鳴が響く。血飛沫が舞う中、女官の恐怖の形相が
「グイ、それは西部領主への手土産だ。皇帝の勅令とともに突き付けてこい」
「御意」
ニヤリとほくそ笑みながら
相変わらずあの兄は。
「さて。今夜は忙しくなるんでな」
そして彼が私を見る。その表情は先ほどの冷酷なものではないが……。
忙しくなる……と言うのは西部の件を片付けるためね。
「宮に案内する」
う、うん……そうね?私、自分の宮の場所も分からないのだ。勝手にそこらの宮を使うなとも言われちゃったし。
「それじゃ、また暫しのお別れだねぇ、妹よ」
返り血まみれでグイ兄さまがニヤリと嗤う。あれは絶対にリーミアに見せられないわ。
そして兄さまは彼の命を遂行するために悠々と出掛けていく。
「来るといい」
「えぇ」
リーミアにはショッキングなそれを見せないようにしながらも、ウーウェイとリーミアと共に彼に続く。
「あの……」
「何だ?」
とてもそうは見えないが、彼は間違いなく……。
「へ……へい……」
「今は忍びだ」
「ではどう……お呼びすれば」
魔王の居ぬ間に確認。そして彼自身が許可したのなら、兄さまも苦渋を呑んで睨んでくるに収めるはずよ。
「……そうだな」
彼は私の真意を窺うように見る。
「ルーでいい。忍びではない時でも別に構わない」
え……いいの?
「では、私もセナでいいです。もしよければと言うか兄さまがキレない程度に」
「……ぷっ」
するとルーが吹き出す。
「そんなことでキレたりはしない。お前の方がアレを知ってるだろうが」
「さて、分かりませんよ?兄さまは食べているものを横から取られただけで相手をフルボッコにしますから」
それだけで済むならまだいい方だ。
「それは分かる」
「まさか皇城でもやったんですか!?あの貪食暴虐魔王おおおぉっ」
「魔王……っ。そうか……アレをそう言うように形容するのも実の兄妹であるからか」
「まぁそれなりに知っているので」
「お前はなかなか面白い」
「……っ」
その……はしたなくなかったかしら。いや……北異族的と言う面からすれば……正常だが。
そしてルーがどこか楽しそうに先導する。どうやら印象は悪くないみたいね。
「さて、入れ」
しかし彼が案内したのは後宮城市の宮……と言うよりも。
「あの……ここ。まさかとは思いますけど――――……皇城ですか?」
「そうだが?」
「私が暮らすなら……まさか奥後宮とか、いや、まさかそんな……っ」
「奥後宮だ」
そ……そんな……嘘でしょ!?
「グイ兄さまに殺されるううううぅ――――――っ!!」
絶叫した。何故グイ兄さまに殺されることになるのか、頭がパニック過ぎて脳内変換がついていかない!後宮城市の一郭で慎ましく……してたら逆に魔王が襲ってくるから適度に帝国の役に立って、故郷の自治区のためにも適度に役に立つ計画がぁっ!!!
「……確かにアレに脅える臆病者は多いが、セナの場合は別の意味で……だな」
クツクツとルーが嗤う。
「いや、その……さすがに脅えはしないわよ。破天荒すぎて手のかかる兄よ」
「手のかかる……か。なかなか面白い」
うん?もしかしてルーもあの兄さまに苦労を。相手を誰だと思っているのよ、あの兄さまは。やっぱりグイ兄さまによる被害者の会に入ってくれるのかしら?
「それで、セナには……」
奥後宮の中に足を踏み入れれば、私たちを止める者はいない。それは奥後宮ならば、ルーの顔を知っているものもいよう。奥後宮に詰めていた女官たちが一斉に頭を垂れる。
後宮城市は妃を人質として生かしておくだけの場所。そこへ堂々と来る皇帝は稀であり、脚しげく通うこともないと言う。だからこそ、陛下のお顔を見たことのあるものも限られる。さすがにあの兄さまの凶悪性は知れ渡っているようだが。皇帝の顔は直視できるけど、すぐそばに控えるグイ兄さまならば顔を隠すこともない。後宮入りする際の皇帝陛下への謁見で顔を見たものもいよう。
しかし皇帝陛下の顔は……奥後宮で住み込みで働くものや妃のみ。皇帝は奥後宮に寝室もあるので、そこは行き来するだろう。まぁだからと言って、奥後宮の末端のものまで知っているとは限らない。
「少し準備をさせる」
するとルーは私たちに待つように要求し、頭を垂れる女官たちに指示を出す。
あの時は横暴な女官とは違って、さすがにルーの指示は聞くのね。
ま、命が惜しくなきゃぁそうするか。
「な……何故またお前が……!」
そう叫んだ声は……あぁ、最初に私を蛮族呼ばわりした女官だ。
一斉に女官たちが静かになったことで何事かとやって来た女官は、私の顔を見るなりぷんすかとこちらに歩いてくる。
「……お前はっ」
そして私の傍らのリーミアを見て目を吊り上げる。
「お前はここには入れないはずよ!」
どうやらこの女官はここでは相当地位があるのだろうか。先帝時代は100人もの妃がいたのに、リーミアの顔を記憶している。それともあの見張りの女官のせいか、先帝亡きあとも他の元妃とは違い残されていたからか。その迫力にリーミアが肩を震わせる。
「私の侍女に何か」
しかしリーミアの前を遮るように腕で制する。
「な……っ、生意気な……っ」
「生意気?主を差し置いて私の侍女に喧嘩を売っておいて何なのかしら」
「はぁ?侍女ですって!?それは
「彼女は私の侍女リーミアよ。人違いで悪口をぶちまけるだなんて、随分と品がないのね」
「うるさいうるさいうるさい!そもそもお前のような蛮族をこの奥後宮に入れる許可など出していないのよ!」
あなたに許可を出す権利もないでしょうが。
「早く出ていきなさい!そこの残り粕と一緒にね……!」
女官が勝ち誇ったように胸を張る。
言い返そうと口を開こうとすれば、女官がサアァッと青い顔になる。
「出ていくのはお前の方だ、女官長」
私の横に並んだのは、戻ってきたルーだったのだ。そしてその表情は先ほどまでの柔らかいものでも、兄さまの話題で苦笑していた時のものとも違う。あの時のような冷酷な顔だ。
「な……ぁ……何で……っ、へい……っ」
「セナには第三妃の部屋を与える」
い……いきなり出世し過ぎじゃないかしら……?それ。
「そんな……っ、こんな蛮族に……っ」
女官長が再び顔を上げ叫ぼうとして、ルーの睨みにまた俯く。
「口を慎め」
「ですが……っ」
「ちょうどグイが遣いに出ていて幸運だったな。アレがお前の首を刈りに行ったところで俺は止めはしない」
それ、事実上の死刑宣告よね?あの暴虐魔王な兄さまのことである。ルーの決めたこと私利私欲で逆らったのなら、確実に首を刈りに行くわよ。あくまでもあの兄の怒りの原点は妹ではなく、陛下の命に逆らったことだが。
「わ、私は皇太后さまの覚えもよく……っ」
皇太后と言えば、先帝の皇后。元はここの女主人だったのだ。その皇太后の覚えのいい彼女がここで女官長をしているのは、完全にそう言うことよね。
ルーは皇太后の皇子ではなかったはずだけど、先帝の后には変わらないのだから、隠居して後宮を離れていようとも影響力は相当なもののはず。
そして後宮城市の改築はしているとはいえ、まだこんな横暴な女官長が居座っているってことは、その影響力加味して皇太后の勢力を削ぐほどに手は加えていなかったってことよね。でも急に手を加えて、横暴を働く女官長を追い出すとは……ルーに一体どんな転機があったのかしらね?
「どうでもいい。今すぐ荷物を纏めて出ていけ」
「そんな……もう夜で……っ」
「何か言ったか」
「……っ」
圧の籠ったルーの威圧に、女官長……いや、この場をもって元女官長は震えながらその場を辞する。
「さて、行こうか。セナ」
そして次の瞬間にはけろっとしているとは。後宮内の空気、凍り付いてるけどねぇ。リーミアも脅えちゃって。ウーウェイは相変わらず肝が据わっているけどね。
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