第3話 ブラックベリー

 今日も雨粒を含んだ蜘蛛の巣を眺めて、午後を過ごす。


 周囲の林に目を移すと、ほとんどの葉を落とした木々の枝が風にさらされ、カサカサと鳴る音が聞こえてくるようだ。その下には、実を落とした後のブラックベリーの茂みがあり、枯れ枝とトゲだけが取り残されている。

 灰色の世界。

 クリームは奥の部屋から動かない。まだ昼寝だろうか。


 まもなく陽が沈む頃になり、今日は赤髪の人がドアを開けた。

 ごはんにしては早すぎる。これはまたオキャクサマのご来訪だろうか?


「コスモ、どこだろうねー。」

「んー、この列じゃないかもしれないなぁ。」

 4人組。細身で鳥のような声の子、ヒゲの人、黒髪を束ねた人、最後の一人は陰に隠れてまだ全身は見えない。


「見て、ほら、この子も可愛いよ。」

「ねー、私が決めるんだから。」

「ほら、ゴロゴロ言ってる。」

「だから私が決めるんだって、私の誕生日なんだから。」

 最後の一人が見えてきた。少しふっくらした、目の丸い子。

 鳥声は終始興奮気味に話し、ヒゲと黒髪がそれを聞いている。


「ほら、コスモはここにいたね。」

「おー、お腹を見せてる。よしよし…」

 目の丸い子は、高低混じるかすれた穏やかな声だ。


「ブープはいないね。」

「うん、もう貰われていったのかなぁ。」

 鳥声とヒゲがこちらに一歩ずつ近づいてくる。


 ふいに、黒髪を束ねた人と目があった。黒髪は、他の三人を置いてスタスタと一直線にこちらへと向かってくる。

「クッキー、クッキー」

 私を呼んでいる。その響きに少し嬉しくなり、思わず返事をしてしまった。次は、スラリとした指がこちら側に入ってくる。ほんのり温かい。


「ねぇ、この子本当にふわふわだよ。可愛い顔してる。」

 黒髪が三人に話しかけると、鳥声が真っ先に飛んできた。後を追うように、丸目玉とヒゲ。


「クッキー…?」

 鳥声は私を恐る恐る抱き上げると、しばらくの間息を飲んだ。


「私、この子に決めた!この子がいい!」

 私が鳥声から丸目玉に渡された瞬間、鳥声は高らかに宣言した。


「クリームと一緒に連れて帰るのはどうかな、お父さん?」

「思いつきで2匹は飼えないよ。命を預かるのはそんなに簡単なことじゃないんだ。父さんはそんな覚悟ができてない。」

「姉妹なのに離れ離れはかわいそうだよ。」

「クリームも可愛いから、きっと誰かが貰ってくれるよ。」

 鳥声とヒゲが揉めているようだ。二人を尻目に、黒髪と丸目玉が代わる代わる私を撫でる。


「いい子だね。」「クッキー…」


 ヒゲが赤髪の人と何か短い言葉を交わした後、何度か瞬きをしているうちに、私は小さな箱に入れられた。息が詰まるような暗闇。

 紙、ごはん、灰色の建物の匂い。

 手が届かなくなる、毛布の匂い。どんどん離れていく、ふわりとしたプルメリアの匂い。色々なものが私の周りから消えてしまう気がして、胸がぎゅっと締めつけられる。思うように声が出ない。


 この音、クリームが昼寝から起きたのが分かる。

 クリーム?聞こえる?私だよ!

 私、今、箱の中なの!どこに行くのかわからないの。ねぇ、ちょっと待っててね!

 クリームの返事が聞こえないまま、ドアは「バタン」と閉まり、音の消える一瞬が、冷たい静寂を運んできた。


 やがて色々なものが混ざった匂いも消え、あたりには湿ったコケの匂いが広がる。

「クッキー…大丈夫だよ。新しいお家に帰ろうね。ふかふかな毛布も、美味しいごはんもあるよ。」


 もしかして私、もう、クリームと鬼ごっこはできないのかな。

 不安に押しつぶされそうな私は、その微かな残り香と温もりを求めて体に顔を埋め、何度も何度も深く息を吸い込んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る