柊木姉妹の怪異殺し 〜二周目の姉と死ねない妹〜

鳩胸な鴨

第1話 怪異殺しと怪異志望

物事にはいつだって終わりがある。


蠢く巨悪を打ち滅ぼし、それでも続いていく世界の未来を想う終わりであったり。

一つの事件が終息し、再び日常へと戻っていく終わりであったり。

病と死に物狂いで戦い、掴んだ何かを後世に残して逝く終わりであったり。

挙げればキリがないほど、「終わり」には様々な形がある。


「………来たか」


だからきっと、この「終わり」も必然だった。


とっくにわかっていたはずの最後を前にして、少女の形をしたソレは小さく笑う。

人と人が争い、地表が焼け爛れて何年が経っただろうか。

汚染された土地が時に浄化され、人々の暮らしがあった痕跡が緑に覆われるほどの時が過ぎた。

人とは呼べない身だが、きっと、人がいなければ存在が成り立たなかったのだろう。

そして、人はもうこの世にはいない。

今しがた、最後の人が消えたのだと思う。

…それが誰で、どこにいて、どんな風に死んだのか、なにも知らないが。


「……なぁ、先生。私が卒業して、何年経ったかな」


まるでそこにいるのかのように、ボロボロになった本を撫ぜる。

惜しむらくは、この本を守れないことか。

自分がいなくなれば、波に飲まれるように、自然に溶けていくのだろう。


────僕の生徒、やってみるか?こんな寂れた御堂で黄昏てるよりかは面白いだろ。


あのひとときは楽しかった。

戦いが始まる何年も前。気まぐれに「学校」とやらに通った。

生涯の友が出来た。支えてくれる想い出が出来た。身を焦がす恋を、結ばれる幸せをくれた人が出来た。

ただ、それももうこの世にない。

とうの昔に消えてしまった。残された『もの』は、戦いに呑まれてしまった。


唯一残ったのは、想い出の品だけ。

「卒業アルバム」と書かれたソレを開き、中身を確認する。

全部は読み切れないだろうな。

そう思いながら、風化したページの写真一つ一つを指でなぞる。

と。その指がある写真の上で止まった。


「……ああ、若い時はこんな顔だったか。

しわくちゃな顔ばかり見てたから、忘れていたよ」


すっかり風化して、誰かもわからない写真を前に呟く。

この写真はもう見えなかったはずなのに。

そんなことを思っていると、指先が崩れ始めた。


「ふふ…、昔は男前だったのになぁ…。

………ああ、うん。味が出て、いい男だ。

…そんな男が自分の生徒だった女を娶るのはどうなんだと思うけど。

……わかってる。わかってるよ。…うん。私もだ。愛してる」


ああ。あの人が、隣に見える。

その顔を見るや否や、少女の体は世界に解け、消えた。


♦︎♦︎♦︎♦︎


あれは去年の秋頃のことだった。

地球温暖化やら環境破壊やらの影響で、秋の心地よさなんて遠い昔のこと。

栗を拾って、油の乗ったサンマを食べて、さつまいもを焼いて。

そんな秋が光の速度で過ぎ、こたつを出そうか悩み始めたくらいの時期。

いつものように課題をこなしていた私の耳に、信じがたいニュースが飛び込んだ。


双子の姉が死んだ。


別にいじめられていただとか、死を選ぶような悩みがあったわけじゃない。

死ぬより少し前、近々発売するゲームで何の武器を使うかなんて雑談を交わしたことを覚えてる。

姉は良くも悪くも適当で、「明日は明日の風が吹く」なんて言葉をそのままなぞったかのような生き方をしている人だった。


そんな姉が、死因すらはっきりしないほどにバラバラにされ、山に捨てられていた。


犯人が誰かなんてわからない。

姉は引きちぎられたようにバラバラにされて殺された。殺されていた。

警察の調べでも「人間の犯行とは思えない」なんて分かりきったことしか分からず、姉の事件は迷宮入りを果たした。


納得できなかった。


恨まれるような人じゃないなんてことは、学校でも家でも一緒だったからわかってる。

学校の集会でも、突然の別れに泣いていた人がほとんどだった。

物語の主人公のように、たくさんの人に慕われていた。

姉が死んだ理由が知りたい。

そう思って、私は創作の中にいる探偵の真似事を始めた。


警察は頼りにできない。探偵を頼りにしたくても、お金がない。

だから私は、徹底的に生前の姉の動向について調べ始めた。


まず第一に驚いたのが、妹の私が思っていたより、姉は人に慕われていたこと。

家でも学校でも、顔を突き合わせると適当なことしか言わなかった彼女だが、実は万屋の真似事をしていたらしい。

面倒ごとに頭を突っ込み、人を救って来た。

漫画の主人公のようだ、と皆が口を揃え、姉の勇姿を語ってくれた。


その次に驚いたのが、姉の特異性。

どうやら姉には、霊能力があったという。

…まあ、「破ァ!」なんて叫んで悪霊をばったばった薙ぎ倒していたわけじゃない。

ただ少し、霊が見えただけ。

「どこどこが危ない」だとか、「なになにがヤバい」だとか、ざっくばらんとしたアドバイスで人を助けていた。

私にはそんな話、一度だってしてくれなかったのに。

自分の知らない姉を知っている彼らに、なんとなく腹が立った。


最後に驚いたのが、姉が死んだ山のこと。

どうやらそこは一部界隈で有名な心霊スポットだったらしい。

その地域に住んでいる人が「ぶちぶちさま」と呼ぶ存在が住処にしている場所のようで、近寄ることもしないという。

どういう経緯があって、姉がそこに行こうなんて思ったかはわからない。

ただわかることは、その怪談が本物だということだけ。


姉が見つかった次の日。捜査していた警官の1人が、同じように殺されたのが見つかっていたのだから。


「悪いことは言わない。

あんたのお姉さんは運が悪かったと思って、日常にもどりなさい」


霊媒師だなんて嘯く人に相談に行くと、神妙な面持ちで引き止められた。

「ぶちぶちさま」なんてふざけた名前の怪異は、実在する。

出会った人間を怖がらせるだけ怖がらせ、ゆっくりと体をちぎる。

そんな怪異が実在して、人を殺している。

義憤は湧かなかった。ただひたすらに、その存在が許容できなかった。

だから霊媒師なんてものを頼ったんだと思う。

超常の存在なら、同じ超常の存在で殺せるはずだと思った。


現実は甘くなかった。


頼った霊媒師全員が断ったのだ。

あそこにいる怪異はもうどうしようもなく力をつけている。

放っておくのが一番。森にいるクマのようなものだと思え。

皆が口を揃え、「ぶちぶちさま」から逃げていった。

そんなふうに言われても、私は納得できなかった。

姉を殺したやつを、殺してやりたかった。


私は存外、姉のことが好きだったのだろう。

そのことに気づいたのは、姉の仇を取りたいと思う自分に気づくのと同時だった。


「……よし」


誰も頼れない。なら、私がやるしかない。

あの日と同じ秋の夕方。私は仇が蠢く山へ、足を踏み入れた。


フェンスで隔たれた山の中は妖気で満ち溢れていた…なんてことはなく。

ネットで調べた写真にありそうな山道が広がっていた。

ご丁寧に舗装されているあたり、登山家向けのコースでも存在したのだろう。

傍迷惑にも、「ぶちぶちさま」とやらがそこにテリトリーを構えた。

後から来て「ここは私の領地だ」と主張するだなんて、怪異のくせに長らく続く国際問題のような真似をする。

そんなことを思いつつ、私は懐中電灯片手に姉が死んだ現場へと向かう。


姉の死体は一度だって見れなかった。

どんなふうに死んだかなんて、人伝にしか聞かなかった。

だから、自分がどれほど恐ろしい目に遭って死ぬかもわからない。

姉のように引きちぎられて殺されるのは確実だろう。それがどんなに苦しいかなんてわからない。願わくば、私の想像を超える地獄であってほしい。


私は死んで、「怪異を殺す怪異」になる。


そうなる方法なんてわからない。

ただ、この燃え上がる怒りと憎しみが私を変えてくれる。不思議とそんな確信があった。

遺言は残さなかった。未練だってある。

それ以上に、怪異を殺したくてたまらなかった。


怪異にありがちな「忘れ去れば消える」…なんて気の長い復讐じゃ生ぬるい。

殺される恐怖を伴う死で初めて、私の仇討ちは完遂する。

姉は陰鬱な復讐を望むような人じゃないけれど、そうしないと私自身が納得できなかった。


「……私だったら、お姉ちゃんも復讐したのかな」


あの姉が。妹想いというには少々薄情な姉が私のために復讐鬼になる。

とても考えられないけど、薄情気味だった私が姉の復讐を決意したのだ。

きっと、姉も私が死んだら復讐したと思う。

そんなあり得たかもしれない未来の想像を、木の枝もろとも踏み潰す。

姉。怪異。姉。怪異。この二つだけが頭を巡っているうちに、ようやく目的地についた。


「………ぅぷっ」


まず目についたのは、開けた場所。

そこに何かがいると主張するように、不自然に木々が植えられていない。

次に目についたのは、血に濡れた草原。

切り揃えたわけではない。ぼうぼうに伸びて、季節の移りで枯れた草を赤が濡らす。


そして、最後に目についたのは、手首。

男のものだろうか。ごつごつとした手が、まるで無理やり引っこ抜かれたかのように転がっている。

間違いない。ここが、「ぶちぶちさま」のテリトリー。姉を殺したクソ野郎の隠れ家。

込み上げる吐き気を飲み込み、あたりを見渡す。


いた。さほど遠くない距離。茂みに隠れた影が、ぶちぶち、と音を立てる。


精肉のVTRでこんな音を聞いたことがある気がする。

なんてことのない感想が浮かぶ束の間、私の頭が憎しみでいっぱいになる。

千切られる痛みに歪んだ男の顔が宙を舞う。

そんなふうに姉を殺したのか。

お前も同じように殺してやる。

生きてる間に殺せなくても、死んでから殺してやる。


「ゔぁぁあああああっ!!!」


悲鳴混じりの雄叫びに反応し、ぐりんっ、と、怪異であろう女の顔がこちらを向く。

爛れ、歪になった顔。まさしく怪異と呼ぶに相応しい醜悪さと、そこに渦巻く悪意が駆ける私を突き刺す。

怖気付くことはない。私はこいつを殺しに来たんだ。

そんな決意ごと、私の体が押さえ込まれる。


「ぶちぶちさせろ、な?させろ、な?」

「………っ」


おどろおどろしい声で問いかけ、万力のような力が私の右腕を掴む手に込められる。

痛みに備え、歯を食いしばる。

殺してやる。死んで、同じになって、殺してやる。憎しみまみれの殺意を込めて、怪異を睨め付けた。


「死んだと思ったら、随分とまあ懐かしい顔が見えるな」


瞬間。ぶちぶちさまとやらの体が吹き飛んだ。

横から蹴りを入れられたのだろう。

月明かりに照らされ、蹴りを放つシルエットが視界に浮かび上がる。

ところどころほつれが見えるブレザー。どこかの土産屋で買ったかのような、小学生しか買わないデザインのキーホルダーがスカートから垂れる。赤のメッシュが入った真っ白な髪を無造作に束ね、夜風で遊ばせるその姿はまさしく。


「おねえ…、ちゃん…?」


姉だった。正確には、姉と瓜二つだった。


姉は髪を染めたことがない。こんな白髪に赤のメッシュを走らせるなんて、他人から命令されない限りはしない。

ファッションセンスの壊滅具合は正しく姉だが、髪色含めてどこか違う。

姉の仇を蹴り飛ばした彼女は私を一瞥し、視線を相手に戻す。


「戻って早々、『私の仇』と会うとはな。

死んだタイミングでニューゲーム…なんてのもどうかと思うが…」

「なんだ、おめぇ…。おめぇもぶちぶちさせろ、な?ぶちぶちさせろ」

「やなこった。お前にちぎられたあと、3日は寝込んだんだぞ。怪異なのに。

…ああ、何百年も前なのに今更腹が立ってきた」


姉とそっくりな顔が歪む。

怒ったら、あんな感じになるのか。

姉が怒るところなんて、菓子の取り合い、チャンネルの奪い合いでしか見たことない。

…が。あんなにも悍ましい顔で怒ったことはなかった。


「殺してやる」

「ぶちぶちさせろぉ!」


それはあまりに一瞬だった。

肉薄する怪異。微動だにしない姉。

間違いなく怪異が姉の細腕を引きちぎるのが先だと思った。

ぶち、ぶち、ごりっ。肉をちぎり、骨を擦り砕く音が鳴る。

2度も姉が殺された。

そんな確信と共にそちらを見ると。


怪異の腕を引きちぎり、その背を踏みつけた姉の姿があった。


「…………は?」

「お前の『殺し方』は覚えてるんだよ。『前』は先を越されたけどな」


上顎に手を添え、力を込める。

ぶち、ぶち、と頬肉が裂けていく。

ぶちぶちさまが声にならない悲鳴をあげるも、姉は構わずに力を込めた。


「お前みたいに直接手を下す系は楽でいい。

こうして力任せにするだけで、死んでくれる」


ぶちっ。上顎が外れ、草木に放り捨てられる。

不思議と血は垂れていない。

殺したのが怪異だからだろうか。

そんな疑問が浮かんで、消える。


「大丈夫か、こゆき?」


結論から言うと、姉は生きていた。

いや、人間の姉は死んでいる。今しがたバラバラにされた怪異と同じように、取り返しがつかないほどに引き裂かれて殺された。

では、どうして生きていると言えるのか。


答えは簡単。姉は…、柊木 しおんは、私が願った「怪異を殺す怪異」となって生きていた。


記憶の中の姉と同じように笑い、手を差し伸べるそれ。

ああ。私はやっぱり、姉が大好きだった。

改めるまでもないことを思いながら、私は冷たいその手を、一つの怪異を殺した手を握った。

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