第3話 第2節 魅力的なのはクロール?僕?クロールを泳ぐ僕?

 このスイミングクラブは7コースの25メートルプールで、選手コースの時間は種目ごとに泳ぐコースが決められている。


 僕は平泳ぎなので、短い髪とあご髭がある古岡ふるおかコーチというおっさん主任コーチが僕のコーチだ。古岡コーチから自由形に切り替えるつもりはないか?と何度も言われているけれど、平泳ぎが好きだ。両手でギューンと伸びる感じが好き。自由形はなんか忙しくて好きじゃない。


 僕は前半を平泳ぎで泳いだ後、後半は個別メニューとして、自由形と背泳ぎを日替わりで泳ぐ。後半はコーチが決めたそれぞれのメニューに沿って練習をする。

 だから平泳ぎの古岡コーチ以外では、自由形のコーチである坊主頭の三橋コーチと元気でちっちゃい高田コーチ、背泳ぎコーチの背が高い男性で20代後半の百瀬ももせコーチ、全部の泳ぎ方を教えてくれる綺麗な向上コーチが僕の関係するコーチだ。バタフライの響子コーチは僕に関係ない存在となってしまう。


 終了を知らせるブザーが鳴り後半の練習も終わった。練習後はサウナ室で体を温めて、シャワーを浴びて着替えをして帰る。ごく一部の選手はジムで筋トレとかもやる。僕はそこまで一生懸命ではないけれど。

 

 いつものようにサウナ室に向かって歩いていると、プールの中の響子コーチがプールサイドに両肘をついた姿勢で声をかけてきた。

「悠太君!」


 とてもドキッとしながら「はい」と応えた声が少し裏返った。


「悠太君は才能あるねぇ。毎日は泳がないの?」

「え?いや、水泳じゃ食べていけないし、まあ楽しく泳ぐくらいがいいのかなって思っていて」


 笑いながら響子コーチが言った。「食べていくってなぁに?食べられそうな他のスポーツもしているの?」

「日曜日に野球もやっていますけど、そっちもプロ目指すとかじゃないです」

「じゃあ他の日は遊んでいるの?」

「いえ勉強しています」これは嘘だ。実際にはキャッチボールしたり、漫画を読んだりゲームをしたりしている。

「勉強かぁ。それじゃあ仕方ないですね。ごめんね。引き止めちゃって」


 今度は僕が呼び止めた。「あの」

「ん?」

「なんで僕にそんなこと聞くんですか?」

 響子コーチは、両手でクロールの動きをしながら言った。「自由形見ていてさ、すっごいなって思ったんだよね。ブレスト(平泳ぎ)も悪くないけれど、悠太君の自由形は惚れちゃうレベルだよ。もったいないなって思っただけ」

「惚れちゃうって、僕の自由形にですか?」

「う〜ん、クロールを泳ぐ悠太君にかな」響子コーチはニヤッと笑った。

「え?」

「ごめんごめん。冗談冗談。忘れて。勉強しっかりね」


 そういうと響子コーチはプールの中からザバァッと勢いよくプールサイドに上がり、スイミングキャップを脱ぎながら僕の隣まで歩いてきた。

 

 僕の背中を右手で押しながらサウナへと向かう響子コーチ。背中に感じる響子コーチの手の温もりで、僕の心臓がクロールを息継ぎなしで200メートル泳いだくらいに速くなっていた。

 

 ドキドキしたままでサウナ室に入り、1人で入り口近くに座ると、選手コースで1人だけ同じ学校の同級生女子、外岡雅とのおか みやびが話しかけてきた。

「安田君、おつかれ」

「あ、うん、おつかれさま」

「安田君、自由形にすればいいのに。私今日のメニューはメインもサブもバタフライだから響子コーチが付いてくれているけど、安田君の自由形見てすごいって何度も言ってたよ」

「う~ん……」

「前から古岡コーチだって言ってるじゃん。安田君は自由形のほうがいいって。タイムだってそうだし」

「う~ん……」

「なんか元気ないね。大丈夫?」

「いや、後半自由形だったから疲れたのかな?」


 そう言ってごまかしたけれど、本当は僕の後からサウナに入ってきて、一番奥に座っている響子コーチに、僕が外岡と話しているのを見られたくない気持ちになっていた。


 なんか絶対僕は変だ。僕から外岡に話しかけた訳じゃなくて、外岡が話しかけてきただけだと、響子コーチに知ってほしい気持ちになっていた。


 僕は逃げるように皆より先にサウナ室を出てシャワーを浴びた。


 先にロッカー室に戻り着替えていると、同じ歳の選手コースの中では一番背が高い健治と篤が騒ぎながら戻ってきた。


 篤が僕に向かって大きな声で言った。

「悠太!みんなで帰りにマックでも寄らない?」

「悠太も行こうぜ!」健治が言った。

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