第2話 目覚め・水星の時代②

 学校から帰った後、まずは陽が落ちるまでの時間を自分の部屋で過ごす。陽が落ちていくのが見える部屋の窓のガラスに顔を近付けて、刻々と色を変えていく時間の境目の色をじっと見ているのが好きだった。

 風音かざねは世界が切り替わっていく時間の境目に居ることで元気をもらっているような気がしていた。癒しのようなものが、そこにはあるような気がしていた。


 きっと家の外から見たときには、風音かざねは窓の外にへばりつくように外の世界を覗き込んでいる一匹の猫のように見えるだろう。風音かざねはそんな自分を想像した。


 何かの動きを感じて、空から左方向にある道路の脇に目を移すと。一匹の三毛猫がゆったりとした一定のリズムで歩いているのが見えた。風音の住んでいる家のすぐ横の、この窓のある側には建物が建っていない。数件分の空き地になっているので、道路が隠れてしまうこと無くよく見えるのだ。

 猫は野良猫であるが、いつの間にかこの町内に居る地域猫という存在で、立ち寄る場所によって色々な名前で呼ばれているらしいことは知っている。いくつかの家でご飯がもらえるようで、痩せてはいなかった。それ以上のことは知らない。


「本日の巡回ですか……」


 そう呟くと、歩いている猫が風音の見ている窓の方をチラリと見上げたような気がしたが、止まることは無く歩いて行く。風音は見られていた気がした。

 やがて猫は窓からは見えなくなった。その間にも空は色を変えながら、ゆっくりと陽が落ちていく。空の色が刻々と手前にあるオレンジ色と遠い空の向こう側にある紺色と、その濃度を変えていくのを少しでも見逃したくない思いで窓に張り付いていた。


 風音かざねにとっては、猫は三毛猫の猫だったが、ある時から学校が終わった後の時々の話し相手になった。とある時から、学校の帰りに立ち寄る、家の近くの川の側にあるお花畑で時々一緒に過ごしていたのだ。猫が普通の猫では無いことを自ら風音に知らせてきた、その時からである。


 お花畑とは風音かざねが勝手にそう呼んでいるだけで、空き地に草や花が伸び放題、咲き放題になっている場所のことだった。

 猫はそこによく居たのだ。草や花と戯れているように見えた。

 風音かざねは季節ごとにうまい具合に咲く色々な花を見ることが好きだったので、よく通っていたが、そこで初めて猫と面と向って出会ったのだ。



(ん……、おまいはだれぞっ)


 初めて猫に出会った時に風音かざねには、突然そう聞こえた。三毛猫と目が合った。向かい合わせのような位置で、前足を浮かせたまま止まっている三毛猫が風音かざねの方をジッと見ている。


 風音はその瞬間、固まった。

 猫が喋ったからでは無い。

 自分のことを何て答えたらいいのかに戸惑ってしまったからだ。


 何て答えたらいいのかが、わからなかった。


 そんなハッキリしない風音を見て、猫はさらにこぼした。


「ふう……手のかかる子だね」


(えっ……)


「だってそうでしょ。ハッキリしない子は手のかかる子でしょうよ。相手にどうにかしてもらおうっていう魂胆なんだから」


「えっ……?」


「そうでしょう? まったく、もう……」


「ご、ご……めんなさい」


「まぁ、いやだ、謝っちゃうのかい?」


「あ、の……、どうしたら、いいか、わからなく、て……」


「まぁ、いいさ」


 猫はそう言うと、その場に座って自分の右足を舐めて毛繕いてを始めた。繰り返される猫の手の動きを見ているうちに、何かに静かに吸い込まれて行くように気が遠くなっていくような気がした。


 次の瞬間、ハッとして我に返ったが、それまでの間が数秒だったのか、数分だったのかがわからないという感覚に陥った。しばらくの間ここにこのまま座っていたような気がする。


(えっ、えっ、えっ……)


 風音は草の上に座り込んでいた。自分の意思で座ったという自覚は無い。いつの間に座り込んでしまったのだろうか。


(記憶が……飛んだ……)



「あっ、そうだ」


 猫の右足を見ているうちに……私がどこかへ行っちゃった……

 先ほどのことがゆっくりと蘇ってきた。

 慌てて周囲を見渡してみるが、もうあの三毛猫は居なくなっていた。


(気のせい……だったのかな?)


 ガサガサッ


 そう思った瞬間に草が揺れる音がした。

 猫だ。先ほどの猫はやはり居たのだ。


 少し身体に緊張が走る。風音の前に姿を再び現わした猫は草の間をすり抜けるようにして歩いている。少しずつ間合いを詰められているのを感じた。やがてねこは立ち止まってその場に座った。風音の方を横目に見ている。距離は1メートル弱ほどだろうか。風音から少し離れたところに猫は座った。


「まぁ、よいわ」


「えっ」


「ちゃんと教えてやらんと、の」


「こ、こんにちは……はじめまして」


 再び話し掛けられたことに驚きつつ、挨拶をする。


「やっぱり、気のせいじゃ無いですよね……」


「なれておらんのか?」


「あっ、はっ、はい。地上の生き物の方とは……あまり……」


「お前さんは、そこいらの人間とは違うな。人間臭ともいうような生臭さが薄い……いや、無いといっていいくらいだ……」


「はぁ」


「すみません」


「んあぁ? どうして謝るのじゃ」


「あっ、えっと……何か私が猫さんの邪魔をしてしまったのかも……って思ったので……」


「ああぁ、さっきのか」


「はい。ここは、この花畑は猫さんの場所ですか?」


「いんにゃ。そうでもない。誰のものでもないだろう。この土地の持ち主はおるがの。しかし、それも持ち主とは言えん。この土地には土地の神がおるが、昨今ずいぶんと元気が無い。この川もな。知っておろう、お前さんも」


「あ、はい。段々とお花の種類が減っています。川の中に住む魚たちも減っているように感じていました」


「うむ。そうなんじゃ。」


「で、私は……邪魔では……」


「それで先ほど、読ませてもらった、少し……だけだ……」


「は?」


「お前さんのこと」


「そんなことが……出来るのです……か?」


「地上の猫にもピンキリあってな。出来るものもおれば出来ないものもおるのよ。私はそうだな、ちょっとは出来る方にいるのかもしれぬなぁ」


「それで私は気を失ったみたいな感じになったのでしょうか?」


「いや、お前さんも私の眼の奥を見ようとしたから、であろう……」


「えっ、そんなことを……」


 そう言いながらも風音はどことなく身に覚えがあった。猫の目は磁石のような吸引力があるのだ。


 会話は脳内を通すような形で進んでいる。

 お互いが言葉を発することは無かった。風音にとって驚いたのは、話している相手が形がある地球上の生き物としての存在であり、それが何処にでも居るような一匹の猫であるということだった。


「その……猫の姿をしている、それはフリ、ですか?」


「はっはぁー。お前さん、いつも異世界のモノと一緒におるゆえ、私が猫の姿でこういうことを喋っているのが不思議なのだな?」


「えっと、まぁ、そう……、ですね。普通の猫さんたちは、お腹空いたとか、何が好きとか、嫌いとか、そういう会話が多い気がしていましたので……でもあなたはちょっと違います」


「そうよ。結構嘆かわしいことよ」


「えっ」


「話が合うものも少ないわ。昔はもう少し居たように思うが、もう目の前のモノにばかり振り回されおるヤツが多すぎる。我々は偉大なる存在であったというのになぁ。皆そういう肝心なことを忘れ去ってしまった……まぁ、それも時の流れよ。少数ではあるが人間に近くならずに生きておるものも世界には居る。まぁ、それでよいのであろう。」


「……」


「何かおかしいか?」


「いえ、とんでもありません。会えたことが、お話出来たことが嬉しいです。」


「変なヤツよの。お前さん、どうしてここにいるのだ? その器にその生命を持ってこの地上にそのまま居るとは、何か事情でもあるのかい?」


「えっと、それは私が知りたいこと……です」


 横を向いて話し続けていた猫が風音の方を向いた。瞳に一瞬光が射したように見えた。


「うむ……少しの間、遊んでやろう」


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