エンドロール
私が先にゴールしてやった。私の勝ちだ。
プラットホームに着く。その場に立ち尽くす。足が棒のようだ、という慣用句では済まされない疲労。わずかに残った倫理観で、二足歩行を保ち続けている。
小夜子は、何も言わなかった。私をベンチに座らせて、呆れたように笑う。それから、私のウェアコンを十二度に調整した。少しばかり楽になる。
「暗号、解読したよ」絶え絶えの声で、私が喋る。「裕介がね。でも、私もね、頑張ったよ」
「ウン」小夜子が目を細める。「知ってるよ」
小夜子が、おもむろに私の隣に座る。走っていないはずなのに「ふう」とため息をついている。
「列車はいつ来るの?」私の息がだいぶ整ってきた。
「あと三分くらい。入るときに切符が必要だから、一緒には行けないよ」
小夜子の切符には、二二三〇年行きと書かれている。チイさんと同じだ。
「もう一緒に帰れないんだね」私が言う。
小夜子は、申し訳なさそうに目を伏せた。
「あの歴史の授業、小夜子がプログラムしたんでしょ」
「そうだよ」下を向いたまま微笑む小夜子。「他のみんなには、小夜子が消えても話題にするなよ、みたいな内容を流しておいた」
「さっすがプログラマーだね」
二人して笑った。笑うしかなかった。最後の会話だなんて思いたくもなかったから。
「小夜子は、どうして列車に乗ろうと思ったの?」
「月でも話した気がするけど」小夜子は微笑みを絶やさない。「どこか遠くに行きたかったんだ。この街のことは、随分と知り尽くしちゃったから」
「私たちといるのは、退屈だった?」少し不安になる。
「そんなことない。楽しかったよ。それこそ、睦月と裕介のことだけが気がかりだった」
小夜子が、私の手を握った。目は伏せたままだった。
「だから暗号を残したんだよ。あんな意味不明な暗号を解いてでも、私に会いに来てくれたらなあ、なんて、ワガママ考えちゃった」
ワガママなんかじゃないよ。私はそう言った。
汽笛が鳴り、ホームが振動する。小夜子が顔を上げた。列車が到着したみたいだ。黒を基調として、所々に金色の線が入るレトロな車体。ホームにいる人々は「じゃあね」と手を握ったり、抱きしめたりしている。
小夜子は、立ち上がる素振りを見せない。発車までまだ時間があるんだという。
「それより」小夜子は、また伏し目になる。「私から、離れた方がいいよ」
不思議に思った。どうして離れた方がいいんだろうか。私たちはこれで最後だというのに。
答えはすぐに分かった。仁美だ。おじいさんの見送りをするために、仁美もホームに来ていたんだ。小夜子はそれを気にしている。自分と睦月が一緒にいたら、睦月の立場が危ういとか考えている気がする。
よく周りを見ていられるなあ、と思った。私なんか、小夜子のことで頭がいっぱいだったのに。
仁美がこちらを見た。そして眉をひそめる。小夜子が「早く離れて」と耳打ちする。
でも、離れる気なんかなかった。だからといって、仁美に盾突くこともしなかった。
「別に」私は頬を掻く。「一緒にいてもいいじゃない」
私たちは幼馴染だ。一緒にいたって不思議じゃない。周りの目を気にして、小夜子との時間が減ってしまう方がよっぽど嫌だ。
元々、ずっと一緒にいたんだ。仁美にどう思われたって、もう大丈夫。せっかく小夜子に会いに来たんだ。最後くらい一緒にいたい。そう願うのは、ワガママなんかじゃなくて、幼馴染の特権だ。
「ねえ、小夜子」
不思議と、穏やかな気持ちだった。
「未来どころか、今のことすら全然わかんないけどさ」
汽車に乗り込む人々。その中に、チイさんがいるのを確認した。
「いつかまた、絶対に会えるから」
一〇〇年後に私たちはいない。でも、この言葉は嘘なんかじゃない。絶対に会える。
「ずっと待ってるよ」
小夜子には思い出してほしいんだ。衛星急行から地球が見えたときに、私と裕介がいるんだってこと。帰りを待っている幼馴染がいるんだってこと。一一五歳まで生きられる保証なんかない。でも、最後くらい非科学的なおまじないをかけたって、小夜子は許してくれるはずだ。
「ウン」
小夜子は弱々しく頷いて、静かに立ち上がった。汽笛が鳴る。列車が動き出そうとしている。もうお別れだ。さよならだ。嫌だって気持ちを、必死に隠している。
「睦月」
小夜子が、歩き出す。
「追い越してくれてありがとう」
小夜子が、列車に足を踏み入れる。透明な壁が、私と小夜子を隔てている。
「ありがとう」
小夜子が、手を振っている。目を細めて、歯を見せる。長い髪をなびかせる。綺麗な人だって思った。離したくないなって思った。手を伸ばそうとした。届かなかった。
扉が閉まる。列車が動き出す。人々のさよならがこだまして、ホームに響く。小夜子が遠ざかる。私が取り残される。
澄み渡った青空。思い出だけを置き去りにして、小夜子は前に進みゆく。列車が入道雲を穿つ。すぐに見えなくなった。汽笛だけが鳴り響いた。
大きく息を吐いた。俯いたら、地面が濡れた。
行かないでほしいって、言えたらよかった。
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