エンドロール
阿部狐
見知った顔の幼馴染
エスカレータは退屈だ。五〇〇メートルもあれば、尚更。
それが贅沢な悩みなのは、私自身が一番分かっていた。ただでさえ、高崎駅・衛星急行に乗る機会なんか滅多にない。でも、退屈なんだから仕方ないじゃないか。
これから向かう月には小規模のコロニーが存在するけど、そこに家族が暮らしているわけでもない。同級生や先生の家族もいないと思う。あの田舎に住んでいるのは、せいぜい八〇代の高齢者たちだ。
だから、修学旅行で月に向かうと決まったときは、ああ憂鬱だと思った。先輩たちは火星やガニメデだったらしい。どうして私たちだけが月なんだろう。どうせ、うちが公立中学だから予算がないんだ。
近所の私立中学は海王星に行くらしい。海王星は、地球から遥かに遠い場所にある。大規模なコロニーが形成されていて、テーマパークもあるって聞いた。
私たちは一時間で着く近所の月で、彼ら彼女らはずっとずっと遠くの惑星。
羨ましかった。私はずっと、どこか遠くに、ここではないどこかに行きたかったんだ。
こういった羨望や悔恨が生じるのは、退屈なエスカレータのせいだ。衛星急行のプラットホームは、海面上昇の影響を受けないように、地上五〇〇メートルに位置している。だから私たちは、数分間も自動階段の上で突っ立っている必要があった。
屋根も壁もない、むき出しのエスカレータの上で。
前にも後ろにも、誰かが立っている。進むことも戻ることも許されない。たまらなく窮屈で息苦しい。一人一人が機械の部品みたいに思える。
そのときだ。エスカレータの横から、軽やかな足音が聞こえた。私は顔を向けて、音の出処を確かめようと躍起になる。正体はすぐに判明した。おおむね予想通りの人物だった。
見知った顔の幼馴染――国枝小夜子。
小夜子は、私の姿を捉えたかと思うと、足取りを緩めた。額には汗がにじんでいる。無謀にも、自分の足でここまで来たんだろう。私だけでなく、周囲の同級生も、小夜子に顔を向ける。「あいつ、まじか」という男子の声が、青い空にこだまする。
「小夜子っ」思わず彼女の名を叫ぶ。
「おはよう」小夜子は大きく手を振り、頬を緩ませた。「いい天気じゃアないの」
「今日は四〇度超えるんだって。あまり汗かかない方がいいよ」
「ウェアコンがあるし、大丈夫だよ」
小夜子は、胸ポケットからウェアコンを覗かせた。黄色と緑を基調とした、箱型の装置。いくら最新技術とはいえ、幼馴染の体調を管理するには心もとない。
「それにねえ、睦月」
小夜子が、また階段を駆け始める。長い髪が揺れる。たった一人、自分の足で空を目指す。小気味よい足音は、あたかも階段が楽器のようだと錯覚させた。オーケストラではない。ピアノの独奏に近い。映像作品のエンドロールで流れるような、余韻と侘しさを味わわせる、自由で孤独なメロディ。
一方の私は、動くことすらままならない。小夜子はすぐに私を追い越した。小夜子が私の前を走るのは、今に始まったことじゃない。今更悔しいだなんて思わない。強いて言えば、悔しいと思えなかったことが悔しかった。
小夜子は、タンッと強く地面を踏んだかと思うと、ほんのわずかな時間だけ振り返った。
「エスカレータよりも、階段の方が速いんだよ」
私の幼馴染は、軽快な足取りで、なにもかも置き去りにした。小さくなって、米粒みたいになって、もう見えない。彼女の流した汗の雫が、そのまま彼女の残滓となって、階段をわずかに濡らしている。
プラットホームまで、まだ届かない。
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