マーキング

石谷 弘

マーキング

 昼下がりの物産センター。農家の人が直接持ち寄り、野菜や果物を安く売っているので地域の人たちが好んで買いにくる。ざるに乗った柿を片っ端からヘルパーさんの持つ買い物かごに放り込む椎滝さんもそのひとりだ。

「富有に熟柿に平種に、ようけ買い込みましたねえ。焼酎も買っていかれます?」

「焼酎はあるんでけどよ。今年は熊が出るぅいうて、役場のんに庭の柿みぃんな落とされてしもうたんやして。づくしも平たねもいくらでも食べるし、熊なんざ見たこともないんによう」

 普段は愛想のいいおばあさんだが、今日はなにやら投げやりな口調で答えてくれた。

「まあ、熊は怖いですからねえ」

 どうかしたのかと、ヘルパーさんに聞くと、「それがですねえ」と顔を曇らせた。

「店員さんは『尿入りボトル』って聞いたことあります?」

「に、尿何ですって?」

「ペットボトルにおしっこが入れられたものです。そういうのがたまに道端に捨てられてるらしいんです」

 話が飲み込めないまま、「はあ」と頷く。

「そえぇがよう。我がのうちの前ん道に置かれてるなんざ思わなして。てっきり茶ぁかなんかと思て、口開けて捨てよとしようたら、ぬるいわ臭いわでよう」

 余程ショックだったのだろう。椎滝さんが引き取って一息に捲し立てた。

 その後もヒートアップしてしゃべり続けたが、ヘルパーさんが「そろそろ帰らな暗なってしまうわ」と割って入った。

 何と言ってよいのか分からず、レジに向かう背中に「いたずらかもしれないので気をつけてくださいね」とだけ声をかけた。


 だが、そんなことはあるのだろうか。家に帰ってからも気になって、ついネットで調べてしまう。

 確かにネット上ではその存在が新聞記事として書かれていた。主に長距離トラックの運転手が駐車できる施設がないなどの理由で行っているのではないかということだった。

 なら、いろいろとおかしい点が見えてくる。第一の疑問点は家の前に『置いて』いたということ。記事に出てくるのは捨てていたものだが、家の前に『置かれて』いたのであれば、そこには明らかに、見せようとする意図が感じられる。ではこれは悪質ないたずらなのか。だが、それを単純に言い切らせない理由が椎滝さんの家の場所だ。

 椎滝さんの家は昼下がりだというのに帰らないと暗くなるという場所らしい。また、買っていった熟柿と平種無柿は渋柿だ。主に焼酎で渋抜きして食べるのだが、特にこの地域で熟柿と呼ばれる大振りの柿は非常に柔らかく扱いにくいことからスーパーには並ばない。とはいえ、物産センターでは珍しいものではなく、この手の店は町内でも何軒かある。ネットの地図で検索し、ご近所の同種の店をマッピングして、自分の店の勢力圏と移動にかかる時間から当たりを付ける。やはり、椎滝さんの家は町中ではなく、人気の少ない山側、それもかなりの奥になりそうだ。

 ここから先程の犯人の意図に戻る。人気のない山の中、言い換えれば限界集落といって差支えのないような場所の民家の前にいたずらで置きにいくだろうか。余程個人的なトラブルがあればあり得るだろうが、椎滝さんの口ぶりからは犯人の当てがあるようには感じなかった。また、『うちの前ん道』という表現には、『うち』の領域から少し距離があるように感じる。例えば、家と道の境界ではなく、道の向こう側辺りだろうか。であれば、単純ないたずらにしては遠回りだ。

 次にボトルが本来の用途によって「尿入り」となっていた場合。もちろん、高速道路からは遠く、物流センターなどもないので長距離トラックが通る可能性はかなり低い。また、他の大型車、製材所や土砂を運搬するトラックの場合なら、仕事場にトイレがある可能性が高く、また、人目がないのでペットボトルに入れて移動するよりは繁みの中などで隠れて用を足す方が支持する人は多いのではないだろうか。そして小型車でも事情は変わらない。必然的にペットボトルが必要になる事態は起こりえない。

 ではどういう時なら起こりえるのか。ひとつは強盗などを働いて監視カメラに映る可能性のある店に入れない場合。しかし、それだとボトルを見せつける動作とは合わない。もうひとつは習慣化している場合。つまり、普段長距離トラックなどで運転している人が別件、あるいは私的に運転してきた場合。土地勘のない場所でトイレを借り損ねた、または人気のない場所で長時間過ごし、催した際に癖でペットボトルに用を足した。そのボトルをわざわざ人の目につく場所に置いた。

 なぜ? 見つけてもらいたかったから。

 背中をぞわりとした感触が過ぎていった。

 それではまるで死に場所を探す人のようではないか。あまりにも突飛すぎる。世の中には動機の分からないいたずらなんてごまんとある。気になるなら、次に来た時にでもそれとなく伝えればいい。そうだ。熊への警戒と合わせて少し見回ってもらおう。悪い想像を追い出すように、布団にもぐり込んだ。

 翌日、昼前辺りからヘリコプターがよく飛んでいるなと思っていると、店長が「椎滝さんが」と悲鳴を上げてバックヤードから飛び出してきた。皆でテレビを覗き込むと、アナウンサーが、民家が熊に襲われて女性二人が亡くなり、更にその裏山から食い荒らされた首吊りの遺体が発見されたと伝えた。

 それ以降は言葉が頭の中を滑って聞き取れなかった。ただ、山中で多くの警察官に広げられたシートの青と、既に吊るされていた干し柿が無残に落とされて散った、まだ明るい赤茶色の染みだけが目に残った。

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マーキング 石谷 弘 @Sekiya

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