第6話 朝宮は釣り人に釣られる。
わたしはただ結野に引っ張られて、転ばないように足を前に出すのが精一杯だった。
手を引く力が強くて、速くて、転びたくないのに、わたしの足は
その度に手をギュッと掴むと、返事をするように結野もギュゥッと強く握り返してきた。
わたしはどこに連れて行かれるのか全然分からないし、予想もつかない。
ただ自分の思っていることは、もう少しだけ、後ほんの少しでいいから、この手が離れないでほしいと願っていた。
でもわたしのそんな些細な思いはすぐに終わりを告げた。
「ハァっ!……ハァっ!――んっんん”っ……んはぁっ!」
「いや、疲れすぎだろ」
結野は壁に手をついて、頑張って呼吸を整えようとしていた。
激しく上下する肩。乱れた髪は汗で肌に引っ付いている。
改めて周りを見ると、ここは体育館の横だと分かる。
正面にはグラウンド。お昼時だからか人がいなくて、まるで休日なのかなって思う。
「ふぅー……おまたせぇ」
「なんでここ?何かあるの?」
「いや、これだよこれ」
結野は薄いピンクの布に包まれた物を見せてくる。
あれはどう見ても弁当。
あぁそっか、今からってそういうことか。
でもわたしは弁当なんてない。いつも売店でパンを買って食べてるから。
今から買いに行く……あっ、財布は鞄の中だ。教室に戻って、売店に行って、またここに戻ってくる……。
「まぁ、座ろうぜ。あ~走らせやがって、無駄に疲れちまったよ」
食べる物なんて何もないわたしは、諦めて冷たいコンクリートに座った。
結野もわたしの隣に座る。
……近くないか?近いってか、腕と腕が当たるくらいの距離で、まぁ近すぎだな。
いいけどさ。
「ダイエットにはいい運動だったでしょ?」
「食う前にすることか?」
「たしかにー」
結野はスルスルと結び目を解いていく。
蓋を開けると、ザ・弁当みたいなオカズが入っていた。
卵焼き、ウインナー、唐揚げ、コロッケ、ひじき、プチトマト、その他諸々。
まぁ品目が多く豪勢な弁当だ。
「……」
ゴクッと生唾が最初に喉を通る。しょうがないこんなにも美味そうなんだ。
「自分で作ってるとか?」
「まっさかぁ!惣菜屋の娘だからって料理が出来るとでもぉ?これは妹がねぇ作ってくれてるんだぁ」
「ふーん……」
今なんて言った?妹?妹って何歳だ?
確か前にテレビで兄妹の平均年齢差ってのを見たけど、いくつだっけ?
二~三歳差とかだっけか?
こいつ姉の癖に中学生の妹に作ってもらってるのか?
「因みに妹って何歳?」
「十一?だっけかな?小学五年だよ」
「はぁ!?お前小学生に弁当作らせてんのか!?」
「人聞きの悪い!あの子は好きで料理してるんだから!私と違ってね?」
いい加減でふざけてばかりの変な奴なのに、妹はしっかりしてるとは。
まぁ本人も自信満々に違うって言ってるし、わたしがガァガァ言うことじゃないか。
「はい。あ~ん」
突然わたしの目の前に現れたのは、プチトマト。
器用に箸で持ち上げられていて、いつ零れ落ちてもおかしくない。
「いや、いいってば」
「早く!落ちちゃう!」
「え?だって、なっ、どうすれば!?」
「あっ、あっ!あぁ”ー!!――ぶっなぁ……」
案の定、箸からツルリと落ちるプチトマト。
結野がなんとかキャッチして、プチトマトは砂利交じりにならずに済んだ。
結野に急かされてわたしはテンパってしまった。
わたしが悪いのか?だって急に……あーん、なんて言われたら誰だってこうなるだろ。
なるよな?
「では仕切り直しまして、はい、あーん」
今度は絶対に落ちることはない。
だってその赤い実は、結野が指で持っているから。
ゆっくりとそれが近づいてくると、わたしもそれに合わせるように、またテンパってしまい、パクパクと変に口が開いてしまう。
それが唇に触れると、少し冷たくて、徐々にわたしの口の中へ押し込まれていく。
結野が少しずつ押し込んでくる。それを素直に受け入れるようにわたしは、口を大きめに開いてプチトマトを含んだ。
「……私まで食べないでよ」
「……ぬへよ」
わたしの口に入ってきたのはプチトマトだけじゃなく、結野の指までも口に入れてしまった。
わたしが抜けよって言っても何故か結野は動かない。
口の中でジッとプチトマトが食べられるのを待っていると、わたしの舌がぷるぷると教えてくれる。
「離してよ」
仕方なくわたしが口を少し開けると、結野の指がスッと口から出て行く。
プチトマトを噛むと口の中で弾けて、味がよく分からないまま胃の中へ落ちて行く。
結野は指を見てか、ムッとした顔をわたしに向けた。
その指は少しわたしの唾液で濡れていて、薄っすらと歯形がついていた。
「あ、ごめっ、もしかして噛んでた?」
「大丈夫だよ痛くなかったから。なんで離さないのさぁ」
「わりぃ、無意識に噛んでた、かも」
「で?どっちがおいしかった?」
わたしの顔は急激に熱が上がる。
どっちって、どっちも味が分からなかったよ。
なんて答えればいいのか分からないから、わたしはだんまりを決め込んだ。
「朝宮さんどれ食べたい?」
結野はわたしに弁当を向けて聞いてきた。
その行動にわたしは頭に?を並べた。
「いや、いいよ結野のだろ?トマト貰ったし」
「どうせ購買や学食でしょ?お弁当食べてるの見たことないよ」
図星だけど、さ。わたしが食べたら結野の分が減っちまうじゃんか。
「はい、約束の唐揚げをどーぞー」
魚を誘き寄せるようにわたしの口元で、唐揚げをフラフラとさせる。
今度は落ちないように箸を釣り針みたいにして、唐揚げを刺していた。
そしてまんまと喰い付いたのは、わたしだ。
「どう?おいしい?」
「うん……美味い」
結野は嬉しそうに「良かった」って言ってから、卵焼きを頬張った。
美味しそうにモグモグさせる顔は、まるで小動物みたいに思える。
そんな姿見せられてしまったら、わたしの胃が食べ物を求めてしまう。
「結野……わたしも、卵、焼き……食べたい」
「……んふふー甘えん坊さんめぇ、コレがほしいのかぁ?」
「し、しょうがねぇだろ、腹減ってんだから」
箸で取り上げられた卵焼きは、またわたしの目の前で揺れる。
無意識に口を開けて、揺られる卵焼きをわたしは追ってしまう。
魚というよりパン食い競争みたいだ。
ううん、違うかも。魚もパン食い競争も自分から食べに行くけど、わたしは赤ちゃんみたいに食べさせられた。
「……しょっぱい卵焼きだ」
「うちは塩派だからねぇ。甘いのが良かった?」
「ううん。これがいい」
走って疲れたのか、この卵焼きの塩分がすごく体に染みこんでる感じがした。
結野が食べて、わたしが食べさせてもらって、結局わたしは半分、いや半分以上かもしれない。
わたしは何度も口を開けて、ご飯も恵んでもらった。
あぁ、これはあれだ。
親鳥から餌を貰う雛鳥だ。
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