帰還とデート 6

 新しい眼鏡をかけたままお店を出れば、わたしと手を繋いだフェヴァン様が上機嫌な様子で言う。


「ちょうどいい時間になったからお昼にしよう。ボートの上でご飯が食べられるお店があるんだよ」


 フェヴァン様がいうには、運河の上に浮かべた船の中で食事ができるお店が数か月前にオープンしたそうだ。

 新しい物好きの貴族の間で話題になっているそうで、数か月先まで予約で埋まっているのだが、運よく空きが出たため本日予約を滑り込ませたらしい。


 ……運良くって言うけど、空きが出たからって連絡をもらえるのはフェヴァン様だからよねえ。


 フェヴァン様が優秀でルヴェシウス侯爵家の嫡男だから、優先的に声をかけてもらえるのだ。そう考えると、お試しとは言え、すごい人とお付き合いしているものである。いや、前からわかってはいたが。


 歩いて運河まで行くと、桟橋に停泊していた船に乗り込む。

 横に長い船には二つの個室が設けられていて、わたしたちはその一つに通された。

 横長のテーブルと椅子が六つ並んでいる。一部屋の最大人数は六人のようだ。


 席に着くと、前菜からデザートまですべてのメニューがテーブルの上に並べられた。

 船の上で配膳をするのは難しいため最初から食事をすべて出しておくスタイルのようだ。

 今日のメニューの説明が終わり、飲み物が用意されると、船がゆっくりと動き出す。

 一時間かけて運河をぐるりと周遊するようだ。


「こういうのも面白いですね」


 船の窓からは日差しを反射してきらきらと輝く水面や対岸が見えた。風が吹き抜けていって気持ちがいい。ゆっくり走行しているからなのか、それとも船頭の腕がいいのか、揺れも少なかった。


「気に入ってもらえて嬉しいよ。食事も美味しいと聞くし、一時間ここでゆっくりすごそうか」

「はい」


 ノンアルコールのドリンクが入ったグラスを軽く合わせて乾杯する。

 フェヴァン様が言ったように、食事はどれも美味しかった。


「この料理はノディエラ国のものだね」

「そうなんですね。道理で味わったことがない香辛料の味がすると思いました」


 ベルクール国内は転移魔法陣があちこちに作られているため、物資を運ぶのも転移魔法で簡単に行えるが、相手が他国であればそうはいかない。

 転移魔法陣なんて便利なものが普及しているのはベルクール国くらいなもので、魔術師の数が少ない他国には、あっても一つか二つで、起動させる魔術師も限られているので貴族でもおいそれと使えないレベルである。

 ゆえに、物資は馬車や船で運ばれる。

 ベルクール国に入って来る輸入品も同様で、多くは運河を利用して王都に運び込まれていた。


 他国からの輸入品は王都、もしくは国境付近に領地を持っている貴族の元に集まり、各地に分散される。

 けれど、こういった事情から日持ちのしないものは輸入に向かず、他国から仕入れられるのは農作物の中でも日持ちするもの、もしくは食べ物以外である。


 その点香辛料は日持ちもするので輸入品としてもすぐれているのだろう。

 フェヴァン様によればノディエラ国の料理は香辛料がよく使われているそうで、このレストランの料理は、かの国の料理がうまく再現されているらしい。


「あっちで食べた料理はもう少し辛かったけど、俺にはこのくらいがちょうどいいな。辛すぎるとついつい水を飲みすぎて、水でお腹がいっぱいになるんだよね。その点、これは辛くない」

「ふふ……」


 料理を食べながらがぶがぶ水を飲んでいるフェヴァン様を想像して、わたしはちょっとおかしくなった。

 フェヴァン様が言う通り、ここで出される料理は少しピリッとするくらいで、辛いと言うほどでもない。


「フェヴァン様は辛い料理が苦手なんですね」

「苦手ってわけじゃないけど、だんだん舌が麻痺してくるというか……。唐辛子がたくさん入った料理って、どうして水を飲んでもピリピリするのが消えないんだろう。味はなくなってもピリピリする感覚だけは残るんだ」

「唐辛子がたくさん入った料理を食べる時は、水よりもミルクを飲んだ方がいいと何かで読んだことがありますよ」

「そうなのかい?」

「実際に試したことはありませんけどね」


 フェヴァン様は「もっと早く知りたかった」とがっくり肩を落としていた。留学中は辛い料理に苦労していたのだろうか。


「でも、辛い料理が苦手なのに、どうしてこのレストランを選んだんですか?」

「君に、俺が留学していた国の料理を食べてほしかったんだよ。辛いのを抜きにすれば美味しかったからね」


 それはまるで、思い出を共有したいと言っているように聞こえた。

 思わず手を止めると、フェヴァン様が不思議そうな顔になる。


「どうかした?」

「いえ、その……、フェヴァン様は、どうしてわたしに求婚してくださったのかなって思って。こうしてお試しで付き合おうなんておっしゃるし、すごく不思議で」


 責任はいらないと言ったのに、それでも食い下がる理由は何だろうか。


「理由がないと不安?」

「……そう、ですね」


 わたしは自分の容姿に自信がないし、相手は宰相家の息子だ。彼が望みさえすればわたしなんかよりずっと格上の女性と結婚できる。だというのに、わたしにこだわるのは何故だろう。

 彼の優しさに惹かれる自分がわかるからこそ、理由が明確でないと不安になる。

 フェヴァン様はわたしに興味が湧いたと以前言ったけれど、興味本位で振り回されるのは嫌だった。

 理由がわかったからと言って、ではわたしに侯爵夫人が務まるのかと言えばそうではないので、どちらにしても安心なんてできないだろう。


 でも、不安があちこちにあるのはつらかった。

 せめて何か一つの不安でも解消したい。


「俺が君を好ましいと感じたから、という理由だと納得しなさそうだね」

「それは、まあ」


 わたしに「好ましい」要素がどこにあるだろうと新たな疑問を持つだけで、安心はできない。


「じゃあ、そうだな、しいて言えば……、君が、普通の令嬢らしくないから、かな?」

「それ、褒めてます?」

「もちろん褒めてるよ」


 フェヴァン様は大きく頷いてから、骨付き肉を器用に切り分けて口に運ぶ。


「俺はこういう身分だからね、なんというか、女性に声をかけられることが多かったんだ。留学前も留学してからもね。留学前なんて、山のように縁談が届いていて、ついでに女性からの手紙もたくさん届いていた。光栄なことなのかもしれないけど俺はあんまりそれが嬉しくなくてね。しかも女性は、罠を張るのが大好きだろう?」

「罠?」

「何かと理由をつけて結婚に持ち込もうとするってことだよ。君の嫌いな責任と言う言葉が大好きな女性は世の中に五万といる」


 例えばフェヴァン様が誰かに微笑みかけるとする。するとその女性はフェヴァン様が自分に興味があると勘違いして、恋人や婚約者と別れる。そして「あなたが望んだから別れたのよ、だから責任を取って」と迫って来る――という具合に、意味のわからない手紙があちらこちらから届いていたのだそうだ。

 その最たるものが、フェヴァン様と関係があったと匂わせて留学中に強引に彼との婚約をまとめたアドリエンヌ・カントルーブ伯爵令嬢だったのだろう。


 ……お気の毒だわね。


 身分や顔がよすぎると苦労するのだろう。フェヴァン様の場合その両方を兼ね備えてしまっているから余計にだ。


「でも君は責任はいらないと言うし、他の令嬢のように罠を張ってこない。むしろ俺と関わりたくないみたいな顔をするから……、逆に興味を持ってほしくなるというか、振り向かせたくなるというか……。そんな風に思っていたら、君はどんどんいろんな顔を見せてくれるだろう? 思いのほか勇ましい一面もあるし、恋愛慣れしていなくて可愛いし、まあとにかく、気づいたら君に惚れていたんだよ」

「惚れ……」

「惚れてなかったら、お試しでもいいからなんて回りくどいことはしないよ」


 言われてみたらそうかもしれない。

 彼ほどモテる男性がわざわざ面倒を買って出る必要はないわけで……、そこまでしてくれたということは、少なくともわたしは彼に本気で思われていると、そういうことでいいのだろうか。


「ほら、そういうところ。すぐに赤くなる。可愛い」


 だから、簡単に可愛いなんて言わないでほしい。

 羞恥で顔を上げられないでいると、フェヴァン様が笑う。


「いつまででも待つよ。だからさ、俺のことを好きになってほしいな」


 出かけにお姉様は「釣り上げろ」なんて言ったけれど、これではむしろ、わたしが釣り上げられる側ではなかろうか。


 そしてその瞬間はすぐ目の前まで来ているような――そんな、予感がした。




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