血迷った求婚者 5

「おはよう、アドリーヌ。今日も可愛いね」


 フェヴァン様がカンブリーヴ伯爵家のカントリーハウスに滞在して早五日。


 いつの間にかわたしの呼び方が「アドリーヌ嬢」から「アドリーヌ」に変化していた。

 自分が作った薬で完全回復を遂げたお父様は、フェヴァン様からもらったエターナルローズで好きなだけ魔法薬研究をしている。邸の中に作っている研究室にこもりっきりで、ご飯の時くらいしか顔を見せない。


 娘を口説くと宣言した男が同じ屋根の下で暮らしているのに、父親として娘が心配ではないのだろうかとあきれるも、ああなったお父様は止まらないのだ。気がすむまで研究室にこもる。昔からよく見た光景なので、わたしも慣れたものだった。

 お母様も、「一か月で満足するかしら~、それとも最長記録の二か月半を更新するかしら~」なんて笑っている。


 ……それしても、友人が女性を口説くと聞いてぽーんとあんなにたくさんのエターナルローズをプレゼントするなんて、王太子殿下、やりすぎでしょうよ。


 あの薔薇は本当に価値のあるものなのだ。女性を口説くと言う理由でぽんぽんあげていいものではないのである。そんなことをしていたら、褒賞としてもらった人たちが激怒するだろうに。


 王太子殿下には殿下の考えがあるのだろうから、ただの伯爵令嬢であるわたしがとやかく言えた義理ではないけれど……、研究材料として消えようとしているのを知っても、王太子殿下は何も思わずにいられるのかしら?

 お父様がいくらいい薬を開発したところで、材料がエターナルローズならば市場に出回るはずもないのだ。はっきり言って、国のためには何の役にも立たない薬が出来上がるだけである。エターナルローズが使われている時点で価格は青天井なのだから、それこそ、完成させても王族のみが使用できる薬になるはずだ。


 ……お父様ったら、回復したのに社交界に顔を出さないつもりなのかしら?


 まあ、今社交界に戻ったらわたしのとんでもなく不名誉な噂を耳にするでしょうから、戻らない方がいいのかもしれないけれど。


「はあ……」

「アドリーヌ、ため息なんてついてどうしたの?」

「目の前にいる綺麗な方が、背筋が凍るようなお世辞をおっしゃるので」

「だからお世辞じゃないって言っているだろう?」


 どうして信じてくれないんだろう、とフェヴァン様が肩をすくめる。

 そもそもこの方は、わたしに不名誉な噂が立ったことに責任を感じて求婚していたはずなのに、毎日毎日可愛い可愛いと歯の浮くようなセリフを言うのは何故だろうか。

 これでは本当に口説かれているようである。


「アドリーヌ、散歩だろう? 俺も行くよ」

「……はあ」


 わたしはまたため息をついた。

 どういうわけか、わたしが外の空気を吸うために散歩に出ようとすれば必ずと言っていいほどフェヴァン様が玄関に現れる。わたしの行動が何故把握されているのだろう。いや、わかっている。絶対うちの使用人がフェヴァン様に情報を漏らしているのだ。


 ……うちの使用人たちってば、完全にフェヴァン様の味方なんだもの!


 この機会を逃せばわたしに結婚のチャンスはないと思っているようである。まあその可能性は高いのであながち間違いでもないのだけれど、そのせいで、完全にフェヴァン様押せ押せモードだ。わたしのプライバシーは完全に侵害されている。


「近くの丘まで行くだけですよ」

「わかった」

「何も面白いものはないですよ」

「君がいるよ」


 ほー?

 つまりそれは、わたしが「面白い」と、そう言っていると解釈していいでしょうか?

 一応わたしも年頃の娘なわけで、面白い、なんて評されてもちっとも嬉しくないのですが。


 フェヴァン様にとってわたしは一体何なのだろう。

 珍しいおもちゃか動物か。そんな扱いなのだろうか。よくわからないがムカムカする。


「うちの領地、たまに魔物が出るんですよ。町には結界が張ってあるから入ってこないですけど、丘のあたりには結界がないので魔物と遭遇する可能性もあるんです。それでも行くんですか?」

「そんなことを聞かされたら余計について行かないという選択肢はないよ。危ないじゃないか!」

「危なくはありませんよ。出ても弱い魔物だし、わたし一人で対処可能ですから」


 人里の近くに強い魔物が現れることはほとんどない。

 そしてわたしはお母様譲りの魔術の才能があるのだ。ちょっとやそっとの魔物には遅れは取らない。


「魔物が出るかもしれないのに、どうして丘まで行くんだ?」

「……ちょっと」

「ふぅん。まあ、ついて行けばわかるね」


 何が何でもついてくるらしい。

 わたしは諦めて、ベイルに丘まで行くと告げるとフェヴァン様と一緒に歩き出した。


 邸を出て、町とは逆の方向に向かって歩いていく。

 短い草に覆われた小高い丘を登っていけば、てっぺんには大きな楓の木が一本立っていた。

 秋も中ごろになって、生い茂っている葉が赤く染まりはじめている。


 楓以外はこれと言って何もない場所で、わたしの隣を歩くフェヴァン様が不思議そうにしている。

 しばらくしててっぺんに到着したわたしは、南を向いて大きく息を吸い込んだ。


「……なるほど」


 わたしと同じ方角を見て、フェヴァン様がふわりと微笑む。


「綺麗な場所だ」

「そうでしょう?」


 わたしたちが向いている南のずっと奥には、山と山の間に、青い水平線が見えるのだ。海である。


「この場所、好きなんです。見晴らしがいいし、遠くに見える海は青くてとても綺麗だから」


 そして、ちょっとした想い出の場所でもある。


 子供の頃……いくつの頃だったかは覚えていないけれど、まだ十にも満たない頃だ。

 だんだんと自分の顔立ちを自覚しはじめた頃でもあり、その頃のわたしは今よりもずっと卑屈だった。

 美人なお母様とお姉様を持つわたしは、自分の顔を鏡で見ては、どうしてわたしは可愛くないのだろうか思っていた。


 そんなある日、その鬱屈した感情が爆発して、号泣してしまったことがある。

 その時にお父様がここに連れてきてくれたのだ。


 ――アドリーヌは、自分の顔が嫌いと言うけど、僕にとっては可愛い可愛いお姫様だよ。


 お父様はわたしの顔が可愛いとは、決して言わなかった。

 たぶん自分に似てしまったことを心のどこかで申し訳なく思っていたのかもしれない。

 圧倒的に顔立ちが整っているお母様やお姉様を前に、いくらわたしの顔が可愛いといっても信じないだろうともわかっていたのだろう。何故なら逆立ちしても敵わない比較対象が二人、身近にいるのである。いくら自分に言い聞かせたって、毎日あの顔を見ていたら自信なんて持てない。


 だからだろうか、わたしはお父様の、その言葉がすとんと胸に響いた。

 顔が可愛いと言われたら反発しただろう。お父様にとって可愛いお姫様だと言われたから、素直に受け入れることができたのだ。


 ――アドリーヌにもいつかアドリーヌを可愛いと言ってくれる素敵な王子様が現れるよ。僕がそうだったみたいにね。まあ、僕の場合はお姫様だったけど。


 そういえば、そのあとでそんなことも言われたなと今更ながらに思い出す。


 ……わたしを可愛いという王子様なんて……あー……。


 わたしはちらりと横を見て、これは違うと慌てて首を横に振った。

 彼はわたしに責任を感じているだけで、本心からわたしを可愛いと言っているわけではないのだ。騙されてはいけない。


「風が気持ちいいね」


 楓の木の根元に座って、フェヴァン様が目を細める。

 わたしも彼と少し間を開けて腰を下ろすと、ぼんやりと遠くに見える水平線を見やった。


 しばらく無言で景色を眺めていたわたしだったけれど、フェヴァン様と腹を割って話すのなら今しかない気がしてきた。

 フェヴァン様は責任を感じてわたしに求婚してくれているけれど、わたしは責任を取ると言って求婚されるのは嫌だ。

 そのあたり、しっかりと理解してもらわないと、このままずるずるとフェヴァン様はわたしを口説き続けると思う。

 それはさすがに勘弁だし、フェヴァン様にも申し訳ない。


 わたしはフェヴァン様に迷惑をかけられたけれど、お詫びはルヴェシウス侯爵からすでにしてもらっている。これ以上、あの件に関してお詫びをしてもらう必要はないのだ。

 わたしがモテないのは今にはじまったことではないし、そもそもわたしの問題である。一つおかしな噂が立てられたからって、劇的に変化が起こるわけではない。それほど変わらないのだから、責任を感じてもらう必要なんてどこにもないのだ。


 ……それにフェヴァン様は嫡男でしょう? わたしなんかが侯爵家……しかも宰相家を切り盛りできるはずないもの。身分にふさわしい方を選んだ方がいいわ。


「フェヴァン様」


 彼の方を向いて名を呼べば、まっすぐに景色を眺めていた彼が、綺麗な水色の瞳をわたしに向けた。

 その瞳があまりに綺麗で、不覚にもどきりとしてしまう。


「うん?」


 声も甘く優しい。この方は、女性にものすごくモテるだろう。アドリエンヌ・カントルーブ伯爵令嬢が嘘をついてでも手に入れたいと思った気持ちが、不覚にもちょっとだけわかってしまった。


「ええと……。以前にも言いましたけど、わたしは、責任を取って結婚するという方が嫌いです。責任を取っていただく必要はありません。だから、あの日のことはもう気にしなくていいんですよ」

「でも君は、傷ついただろう?」

「わたしが傷つくとか傷つかないとかは、わたしの問題ですから。充分なお詫びはしていただきましたし、こんな形で責任を取られるのは嫌です。わたしは、結婚は結婚したいと思った方とします。責任と結婚はしません」


 まあ、選べるような立場でもないのだけれど、わたしだってそのくらいのプライドはあるのだ。

 フェヴァン様は軽く目を見張って、それからふわりと笑った。


「うん」


 何が「うん」なのだろう。

 理解してくれたのだろうかと首をひねると、フェヴァン様が笑顔のまま続ける。


「では、責任じゃなかったらいいんだろう?」

「おっしゃっている意味がわかりませんが……」

「君が可愛らしいってことだよ」


 またそれか、とわたしはうんざりした。

 顔をしかめると、フェヴァン様が怪訝そうな顔になる。


「前もその顔をしたけれど、アドリーヌは可愛いと言われるのが嫌いなのだろうか」

「わたしの顔を見て可愛いという人なんていませんから」

「だから、アドリーヌは可愛いよ」


 前も似たような押し問答をしたなと思い出して、わたしはこれ以上突っかかるのをやめた。言ったところで無駄だからだ。

 黙って景色に視線を戻したわたしに、フェヴァン様はしばらく黙ってから、「ねえ」と訊ねて来る。


「一つ訊いてもいい?」

「なんですか?」

「君が『責任と結婚したくない』と思うきっかけになった男は誰?」


 わたしはひゅっと息を呑んでフェヴァン様に視線を戻した。


「誰かに言われたからそう思うんだろう? 俺より先にそんなことをいう男がいたってことだよね。教えてくれないか。すごく気になる」


 何故、フェヴァン様がそんなことを気にするのか。

 教える義理なんてなかったけれど、言えばフェヴァン様はわたしを諦めてくれるかもしれない。そんな気になって、わたしはちょっとだけ昔話をすることにした。




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