血迷った求婚者 2
ふう、とりあえず嵐は去ったわ。
昨日、なんとかフェヴァン様を追い返すことに成功したわたしは、王都の南にある移動魔法陣のある建物の前にやって来た。
まとめた荷物と、お父様とお母様のお土産のお菓子。
それと……お姉様から持って行けと押し付けられた、フェヴァン様からもらったエターナルローズを持って、移動魔法陣の順番待ちをしている。
移動魔法陣は、空間属性の魔術に長けた人物でないと起動できない。これは魔道具ではなく魔法陣なので誰でも使えると言うものではないのだ。
わたしも多少の空間属性の魔術は使えるけれど、魔法陣を起動できるほどの適性はなかった。せいぜい小さなものを転移させるのがせいぜいで、人を別の地点に飛ばすことはできないのだ。
わたしの順番になったので、銀貨一枚の利用料を支払って、カンブリーヴ伯爵領まで飛ばしてもらう。
カンブリーヴ伯爵領の町にある移動魔法陣の建物に転移したわたしは、そこからカントリーハウスまで歩いて向かうことにした。馬車を使わなくても、歩いて三十分くらいでたどり着く距離なのだ。
荷物を詰めた鞄とお土産を持って、えっちらおっちらと秋の涼しい風が吹く中をカントリーハウスに向かって歩いていく。
すれ違う領民たちが「おかえりなさい」と声をかけてくれるのが嬉しかった。うちは小さな領地なので、領民たちとの距離も近い。
しばらく歩いていると、領民たちが知らせたのだろう、カンブリーヴ伯爵家からベイルがやってきた。三十歳の彼はロビンソンの息子で、カントリーハウスの家令を任せている。
「お嬢! 帰って来るなら事前に教えてくださいよ! びっくりするじゃないですか!」
ベイルはわたしが生まれた時から我が家にいるので、わたしにとっては年の離れた兄のような存在だ。そのため、来客があるとき以外は口調も気安い。
「うーん、ごめん、急に決めたから」
「はあ、奥様が何かあったのかって気をもんでいらっしゃいますよ。ほら、荷物を貸してください」
残り歩いて十分ほどの距離だったので、馬車は用意しなかったようだ。
持っていた荷物をベイルが持ってくれたので、わたしはエターナルローズだけを手に歩く。
「花よりお菓子の方が好きなお嬢が薔薇なんて洒落たものを持ってどうしたんですか?」
「ええっと、もらったのよ。……ちょっと貴重な薔薇だから、お姉様が持って帰れって言うから持って来たんだけど……」
「貴重な薔薇?」
「エターナルローズ」
「は⁉」
ベイルが鞄を取り落としかけて、慌てて持ち直した。
「なんでそんなものを⁉ もしかしてお嬢、何かすごいことをしでかしたんですか⁉ 王家に表彰されるような……」
すごいことはある意味すごいことだが、しでかしたんではなくて巻き込まれたわけで、王家に表彰されたわけでもない。
何をどう説明したらいいのかもわからず、ある人からもらったと言えば、今度は「ついにお嬢に春が⁉」とベイルがまた盛大な勘違いをした。
「ち、違うわよ!」
求婚されたけれど断ったから春が到来したわけではない。
だけど、もらった薔薇を返そうとしても受け取ってもらえなかったから、こうして持っているだけだ。
理由が何であれ貴重な薔薇には違いないので、その辺に放置できないのである。
「とりあえず、領地の邸の玄関かサロンにでも飾っておこうと思って」
「ま、まあ、エターナルローズと言えば家宝に匹敵しますからね。……こりゃあ、旦那様がひっくり返ってぽっくり逝くかも」
「ちょっと、縁起でもないことを言うのはやめてちょうだい!」
「ぽっくり逝かなくても狂喜乱舞すると思いますよ」
「……そんなに?」
「あれ、お嬢は知らないんですか? 旦那様が今開発している薬を完成させるには、どうやらエターナルローズが必要らしいですよ。手に入らないから悔しがっていました」
「そうなの⁉」
何というタイミングだ。ベイルの言う通り狂喜乱舞の末に興奮しすぎてぽっくり逝ったらどうしよう。
「で、でもさ、エターナルローズよ? 薬の材料になんてしていいの?」
「花びら一枚あればいいとか言っていたんで、大丈夫なんじゃないですか?」
「ま、まあ、花びら一枚なら……たぶん。でもエターナルローズって簡単に手に入るものじゃないのに、お父様ってば、どうしてこの花が薬の完成に必要だってわかったのかしら?」
枯れない薔薇を見つめながら首をひねると、ベイルが笑う。
「魔法薬研究所に所属していたときに、過去に一度、エターナルローズを利用した薬を作ったことがあるらしいですよ。そのときに成分分解したからわかるっておっしゃっていましたね」
「お父様、怖いもの知らずね……」
普通、もらったら家宝になると言われている薔薇を薬の実験に使ったりしない。
……これ、保管場所に気を付けないと、お父様の実験材料にされそうだわ。
玄関やサロンに置こうと思ったがやめよう。わたしの部屋に置いておいた方が安全だ。
お父様の体調を回復させる薬に必要だと言うのなら花びら一枚なら提供するが、後は大切に保管しておこう。理由はどうあれ頂いたものを、薬の実験材料にしていいはずがない。
ベイルとくだらない話をしている間に邸が見えて来た。
玄関にはお母様の姿があって、ぶんぶんと大きく手を振っている。伯爵夫人なのに豪快なことだ。お姉様の性格は完全にここからきていると思う。
「ただいま、お母様」
「お帰り~! でもどうしたの? 今年こそ結婚相手を見つけるんじゃなかったの?」
「それはお姉様が言い出したことであってわたしが言ったことじゃないわよ。疲れたから戻って来たの」
「まあ、疲れたって言っても、社交シーズンがはじまってまだ一か月しか経ってないのに……」
お母様が、お姉様によく似たエメラルド色の瞳をきらんと光らせた。
「さては、何かあったわね。白状しなさい」
鋭い。
さすがは母親というところだろうか。だけど馬鹿正直に話せば、ルヴェシウス侯爵家爆破の危機である。言えない。
「こらこら、玄関でいつまでも立ち話をするものじゃないよ。アドリーヌ、お帰り。元気だった……エターナルローズ‼」
杖を突きながら玄関までゆっくりと歩いてきたお父様が、わたしの手元を見てくわっと目を見開いた。
さすがは研究者。一目でわたしの手元にあるのがエターナルローズと気づくのがすごい。
「さすがは僕の娘だ‼ 僕が喉から手が出るほど欲しかったものを持ち帰ってくれるなんて‼ さてはパパのために帰ってきてくれたんだね、愛してるよアドリーヌ‼」
お父様はぽいっと杖を後ろに放り投げて、わたしまで突進してくると抱き着いて頬ずりをはじめた。やめてほしい。無精ひげが地味に痛い。
「お、思ったより元気そうね、お父様……」
「そうでもないんだよ、相変わらず体が痛くてねえ。でもそんな痛みは吹き飛んだよ! ああ、アドリーヌ、僕の最愛の娘‼」
最愛なのはこの場合エターナルローズじゃ、という言葉は飲み込んでおこう。
「あなた、玄関で立ち話をするものじゃないんじゃなかったの?」
お母様があきれ顔で玄関ホールに投げ捨てられて杖を取りに行った。
「おおそうだった! さ、アドリーヌ、中へお入り」
にこにことご機嫌な様子でお父様がわたしの肩に手を回す。
お母様から杖を受け取ったお父様は、もう片方の手で杖を突きながらわたしをダイニングまで連れて行った。
「あ、お父様お母様、お土産。……お菓子だからね」
お酒を期待していそうなお父様に釘を刺し、ベイルにお土産のお菓子を渡してもらう。
お父様は一瞬しょんぼりしたけれど、わたしの手元の薔薇で薬の完成が近いのがわかっているので、すぐににっこにこの笑顔に戻った。
「……お父様、花びら一枚ならあげてもいいけど、全部は上げないわよ。人からもらったものだし、全部お父様のお薬に溶けたらさすがに感じが悪いじゃない?」
「あら、そんな貴重なもの、いったい誰からもらったの?」
お母様がにこーっと笑って訊ねて来る。
わたしはうっと言葉に詰まった。全部は教えられないが何も教えなかったら、手紙を書いてお姉さんに事情を尋ねるくらいしそうだ。それなら一部だけ公表しておいた方がいい。
「その、とある男性に……」
「何⁉」
「あなた、邪魔。今いいところなんだから」
お父様が「男性」という言葉に食いつこうとしたけれど、お母様が容赦なくその顔を横に押しやった。
「その男性ってどこの誰かしら? どうしてアドリーヌに薔薇をくれたの? さあさあ、お母様に白状してごらんなさい」
「か、勘違いしているところ悪いけど、その、結婚するとかじゃないわよ」
「あら、どうして?」
「……断ったから」
「まああ」
お母様が頬に手を当てて目を丸くしている。
「そんなにダメな男だったの? でもダメ男がエターナルローズなんて手に入れられるかしら? こんな貴重なものを求婚に使うくらいだもの、相当できる男だと思うのよ。何が不満なの? 髭もじゃの熊男みたいな人だったわけ? 熊も可愛いと思うけど」
できると男かと訊かれれば、うん、微妙としか答えられない。能力値は高いのだと思うけれど、何と言っても、勘違いで別の女性に婚約破棄を宣言するようなおっちょこちょいだ。
「ええっと……」
「どこの誰?」
答えなければ自力で調べるだろうお母様には逆らえない。
「フェヴァン・ルヴェシウス様……」
「フェヴァン・ルヴェシウス? って、ルヴェシウス侯爵家か⁉」
お母様じゃなくてお父様が素っ頓狂な声を上げた。
「あらあ、思った以上の大物」
お母様も目をまん丸くしている。
わたしはこれ以上追及される前に、もう一度、今度は大きな声で繰り返した。
「ともかく、断ったから‼」
お願いだから、この話題は掘り下げないでください‼
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