星、月。それから君

カエデ渚

プロローグ

 誰かを好きになったことがあるか?と問われると、多分、無い、と答えるだろう。

 そもそも普通に生きていて、こんな質問されること自体、稀だろう。

 でも私は結構頻繁に訊かれたりする。

 多分それは、余程私が誰かを好きになるようには見えないからなのだろう。

 今この瞬間もまた、友人である保科京子に同じ質問を投げられていた。


「ねぇ、那月ってさ。誰かを好きになることあるの?」

 ちょっとモノローグとは意図が違うかもしれないな。けどまぁ、粗方の意味は同じだろう。

 それに、保科の訊き方は本気で答えを求めている訳ではなく、ある種の弾劾にも近く、揶揄いにも近く、冗談にも近い。

「……多分、ある」

「え、なに、何で自身無さげ?」

「うっさいなぁ、私だって分かんないよ。私の理想の人が現れないんだから」

「うっわー、今回告白された今田先輩でダメならどんだけ理想高いの?」

 そう、どうやら私は世間的には美人らしい。傲慢にも見えるかも知れないけど、私はそれを理解している。

 中学の辺りから立て続けにに何十回も男子から告白されれば、そりゃ私だって嫌でも理解してしまう。

「てかさ、今田先輩で体育会系の部活コンプリートじゃね?やば、那月ってマジでマンガみたい」

「他人事だと思ってアンタは……」

 好きでも無い人から告白される身になってほしい。断るのだって気疲れするし、何より面と向かって話すのすらしんどい。

「いやー京子、まだ卓球部とボウリング部が残ってるよ」

 と、今度は横の席でスマホを弄っていた私の友人その2の佐竹美奈が指摘する。

 いいよ、そんな細かい情報。というか、この学校にボウリング部なんてあるんだ。珍しいな。

「文化系は残り、パソコン部とカルタ部だっけ?」

「人の告白事情でコンプリート狙おうとするんじゃないよ!」

 なんて言いつつ、ここ数週間の告白ラッシュには流石に疲れ果てていた私は、これ以上教室に残っているとまた違う男子から声をかけられるかも知れない、と思い立ち上がる。

「卒業前の思い出作りで3年生がメチャクチャ告白して来たもんねぇ。こりゃ、明日の卒業式までにあと二、三人は来そうだね。しかし、那月は見た目だけはいいけど、中身がバカだってことがバレてないのが一番大きいよな」

「保科も佐竹も、いい加減私をイジるのやめて、とっとと遊びに行こ。打ち上げでもしようよ」

「打ち上げ?」

 と、佐竹が私の言葉に反応してスマホから視線を上げて私を見た。

「そ、一年生も今日の終業式で終わりでしょ?その打ち上げ」

「相変わらず、そういうの好きだねぇ那月は。ま、いいよ、付き合ってあげる。で、何処行く?」

 何だかんだ付き合いの良い二人は乗り気でそれぞれ鞄を手に持つ。

 そんな光景を見て、私にはまだ恋愛はいいかな、という気分にさせる。

 男と付き合うよりも、こうして気の合う友人と遊んでいる方が数倍は楽しく思えるからだ。

「そうだなぁ、ボウリングは?なんかさっきボウリング部の話が出てから妙に行きたくなっちゃった」

「えー、腕疲れるからヤダ」

 基本運動嫌いの佐竹は腕を交差して拒否のポーズ。彼女の癖なのか、高校に上がってからの友人だが、もう何回も見た。

「じゃあボルダリング」

「え?なんで?」

「似てない?ボウリングとボルダリング」

「似てねーよ。発音だけじゃん」

 と、吹き出した保科に釣られて私も笑う。

 ——ほら、やっぱり。

 友達と居る方が恋人といるより何倍も楽しいに決まってる。


 なんて、私の短い人生が編み出した究極で唯一のこの真理は、保科と佐竹と馬鹿笑いしていた数分後には打ち破られることになる。


 三人で通学鞄を背負って昇降口へと向かう途中、背の低い生徒を見かけた。制服はこの高校のものじゃない。

 キョロキョロと辺りを不安そうに伺うその様子と、何処か幼さの残る風貌。

 もしかしたら進学予定の中学生が何かの用事で訪れたのかも知れない。

 意外と世話焼きの佐竹が率先して声を掛ける。

「どうしたの?」

「えっ!?あ、あのー、こっ、今年入学予定なんですけど……、その、学校見学がてら迎えに来いってお姉ちゃんに言われて……。2年生の教室に」

 その子は、慌てて言い訳めいた言葉を喋りながら俯いていた顔を上げた。もしかしたら、不法侵入か何かを咎められていると勘違いしたのかも知れない。

 涙目になって、私達を見上げたその子を見て、私は呼吸を忘れた。

 男の子みたいな短い髪は(男子にしてみると長めだけど、敢えてそんな表現をしてみる)真っ黒というよりは少し蒼さが混じっていて、活発さを印象付ける。だというのに、彼女の弱々しい声色と不安に染められた臆病そうな表情は真逆の印象を齎していて、何処かあべこべだ。

 上背は低く、何処か華奢だけどスポーツでもしていたのか、不健康さは感じられない。

 何より、潤んだ大きな瞳と綺麗に配列された顔のパーツ達。

 愛嬌という言葉は、きっと彼女のような女性に相応しいのだろう。

 動悸が抑えられない。

 目が離せない。

 佐竹が先輩風を吹かせながら、2年の教室の場所を教えている。

 どうやら咎められていないと安堵したようで、その子は顔一杯に偽りの無い満面の笑みを綻ばせた。

 実に素直で素朴そうな声で礼を述べると、足早に階段を登っていく。

 私の横をすれ違った彼女の残り香は、クチナシの匂いがした。

 見える筈もないのに、その残り香を追うようにして彼女の去っていた階段の先に目が釘付けとなっていた。


「どしたの那月?ボーッとして」

 まるで凍りついたように動かなくなった私を心配して、保科が私の顔を覗き込んだ。

 心臓がバクバクしている。

 こんな経験は初めてだ。

 だけど、私はこの正体を知っている。


「ねぇ、二人共。私、恋、しちゃったかも」

「はぁ?」


 二人は素っ頓狂な声を上げて私を見た。

 数分前の問いに今答えよう。


 誰かを好きになったことはあるか?と、問われると、今の私はこう答える。

「私、今、好きな人が出来た」

 と。

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