好き、やねん
茜琉ぴーたん
1・大仏柄の手拭いなんかよろしおまんね
「やっとれん、もうお前なんか知るかボケェ!」
時刻は21時、まるで漫才師がラストに投げる言葉…よりはもっと強く青筋を立て捨て台詞を吐いて、彼は玄関から出て行った。
しかしそのまま廊下に留まっていたのだろう、扉が閉まりきって20秒以上経過してからペタペタと踵を踏んだ靴の音が聞こえてきた。
きっと、すぐに私が追いかけて縋ってくれるとでも思ったのか、そのアテが外れてトボトボとどこかに出掛けたに違いない。
『なんで追いかけてこない』
数十秒経って、彼からチャットメッセージが入る。
書き文字だと標準語も出てくるらしいこの男は、やはり私が追いかけて来るのを待っていたようだ。
『勝手に出て行ったのに、追いかけるわけないやん』
『もう戻らんからな』
『ご自由にどうぞ』
『腹立つ女やな』
言葉を送ればすぐに返事を書いて寄越す、構ってちゃんな行動ばかりして自分への愛情を測る男に少々イラッとする。
奴は傲慢で口は悪いが、意外にも自己評価は恐ろしく低い。
私も奴に負けず劣らずの粗暴な女だが、私を逃すと次が無いと思っているのか、なんだかんだ言いながらもう10年弱は一緒に居る。
人当たりも良いし快活だし案外モテるらしいのだが、新しい女を見つける自信は無いのだろう…あるいは面倒なだけか。
今日の喧嘩のきっかけは、本当にくだらない…と思う。
私が先週頼まれていた服のクリーニングを出し忘れ、加えて届くはずだった宅配便の指定時間に不在だったことを咎められたことが発端だった。
さっき彼が帰宅してクリーニング出し忘れが発覚、ポストに入った不在票で怒りボルテージは上限を超えていた。
ここだけ聞けば完全に私が悪い。
ただ言い訳をさせてもらうと、形状も種類も収めた場所も不明瞭な指示しか貰えず、服の特定が出来なかったのだ。
そしてその旨を伝えても数日返事が無かったので私は放置せざるを得なかった。
奴の帰宅時間にはクリーニング屋が閉まっている。
それは不運だとは思うが、仕事の合間とかにでも、どうにかやりようが有ったはずである。
そして宅配便の受け取り時間に関してもだが、指定された時間は私はまだ仕事中であった。
大体、そもそもの事を言わせてもらうと今この場所は彼の自宅で、同棲などしている訳でもないので別所帯の私にそこまで任されても困る…のが本音である。
先週の仕事終わりに
『今地方やから タンスの中の黒っぽい、グレーやったか、真ん中辺か端に掛けてあるやつをクリーニング出しといて』
とのメッセージ、今日も
『夕方に荷物が届くから俺の家で受け取ってくれ』
と送って寄越すから、時間的にもう無理だと思いながらもわざわざ電車でやって来たのだ。
鍵は錠付きのポストの中なので出入りは問題ない。
しかして奴が言う私の落ち度、出し忘れ受け取り漏れに対して反論に次ぐ反論、売り言葉に買い言葉で拗れて、彼は出ていってしまったのだ。
宅配便は事業所止めにできたようだし、クリーニングに出す予定だった服はそれ程汚れてもないらしい。
そして奴がそこまで怒ったのは、それらが明日どうしても必要だからという理由からだった。
何をするのかどこへ行くのかも聞かされないまま、休めと言うからわざわざ私も平日に有給を取らされたが、こんな諍いが起こった後では明日は楽しい日にはならないだろう。
どこかへお出掛けする予定なのだろうが、ひどく憂鬱である。
『もう帰るからね』
10分は待ったしもう良いだろう、一応帰る旨を伝えておいてやる。
私がここの留守番をしてやる義理など無いし、早く自宅へ帰ってご飯を食べたいのだ。
『まて』
予想通り、すぐに返信が届いた。
『寒いから、早めに戻りなね』
『かわいげのないおんなや』
急いで引き返して来ているのか、奴はもう変換もしなくなった。
2分ほどするとパタパタとスニーカーの底がコンクリートを叩く音がして、彼が苦々しい顔で帰宅した。
「おかえり」
「…お…居ったか…」
どこから走ったのかゼェゼェと荒く息を吐き、顔に貼りついた前髪を手で剥がしながら居間へ上がってくる。
「お、おまえ…、ウソはアカンぞ…、」
コタツで
私とて終電までには自宅へ帰りたいが、明日の行き先くらいは聞いておかなければ準備もできない。
何もかも振り回されて、本当に癪である。
「ねぇ、クリーニングと宅配便、私が100パーセント悪いってまだ思ってる?」
「あ?あぁ…いや、俺も…3割は俺やな」
「ハァ?」
「6割ワシや!すまんかった、」
やっと彼が折れた。
完全には承服し難いが、向こうの割合が多いならそれで良い。
「ふん…もうそれでええわ…んで?明日の出発時間とか、行き先教えてよ」
「あ?あー…朝は…宅配便受け取ってからやから、10時までには電車乗らないかん」
「何線何駅?」
「大和路線ならどこでも…奈良方面上りな。一時間くらいかかんで、せやろ?そっからタクシーな、」
はて何故だろう駅や乗り換えの情景がありありと脳裏に浮かぶ…私はその電車の行き着く先を知っている。
「………は…?…いや、もしかして、うち…実家に来る気⁉︎」
「おう。もう連絡してるしな、お義父さんは夕方から町内会の寄り合いらしいから、それまでには行って帰んで」
「はぁ⁉︎いつ連絡取ってん…」
「半月前か。お義母さんも水曜はパート休みやし、明日にしようて。こらスーツのひとつも着て行かなアカンやろ?筋は通さな…しやのにお前、クリーニングも出さんと…」
「それは私の過失ちゃう!てか何?何があんのよ⁉︎うちの実家で…」
「うぃ、とぼけんなて…」
彼はニヤニヤと、いつもより多めに歯を見せて続ける。
「そらお前…娘さんを下さいのヤツやがな」
「……………はあぁ⁉︎いつの間にそんな話になってんの!」
「うぃ、照れんでもええがな…」
「いや、ちゃう、アンタ、うちと結婚する気か⁉︎」
「そう言うてるやん」
「言うてへん、プロポーズもされてへん!」
「あぁ?言うたら断るやろ」
「断らへんよ、いや…わからんけど…」
「ほれみろ。周りから固めたったわ。逃げられへんぞ、お前、俺が貰うたるからな、……おぃ、返事わい?」
「……納得でけへん…」
「はぁ?…まぁゴネても連れて行くしな。あ、お前もそれなりの服着ろや?俺が恥かくねんからな」
「…誰が言うてんねん…」
・
その後駅まで送ってもらいながら話を聞くと、うちの両親とは長らく年賀状のやり取りをしていて、厚かましくチャットグループも作っているらしい。
そして、私を貰う…つまり結婚の報告をしに行くのもそこだけで決めてしまったらしい。
「…アンタさぁ、うちでええの?その…わりとモテるやん、ヨリドリミドリやろ?」
「しやな。女房と畳は、やな…」
「冒険したないからって妥協で選んだらアカンよ…」
「…やかましなぁ、お前は…そのモテる俺の嫁になれ、言うてんねん。嬉しいやろ」
「どこで自信出してんねん…」
「ハァー、わからんやっちゃなあ、もう…そこ入ってワシの本気教えたろか?」
「…アンタ、ラブホの入り方知ってんのか?家でしかしたことあれへんくせに」
「……カウンターでババアが鍵くれんねやろ?」
「いつの時代の話してんねん…」
・
結局私は電車で自宅へ帰り、クローゼットからキレイ目なワンピースを選んで壁に吊るし、手入れをした。
「ふん…」
さっき別れ際に彼は本気のトーンでもう一度、
「ええか、お前は俺が貰うたるからな」
と念を押した。
「もらってやる」?
なぜ私が恩を感じねばならないような言い方をするのか、少し腹が立つ。
しかしその言葉を噛みしめながら支度をして布団へ入り、ふふっと何度も吹き出しては、明日のシミュレーション途中で寝落ちしてしまった。
翌日、私は黒スーツの彼と、宅配便の事業所で受け取った荷物を持って電車に乗った。
一時間弱電車に揺られ、寺社の様な駅舎をバックに写真を撮り、更にタクシーで15分ほど走る。
彼はそわそわと、しかし穏やかな表情で窓の外の景色を楽しんでいるようだった。
「なぁ、庭に鹿とか入ってくんの?」
「…んなわけないやん。公園の周辺にしかおれへんよ」
「ふーん…でも鹿せんべいは常時携帯してんねやろ?」
「アンタ、私のカバンからせんべい出てくんの見たことあんのか……てか、それ、中身何なん?」
「あぁ、これ?お前んちへの手土産やん。買いに行く暇無かったからな、取り寄せてんで…」
自宅近くで受け取った宅配便の荷物、外箱を外すとラッピングされたA4サイズほどの箱が出てきた。
はて饅頭か洋菓子か、「周到やんか」と褒めたのも束の間、
「三徳包丁。うちとこ堺の名産やで」
と聞かされて彼と箱を二度見してしまう。
「え……あほなん?祝い事の手土産に刃物持ってくる馬鹿がどこにおんねん…」
「え?アカンかった?よぉ切れんで?堺の名工の技が」
「饅頭とかでええやんか…縁起もんやろ、こんなん…大丈夫やろか…?…あ、ネクタイ曲がってる…もう…」
「おっ、嫁はんっぽいね、いいね」
「しっかりしぃや、アンタ…」
準備してはくれたがどこかズレている。
まぁうちの両親もそこまで験担ぎをするタイプではないと思うが…持ち込んだ縁を自分から切りに行くスタイルに親は面食らわないだろうか。
・
さてさて私の心配は思い過ごしというか杞憂、実家に着いた頃には奴はすっかりリラックスしていて、連絡し合うだけあって両親とも打ち解けていた。
飲めや歌えやの大宴会、悔しいほどに彼は好青年だった。
ちなみに、持参した三徳包丁はうちの母に大層喜ばれた。
正直、私としては彼がこんなに上手く立ち回るのは想定外だった。
この次は私が彼の実家へご挨拶に行かねばならない、考え出すと胃が痛くなる。
さて手土産は何にするか、そこから彼と相談して決めようか。
「次はお前が緊張する番やで」
帰りの電車の中で彼はそう言って悪戯っぽく笑い、丸まった私の背中を強く抱いた。
彼の乱れた髪の隙間に夕陽が透けて、「ん?」と私に聞き直すその表情は優しく、惚れ直してしまうほどに男前で。
「なんや、見惚れてんのか?」
ニタァと笑う男の顔には、かつてなく自信が滲んでいた。
おわり
次の更新予定
好き、やねん 茜琉ぴーたん @akane_seiyaku
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