第12話「君にビンタキス」



 その日の5時間目の15分前


「なあ、堀田。美咲が最近元気ないんだよ。」


 藤井が休み時間の前、前に座る堀田にそう言ってきた。そういや、あんなにうるさかった美咲がついてこない。いろいろありすぎて忘れていた。


「多分他に好きなやつができたんだろ。」


「なんか、ストーカーにあってるとか言っててさ。」


「ストーカー?」


「ああ、最近おとなしかったのはそのストーカーからのプレゼントを堀田のだと思ってたがどうやら違ったらしい。」


「ふーん…。」


 堀田がそう関心のなさそうに返事する。 


「そんな深刻なのか?」


「さあ。美咲の友達から聞いてる。今家でひきこもってるとかなんとか。家にいってあげようかな。」


「行ってやれよ。」


 と、他人事のように堀田は藤井に答える。


 堀田の関心はもはや美咲にはない。今はもう、いつも教室の端っこで目立たないようにし、慎ましくしている〝陰キャ〟認定されている2人なのだ。





「あ、君野!」


 5時間目まで残り5分、君野が一人でうなだれながら廊下をふらふらと歩いている。教室に戻ろうとしていた堀田だが、一階廊下近くの階段付近でたまたまみたその姿を追いかけ、ゾンビのようにうなだれた後ろ姿に思わずその右手を掴んだ。



「君野!どうした?調子悪いのか?」


「…あ。」


 堀田の声で顔を上げる。死んだ目に途端に光が入り顔を上げた。


「あれ…。僕なにしてたんだっけ。」


「大丈夫か?健忘症の症状か?」


「なんか、頭がボーッとしちゃって。」


 と、そのまま堀田の胸に全体重を押し付け倒れた。


「うお!?ちょっ!」


 堀田がそのまま後ろ向きに何歩か歩いた。一階階段の下のデッドスペースにある、後ろの掃除用具に背中からぶつかった。


 いくら華奢な君野でも、突然40キロ以上の重みがのしかかると歯が立たない。だが物悲しげに置かれた掃除用具入れが守ってくれた。


 君野の頭頂部が堀田の目の前に広がる。この出来事にドキドキよりも、いつもの過保護な気持ちが勝つ。


 崩れる君野を体制を立て直し、いじめから守ったパワーで支える。掃除用具入れの奥には、使用されていない椅子と机がいくつか片付けられておいてある。


 堀田はその机に不安定なぬいぐるみをおくように君野を慎重に壁にかけるように座らせた。


 そしてさりげなく君野のおでこに手を当てて熱がないか自分の額の温度を確かめる。


「熱はないな。」


 その手や手首を触り、体温や脈を確かめているが医療従事者のような手慣れ感がある。


「痛っ…。」


 君野の指の水かき部分の骨を触った時、きゅっと目を瞑ってそう答えた。


「少し腫れてないか?」


「わかんないけど両手の小指あたりから手首付近まで痛くて。まるでなにかに思いっきりぶつけたみたいな痛さがあるんだ。痛み的に中からじゃなくて、外からなのかな…。」


「そうなのか。いつから?」


「朝起きたときから。」


「うーん。保健室いくか?」


「大丈夫だよ。それより…」


 と、君野はそう手元に視線をおとす。自分の左手に何かを持っていた。


「…なにこれ。」 


 君野はそれを眼前に持ってきて首を傾げる。


「このニオイ…トイレの芳香剤じゃないか?」


「なんでだろう…覚えてない。持ってきた場所も持っていこうと思った理由も…。」


 君のはうつろげな表情で、吐くように質問に答える。


「どうした?なんか今日、健忘症ひどいな。さっきもトイレに入った時方向を迷ってたし…。なにか辛いことでもあったか?」


「…朝、怖い夢をみたくらいかな。」


「そうか…それが原因?なのか…?」


 堀田もそう首を傾げる。


 キーンコーンカーンコーン…


 授業開始のチャイムが鳴る。君野はその音を聞くと、少しだけ慌てて体を起こそうとした。


「あ、堀田くん、間に合わなくなるから先に行って。」


「今そこの自販機で水買ってくる。」


「僕のせいで遅延になっちゃうよ。」


「なってもいい。置いてけるわけないだろ。」


 と言って、すぐ近くの自販機に寄って500ミリリットルのペットボトルの水を電車のICカードで買う。


「ほら。水飲んで落ち着けよ。」


 キャップを取り、君野まで口元まで持っていく


「ごめんね…。」


 そう言って君野は堀田が傾けるペットボトルに口をつけた。


「気にすんなって。暑いからへばったのかもな。」


 授業は刻々と進んでいる。しかし堀田にはそんなこと、どうでもいい。


 水を飲んで落ち着いた君野。芳香剤の主成分の説明をまじまじとみて学べるほどは回復したようだ。

そんな君野に、腕を組んで白いざらざらした階段の壁にもたれかかりる堀田は焦点が合わないほど考え込んでいる。


「あのさ、君野は桜谷のどんなところが好きなんだ?」


 と、突然顔をあげ君野に尋ねた。


「うんと、可愛くて優しくて、融通がきいて献身的なところ。」


「そうか。暴力とかうけてないか?」


「受けてないよ。そんな人じゃないと思う」


「…。」


 堀田はその言葉に眉間にシワを寄せて口をムッと閉じる。桜谷からあんな酷いビンタされていたのをみていたのに、それは幻だったのか?


「事故前、桜谷とはどんな関係だったか覚えてるか?」


「なんにも覚えてない。いつの間にか僕の彼女だった。」


「そうか…。お前はあいつといて幸せか?」


「うん!幸せだよ。僕にとっては女神様みたい。」


「女神ね…。」


 と、堀田はため息を付く。君野がこんな満面の笑みを浮かべてしまったら何も言いようがないのだ。

堀田は机に座る君野の目の前にたち、机のかどに手を置いてぐっと近づいた。


「なら、俺とどっちが大事?」


「え?そんなの比べられないよ。どっちも大事。」


「…桜谷とは恋人としては付き合わないほうがいいと思うんだ。」


「え?なんで?」


「友達ならいいんだ。でも男女の仲になるとロクなことがない。これは別に悪口とか嫉妬じゃない。事実を伝えるがお前はあいつに先々週の金曜日に桜谷に階段の踊り場で殴られてたんだ。健忘症で覚えてないかも知れないけど、あいつはお前を支配したいがあまりに暴力を振るってるんだよ!」


 と、君野の肩をガシッとつかむ。君野もその言葉に信じられないと瞳が揺れる。ごくっと唾を飲み、唇を噛んで動揺を隠せない。


「…本当に?でも、そんな子には見えないけど…。」


「健忘症で忘れてるだけだ。いいところしか見えないのはそのせい。俺は、もうそんな殴られてる所みたくない。お兄ちゃんとしてな。」


「…。」


 お兄ちゃんと言われた君野は悲しげな顔から、時間をおいて考える顔になる。特別な関係性は、堀田の言葉を信じる力となる。


「本当にあの桜谷さんが?でも、お兄ちゃんがいうなら…ありがとう。僕のためを思って言ってくれて。」


「わかってくれたか?俺の言葉を信じたんだな…。」


 と、堀田は君野を抱きしめる。


 しかし


「何してるの?」


 その声に堀田と君野2人が振り返る。


「桜谷!」


彼女が真後ろにいた。

どうやら戻ってこない堀田と君野をクラスの代表して探しに来たらしい。腕を組み、体重を片脚にかける立ち方で人を見下すような目で堀田を睨む。


「ふん。こんな出し抜き方するなんて堀田くんらしくないわね。」


「君野の健忘症がひどくて手当してただけだ。」


「本当?さっき君野くんに「私と付き合うな」なんて言ってたけど。〝洗脳〟してたの?」


「俺はあくまで事実を言ってたんだよ!お前とは違う。」


「喧嘩しないで…。」


 君野はそう泣きそうな顔で言う。

 そんな机に座る君野に、桜谷はキッと目を細め、

おもむろにつかつかと歩いて近づく。



 そして


 バシッ!!!


 桜谷は君野の頬に振りかぶってビンタしたのだ。


「な!?」


 堀田が声を出して驚く。その次の瞬間、桜谷は君野の口にキスをしたのだ。


「んん!!」


 さすがの君野もその行為にジタバタとする。

堀田がの行為に君野から桜谷を羽交締めにして剥がした。


「なにしてんだよ!!お前!!」


 堀田の怒号が階段や廊下に響き渡る。


「ふふ、あはははははは!!」


 桜谷はそれに、世界の終末が訪れたかのようにケタケタと笑う。その狂気に叩かれた左頬を抑える君野も怒りでおかしくなった堀田も自分たちの抱いた感情を忘れる。


「あはは、はは…あはははは!!おかしいわよねこんなの…!私、狂っちゃいそう…!あははは!」


 何がそんなおかしいのか…。


「ねえ、堀田くん。私が本当は君野くんを好きじゃないって言ったらどうする?」


「は?何言ってんだお前。」


「私が彼の健忘症を操るためだけに好きと見せかけて楽しんでるだけって言ったらどうする?」


「え、そうなの!?」


 君野も思わず机から立ち上がるほど反応する。


「さっきからお前何を言ってんだ!いいから黙れ!」


 堀田が桜谷の前に立ちはだかる。桜谷の冷たい目は背の高い堀田の威圧にすら負けない。


「でも君野くんはそれでも私が大好き。彼を信用しないほうがいいわ。明日、打ちひしがれるのはあなたよ。だから、今のうちに手を引きなさい。これが最終警告よ。」


「妄想話をつらつらと恥ずかしくないのかよ!いいからもう俺たちの前から消えてくれ!君野をこれ以上傷つけるのは許さない!」


 


「なにをしてるんだ!?」


 睨み合う二人の声を聞いた近くの1階の3年生の先生がこっちに寄ってくる。


「すみません。君野くんを保護しました。」


 桜谷はパッと態度を変える。いつもの地味なメガネ少女がそう上品に対応した。


「大声をあげて何してたんだ?」


「君野くんが健忘症で辛くて泣いていたので、私が元気を与えたくて大きな声を出して励ましてあげていたんです。」


「ああ、健忘症の子か。」


と、不気味なほどスラスラと出る嘘に堀田も口を挟めない。泣いている君野に、ベテランで筋肉質の男の先生がそう納得したようだ。


 そうして、3人は無事に1年2組の教室に戻ることができた。勿論、先生も堀田と桜谷にお咎めをする様子はない。


 それぞれが席に戻り、黒板に再び集中する。


 しかし君野は元気がない。ビンタとあの桜谷の狂気が忘れられないからだ。

 俺だって忘れられない。しかし、なぜ桜谷はあんな大胆な行動を取ろうと思ったのかも理解できない。しかし、これで君野は桜谷が彼女だなんて言わないだろう。可哀想だったが、今後の展開を思うと平和の第一歩だったのかもしれない。


 その後授業が終わっても、その日、君野と桜谷は気まずい雰囲気だった。堀田はその光景に、それ以上何も言わなかった。このまま桜谷がフェードアウトしてくれれば、それで満足。


 その後掃除、帰りの会が終わると、桜谷はそそくさと一人で帰っていく。


 放課後、残された堀田と君野。君野はとても眠そうだ。


「頭いっぱい使っちゃったから…疲れちゃった…。」


「図書室に行くか。ここにいると先生に怒られる。」


 部活のしていない生徒が教室にいつまでも残っているのは禁止だ。

ふらふらの君野を連れて堀田は図書室へ移動した。


 図書室につく頃には、堀田は君野を抱えるようにして図書室の椅子に座らせた。今日は人が少ないのか、みんな奥の席を好んでいるのか、前の席は人の姿がない。


 君野はそのまま机に突っ伏してしまう。堀田はその席の隣りに座って寝ている君野を覗くように机に手を組んでじっと彼だけを愛おしそうに見ている。


「疲れたか?」


「うん…。疲れた…。」


「ここで心おぎなく寝てから帰ろうな。俺、お前の母ちゃんと前あった時に電話番号渡されてさ。5時にパート終わるんだよな確か。迎えに来てもらおうな。」


 スマホ禁止の学校だ。職員室まで電話をしにいかなければいけない。堀田は電車帰り。最悪先生に頼めばここにいる筋合いもないが、今日の最悪な出来事を知っているため謎の団結を感じている。


「なんなんだろうな。あいつ…。」


 言っていいものか、と思ったが堀田はつい力をぬいて言ってしまった。


「僕は騙されていたのかな…。遊ばれていたのかな…」



「こんな事言いたくないけど…〝新しい道〟を選んだのかもな。好きな人でもできたとか…。」


「ビンタは…?」


「…過去のものがちっぽけに思えたとか?…悪い言葉を選ぶべきだった。」


 堀田がそう、なんとか君野を傷つけないように伝えようとする。


「ぐす…。」


「お前には俺がいる。」


「うん…。」


 君野がふと顔を上げる。鼻水が溢れたようだ。

 それをみた堀田がバッグからポケットティッシュを取り出し君野の鼻にあてがった。


「ちーんしろ。」


 というと、君野はその言葉に鼻を思いっきりかんだ。相変わらず手慣れている。

ゴミをまとめた堀田はそれを捨てに向かう。


「切り替えていこうぜ。な。」


「うん。お兄ちゃん。」


 そう君野の頭に優しく手をのせ、君野が涙ぐみならうんうんと頷いた。


 堀田はなんだかずっと追いかけてたラスボスを勇者になって倒した気持ちになっていた。

 その後静かに眠り始める君野の髪を撫でる。まるで悪魔からようやく助けられて安心したプリンセスを救出したかのような達成感を感じていた。


 大丈夫。俺が今後もお前を守っていく。


 と、強く誓った。



 翌日


バサッ


 堀田は教室に入るなり、いつもの白いエナメルバッグを床に落としていた。


「なんで…!」


 目の前には君野と桜谷がまた仲睦まじく隣の席同士仲良く話していたのである。


 俺が騙されていたのか…?と、君野のあっけない裏切りに思わず膝がガクッと下がりその場に崩れる。


「堀田くん!?」


 クラスの女子がその光景に驚いた。


 ざわッとした1年2組。君野と桜谷もまた崩れる堀田へ視線を送っていた。


 続く。


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