転生先が古代エジプトなんて聞いてない

るふな

1toz:砂漠

砂…砂…砂…四方八方何処を見渡しても一面砂漠の中、疲弊して小刻みに震え始めた足を引き摺る。


追手を巻く為に急いで飛び出したので、水も食糧もない。


渇き切った喉元からは、もはや罵声の一つも搾り出すことは叶わない。


あたしが独り砂漠のど真ん中を逃避行している状況を整理する為に何度も思考した。


奇天烈な出来事の連続にツッコミが追いつかない。


事の始まりは休日のお散歩だった。


有給を消化し、少し足を伸ばして有名店のスイーツを手に入れた頗る上機嫌なあたしは、普段訪れない公園で戦利品を食する機会を伺っていた。


木漏れ日が降り注ぐお洒落なベンチを見つけた直後、足元にガツンと三輪車が特攻してきた。


ごめんなさいという子供の声と被って、頭の中に(あ…やべっ!)と聞き覚えのない声が響く。


足の痛みに蹲り、急な眩暈に少しよろける。


少しして右手に握っていた心地よい重みが消失していることに気がついた。


2度見しても3度見しても、手元にあったスイーツがない。


近くの地面を見渡しても、乾いた地面以外何もない。


よもやこの平和なご時世でスイーツの強奪に遭ったというのか。


バイカル湖よりも深く暗い溜息を漏らし、立ち上がって見渡すと驚きの光景が広がっていた。


さっきまであった公園の遊具がなくなっている…それどころか近代文明の面影すらすっかり消失してしまっている。


やけに身体が重い…視線を足元に送ると、いつの間にかボロ布が体に巻き付いている。


剥ぎ取ろうとして気がついた。ボロ布に身を包んでいたのだ。


さっきまでの服は?!お気に入りの夏服!


「えっ…」


聞き慣れない声が自分から発せられた。


「あー…」


響いた声にさらに驚嘆した。まるで獣の鳴き声のような重低音ではないか。


暫くして全てを悟った。


「オッサンになってる…」


股間の不自然な重みには眼も当てられない。


そしてここは何処なのだ!?


それから先はパニックで、あまりの衝撃的な出来事にあまり覚えていない。


突然、寸胴のオッサンが現れてあたしは人気のあるところに連れて行かれると、強制労働が始まったのだ。


重い石材や木材を運ぶ毎日で、食事は僅かな水とパン。


あたしが何を訴えても鞭を振るばかりで聞く耳を持たない。


そんな生活が17日続いた夜、ついに私は逃げ出したのだ。


少しずつ残して貯めていたパンすら忘れて飛び出し、今に至る。


もう何時間も歩いているのに、街はおろか人影すらない。


力尽きて倒れ込むと砂の直ぐ下に岩があったようで、強めに顔を打った。


「痛…」


少し掘ってみると岩の隙間から洞窟のように奥に入れそうだったので、中に入ってみた。


神殿…というより小さな祠のような感じだ。


暗くてよく見えないけれど、奥にのっぺりした像のようなものがある。


この際だ、最後に盛大に神とやらにクレームを入れてからこの世を去ろう。


「くぉらぁああ!こんのバカ神がぁあ!転生させるなら中世のヨーロッパの貴族王族と相場が決まっているだろうが!なんであたしだけ古代の砂漠?!しかも奴隷っ!そして男!普通は美少女令嬢のチート持ちウハウハだろうが!魔法でも使えるのかと思えば何も無いし、天の声すら聞こえない!お決まりの“鑑定”でもしましょうか?!カンテイ…バカガミ…ムノー。ふじゃけぇるにゃぁあ!」


大型汽船の汽笛のような太い声が狭い祠に虚しく反響した。


最期の力を搾り尽くし悪態をついたあたしはその場に力尽きた。


暫く疲れと空腹で眩暈に襲われていたけれど、不思議と徐々に感覚が薄れていき、遠くから声がした。


「いやぁ〜探したよぉ〜こんなところにいたのか」


甲高い声が癪に触る。


そのうち目を瞑っていても眩しさを感じるほどの光が当たりを包んだ。


「誰…」


「君を探していたんだよぉ〜、ゴメンねぇ〜変なことに巻き込んじゃって」


詰まるところこいつの仕業というわけか?


目を開けると神々しく輝く後光の手前に、白い布を被った奇妙な生命体が立っていた。


目だけ出してこちらを見ているのが無性に腹立たしく感じた。


「どういうことか説明してもらえますか?」


「そうだよね〜気になるよねぇ〜、実はオシリスちゃんがやらかしちゃって、もうこっちはてんやわんやなのよ」


オシリスという名には聞き覚えがあるし、この頭から布を被った変質者にも見覚えがある。


昔、大学の図書館で気晴らしに見たエジプトの壁画にそっくりだ。


「たしか…メジェド…?」


「おぉ〜君、私を知っているの?だったら話が早そうだね!一緒に世界を救おう!」


「いやいや話飛び過ぎだし、状況の説明省きすぎでしょう。まず責任者を呼んで謝罪させなさいよ」


メジェドはエジプト神話に登場する謎の神として知られている。


確かにこの状況はタイムスリップもしくは異世界転生としか説明がつかないほど“現実”だということはこの17日間で痛感した。


神隠しにあったとしか説明がつかなかったのだ。


「でね〜、アヌビスちゃんがさぁ〜」


メジェドの話は適当で論点が飛び飛びであったが、要約すると、この世に罪人が溢れ返り、死者の行末を決定する神々が労働過多になっていた。


真実の天秤にかけられた罪人の心臓を喰らうアメミトが、心臓の食べ過ぎで腹を下し、最期の審判の監督やミイラ作りをしているアヌビスが過労で倒れたらしい。


それを憂いた冥界の王であるオシリスが、“輪廻の輪”なるものを作り、死者を簡易的に適切な来世に転送するシステムを作ったそうだ。


どうやらそれが暴発して、あたしはここに飛ばされたらしい。


「トートちゃん曰く、輪廻の輪は君の世界ではトラック?との相性がいいみたいだけど、オシリスちゃんが“クモの糸”にくっつけて振り回しながら転生させまくってたら、次元に穴が空いて君がいた1番近くの輪に繋がっちゃったみたい。それに影響されてこっちに飛ばされちゃったってわけ」


全くもってとんだご迷惑だ。転生トラックに突っ込まれていたら状況を飲み込むのはもっと早かっただろうに、よもや三輪車で転生させられるとは。


「相性があまり良く無い輪でやると変な影響が出ちゃうみたいだね」


「で、あなたはなんでここに来たの?」


「ふふん、私は最期の審判のお手伝いをしているのさ。アメミトちゃんが裁いた罪人の魂がちゃんと消滅したか、イアルの野に行った人々が罪を犯していないか、常に眼を光らせているのさ。不正や不本意な転生があった場合は、私が調査に行くのです」


「だったら早く元の世界と元の姿に戻してちょうだい」


メジェドは上を向き、十分過ぎるタメを作ってこちらを見た。


「いやぁ〜それがオシリスちゃんじゃないと、ちょっとね…オシリスちゃんでもちょっと…」


「待って、戻れないの?ずっとオッサンのままなの?!」


「いや君もうオッサンじゃないよ。足元見て」


下に眼をやると痩せてはいるが、ガタイの良い長身のオッサンが倒れていた。


ソース顔を通り越してイカ墨バリに濃ゆい顔立ちが、絵も言われぬ悲しげな面持ちで動かない。


「もしかしてあたし、また死んだの!?」


「そう、だから見つけられたんだけど、取り敢えずトートちゃんのところに行こうか!ね!」


「オシリスじゃなくて?」


「オシリスちゃんは後!先にトートちゃんに記録をとってもらわないと」


トートの名は知っている。確か鳥の頭を持った叡智の神だったはずだ。


「わかった。取り敢えずもう少し状況を説明してもらいましょうか」


メジェドよりはマシな説明が期待できそうだ。


「うぃ、それじゃあ…」


メジェドはあたしの手を掴んで、石像に手を触れた。


これはメジェドの石像だったのか。と合点がいって間も無く、我々は光に包まれる。


眼をあけると物々しい神殿ととても大きな門、その先に延々と続く長蛇の列が見えた。


「うわぁ〜…これ並ぶの?」


「ふふん、君は審判にかけられる必要が無いから、裏口から入っちゃおう」


メジェドに連れられて裏の小さな門からするりと神殿の中に入ると、大きな宙に浮く紙に…パピルスだろうか?爆速で何かを殴り書いている鳥がいた。


よく見ると被り物の様で、朱鷺の様な長い嘴が時折パピルスを貫きそうになっている。


「お〜いトートちゃん、例の娘連れてきたよ〜」


切迫した様子の鳥は全く手を止める様子もなく、視線をパピルスに落としたまま書き続けている。


「遅かったですね」


メジェドはあたしの件をトートに丸投げし、トートの後ろに控えていた女性と何やらキャピキャピし始めた。


「あ、はい。アミカと申します。よろしくお願いします」


それまで残像が見えるほどの速記を披露していたトートの手が急停止し、長い嘴がこちらに向いた。


「ほう…」


トートは被り物の頭を少し掻いて、メジェドの方に向き直る。


「メジェドさん、あなたもしかして事前申告なしに加護を与えました?」


「え、うん。でも命名はメジェドだよ?」


トートは呆れた様子で宙に浮くパピルスとペンを増やして、それぞれ自動で筆記させ始めた。


「全くあなたは…ただでさえイレギュラーの対応で忙しいというのに…」


「ちょっとどういうことか説明してもらえませんか?」


「失礼、今は説明している時間は…」


「トートちゃんも加護あげちゃえば早いじゃん」


徐にメジェドが割って入ると、トートは暫く俯き、あたしの方に手を翳した。


「いいでしょう。前例はありませんが、実験的な意味と謝罪を兼ねて、私の加護を授けましょう」


今実験と言ったか?


トートは何やら呪文を唱えると、眩い光を放ちあたしを包んだ。


「何をしたんです?」


「レン、つまり私の名を与えました。そもそもあなたはカーとバーが安定して別世界で結合している珍しい存在であることに加えて、前世のレンまで持っている。そして加護によってメジェドと私のレンが加わった非常に稀な…いえ、言葉で説明するよりも早い方法があります」


絵でも見せてくれるのだろうか?あたしの脳内CPUは完全にフリーズしていた。


「私の加護があるので、あなたはアカシックレコードにアクセスできます。精神を集中させてください」


言っていることが全く理解できない。それを察したトートは再びあたしの方に手を差し出した。


「さあ、眼を閉じて」


言われた通りにすると暗い瞼の向こう側に満点の星空が現れ、頭の中に滝の様に情報が流れ込んできた。


世界の真理、過去、現在、未来が走馬灯の様に流れていく。


星の海が消えてもあたしは暫く開いた口が塞がらなかった。


とんでもないことになってしまった。


「今抱えている問題は“診て”頂いた通りです。アポピスの化身が多次元領域まで侵攻しています。現在、人間界は格好の的となっており、マヤやインダスにも戦禍が広がっています」


「そこで君が一役買ってくれないかな〜って話」


メジェドが唐突に話に割り込んできた。


そんな事よりも、アカシックレコードなるものの影響で、先ほどメジェドと仲良さそうに話していたのが、エムホテプという名前のトートの加護持ちの男の娘であることを知ってから話が頭に入ってこない。


合法的に女性の乳を揉むために女装し、偶然痼を見つけ今では彼によって定期的に大規模な癌検診が行われているなど、街の女性たちが知ったらそれこそアポピスが霞むカオスだ。


「事情は分かりましたけど、あたしには闘いとか無理なので、普通に元の世界に帰してください」


無茶を言っているのはアカシックレコードなる叡智を垣間見たので薄々解っていた。


しかし事故とはいえ突然別世界に送られていきなり闘えなんて、あまりに頓狂な話だ。


何より楽しみにしていたスイーツが台無しになったのが堪え難い。


「残念ですが…」


トートはあたしが知ってて敢えて聞いていることを分かっていただろうに、優しく諭す様に丁寧な語調で説明した。


輪廻の輪は、対象を最適な来世に送る。


人の魂はゲームのステージの様に、生を受けた世である一定の条件を満たすまで、次の段階に進むことができないのだ。


あたしの今世の宿命は“救済”を齎すことであり、条件未達成のあたしが輪廻の輪を再び使用したところで、転生先はまたこの砂漠になるというわけだ。


前世の条件である“隷属”を不本意ながらブラック企業で達成してしまったあたしが、再び同じ条件の同じ状況の世界に戻ることは、神の力を持ってしても不可能に近い。


一度奴隷に転生したのは、相性の悪い車輪で転生した為、前世の名残りに強く影響されてしまったのだろう。


「どちらにしろアミカちゃんは後戻りできないというわけなのです」


解っていることを改めてメジェドに言われると非常に腹立たしい。


もういい、過酷な労働環境から脱却し、煩わしい人間関係からも解放されたのだ。


だがしかし、スイーツの件だけは看過出来ない!


当面の目標は、味わうことの出来なかった絶品スイーツを、あの見た目だけで何とか再現して溢れる甘味欲求を満たし、まず自分自身を“救済”することにした。


「いいでしょう、一先ず肉体を得ないことには始まらないんですよね。その為には…」


「そう、それじゃあオシリスちゃんのところに行こうか」


「アミカさん」


トートは新しいパピルスとペンを出現させて、何やらメモを取り始めた。


「現世でアカシックレコードにアクセスするには、多少時間がかかるでしょう。こちらに手順を記しておきましたので、必要になったら見返して下さい」


トートはパピルスを丸めて私に手渡した。


「ほらほらもう行くよ!あとの事は私が説明してあげるから」


メジェドの説明だと心許ないが、後でトートのメモを頼りに自分で調べるとしよう。


あたしは奥の間の扉を開き、玉座の間へと足を進めた。

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