第拾撃 隠密

いったいどれほどの時間が経過したのだろう…


朝カフェのルーティーンから、腹時計の具合を鑑みるに、既に昼頃といったところか。


あたしは集団に取り囲まれ質問攻めに…いや拷問に処されていた。


それもこれもいつも死んだふりをする時に拝借していたケチャップの持ち出し禁止令が発令されたせいだ。


おかげであたしは群衆から逃れる術を失い、戦術に関する質疑やら暴言、デートの誘いや儲かる壺の話まで、雪崩れる人々の言葉責めに晒されていた。


昼前にはぷに子氏と久々の外の空気を吸いに行く約束をしていたのに!


もみくちゃにされる中、遠目に見たぷに子氏があたしを見るや否や悟りを開いた表情で、独りセントラルゲート方面に歩いて行った。


なんたる失態…あたしは監視がいないと外には出られないし、外出許可だって申請から承認まで何ヶ月かかると思っているのだ!


あたしは取り囲んでいる奴らの全員の顔を記憶した。


後で個人情報をハッキングして有る事無い事書き足して裏サイトにばら撒いてやる!


ぷに子氏が去ってまもなく、群衆の中心で生返事再生機となったあたしの前にティーカップが差し出された。


中には紅茶と輪切りのオレンジが入っている。


「やっぱりあなたの仕業だったのね、シャルロッテ」


シャルロッテはとぼける様子もなく、真っ直ぐこちらを見据えて微笑んだ。


「だってあなた最近、私に内緒で面白そうな事しているでしょう?仲間外れにされたのだものちょっとくらいの意地悪されても仕方がないと思わない?」


全ての行動は筒抜けと覚悟はしていたが、まさかトイレとシャワー中に組んでいたプログラムの存在を察知されたのか…


「ぷに子氏とお散歩行く約束してたのに、あなたを誘わなかったことについては謝るわ。お陰様であたしは、次にいつ訪れるか分からない外出の機会を逃したのだけれど」


シャルロッテは微笑んではいるが、あたしの腹の底を探るような目を向けている。


「あらごめんなさい、そんなに楽しみにしているとは知らなかったの」


「嘘をつくのが下手ね。さっきあたしの行動は筒抜けだって言ってたじゃない。昨日の晩にあたしが眠れず、何回も【お散歩の歌】を口遊みながら部屋中をリュックを背負って匍匐前進していたことも把握しているでしょう?」


シャルロッテはようやく不自然な笑みを浮かべるのをやめた。


「少し場所を変えましょうか」


あたしはシャルロッテに連れられて居住区域βの14階まで訪れた。


居住区域はαからθまであり、等級順とセントラルラボからの距離を表している。


「ようこそ、少し散らかっているけれど気にしないでね。今お茶を淹れてあげるわ」


なるほどここはシャルロッテの住まいというわけか。


散らかっていると言っていたか?部屋は全く生活感がなく、最小限の家具以外何もない殺風景な空間が広がっている。


「景色は良いわね」


さてシャルロッテがキッチンに行っている間に、お宅を拝見させていただきましょうか。


「うふふ…まずは寝室…っ!!?」


「いけない娘ね…ダメでしょう勝手に人のプライベート覗いちゃ。…何か見たの?」


「い…いえ…何も見てないわ」


「ふ〜ん、あなたの心拍、物凄く上昇しているけど?」


シャルロッテはスマートウォッチに眼を落とし、あたしの肩に手を触れた。


「す…素敵な玩具箱…ね…」


あたしに触れている手に力が入る。てゆか鎖骨折れるっ!


「このことは他言無用よ。いいわね?」


「ひゃい…」


施設が充実しているとはいえ、絶海の孤島、閉鎖されたコミュニティで異性と交友する暇なしときたら、ここまで堕ちてしまうものなのだろうか…


「そ…それで?あたしをここに呼んだ理由は?」


正直あまりここにはいたくなかった。


シャルロッテは常にあたしを探っている様子だし、時間があるなら今からでもぷに子氏と合流したい。


楽しみにしていた外出も、お昼のおやつも台無しにしてくれたのだ、少しでも有益な話でないと割に合わない。


シャルロッテは徐に小型のタッチデバイスを起動した。


「どうしても2人きりでお話ししたかったの」


「あら、なかなかロマンチックな事してくれるじゃない」


あたしは背後に付き纏う浮遊ユニットから微かに電子音が発せられるのを聴き逃さなかった。


全社員に配布される浮遊ユニットは、シャルロッテが製作したものだ。


録画や録音のデータ改竄はお手のものなのだろう。


しかしシャルロッテがそこまでするには相当なリスクが伴う事か、もしくは鎌をかけているに違いない。


何となく事の重大さを察したあたしは、これが最期の一口になるかもしれない心境で、差し出されたオレンジティーを啜った。


「ウユニちゃん、私と組む気はないかしら?」


「どうやら会社にも言えない悪巧みの様ね。これが会社への忠誠を測るテストではないと証明出来るなら、お話を聞きましょう」


みかんであたしを誘惑するような女だ。油断はできない。


シャルロッテは再びタッチデバイスを起動してスワイプすると、部屋のモニターに資料が映し出された。


「フューチャーテクノ社は世界有数の科学技術を持つ企業。しかし同時にバイオテクノロジーにも精通しているのは知っているわよね。」


シャルロッテのデバイスをスワイプする手に少しためらいがある様に感じられた。


「…表向きはサプリメントや品種改良された食品を公表している。だけどその裏では…」


シャルロッテが下唇を噛む。


胸に支えた言葉を抉り出す様に、先程より力を込めた手で画面を切り替えた。


「その裏では非合法の人体実験を繰り返しているのよ。」


部屋の画面には悍ましい光景が広がっていた。


変色した奇形の遺体や、墓荒らし、神をも恐れぬと言った実験の所業が映し出されていた。


情景からして足のつきにくいスラムや辺境の村をターゲットにしているのだろう。


「なるほど、リアルバイオハザードって訳ね。おおかた復讐ってとこかしら?」


「話が早くて助かるわ。私の故郷はドイツの片田舎だったの。森が深すぎてグルグルマップの衛生写真にも映らない様なところ。街まで山道が3時間続く辺境だから、忘れられた村なんて呼ばれていた。」


シャルロッテの拳が強く握られるのが見えた。


「そこに奴らが来たの。ちょうど都市部では伝染病が流行っていると情報が入っていたから、ワクチンの無料接種だと謳っていた。けれど違ったの。翌日には村の人たちは全滅、私の家族も村人もみんな奴らに殺されたの。」


「そう…あなた、よく生きていたわね。」


「あたしは幸か不幸か薬物に適応したの。後にテストでギフテッドと認定されたこともあるけれど、この会社で実験体として育てられる事になったのよ。」


シャルロッテは画面を落として真っ直ぐあたしを見た。


「私は当時、1歳だったからなす術がなかった。けれど幼くてもハッキリと記憶は残っている。全てを奪われた憎悪は一生消えることはないでしょう」


「それであたしにその復讐を手伝えと?」


「そういう事になるわね。あなたこの会社のシステムを完全にダウンさせて逃げるつもりでしょう?」


やはり勘付いていたか。しかしどうやって知ったのだろう。回線は切っていたし発信のプログラムもシャットアウトしていたはずなのに。


「どうしてあなたの秘密を知ったか分からないと言った面持ちね。あなたに渡されているデバイスは全部私が作ったものなのよ?あなたのだけでなくこの会社の端末全てのデータが自動で私のデバイスに同期されてるのよ。それにしても大したものね。借り物の端末で私のコード配列を勝手に組み替えるなんて」


「それもバレていたのね。となれば不正を働いたあたしを会社に告発すると脅すこともできたはず。それをしないのはあなたも本気って事ね」


「あなたが構築したボット、これならここのメインシステムでさえ復旧に必ずエンジニアの手が必要になる。私以外の人手でかかるとどうしても早くて120分はかかるでしょうね。それにしてもよくこんなシステム考えついたわね」


「あんなバケモノCPU相手に外部からまともに切り崩せる筈がないもの。でももし相手が自分自身だったら?」


シャルロッテは少し安堵とも取れる笑みを浮かべた。


「あなたに無理やり言うことを聞かせる方法はいくらでもあった。でも私は…あなたと本気で協力したいと思っているの。力を貸して。ウユウナスノ。」


まぁあたしとしてはこれほどの手だれが脱出の仲間となるなら是非もない話だ。


裏切りの可能性を払拭することはできないが、1人でこの難題を切り抜けるのはかなりの時間を要する。


ここはリスクを負ってでも、駒を活用して早めにケリをつけるか。


「1つ間違いを正しておこう」


「なあに?」


シャルロッテは怪訝な面持ちで私を見つめた。


「あたしは…Uyuni_Botterだ!」


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