信長のアレを千回クリアした俺が戦国最強の軍師に転生したのに、いきなり桶狭間が消えてるんだが(ていうか、おまえら全員シナリオ無視すんな)

犬上義彦

第1話 戦国1560

 織田信長といえば有名なあのゲーム。

 そのシミュレーションゲームを千回クリアした俺は戦国時代に転生したばかりだ。

 ゲーム内のバーチャルじゃない。

 青空の下に広がる原っぱの草を揺らしながら爽やかな風が吹き抜ける本物の戦国時代だ。

 なんでその時代だって分かるかって?

 俺の頭の中にはゲーム画面のような情報が浮かんでいる。

 年月日、立体地図はもちろん、カーナビ風の道路案内が常に意識の右上あたりに表示されていて、他にも気になったことがあれば、思い浮かべるだけで検索画面に切り替えることもできるのだ。

 つまり舞台は本物だけど、ゲームのシステムが適用される世界にタイムスリップしたというわけだ。

 今は一五六〇年、つまり桶狭間おけはざまの合戦があった年の五月だ。

 俺は戦国の世の尾張国おわりのくにを、清洲きよす城に向かって歩いている。

 もちろん、織田信長に会うためだ。

 今川義元の来襲を予言し、桶狭間で奇襲を仕掛けろと提案すれば、大手柄となって出世できるだろう。

 そうすればゲームみたいに各地の戦国大名を撃破してリアルに全国統一を成し遂げられるというわけだ。

 史実は塗り替えられ、平凡な男子高校生に過ぎなかった坂巻悠斗(さかまきゆうと)という俺の名前は歴史に刻まれることになる。

 ――はずだ。

 高校の制服姿っていうのが戦国時代らしくないけど、洋服だから南蛮人ってことにしておけばいいかな。

 この時代の人間からすれば、進んだ科学やこれからの出来事を全部知っている自分は異国の人間みたいなもんだろうからな。

 それにしても、高校の退屈な日本史の授業中に居眠りしてたら戦国時代に飛ばされるなんて、やっぱりゲームをやりこみすぎたのかな。

 なにしろ、寝る時間以外はやりこんでいたわけで。

 じゃあ、いつ寝るんだって、だから授業中に眠っててこうなったわけだ。

 令和の世の中だったら、進路希望調査で《第一志望:軍師》なんて書いたとたん、進路指導室に呼び出されて説教だっただろうけど、この戦国時代なら堂々と目指すことができる。

 俺は生まれるべき時代を間違っていたんだ。

 だからむしろここがまさに本来の居場所だったというわけだ。

 ちなみに俺は、『信長のアレ』を織田家以外にもすべての大名をすべてのシナリオでクリアしている。

 武田や上杉といった有名どころはもちろん、最弱四天王と揶揄される飛騨の姉小路家、九州の島津と大友の草刈場となる伊東家、関東の雄に頭を押さえられて何もできない里見家ですら全国統一を成し遂げたし、家柄以外に取り柄のない東北の無能集団斯波(しば)家でさえも、南部家の突進騎馬軍団や築城マニアで鉄砲チートの伊達家を蹴散らしてやったものだ。

 研ぎ澄まされたシミュレーション能力を駆使すれば俺は戦国最強の軍師として名をはせることだろう。

 半兵衛も官兵衛も、諸葛亮孔明ですら霞んでしまうほどの存在になれる。

 ――はずだ。

 どうも、さっきから、期待に胸が膨らむわりに、自信がイマイチなんだよな。

 まあ、そりゃ、現実の令和にいた俺はただの非モテボッチ陰キャ男子だったわけで、それが最強チート能力を持ったからといって、うまく発揮できなければ出世どころか、それこそ盗賊にでも殺されてあっさりゲームオーバーになってもしかたがないんだからな。

 なにしろ弱肉強食の下剋上の世の中なんだ。

 おまけに活躍以前に、今朝からずっと歩き続けで腹も減ってきてるっていうのに、この時代の金なんか持ってないし、そもそも街道筋なのに茶屋すらなくて困っている。

 この時代の人たちは、いったいどこでどうやって飯を食ってたんだ?

 日本全体の状況なんかはすぐに脳内モニターに思い浮かぶのに、こういった細かな現実に慣れていくのは案外大変なのかもしれない。

 しかしまあ、戦国時代っていうのは、森と原っぱばかりで、街どころか、村もないもんなんだな。

 令和の名古屋市が五百年前はこんな原っぱだったなんてなんだか信じられないな。

 この街道だってもちろん舗装なんかしてなくて、今俺が歩いているのは川沿いにある草ぼうぼうの土手だ。

 左手は石ころだらけの河原、右側はほとんど湿地みたいなところで、足を踏み入れようとすればぐちょぐちょとした泥に沈んで身動きが取れなくなってしまう。

 だから、まわりは空き地ばかりなのに使える土地がないらしい。

 その少ない畑や田んぼも、二十一世紀の日本とは違って作物が貧相だ。

 なんの菜っ葉か知らないけど、虫食いだらけで色も悪い。

 肥料とか輪作とか、ゲームにもあった二期作とか、そういう技術を俺が教えてやれば、生産量を増大させることができそうだが、本当にそんなにうまくいくんだろうか。

 まったくそんな気がしない。

 令和の俺は非モテボッチ以下同文で何の実績もないただの小心者だったんだ。

 さっき、川べりで立ち小便をしたけど、べつに誰からも見られてたわけじゃないのに落ち着かなかったくらいだからな。

 大なんか、できるかな。

 やべえ、そういえば紙持ってないぞ。

 葉っぱで拭くんだっけか。

 川とかで都合良く洗えるかな。

 無人島に何を持っていくかというお約束の質問があるけど、俺なら一生分のトイレットペーパーと即答だよ。

 キャンプ場ですら温水洗浄機付きトイレ完備の清潔快適時代出身の自分にしてみれば、そんな心配ばかりだって無理もない。

 ガゥルルルゥ。

 ――ん?

 何だ?

 前方右手に目をこらすと、草むらの中から犬が現れ、土手に駆け上がってきた。

 鋭い目で俺をにらみつけ、涎をまき散らしながらうなっている。

 令和ではまったく見かけなくなった野良犬だ。

 灰色の毛がはげて全体がまだら模様で、尻尾は先端にだけ毛が残っていて瓶ブラシみたいなのに、耳だけはピンと立っている。

 あまり餌がないのかやせこけて震えているが、その分、獲物を狙う猟犬のような気迫に満ちた目が鋭くギラついている。

 ガゥゥゥ。

 鋭い牙をのぞかせながら前足をやや広げ気味に踏ん張って、今にも飛びかかってきそうだ。

 犬と言えばポメラニアンとかトイプードルしか見たことない俺には猛獣に見える。

 もしかして、こいつ、狼か?

 この時代って、まだニホンオオカミがいたんだっけ?

 いや、ちょっと待て。

 木も生えていないこんな野原に狼がいるとは思えない。

 と、その時だった。

 俺の脳内にアラートが表示された。

《危険:狂犬病の疑いあり》

 マジかよ。

 狼よりヤバイじゃん。

 令和の時代でも発病したら治療法がない病気だって聞いたぞ。

 戦国時代なのに、討ち死にどころか、野良犬に噛み殺されるなんて、こんなの最低なゲームオーバーじゃないかよ。

『信長のアレ』の序盤で武田と北条に岩付城を蹂躙され、なすすべもなく滅亡する太田家のことを笑えない。

 といっても、一本筋の土手の道は片側が湿地でもう片方は河原だ。

 逃げるにしても、背中を見せたら飛びかかってくるだろう。

 どうしたらいい?

 俺はとりあえず道端に落ちていた細い木の枝を拾い上げた。

 かがんだ瞬間、犬がピクリと反応した。

 相手が自分より小さいと思うと襲ってくるのか。

 俺は慌てて立ち上がると、棒きれを振り回した。

 ややひるんだのか、犬は俺をにらみつけたまま前脚を伸ばして体を後ろへ反らした。

 だが、むしろうなり声は太く鋭くなり、敵意を剥き出しだ。

 飛びかかられたら、こんな棒きれなんか何の役にも立たない。

 俺は犬の目をにらみ返しながら徐々に後ずさりした。

 数歩下がるごとに同じ間合いを保って犬が前に出てくる。

 どうしたらいい?

 このままにらみ合いを続けて誰かが通りかかるのを待つしかないか。

 しかしまあ、昼間だっていうのに、誰も通らない。

 緊張のせいか、どうも腹の具合がおかしくなってきた。

 グルルギュゥ。

 犬よりも派手に俺の腹がうなり声を上げ始めた。

 なんだよ。

 まだ戦国武将にも会ってないのに、大を漏らし、犬にかみ殺されてゲームオーバーなんて、勘弁してくれ。

 ブゥゥン。

 にらみ合いが続く中、俺の顔に蝿がまとわりついた。

 払いのけようとしたのがいけなかった。

 目をそらした瞬間、犬が俺をめがけて飛びかかってきた。

「うわああああ!」

 俺は背中を向け、土手を転がり落ちるように河原へと逃げた。

 あっという間に追いつかれ、脚がもつれて石ころだらけの地面に顔から突っ込んでしまう。

 痛ってえとか、声を上げる間もなく俺は必死に石をつかみ、投げつけながらなんとかかわして立ち上がった。

 川面に顔を出した飛び石をたどって逃げると、犬は河原で前脚を踏み出そうとしながらためらっている。

 ――そうか。

 狂犬病は水を嫌うと聞いたことがある。

 だから川に入ってこられないのか。

 俺は流れに手を突っ込んで川底から石を拾い上げると、犬に向かって投げつけた。

 来るな。

 ちくしょう、あっちに行け!

 一つ、二つと、当たりはしないが投げ続けていると、形勢逆転、犬はおびえたような目で濡れた石をかわしつつ、最後は背中を丸めて土手の向こうへと逃げていった。

 ――ふう。

 助かった。

 俺、生きてるな。

 こんな実感、令和では味わったことがなかった。

 と、そんなことを考えていたら、本当に腹の調子が限界に達していた。

 ヤバイな。

 ちょうどいいや、ここでやるしかないだろ。

 人生初野糞だ。

 俺は辺りを見回して誰もいないことを確かめてから飛び石をまたいでズボンを下ろし、ケツを出すと川面かわもにしゃがみ込んだ。

 天然の水洗トイレってやつだ。

 ――ふう。

 旧暦の五月は新暦だと六月ごろでちょっと蒸し暑く、尻の下を流れる川の冷気が心地よい。

 と、俺がぷりりとひねり出した分身がぷかぷかと流れていく。

 あ、俺、川下に向かってしゃがんだのか。

 あんまり見たくないから、次は川上に向かってしゃがむことにしよう。

 野糞にもコツがあるとはな。

 でも、まあ、とにかくすっきりだぜ。

 と、間抜けな俺はここで気がついた。

 やべえよ、葉っぱ取ってくるの忘れた。

 紙がないって分かってたのに、慣れないせいで、やっぱり事前に適当な葉っぱなんか探してなかったんだよな。

 野犬に追われてそれどころじゃなかったし。

 今さらケツを出したまま探し回るわけにも行かないし、このまま川で洗うしかないだろう。

 温水じゃないけど、天然の洗浄機ってことになるのかな。

 俺はおそるおそる腰を下げていった。

「うおっ、冷てえ」

 水に着いた途端、意外なほどに冷たくて思わず飛び上がってしまった。

 だけど、洗わないことにはズボンをはくこともできない。

 と、覚悟を決めてもう一度ケツを川に沈めた時だった。

「ナンジャガヤ?」

「うわっ」

 いきなり後ろの方から声をかけられて尻餅をついてしまった。

 ケツどころか、脱いでいたズボンまでずぶ濡れだ。

「ツベガネ」

 女の子の声だ。

 下半身を隠しながら振り向くと、中学生くらいの年頃らしい着物姿の女の子が河原で俺をじっと見下ろしていた。

 ちょ、待って、今しまうから。

 慌ててファスナーを上げようとして挟みそうになったし、ぐしょぐしょで気持ち悪いけど、そんなこと言ってる場合じゃない。

 それに、もう一つ、困ったことがあった。

 さっきから女の子の言葉は耳に入ってくるんだけど、何と言ってるのか分からない。

 外国語みたいというか、おそらく方言、ここは織田信長の地元だから尾張弁――しかも五百年も前の――なんだろうけど、さっぱり聞き取れないし、意味を理解できないのだ。

 と、俺の頭の中にウィンドウが浮かび、ボタンが点滅を始めた。

《翻訳機能を始める》

 矢印ポインタが重なっている。

 俺は迷わずクリックした(もちろん手ではなく、頭の中のイメージでだが)。

「何してんの?」

「冷たいね」

 言葉が急に現代の標準語で聞こえるようになった。

 便利だな。

 そういえば、ゲームの『信長のアレ』でも、みんな標準語でしゃべってたもんな。

 よそ者を区別するためという説もあるくらい、昔は隣村ですら言葉が通じないのが当たり前だったらしい。

 それくらい方言の壁は大変だったようだから、この時代で生きていくにはとてもありがたい機能だ。

 と、女の子が俺の顔をのぞき込んできた。

「邪魔してごめんね。すっきりした?」

 なんだよ、大をしてたのバレバレかよ。

 ていうか、女子に見られてたなんて、めちゃくちゃ恥ずかしいんだけど。

 しかも、ものすごくかわいいし。

 花をあしらった明るい色の着物を着崩すことなくまとい、目がくりっとしていて唇に艶があり、細身だけど背筋が伸びて、さっきの野犬みたいに病気や栄養失調の多いこの時代にしては健康的な感じのする美少女だ。

 令和なら中学のバスケ部で華麗に活躍してそうな雰囲気だ。

 何かいい匂いもするし、農民の子ではないのかもしれない。

「珍しい格好だね。あんたどこから来たの?」

 高校の制服が珍しいようで、遠慮なく俺の長袖シャツを引っ張り始めた。

 いきなり距離が近くて女子慣れしてない俺は動揺してしまう。

 ある意味野犬より行動が読めない。

「あたし、ねね、あんたは?」

 その途端、俺の脳内モニターにアラートが表示された。

寧々ねね:十三歳。後の北政所きたのまんどころ高台院こうだいいん

 ああ、この人があの豊臣秀吉夫人として有名な寧々さんなのか。

 この時代は『数え年』という、生まれた時にゼロ歳ではなく一歳から始まり、正月になると一つ歳を取るという年齢の数え方だから、未来だと十二歳の中学一年生くらいということになる。

 やっぱり最初の印象は間違っていなかったようだ。

 高校三年生の俺より五歳くらい下なのに、物怖じしないコミュ力を持っているのは、学校のカースト上位一軍女子でもおそらく一番に名前が挙がりそうな美少女の生まれ持った魅力なんだろう。

「俺は坂巻悠斗です」

 自分がしゃべる言葉も自然に尾張弁に変換されて発音されるらしく、女の子はにっこりと笑ってくれた。

「南蛮の人?」

「ああ、まあ、そんな感じですね」

 年上の俺の方が敬語が抜けない。

「遠いところなんだね」

 実際には、時間的に遠いってことなんだけど、説明しようがないから黙ってうなずいておいた。

「私、南蛮の人を見るの初めて」

 人なつこいというか、距離感がバグってる感じでぐいぐい迫られて、後ずさった俺は思わず川に片足が入ってしまった。

「なんで逃げるの?」

「いや、まあ、そういうわけでは」

 俺みたいな非モテボッチ陰キャ男子にも親切にしてくれるなんて、本当にかわいくていい人だな。

 ……っていうか、俺ってチョロい男子なんだろうな。

 と、そこへ土手の方から声がした。

「おう、ずいぶんとかわいい女子おなごじゃねえかよ」

 俺と同じ高校生くらいの年頃の男が三人こちらへやってくる。

 なんだよ、野犬の次は狼藉者ろうぜきものかよ。

 一人は太って毛深い熊のような大男だが、残りの二人はひょろっとした細い体に鼻水を垂らして、いかにもひ弱そうな子分タイプだ。

 三人とも着物はつぎはぎだらけのボロボロで、洗濯なんかしていないのか、なんか獣みたいな臭いが風に乗って漂ってくる。

 顔が傷だらけの熊男は木刀代わりか太い棒を握りしめているが、若いのにおっさんみたいに髪が薄く地肌が露出している。

 ひょろりの二人は骨張った膝が出るほど着物丈が短く、やたらと引っ張って隠そうとする仕草が女の子っぽく見える。

 栄養状態も良くないようだし、貧しくて服なんか買えないんだろうな。

 脳内モニターには三人の能力値ステイタスがポップアップした。

《農民1:統率5、武勇5、知略5、政治5》

《農民2:統率3、武勇3、知略3、政治3》

《農民3:統率3、武勇3、知略3、政治3》

『信長のアレ』のステイタス数値は百が上限だ。

 アイテムを所持することでその上限を例外的に上回ることはあるが、そもそも一つでも八十以上の数値があればかなり優秀な武将と言える。

 逆に、一桁の数値はなかなかない。

 そういう武将はたいてい伊奈忠次みたいに官僚として政治力に全振りか、豪傑キャラの小島貞興みたいに武勇がずば抜けているかで、決して使えないわけじゃない。

 だが、さすがにすべてにおいて一桁という武将はいない。

 こいつらはどうやら本当にただのそこらへんの不良野郎どもモブキャラらしい。

 もしかしたらさっきの野犬の方がハイレベルな敵だったかもしれない。

 とはいえ、三人相手では簡単に追い払えるとも思えないし、こっちには寧々さんもいる。

 圧倒的に不利だ。

 俺の数値を確認しておく。

《転生者:坂巻悠斗十八歳元高校生。統率5、武勇5、知略95、政治5》

 ずば抜けた知略以外は熊男と変わらない。

 そもそも知略だって、情報検索能力があるおかげなんだろう。

 そりゃ、丸腰の非モテ男子なんて、戦国乱世じゃ雑魚ざこキャラだよな。

「ね、寧々さん、下がって」

 俺は彼女の前に立ったものの、まるで自信がない。

 やっぱりいざとなると膝がガクガク震え出す。

「邪魔だぜ」と、熊男が俺の肩を小突く。「とっとと失せな」

 俺はなんとか踏みとどまったけど、心臓はバクバク、さっき出したばかりなのにチビりそうだ。

「いったい何よ、あんたたち」

 気丈にも寧々さんが声を張るが、俺のシャツをつかむ手がやっぱり震えている。

「へへへ」と、下品な笑みを浮かべながら熊男が手を伸ばす。「ちょっと俺たちといいことして楽しもうじゃねえかよ」

 戦国時代だからって、こういう物騒な光景は日常茶飯事なのか?

 ここに来てからピンチの連続だ。

「や、やめろ」

 声が裏返って、めちゃくちゃカッコ悪い。

 腰が引けてたはな垂れ子分どもまでが俺を見て笑い出す。

「おまえなんだよ。変な格好しやがって」

 ――あ、そうだ。

 俺はこの時代の人間には珍しい洋服を着ているんだった。

「いかにも、俺は南蛮から来た者だ。俺は織田信長公に招待されて会いに行くところだ。おまえらが俺に危害を加えようというのなら、それは織田殿へ対する反逆とみなされるが、それでもいいのか」

 もちろん転生したばかりで、招待なんてただのハッタリだ。

 だが、言ってみるだけの価値はあったようだ。

 ズルッと垂れた鼻水をぬぐった手で二人が両脇から熊男の腕を引いた。

「なあ、兄ぃまずいよ。お殿様に逆らったら、村ごとやられちまうよ。おっかさんも妹たちもみなごろしだ」

「うちも親父が去年のいくさで死んじまって、おいらまで罰せられたら小さな弟が飢え死にしちまうよ」

「今さらうるせえよ」と、熊男が弱気な子分どもを振り払って俺と間合いを詰めた。「おい、俺はそっちの女に用があるんだ。あんたに危害を加えるつもりはねえから、何も見なかったことにしてさっさと行ってくれよ」

「いや、この人をひどい目に遭わせるわけにはいかない」

 なんて言ってみたものの、喧嘩なんかしたことないし、野良犬を追い払うのだって必死だったんだ。

 そもそも俺は腕力で勝てるようなスポーツマンでもない。

 おまけに音痴だし、絵も下手だし、学校の成績だって平均レベルだったさ。

 俺が活躍できるのは『信長のアレ』しかなかったんだ。

 ――ああ、なんか悲しくなってきたぞ。

 こうなりゃ、最後の手段だ。

 窮鼠猫を噛む。

 野良犬相手と同じように、俺は河原の石を拾い上げると、ぶんぶんと腕を振り回して威嚇した。

「おまえら、あっちへ行け!」

「うおっ、危ねえ」

 振り回した手が滑って石が飛び、運良く熊男の脚に命中する。

「ぐふぉっ」

 うめきながらうずくまる熊男に洟垂れ男どもが駆け寄った。

「兄ぃ、大丈夫っすか」

「こいつ、許しちゃおけねえ」と、立ち上がろうとするが、痛みでひっくり返ってしまう。

 俺はなりふり構わず、つかめるだけたくさんの石を拾い上げ、両手を挙げて威嚇した。

 右側の男が鼻をすすりながら耳打ちするのが聞こえた。

「兄ぃ、脅かすだけって約束だったじゃねえですか。本気じゃねえんですから、ここは引きましょうぜ。これじゃあ、もらったぜにだけじゃ割に合わないっすよ」

「チッ」と舌打ちをすると、熊男は「おぼえてやがれよ」と足を引きずりながら去っていった。

 と、その瞬間、俺の頭の中にオーケストラによる荘厳な音楽が流れ始め、浮かぶように輝くウィンドウが表れた。

《ステイタス更新》

 ――ん?

《転生者:統率5、武勇6、知略95、政治5》

 武勇が1だけ上がったらしい。

 まあ、変わらないよりましか。

 さっきの野犬とあわせてのレベルアップかもしれない。

 それにしても、俺は勝ったのか?

 令和では誰かに逆らうなんてことすらできなかったのに、野良犬相手じゃなく、戦国時代の本物の喧嘩に勝ったのか?

 なんかわけの分からないことをつぶやきながら変な感じで逃げていったし、実感がわかない。

 それでも、勝ちは勝ちか。

 そんなにカッコイイ勝ち方じゃなかったけど、実際、能力値が上がったわけだし、素直に喜んでおこう。

 何よりも、寧々さんを守り抜いたことが少しだけ自信になった。

「危ないところを助けてくださってありがとうございました」

 彼女も丁寧に頭を下げてくれた。

「とても頼もしかったですわ」

 こんなことを女子に言われるなんて、令和の俺には想像もできなかったな。

「いや、実際はかなりいっぱいいっぱいでしたよ」

 正直に答えると、寧々さんが不安そうに眉を寄せた。

「あの者たちは人さらいでしょうか」

「いや、まさか、さすがにそこまでの連中では」

 ステイタスも農民だったし。

「でも、銭がどうのと話していたではありませんか。戦の時には村から子供が連れ去られないように、寺や神社に隠しておくものですし。きっとわたくしたちを攫って売り飛ばすつもりだったのでしょう」

 ああ、そうなのか。

 この時代だと、実際に連れ去られて人買いに売られてしまう子供もいたんだろうな。

 領主の重税取り立てに困った農民がよその村の者に手を出すこともあったのかもしれない。

 案外、寧々さんの言うことは大げさではないのかもな。

 まあ、でも、熊男がイヤらしい目で寧々さんを見ていたのは間違いないわけで、おそらく自分たちで楽しんでから売り飛ばそうとしていたのかもしれない。

 ただ、そんな説明をしたらますます怖がらせてしまうだろうから、寧々さんには余計なことは言わないでおこう。

 男が女に言う『いいこと』の意味が分かる歳でもないんだろうし。

 ま、非モテボッチ陰キャ男子の俺にも経験はないんだけどな。

「でも、寧々さんはなんで一人でこんな人気ひとけのない河原にいたんですか。こんなところにいるのなんて、ああいう連中くらいでしょうし」

「それは、その……」

 急に頬を染めてうつむいてしまった。

 その姿がまた可愛らしくて、聞いた俺まで全身の血液が沸騰しそうなほどに照れくさくなってしまった。

 女子力のパラメータは反則の百超えだろ。

 不意に顔を上げた寧々さんが土手の方に手を振った。

「あ、サル」

 ――ん?

 こんなところに猿がいるのか?

 振り向くと、小柄な男が飛び上がるように手を振りながらこちらへ向かってきていた。

「おーい、寧々殿」

 さっきの連中よりはましな格好だが、背はまるで少年のように小さく、たしかに猿のようにしわくちゃな顔だ。

 だが、腰に刀を差しているし、見開いた目には強い意志を感じる。

 下級武士だろうか。

 どちらにしろ大人の男性のようだ。

 と思ったら、また、アラート表示が浮かび上がった。

《木下藤吉郎とうきちろう:二十四歳。後の太閤たいこう豊臣秀吉》

 おお、この人があの豊臣秀吉か。

 主君の織田信長だけでなく、寧々さんからもサルって呼ばれてたのか。

 ようやく戦国の有名人に会えたかと思ったら、いきなり主役級とはラッキーだ。

 さっそく能力値を表示させてみる。

《足軽:統率10、武勇30、知略95、政治15》

 ――ん?

 あれ?

 意外と高くないな。

 統率力や政治力が低いのは、まだ武将と言えるような高い身分ではないからなんだろうか。

 信長のアレみたいにゲームの序盤から完成しているわけではなく、成長要素もあるのかもしれない。

 そうであるなら、のし上がっていけば、自然に上昇するに違いない。

 ただやはり、知略がチートなしの本来の数値でこれなら、天才だ。

 二人はいきなり手を取り合ってはしゃいでいる。

「待ったか?」

「ううん、私も今来たところ」

 ああ、なんだ、二人でデートの約束をしてたってわけか。

 それでさっき寧々さんは照れくさそうにしていたのか。

「そうか、そうか。それは良かった。じゃが……」と、藤吉郎が急に俺に向くと、うさんくさそうな目でなめまわすようにすごんでくる。「おぬし、見かけぬ顔だな。怪しいぞ。何者だ?」

 そりゃ、見た目は怪しいだろうけど、そこまで敵視しなくてもいいんじゃないのか?

 どう自己紹介したものか迷っていたら、寧々さんが笑い出す。

「この人ね、怪しくはないけど、お尻出してたのよ」

「なんとけしからん! 寧々さんに何をしようとしていた」と、腰の刀に手を掛ける。

 おいおい、いきなり危ねえな。

 まだ下っ端といえども武士は武士だ。

 ここで斬られてしまったら、まだ合戦にも出てないのに、犬に不良に藤吉郎、もう何度目のゲームオーバーだよ。

「いや、俺はただ川で大をしていただけだ」と、思わず正直に弁明してしまう。

「なんだ。腹痛か。下痢止めの薬草ならあるぞ」

「サルは駿河国するがのくににいた頃、薬売りのまねごともしてたんだよね」

「そこら辺に生えてる雑草を乾燥させて薬草だと宣伝して売りさばいておった」

 うわ、最低。

 秀吉ってこんなやつだったのかよ。

「それって、かえって腹壊した人いるんじゃないんですか?」

「そんなこと知らん」と、俺の質問をあっさり振り払う。「偽物とバレないうちにさっさと次の村へ行くのが商売のコツだからな。だいたい、病は気からというからのう。効くと思えばヨモギはたいていの病気に効くもんだ」

 こいつかなりのクズだな。

 なのに、寧々さんまでウフフと朗らかに笑っている。

「それより」と、藤吉郎がしわくちゃの額をサルのように指でかく。「他にも怪しい連中はいなかったか」

 寧々さんが目を見開いた。

「なんで知ってるの?」

「いやなに、悲鳴が聞こえたような気がしたのでな」

「そうそう。この人がね、私を助けてくれたのよ。悪いやつらに襲われかけたの」

「やっぱりそうか。そんな連中、わしが追い払ってやったのに」

 藤吉郎は拳をぶつけ合わせながら、なぜかガッカリしたような表情をしている。

「あのね、この人は南蛮人なんだって」

 寧々さんが助け船を出してくれるけど、それでも藤吉郎は首をかしげる。

「それはおかしいぞ。わしはお城で南蛮人を見たことがある。あいつらの髪は黒くなかった。赤かったり、金色だったり、おまけに目も青や緑だったぞ。こいつはわしらと大して変わらないではないか」

 なんてこったい。

 こんなことなら、チャラ男みたいにカラコン金髪にしておくんだった。

 ――似合わないだろうけど。

「藤吉郎さん。俺を信長公に会わせてくれないか」

 と、その瞬間、顔を真っ赤にして藤吉郎が俺のシャツにつかみかかった。

「貴様、イミナを口にするとは、なんと恐れ多いことを」

 ん、何だって?

 すると、俺の脳内にまたポップアップ画面が浮かんだ。

《敬語モードをオンにしますか》

 解説も表示される。

いみなとは、昔の人の本名のことですが、当時の風習で、それを呼ぶことは大変失礼なこととされていました。そのため、当時の偉い人は、役職などの通称で呼ぶのが普通でした》

 だから、藤吉郎はさっきから『お館様』と言っているのか。

 令和の俺にはよく分からない習慣だけど、こういうのはとりあえず言われたとおりにしておくべきなんだろう。

 オンにすると、『信長』の部分が適切に変換されて声に出た。

「お殿様に会わせてほしいんだ」

「なにゆえじゃ」と、落ち着きを取り戻した藤吉郎がシャツを離す。

「織田家に関わる大事な話があるんだ。」

「だから、それはなんじゃと聞いておる」

「直接でないと話せない」

「それは無理だ。怪しいやつなど、会わせるわけにはいかん」

「もうすぐ今川が攻めてくると言ってもか」

「何だと!」と、背が低いのに顔が迫ってくる。「それは本当か」

「数日中に尾張へ向かってくるはずだ」

「ううむ」と、藤吉郎は腕組みをしてうなる。「それはまずいな。お城はこの前の地震で壁が崩れたままだし、攻め込まれたらひとたまりもないだろう」

「だから、いち早く知らせて迎え撃つ準備をしないと」

「その話はどこで聞いたのだ?」

「ああ、ええと……」

 俺は言葉に詰まってしまった。

 未来から来たなんて話をしても信じてもらえそうにないし、脳内モニターのことなんて、もっと説明しようがない。

「そなた易者か」

「占い師というわけじゃ……ないですね」

 未来を知っているわけだけど、占いの結果というわけじゃない。

 本当に知っているんだから。

「では、間者かんじゃか」

 間者とは忍者のことだ。

「というわけでもなく……」

 説明したくてもできないのがもどかしい。

 はっきり言えない俺を藤吉郎がますます不審者扱いし始めた。

「はっきりせい。ますます怪しいやつだ」と、なめ回すように俺を見る。「珍しい格好をしておるが、異国の者のようでもあるし、我々と変わらぬ者にも見える。正体が分からぬのではお館様に会わせるわけにはいかんな」

 すると、寧々さんが藤吉郎をにらみつけて詰め寄った。

「この人は私を救ってくれた恩人ですよ。悪い人であるはずがありません」

 年下の女の子なのに藤吉郎とあまり背が変わらない、ていうか、むしろ大きいくらいで、まるで弟を諭す姉みたいだ。

「いや、しかしだな……」と、藤吉郎もしどろもどろだ。

「私の言うことが信じられないのですか」

「そうではないが……」

 寧々さんに詰め寄られるとさすがの藤吉郎もまるでだらしがない。

「わ、分かった。いきなりお館様というわけにはいかぬが、とりあえず、上役に相談してみるから、少し待ってくれ。今晩泊まるところと飯くらいは出してやる。それなら良かろう?」

「それはありがたい。お願いします」

 実際、腹も減ってたし、さっきみたいな野犬がいる場所で野宿なんてできるはずもないから、本当に助かる。

 藤吉郎は俺の方を気にしながら寧々さんに耳打ちしていた。

「寧々殿、逢い引きはまた明日にしよう」

「うん、いいよ」

 どうやら俺はお邪魔だったらしい。

 でも、戦になったら逢い引きどころじゃなくなるわけだし、今は遠慮している場合じゃないだろう。

 俺たちは三人並んで街道に戻ると、清洲城に向かって歩いた。

 川に挟まれたこんもりとした木立を回り込んだところでお城が見えてきた。

 朝から歩き続けてようやく着いたか。

 でもそれは、令和の観光地にあるお城のイメージと違っていた。

 堀で囲まれ一段高くなった敷地に土塀が巡らされているが、その一部が崩れて中が見えている。

 安土城みたいな天守閣どころか、櫓と呼ばれる高い建物すらないようだ。

 中の建物もすべて平屋で、途中で見かけた村の小屋とそれほど変わらない。

 結構地味な《館》って感じだな。

 御殿とか、鉄砲狭間とか、鉄錠門とか、『信長のアレ』の技術で改築していく楽しみはあるかも知れないけど、藤吉郎が心配していたように、今川に攻められたらあっというまに落城するだろう。

 城下の街も家というよりは壁のある屋台といった感じの店が少し並んでいるだけで、土ぼこりの舞う通りを歩く人も少なく、静かでまったく活気がない。

「じゃあ、サル、またね」

「おう、寧々殿、またな」

「ええと……南蛮の人も、またね」と、朗らかに笑みを浮かべながら脇道に去っていく。

「あ、はあ、どうも」

 ――坂巻です。

 名前を覚えてもらえなかったのがちょっとショックで、俺は寧々さんの背中に小さく手を振り返すことしかできなかった。

 ま、令和の高校でも空気だったんだけどな。

 二人になったところで藤吉郎がため息をついた。

「寧々殿はいい女子なのじゃが、最近、飽きてきてのう。簡単にやらせてくれるのはいいんじゃが、どうも男のさがというか、かえって萎えるというか」

 おい、ちょっと待て。

 もうやっちゃってんのかよ。

 あんたら二人、あそこでそういう逢い引きをしていたのかよ。

 だからあんな人気ひとけのないところを選んでたのか。

 相手は中学生の歳だぞ。

 まあ、昔は十四五歳で成人を迎えると古典の授業で習ったし、そういう時代だったと言われればしかたがないけど、あんたは十も年上の大人だろ。

 もうちょっと責任というか、自制というか、コンプライアンスとかだな……完全にロ(以下自粛)。

 とにかく、俺だって、中学の時にクラスのかわいい女の子とデートしたりイチャイチャしてみたいと思ったけど、空気みたいに無視されていまだに手をつなぐどころか、女子とまともに会話したことなんかなくて、だから毎日ずっとまわりに壁を作るみたいにゲームに没頭して、信長のアレを千回もクリアしてたわけだけど、本当は藤吉郎みたいに気軽に話しかけてみたり、とっかえひっかえなんて贅沢は言わないからせめて一人でもいいから、ちょっとぐらい俺に興味を持ってくれて相手にしてくれるような優しいクラスメイトに出会いたかったけど、そんな願望すらかなわなかったのが現実で、今さらそんなこと考えたってどうにもならないし、ああ、もう、なんだか叫びたくなってきたぞ。

 過去の時代に来てるのに、自分の過去は取り戻せないんだな。

 なんだよ、ちきしょう。

 泣いたりしねえよ。

 絶対に立派な軍師になって見返してやる。

 将来、歴史の教科書に載って、日本中の女子中高生に俺の偉業を知らしめてやるんだ。

 そんな俺が魂の叫びを上げている横で、藤吉郎は口をへの字に曲げている。

「女子という者は手に入れるまでは天女のように気高けだかきものだが、一度味わってしまえば飽きてしまうのじゃ。寧々殿も、最初はわしも額で穴を掘るほど土下座してものにしたんじゃが、最近はどうも刺激が足りぬように思えてな」

 なんだこいつ。

 リア充チャラ男のクズ野郎だな。

「わしの色に染めてやるのもいいんじゃが、従順すぎるのも、物足りんし」

 今までずっと英雄だと思ってたけど、クズ過ぎて幻滅だ。

 いやでも、秀吉の色好みは有名な話で、今さらなんだよな。

 ただ、本人を目の前にして実際にそんな話をされたら、「やっぱりね」と受け流すにはきつすぎる。

「寧々殿が言っておったが、おぬし、あそこの河原で狼藉者を追い払ったそうだな」

「ええ、まぐれですけどね」

「よけいなことをしてくれたでござるな」

 はあ?

「なんでですか?」

「いや、まあ……」

 言葉を濁して黙ってしまう。

 どうも藤吉郎の目が泳いでいるような気がする。

 もしかして……。

 ヤラセだったのか?

 不良をけしかけて助けに入り、男を上げる。

 いつの時代にもありがちなヤラセだったのか。

 偽薬にヤラセ。

 こいつ、目的のためならなんでもありだな。

 歴史の教科書に落書きしちゃう人物ランキングでザビエルとペリーに次いで定番なのが豊臣秀吉だけど、こんなクズなら遠慮なくもっと描き込んでおけば良かった。

 しかし、歴史に名前を残したら、俺も中学生のクソガキに髭とか描かれるのかな。

 髭ならまだいいけど、ホッペにぐるぐる渦巻きとか、言ってもいない変なセリフとか書き込まれるのはイヤだな。

『坂巻悠斗とか誰?』

『こいつがなんかやらかしたせいでうちらが歴史とか勉強しなきゃならないし』

『顔、ヤバ。零点、ていうか、マイナス?』

『チョーもてなさそう』

 さんざん文句言われて、結局ヒゲを書き込まれるんだ。

 ヒゲならいいけど、暇にまかせて顔を塗りつぶされたりして。

 目の部分だけ四角く塗られて大笑いされるかも。

 はあ……。

 さっきは教科書に載りたいなんて言っちゃったけど、なんかどうでも良くなってきたぞ。

「なんじゃ、黙り込んでどうした?」

 ん?

 あ、ああまた脱線してた。

「あいつらをけしかけたのはもしかして……藤吉郎さん……なんですか?」

「こ、こらっ!」

 俺の腕をいきなり引っ張って藤吉郎が耳打ちした。

「なぜ分かる。おぬし、やはり易者か」

 鎌をかけたらあっさり自白してるし。

「まあ、そういう能力があると言っておきますよ。敵軍の動きなども分かりますよ」

「なら、間諜の才能もあるということか?」

「易者でも間諜でもどっちでもいいですよ」

 藤吉郎は家の間の狭い隙間に俺を押し込むと、背伸びしながら詰め寄ってきた。

「わしは乱暴されている寧々殿を見て興奮したかったんじゃ。せっかくあいつらに頼んでうまくいきそうだったのに、おぬしが邪魔をするから」

 ロ○コンでNTR願望とか、クズにもほどがある。

 ていうか、このままだと令和のコンプライアンスに引っかかって物語が打ち切りになるな。

 まずいことになったなと思ったその時だった。

 脳内にアラートがポップアップした。

《パワーアップキットを手に入れました。人物編集画面を起動しますか》

 おお、登場人物のパラメータをいじれる機能が追加されたか。

 じゃあ、寧々さんを十八歳ということにしておくか。

 成人なら、多少鬼畜なストーリーでもごまかせるだろう。

 脳内に表示された人物リストから寧々さんを選択し、年齢の数値を増やして『十八歳』に設定する。

《この設定を保存しますか》

 脳内ボタンをクリックしようとしたら、誰かが俺の肩を叩いていた。

「何をぼんやりしておる」

 藤吉郎が俺の顔をのぞき込んでいる。

「寧々さんを十八歳ってことにしておこうかと」

「勝手なことを言うな。わしは若い女子にしか興味がない。幼ければ幼いほどいいぞ」

 だからだろ。

「藤吉郎さんの趣味はいろいろ問題あるんで、十八ってことにしておいてください」

「わけのわからぬことを言うな。いやじゃいやじゃ、わしは若い女子が好きなんじゃ。十八なんかもう婆さんじゃないか。だったら、他の女子といちゃついた方がいいわい」

 なんだかなあ、もう。

 十八でも十分年下だろうに。

「夫婦になりたいんですよね?」

「そりゃそうじゃが」と、藤吉郎は口を曲げて言葉を濁す。「寧々殿は足軽大将の娘。わしのような下っ端では、出世しないと嫁にもらうことなどできんからな」

 ああ、そうなのか。

 かわいらしいきちんとした着物を着ていたのは、それなりにいいところの娘さんだったからなのか。

 今の下っ端の藤吉郎だと、出世しなくちゃ表立ってお付き合いなんかできないし、かといって、ちゃんとした家柄の娘と結婚すること自体が、身分制度の厳しいこの時代の出世そのものなんだろうし、ジレンマってやつだな。

「好きなら頑張って手柄を立てて出世したらいいじゃないですか」

「簡単に言うな。できぬから、隠れて逢い引きしておるのだ。ま、それで駄目だったら、もっと若い女子に乗り換えるだけだがな」

 どこまでもクズだが、歴史の事実を知っている未来人の俺は確信を持って励ました。

「大丈夫ですよ。できます。俺がアドバイスしますから」

「アド……とはなんだ?」

 外来語は通じないか。

「助言ですよ。すみません。南蛮の言葉が出てしまいました」

「ふん、うさんくさいやつだ」

 NTR願望を邪魔されたのをまだ遺恨に思っているのか、疑わしそうな目で俺をにらみつけている。

 ちょうどそこで家に着いたらしく、藤吉郎が立ち止まって指さした。

「わしの住まいはここじゃ」

 なんだこれ?

 家というよりは物置小屋だ。

 細い柱に板を打ちつけ、隙間には粘土だか泥みたいな物を塗ってある。

 ――人間の住むところじゃないだろ。

 観光地とかに残っている武家屋敷とか、最低でもかやぶき屋根の農家みたいな建物を想像していたから、あまりの落差に膝が震えるほど動揺してしまう。

 中に入ると、ガラス窓なんてないから真っ暗で、藤吉郎は壁をくりぬいたような四角い穴にかかった筵を跳ね上げた。

 だいぶ傾いた淡い夕日が差し込んで、ようやく室内の様子がつかめた。

 床はささくれだった薄い板張りで、上がって歩くとふかふかと揺れて踏み抜いてしまいそうだ。

 家具らしいものはないし、囲炉裏でもあるのかと思ったけど、炊事のできそうな設備もない。

「あのう、どうやって料理してるんですか?」

「独り身でそんなもの、やるわけないだろ」と、藤吉郎は背中を丸めながら木の床に直に座り込んだ。

「じゃあ、何食べてるんですか」

「金を払って隣のバアさんから飯を分けてもらっておる。これでもわしは一応お館様からお給金をいただいておるからな」

 と、話をすればそのお隣さんが姿を現した。

「サル、帰ったのかえ」

「おう、バアさん、今日は客もおるぞ」

「なんじゃ、なら二人分払っておくれよ」

「分かっておる」

 小屋の隅の床板をずらして床下に手を突っ込むと、藤吉郎は小さな壺を取り出した。

 中には小銭が入っていた。

 財布代わりというか、貯金箱のようなものらしい。

「おまえも来い」

 言われるままについていくと、隣の家で小銭と引き換えに、飯と漬物、それと汁物を受け取り、また家に戻ってきて夕飯になった。

 ご飯は白米ではなく、麦ご飯に雑穀が混ざったものだ。

 俺は焼き肉屋さんではいつも麦ご飯を選んでいるから、べつにかまわない。

 だけど、それ以外が問題だった。

 漬物は緑の菜っ葉の切れっ端、汁物は具無しの味噌を溶かしただけの濁ったお湯だ。

「おかずは?」

「殿様か」と、藤吉郎が吐き捨てるように笑う。「これで全部だ。腹が膨れるだけましだ」

 自分のお金はないし贅沢は言えないけど、それにしても毎日こんなものを食べてるだけで、よく生きていけるものだ。

「うまいだろ」

 藤吉郎は顔をほころばせながら飯をかき込んでいる。

 白米と何種類ものおかずが当たり前の食事をしてきた令和の人間からすれば、見た目からしてわびしいし、漬物は塩の塊みたいにしょっぱく、味噌だけの汁はダシなどなく、正直うまくはない。

 ただ、朝から何も食べてなく、歩きっぱなしだったせいで食べ始めてしまえば箸が進んだ。

「ごちそうさまでした」

「おう、満腹、満腹。よし、じゃ、寝るか」

「え、もう?」

 確かに外は日が落ちて小屋の中は暗いが、脳内モニターの表示では、まだ七時半だ。

「なんじゃ、わしと何をしたいんじゃ」と、藤吉郎が薄闇の中で、うさんくさそうな目で俺を見つめる。「わしは衆道は好まぬぞ。それとも夜這いにでも行くのか。おぬしも隅に置けんのう」

 電灯どころか、ろうそくの明かりすら高価でもったいない時代だと、暗くなったら寝るしかないのか。

「おぬし、これを使え」と、藤吉郎が窓にかかっているのと同じぼろきれのような筵を俺にくれる。

「使うって、何に?」

「寝るのに決まっておるだろう」

 あ、布団代わりか。

「わしは一晩くらいなくても大丈夫じゃ。今の時季は夜でも寒くはないからのう」

 新暦の六月くらいだから、確かにそんなに冷え込むことはないだろうけど、でも、唯一の寝具を貸してくれるなんて、意外といい人なのかもしれない。

「じゃあ、お言葉に甘えて。ありがとうございます」

「なに、いいってことよ。わしだっておぬしと一つの筵にくるまって寝るのはごめんじゃからな。ほいじゃ、また、明日」

 藤吉郎は壁に向かってごろりと横になると、数分後にはかすかにいびきをかき始めていた。

 俺の方は筵を体に巻いて横になってみたものの、木の床は薄いくせに体に当たるし、枕もなく、体は疲れているのに寝付けなかった。

 おまけに汗まみれだけど、着替えもないし、風呂もシャワーもない。

 と、そこで脳内モニターが点滅した。

《就寝モードに入ります。画面は消えますが、イベント発生時にはアラートが表示されます。お疲れ様でした》

 眠ろうとすると、脳内モニターの情報が浮かび上がらなくなるらしい。

 自動で切り替わるのは便利だけど、情報が遮断されると、キャンプに来た少年と変わらなくなる。

 何も持っていないから、むしろ無防備すぎるか。

 不安で夜も眠れないなんて、こんなので下剋上の世の中を渡り歩いてなんかいけるんだろうか。

 帰りたくなっちゃったな。

 やべえ、なんだよ、涙なんか浮かんで来ちゃったし。

 俺は慌てて手の甲で目をこすった。

 暗闇に目が慣れてくると、壁の隙間からこぼれるかすかな月明かりすらまぶしく感じる。

 だけどそれは希望の光ではなく、地獄の底から見上げる遠い天国のように思えた。

 どこかで犬の遠吠えが聞こえてくる。

 ――ちきしょう。

 負けてたまるかよ。

『信長のアレ』を千回クリアしたことに比べれば、こんな不便な生活くらい、どうにかしてやるさ。

 どれくらい時間がたった頃か、闇の中で「んごっ」と、藤吉郎が声を上げた。

 ――寝言か。

「寧々殿、勘弁でござる。しておらぬ。わしは浮気などしておらぬ。うおっ……やめ……たすけ……」

 夢の中でも痴話げんかかよ。

 でも、そんな馬鹿馬鹿しさに思わず笑みがこぼれ、その瞬間、俺は一気に眠りに引きずり込まれていた。

 期待に満ちていたはずの戦国時代初日は、こうして若干の不安に包まれて終わった。

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