トラウマティック・リーディング

小狸

短編

 *



 最近の創作物は。


 などと端を発すると、まるで僕がところかまわず最近の風潮や流行に対して異を唱えることによって自己承認欲求を満たすだけの、矮小で醜悪な人間であることを承知の上で言うけれど、どうも最近の創作物――殊に小説の類では、軽視されているように思う。


 何が?


 主人公への被害行為だ。いじめだとか、虐待だとか、そういうものを経てトラウマを持った主人公というのが、溢れかえっている。


 否、トラウマを持つことこそが、個性となっている、コンテンツとなっている時代なのだ。


 そんな中で、実際にトラウマを持つ私としては、どうも現代の流行というものに対して、寛容になることができない。


「○○は幼少期に虐待を受け――」


「××は学生時代からのいじめで――」


 ほら。


 こんな一文で、登場人物のトラウマを形成することができてしまうではないか。


 なんて単純で、残酷な風潮だと思わないだろうか。


 いじめも、虐待も、加害者にとってはただその時点での行為でしかないが、被害者にとっては、一生消えない傷なのである。


 それが分かっていない輩が、どうもこの令和の世の中には多すぎると思う。


 私も、かつていじめ被害を受けていた人間の一人である。


 女子同士が結託しあって私を無視したり、物を隠したり破壊したり、それはもう陰湿で酷いものだった。


 両親には相談できなかった。


 幸いなことに、両親は良識を持った人間ではあった。これで毒親だったら、私は自殺していたことだろう。ただ、私の家の生活は、当時を思い返せは、どうやら困窮していたようだった。


 虐待はなく、余裕もなかった。


 そんな家だったので、学校内でのいざこざを相談しようという思考に、まず至ることができなかったのである。


 いじめは卒業式まで続いた。


 そして卒業式の日、一人のいじめ主犯格でない子から一言、


「ごめんね」


と言われた。


 それだけだった。


 そのトラウマとして、私は「いじめ描写のある作品」を読むこと、観ることができなくなった。


 小説に限らず、映画、アニメ、漫画、ドラマに至るまで、そうである。


 それが目に映った瞬間、耳を塞ぎ、目を逸らす。極力それを摂取しないように全身が半自動で努力する。


 いじめに対してここまで過敏に反応するのも、そういう理由である。


 まあ。

 

 だからといってどうということはないし、世の中に一石を投じたいとか、そんな壮大なことを企画している訳ではない。


 誰も傷つけない表現なんて、この世には存在しないのだ。


 でも、だからこそ。


 その設定で、その描写で、その表現で。


 、ということは。


 どうか頭に入れておいてほしい。


 それが、一読者としての、私の小さな願いである。




《Traumatic Reading》 is the END.

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