第1章 ホスピス 第4話(上野紗良)
〈12月18日〉
不思議な巡り合わせがあった。
私の音楽好きに興味を示す人間が、このホスピスにもただ1人いたのだ。
三浦蓮さん。
私のリハビリを担当してくれる作業療法士さんだ。
三浦さんと話をしている時は、なぜか気持ちが軽やかで、久しぶりに背中の痛みも忘れていた。
初めて彼を見かけた時は、自分よりも少し若い先生だな、という印象だった。
初対面の私を見て、やや人見知り気味のような気がしたので、
「もしかして、緊張してます?」
と声をかけてしまった。
だが、のちに看護師の坂本さんと話してみて驚愕した。
なんと、三浦さんは私より5歳も歳上の38歳だと言うのだ。
嘘でしょ?本当にアラフォーなの?
というのが正直なところだ。
年齢を聞いた時、私の人生の七不思議に、確実に入る案件だと思った。
何しろ、開口一番の声がとても若かったので、とても自分よりも年上だとは思えなかったのだ。
いやいや、おかしいでしょう、その声。笑
スーッと人の心に響く、透き通るような声質。
そして、どこか温かく、懐かしい。
声優さんか何かだろうか?
とにかく、声が普通の人ではないのはすぐに分かった。
こんな声の持ち主には、今まで出会ったことがない。
どうした?
君はなんでここにいるのかな?
もう少しで、歳上気取りでこう聞いてしまいそうだったから、あとから年齢を伺って、
(言わなくてよかった!)
と心底ホッとした。
私は思ったことをそのまま言ってしまうところがあるから、ともすれば失礼に当たるかもしれない人間なのだ。
そして、「三浦蓮」という先生の名前も、なぜだか気になってしまった。
どこかで聞いたことがあるような気がする。
でも、はっきりと思い出せないのに
「どこかでお会いしましたっけ?」
と聞くのも失礼だろう、と思いとどまった。
私がそんなことを考えているとは露知らず、三浦さんは私の力の強さや体の硬さを調べていく。
作業療法というものを恥ずかしながらあまり知らなかったが、リハビリと称して、運動だけでなく、折り紙や絵画なんかもやってくれるらしい。
確かに、慢性的な疲労感や身体の痛みがある中で、気分転換できるものがあるのはとても大事だ。
私の場合、芸術作品を創ることに没頭していれば、痛みや心の不安定さも、少しは緩和される気がする。
何より、完成を目指す制作物があるということは、生きる意味があるということだ。
せっかくのチャンスだ。
後悔のないよう、死ぬまでに一度はやってみたかったことをやろう。
私は三浦さんにお願いして、作業療法で詩を書いてみることにした。
♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢
〈12月19日〉
詩を書くと決めてから、なんだかホスピスでの日々が楽しくなってきた。
まさかこの場所で、新しいことを始めるワクワク感を感じられるとは。
没頭できるものを見つけられることで、背中の痛みも感じにくくなるといいな。
やっぱり、人間には生きがいって必要なものだと思う。
詩にチャレンジしようと決めた理由は、自分の考えたこと、感じたことを形に残せると思ったからだ。
その詩がこの世に存在している限り、私のエネルギーは形を変えて生き続ける。
きっと、いつかそれを読んで、心動かされる人、励まされる人が出てくるかもしれない。
……そんな淡い期待まで抱いてしまう。
まだ始まってもいないのに、自惚れているのかもしれないけれど。
足も動かない。
背中のズキズキとした痛みは、慢性的に付きまとっている。
意識だって、いつまで持つのか分からない。
明日の命だって、本当は分からない。
そんな私にもまだ、表現活動の可能性が残されているのなら、そこに私の生きる意味があるはずだと思った。
思考する力、表現する言葉が私のなかにまだ残っていることに、感謝しよう。
それから、詩を教えることを快諾してくれた三浦さんにも感謝。
誰かと一緒に何かを創る時間があることが、単純に嬉しい。
こんな状況だけど、良い先生に巡り合えて、本当によかった。
♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢
〈12月20日〉
担当看護師の佐々木さんに頼んで、中原中也や宮沢賢治などの詩集を取り寄せてもらった。
佐々木さんは、20代後半の女性。
私が昔から推しているロックアーティスト、Seijiのがん闘病記を読んでいたら、
「Seiji好きなんですか?」
と話に入ってきてくれた。
「Seijiって、何歳になっても変わらないですよね!超人気で日本武道館ライブとかやってた頃、私もよくテレビで観てたな~!一時代風靡しましたもんね」
と、前のめり気味だ。
実は私も、ファンの友人に誘われて、Seijiのライブイベントに2~3回行ったことがある。
ライブハウスで間近に見たSeijiは、ブラウン管越しで見るよりも圧倒的に華やかだったが、どこか孤独を背負った一匹狼のような印象も受けた。
最近になり、がんと闘っていることを公表したが、変わらずに活躍している。
同じがん患者としては、とても勇気づけられる存在だ。
確かSeijiが全盛期の頃、佐々木さんは小学生のはずだ。
若いな。
彼女にはまだ、無限の未来がある。
自分にはない、瑞々しい生命力のようなものを、彼女からは感じてしまった。
そこへ、佐々木さんの話を聞いていたのか、坂本さんが入ってきた。
坂本さんは、入院以来、いつもちょこちょこ私の部屋を覗いてくれる。
「上野さん。佐々木さんって結構ミーハーでしょ。基本芸能人は誰でも『カッコいい!』ってなっちゃうタイプだから」
こんな突っ込みも忘れずに。
どうやら坂本さんは、人をおちょくるのが好きなようだ。
佐々木さんも負けじと言い返す。
「もう、そんなことないですよ!Seijiレベルだったら、誰でも知っている国民的ロックスターじゃないですか!」
「はいはい。この間は別のアイドルの話だった気がするけど。まあいいや」
坂本さんと佐々木さんは、いつもこうしたやり取りをしているのだろう。
なんだかんだ、病院の皆さんは仲良く楽しそうだ。
何年も一緒にやっているから、それなりに相手のことも知っているのだと思う。
私はまだ何も知らない。そして、知らないうちに世を去っていくかもしれない。
仲良くなりたいのに、完全には輪に入りきれない。
お二人と談笑しているはずなのに、形容しがたい孤独感のようなものを感じてしまった。
♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢
〈12月21日〉
初めての作詩は、なかなか難しかった。
私は感情表現が豊かな方ではあるのだけど、情景描写に弱いということが分かった。
たとえば、「大切なあなたへ」とかは書けるのだけど、「大切」に変わる詩的な表現があまり出てこないのだ。
三浦さんは詩を教えたことがないという割には、どういうわけか詩的表現がポンポンと出てくる。
「どうしたらそんなに詩的な情景描写が浮かぶんですか?」
と聞いてみたところ、
「俳句をやったのも関係あるかな」
という答えだった。
そこで、三浦さんを真似して俳句も少し作ってみたけれど、俳句の世界には決まりごとが沢山あって、なかなか難しそうだ。
私が作ったとんでもなく稚拙な俳句を、三浦さんはサーッと添削していく。
あまりにもレベルが違いすぎて、正直なところ、全く及ばない。
そして結局、
「俳句は本格的に究めるのには何年もかかりますからね。上野さんの豊かな感性を今すぐに生かすなら、やはり詩がいいと思いますよ」
と言われてしまった。
どうやらこの三浦蓮さんという方、かなり多才なようだ。
本業の傍ら、俳句で賞を取ったり、患者の似顔絵を描いてはプレゼントして喜ばれているらしい。
本人は「どれも中途半端なもので……」と謙遜気味だが、作品の出来を見ると、筋が良いのは一目瞭然だ。
私の直感が、芸術分野において、この人は只者ではない、ということを告げていた。
……どうして芸術の道に進まなかったのだろう?
このことについては、本当に何度も三浦さんに聞きかけてしまったが、失礼だと思い、思いとどまった。
自分の才能については、本人が一番分かっているかもしれないからだ。
きっと何か、そうしない事情があるのだろう。
それから、いつ耳にしても三浦さんの声は謎だ。
なんでこんなに彼の声が気になるんだろう?
声が若すぎる、という理由だけでない、何かがある気がする。
そういえば、はじめて三浦さんを見かけたときも、なぜか一瞬、懐かしいような気持ちになったことを今さらながら思い出した。
うーん。なんでだろう。
今の私には分からない。
分からないけれど、なにか大切なものを忘れているような、そんな感覚もある。
詩を書いていくうちに、三浦さんの声を聞いていくうちに、何か思い出せるかな……?
♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢
〈12月24日〉
今日はクリスマス・イヴ。
病院のラウンジで、クリスマスコンサートが開催されるというので、私も車いすを押してもらい、参加してみた。
地元の二人組ユニットが、電子オルガンと歌で、聴きなれたクリスマスソングを次々に披露していく。
会場は自然と手拍子で盛り上がる。
最後のアンコールでは、「きよしこの夜」を皆で歌った。
合唱している時、会場の一体感を感じ、胸が熱くなるものを感じた。
やっぱり音楽っていいな。
知らない人同士の心を通わせる魔法だ。
歌を口ずさみながら周りを見渡すと、コンサートを遠巻きに眺めている三浦さんが目に入った。
心なしか大きな瞳が潤んでいるように感じる。
マスクをしているので、表情の詳細は掴めないが、楽しそうに笑っている人々の中で、一人俯きがちな様子が見てとれる。
音楽が好きなはずなのに、コンサートを観ている彼は楽しくなさそうだ。
どうしてなのだろう。
そうこうしている間に、アンコール曲も終わり、会場は御開きとなった。
演奏後には、サンタから患者一人ひとりに、クリスマスカードとチョコレートが配られた。
病室に戻った後、作業療法の時間があった。
「クリスマスソングといえば、ジョン・レノンのハッピークリスマスですよね」
と言ってジョンの曲をかけ、三浦さんと一緒に先ほどのチョコを食べることにした。
「チョコレート、好きなんです」と目をパッと輝かせる三浦さん。
笑顔が戻って良かった。
「先生、せっかくだから一緒に歌いませんか?」
と半ば冗談で声をかけてみたが、
「いえいえ。英詞は難しくて、なかなか歌えませんから」
と、これは案の定、断られてしまった。
それでも、「ハッピークリスマス」の曲を聴きながらチョコをほおばる三浦さんが、幸せそうでいてくれたのでホッとした。
絶対に笑顔の方が素敵だ。
チョコと音楽と詩に囲まれている三浦さんの方が、普段の彼よりも生き生きしている。
私にとっても、きっと人生最後のクリスマス。
チョコと三浦さんの笑顔は、長く心に残りそうだ。
こんなクリスマスも、悪くないかな。
♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢
〈1月1日〉
年が変わった。
ホスピスで過ごす、はじめての、そしておそらく、最後の新年。
突き刺すような背中の痛みは相変わらずだが、それすら生きている証のように感じる。
ひとまず、年を越せたことに感謝。
新年にはやはり、抱負が必要だろう。
ただ詩を書いているだけではつまらないから、目標を立てるのにはちょうど良い頃だ。
「作詩家として、めざせ、ボブ・ディラン!」
そう書いた貼り紙を、机の上に貼ってみることにした。
すると、佐々木さんが、貼り紙を見るやいなや、ケタケタと笑い始めた。
「上野さん、ディランってノーベル文学賞ですよ」
と突っ込みながら。
そう、ディランは歌手であると同時に、詩人でもあるのだ。
もっとも、「ボブ・ディランがなぜノーベル文学賞なのか」という議論があったことも知っている。
ただ、この選定には大きな意味があると思う。
そもそも、古代ギリシャにおいては、紀元前8世紀のホメーロスから、文学としての詩が残されている。
当時、詩は文学であり、また同時に、「詩」と「歌」は一緒に紡ぎ出されるものだったらしい。
そのため、「ディランの『作詞』も、『詩』であり、文学に相当する」というノーベル賞選考側の判定が出たのだという。
ディランは詩を一気に紡ぎ出し、そして歌にしていく。
そのスピード感は、時に、神業のようだったらしい。
ディランにあやかって、誰かの心を震わす詩を紡いでみたいものだ。
♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢
〈1月3日〉
ホスピス病棟には、つくづく色んな人がいる。
人は死期に近づくにつれ、目に見えない恐怖と闘っているものだ。
看護師歴6年目の佐々木さんによると、死を身近に感じるこのホスピスでの勤務は、精神的にも過酷なものらしい。
患者の中には、精神に異常をきたすレベルで悲観的になったり、時には病院のスタッフに八つ当たりをする人もいるそうだ。
「それだけ真剣に生きることに向き合っているってことじゃないですかね。私たちは、お一人おひとりの大切な時間のお手伝いをさせていただいています。
ま、とは言え、私たちも人間だから、受け止めきれないこともありますけどね」
そう語る佐々木さんの表情は、どこか無理をしているようだった。
すぐに死がやってくる恐怖。
担当する側も、毎回患者の死に感情移入していたら大変だろう。
私が死んだ時、悲しみすぎないように、皆さんともあまり仲良くしない方がいいのかもしれない。
♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢
〈1月4日〉
今日も作業療法で、三浦さんと詩を書いていた。
今の入院生活の中で、この時間が一番好きだ。
ところで、今日は身体の痛みがすべて吹っ飛ぶくらい、とんでもないものを入手してしまった。
実は三浦さんがいない時、ダメ元で坂本さんに彼のエッセイ集のことを再び聞いてみた。
最初にエッセイ集の話を聞いた時、
「今は絶版になっていて、人に見せる予定はない」
と言われてしまったけれど、どんなことが書かれているか、少しでも知りたくて。
すると、坂本さんはニヤリと不敵な笑みを浮かべながら、
「やっぱ気になりますよね。あとで内緒で差し入れしますんで」
と言って、数日後には手元に持ってきてくれたのだ。
今、私は、三浦さんに申し訳ない、という思いを持ちつつ、読んでみたい……という衝動に駆られている。
「目の前にあったら、私絶対読んじゃいますよ」
って、三浦さんの目の前で言ったよね。
そして、今のこの瞬間、例のエッセイ集は私の目の前にある。
私は嘘をつくのが苦手なタイプだ。
三浦さんにエッセイ集を読んだことを黙っていられるだろうか。
「『目の前にあったら、私絶対読んじゃいますよ』、って言ったじゃないですか。目の前にエッセイ集が来てしまったので、読んじゃいました」
で許してくれるだろうか?
何せ、彼のエッセイ集に対するあの隠し方は尋常ではない。
大切な宝物なのに、他の人に見せることを拒否してしまっているところに、重苦しい蓋を感じた。
そんなにもったいぶられたら、こちらだって気になってしまうのにね。
……三浦さんを知りたい。密かにでもいいから、もっと理解したい。
そんな気持ちがむくむくと私の中に広がり、ついには罪悪感よりも勝利してしまった。
♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢
エッセイ集の題名は、「海を眺めていた」。
おそるおそる、一ページ目を開いてみる。
まっさきに目に飛び込んできたのは、三浦さんのプロフィールだ。
静岡県出身。
38歳。
元アーティスト。
ホスピス勤務。
エッセイ、絵画、俳句を嗜む。
ちょっと待てよ。
元アーティスト?
これか!とすべての思考回路が繋がるかのようにヒットした。
三浦さんが音楽の時だけ明らかに話に乗ってくるのも、異常に年齢を感じさせない声も、すべての理由が明らかになった。
どんよりと曇りがちだった頭のモヤモヤがサーッと晴れ、一筋の光が差してきたような感覚が広がっていく。
それから、なぜ私が三浦さんの声が気になるのか……その理由にも、思い当たる節が出てきた。
もしかして……あの時の……。
スーッと人の心に響く透明感。
どこか温かく、懐かしい……。
というわけで、改めまして。
三浦連さん。あなたの人生、覗かせていただきます。
そう心の中で三浦さんに呟いて、思い切ってページを捲った。
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