黒印の錬金術とその周辺

 錬金工房に、一人で作業を進める音が響く。壁際の棚には大小さまざまな瓶や薬草、金属が並び、それぞれにラベルが張られている。


 薬草の香りがかすかにに漂う工房はアッシュにとって、落ち着く空間だ。


 中央には大きな古びた錬成台があり、長年の使用で所々に傷が刻まれていた。その周辺には道具類が配置されている。


 背後の棚には祖父が遺した古い書物が並んでいる。その背表紙には錬金術に関する物や一見すると関係なさそうなものも含まれていた。なんども読み返されたのだろう跡が見える。


 そして、かつて祖父と並んで立った錬成台の前で、アッシュは慣れた手つきで素材を選んでいった。


 黒髪は長く、無造作に後ろで一つにまとめられている。瞳はどこか影を宿しているが、それでも手元を見つめる目は真剣だ。そして左頬には、異質な雰囲気を漂わせる黒い烙印が刻まれている。


 まずは、黄緑色の薬草のエナリーフ。葉は形に沿って白く縁取るような模様をしている。未成熟のエナリーフにはこの模様は出ないため、成熟したかを見極める目印とだ。さらに葉の色の深さがそのまま品質を表しており、濃い緑の葉ほど高い回復効果が期待できる。アッシュは慎重に葉を確認し、この中では最も濃い緑色のエナリーフを選び取った。

 

 次に手にしたのは、薄い青の小さな丸い実、リラベリー。この実には回復効果はないが、体の負担を軽減し、心身をリラックスさせる効果がある。回復作用のあるエナリーフの効果を引き立てる役割を担う。

 

 一つひとつの素材を吟味するたび、アッシュはこの地で手に入る素材の質を改めて痛感した。


(俺ももう少し戦えたら、余裕ができるんだけど)


 魔物が潜むためアッシュが入れる森の範囲は限られている。ただでさえ狭い範囲に加え、最近では森の魔物の動きが活発になってきた。

 アッシュは余計な考えを振り払うように首を振ると、素材を錬成盤の上に配置した。


 錬成盤の前に立ち、アッシュは深く息を吐く。


 そして、静かに手をかざす。


 指先から放たれるわずかな魔力が、錬成盤へと流れ込んでいく。


 魔法陣が青白く輝き放ち始めた。輝きは魔法陣を満たし波紋のように錬成盤全体に広がっていった。素材の上に魔法陣が浮かび上がる。

 エナリーフとリラベリーはそれに呼応するように淡く光ると、次第に煌めきながらゆっくりと溶けていく。素材が魔力の流れにしたがい形を失う。

 葉や実が液体へと変わるこの光景はどこか幻想的だった。


 アッシュは全て溶けるまで、慎重に魔力を操作し続けた。ここまでは素材を分解させる工程だ。そして次は溶けだした素材の魔力を整え、効果を引き出す繊細な調整が必要となる。

 

 それぞれの素材の魔力を絡めとり、引き合わせ、繋ぎ、新たな力を宿す一つのモノへと変える。


 慎重に作業をつつけること数分、素材は完全に変化を遂げた。錬成盤の上の瓶には透明感のある美しい緑色の液体が注がれていた。




 朝から始めた作業もすべて終えたころには昼を過ぎていた。完成した回復ポーションを一本ずつ確認し、木箱に収めていく。


「よし、これで全部……かな」


 木箱には合計二十本のポーションが詰められていた。これだけの量になるとかなりの重さだが、アッシュは気にした様子もなくリュックに収める。

 リュックはその大きさと見た目からは到底想像できないほどの容量があり、木箱はするするとリュックに入り収まった。重さを軽減する機能もあるので、ポーションを詰めた木箱を入れても負担はほとんど感じられない。


 これも祖父から継いだ物の一つだった。見た目はただの古びたリュックだが、霊体の魔物の素材が使われており、見た目より多く収納できる。素材採取にも使える便利アイテムだ。かつて祖父はこれをリュックなどと言っていたが、もちろん容量は無限ではない。


 アッシュはリュックを背負い直し、気持ちを切り替えるように背筋を伸ばす。彼は軽く身支度を整えると工房の扉を開け、依頼の品の納品へと向かった。





 アッシュはリーフェニア伯爵領にある都市ウルフリートに住んでいる。ウルフリートは広場を中心として区画が別れており、アッシュの錬金工房は東の職人区画の外れのほとんど目立たない場所に建っていた。

 

 街のはずれは寂れた雰囲気が強く、崩れかけた石垣や苔むした壁が目立つ。人通りもほとんどなく、昼間でもひっそりと静まり返っている。


 一方で中央広場へ近づくにつれて街の様子は少しずつ変わっていく。石畳の道は整備され、広場へと続く通りでは行き交う人々の姿も増え、商人たちの声が響き渡っていた。


 広場の中央には街の守り木ともいえる古木がそびえている。普通の木よりやや小さめだが、周囲を優しく包み込むような佇まいを見せている。この木は街を見守る象徴として古くから大切にされ、幹には手入れの跡が残っていた。


 しかし、その穏やかな景色に似つかわしくない空気が広場に漂っていた。


 アッシュがその広場に足を踏み入れると、すぐに住民たちの視線が彼に集まった。それは冷たく、どこか敵意すら含んでいる。遠巻きに彼を見つめる者、顔をしかめて立ち去る物。しかしアッシュは気づかないふりをして、努めて穏やかな笑みを浮かべた。


「こんにちは」

 目が合った住民に、軽く頭を下げる。


 住民は一瞬ぎょっとした表情を見せるが、返事をすることなく足早に去っていく。その背中を見送りながらも、アッシュは笑みを崩さなかった。


「あいつ、また古木のそばを歩いてるぞ」

黒印こくいんが神聖な守り木の近くに来るなんて……!」


 ささやき声が広場のあちこちで聞こえる。アッシュが古木をちらりと見上げるだけでも、住民たちはさらに眉をひそめ、距離を取った。


 彼の左頬には、漆黒の模様が刻まれていた。まるで墨が肌に溶け込んだかのような滑らかな質感を持ち、複雑な線と歪な円が不気味に絡み合う。この国で錬金術師に刻まれる『黒印』は忌むべき存在の烙印だった。

 これは危険な錬金術師を管理するため、かつて生み出された仕組み。


「なんだか、守り木もあいつを嫌がってるみたいだよな。枯れ始めたのも、あいつが近づきすぎたからじゃないか?」

「やっぱり災いを引き寄せるって本当なんだ……」

「やめろ、聞かれるぞ」

「平気さ。どうせ何を言っても、あいつは何も言い返さないんだから」


 そう言って一人がアッシュに近づいてくる。アッシュは相手に気が付くとすぐに挨拶をした。

「こんにちは」

「おい、お前みたいな奴が守り木に何の用だ?」

 しかし帰ってきたのは、冷たい言葉だ。

「いえ、ここには通りかかっただけですよ、納品のために魔術師ギルドへ向かうところです」

 アッシュは無害であることを示すため両手を軽く上げる。

「あなたも、何かお困りでしたら、ご依頼してください」

「チッ。黒印が偉そうに……。お前なんかに頼むことはねえよ。それより、問題はおこすなよ」

「ええ、気を付けます」


 この反応はいつも通りだった。アッシュは顔に出さないように気をつけながら、広場を通り抜ける。もし彼がその言葉に強く反応してしまえば、さらに増すことを知っているからだ。


 アッシュの心にはたったひとりの家族だった祖父が、いつも口にしていた教えがある。


『錬金術は人を助けるために使いなさい』


 祖父が遺したその言葉は、アッシュが唯一“祖父とのつながり”を感じられる大切な教えだった。アッシュはその教えを守りたいだけ。


 そんな祖父からの教えと共に、住民からの蔑む目もアッシュは継いでいた。というより錬金術師自体が不吉を呼ぶ者として忌み嫌われている。


(……じいさんの言葉が無ければ、こんな連中……)

 アッシュは目を瞑り軽く息を吐いた。


 街は相変わらず厚い雲に覆われており、昼間にも関わらず薄暗い。通りを進むアッシュに気づいた住民はさりげなく距離を取り、目を合わせないようにする。その光景はアッシュにとっては日常だった。


 とはいえ気分の良いものではない。

 アッシュは足早に広場を抜けひと気が少ない方へと足を進めるのだった。

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