魔境都市の錬金術師

O型はんなり

祖父の意志と錬金術


 古びた石造りの狭い工房にはコツコツと祖父が作業する音だけが響いている。作業台いっぱいに広げられた素材の前で、白髪の老人が黙々と手を動かしている。


 黒髪の少年アッシュはそっと近づき、祖父の懐に潜り込んだ。祖父の服に染みついた薬品の匂いが漂っている。アッシュはこの香りが心地よかった。


「おじいちゃん、何やっているの?」

「素材の整理じゃよ。質の良いものと悪いものを分けとるんじゃ。ほれ、これを見てみなさい」


 祖父はいつも優しい声で答えてくれた。

 緑色の葉っぱを手に取りアッシュの目の前に持ってくる。ツンと鼻緒刺激する植物の青臭い香りに、アッシュは顔をしかめる


「これはエナリーフと言ってな、体を癒す薬草じゃ。質の良し悪しはの、ここを――」

 祖父はエナリーフの説明をし始めた。良いものと悪いものを手に取り丁寧に説明するが、アッシュには退屈な事だった。説明が終わるのを待たずに、彼は祖父の袖を引っ張り、目を輝かせた。


「それよりさ、錬金術! やってよ、錬金術!」

「ほほう、錬金術が見たいのか?」

「うん! だって、あれすごく面白いんだもん! 魔法陣を描いて、ピカーって光って、ぱっと何かができるやつ!」


 アッシュは飛び跳ねるようにして作業台の隣にある錬成台に向かった。そこには祖父が日々手入れしている錬成用の魔法陣が刻まれた石板、錬成盤が置かれている。


「では、アッシュにも手伝ってもらおうかの。あそこの棚から、透明な液体の瓶を取ってきなさい。それと、この葉っぱを一枚」

「うん、わかった!」


 祖父が指示で、アッシュは小さな手で指定された瓶を取り、薬草と一緒に錬成台に運んできた。その動作を見守る祖父の目には、温かい光が宿っている。


 錬成台の前に立つ祖父は、瓶と葉、空の瓶を慎重に錬成盤の上に配置した。光を吸い込んだかのような薄暗い工房の中で、その動作には妙な神聖さが漂っている。


「見ておれよ、アッシュ。錬金術の本質は、素材をただ変えることではない。その力で何を作るかが大事なんじゃ」

 祖父は台に手を置き、目を閉じて小さく息を吐いた。そして魔法陣に魔力を注ぎ込む。


次の瞬間、錬成盤の魔法陣が青白い輝きを放ち始めた。光が波紋のように広がり、各素材の上に浮かび上がる。透明な液体が瓶の中で震え始め、葉はまるで見えない手に導かれるように中心へと引き寄せられる。


光がやがて収まり、小さな瓶の中には澄んだ緑色の液体が静かに輝いていた。


「すごい……!」

 アッシュが感嘆の声を漏らすと、祖父は容器を手に取り、優しく微笑む。


「これが回復ポーションじゃ。傷ついた者の痛みを和らげ、命を救う力を持っておる」

 アッシュの瞳は期待と憧れに輝いていた。その様子に気づいた祖父の目にも、どこか誇らしげな光が浮かぶ。


 その後、二人で後片付けを終えると、祖父は再び作業台に戻り、いつものように素材の整理を始めた。その後ろ姿を見つめながら、アッシュは胸の中で何かが芽生えるのを感じていた。


「決めた。僕、おじいちゃんみたいな錬金術師になる!」

 その言葉に、祖父は振り返り一瞬目を丸くしたが、すぐに目じりを下げて笑った。

「そうか……そうか。それは、嬉しいのう。それじゃあ勉強はしっかりしないとな」


「えー勉強はあんまり好きじゃない…けど頑張る!」

 アッシュの返事に祖父は笑い声をあげた。その笑い声は深く優しかった。


「よし。それなら大事な心得を教えておこうかの」


 祖父は少し表情を引き締め、アッシュの肩に手を置いた。その手は力強く、言葉には普段の穏やかな口調とは違う重みがあった。


「錬金術は人を助けるために使いなさい」

「人を助ける……?」

「そうじゃ。錬金術の力は、自分だけのために使うべきものではない。困っている人を救い、誰かを守るために使うものなんじゃよ」


 アッシュは首をかしげた。その幼い顔には納得しきれない様子が浮かんでいる。


「人って、町の人も? でも、町の人は嫌だよ。おじいちゃんのこと、悪く言うじゃん。不吉だとか怖いとか。そんな人たち、助ける必要なんてないよ!」


 アッシュの目に浮かぶのは小さな怒りと悲しみだった。祖父を守りたいという純粋な思いが、不器用な言葉に滲み出ている。


「そうか、そう思うのも無理はないのう」

 祖父は少し目を伏せ、葉っぱの整理を続ける手を止めた。そして、懐かしむような微笑みを浮かべながら再びアッシュを見つめた。


「でもな、嫌われているからといって、困っている人を見捨てていい理由にはならん。人は助け合うものじゃよ」

「でも……」

 アッシュは口を尖らせたが、すぐに顔を上げて、何かを思いついたように笑った。

「だったらさ、僕、おじいちゃんのために錬金術をやるよ! それならいいでしょ?」


 祖父の顔に驚きと喜びが混ざった表情が浮かんだ。

「そうか、それは嬉しいのう、アッシュ。わしのために錬金術を使ってくれるのか」


 だが、その笑顔はほんの一瞬だった。祖父はふと遠くを見るような目をし、柔らかい声で続けた。

「じゃがな、アッシュ……わしはもう歳じゃ。そのうち、わしはおらんようになる」

「え……?」

 アッシュは目を見開いた。その言葉の意味が一瞬で理解できず、祖父の顔をじっと見つめる。


「その時、お前が独りでこの工房を守らねばならんのじゃ。その時に、助け合える人が誰もおらんかったら……どうじゃ? 独りで生きていけるか?」

 祖父の穏やかな声が工房に静かに響く。


「うん! 錬金術があれば何でもできるよ! だから、一人でも大丈夫だよ!」

 自信満々に言い切るアッシュに、祖父は小さく微笑んだ。その笑顔は、少しだけ寂しさを帯びていた。


「そうか。お前は強い子じゃな。それなら一人でもやっていけるかもしれん」

 その言葉にアッシュは得意げな顔をした。だが、祖父は続けた。


「じゃがな、アッシュ。それじゃアッシュが寂しいじゃろ」


 祖父の言葉はあまりに静かで、優しく、工房の中に溶け込むようだった。


 その時の祖父の言葉が、アッシュには今でもはっきりと胸に残っている。

 



 そして今、工房に響くのはアッシュ一人が作業を進める音だけだった。


 古びた石造りの工房には、いつものように薬品の匂いが漂っている。だが、今は祖父、ベネディクトの優しい声も、温かな笑顔もそこにはない。

 作業台の上に並ぶ素材を見下ろしながら、長い黒髪を後ろに流してアッシュは深いため息をついた。


「……さて、やるか」

 そうつぶやいて、彼は手元の素材に目を落とす。かつて祖父と共に並んで作業した場所に一人で立ち、アッシュは依頼のポーション作りを始める。

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