顔のない人々

@pinkuma117

第1話

あの日から、僕の周りで奇妙なことが起こり始めた。毎朝同じ電車に乗って、無機質な通勤を繰り返していたのだが、ある日ふと周りを見渡すと、乗客たちの顔がぼんやりとぼやけていることに気づいた。


最初は「寝不足で目がかすんでいるのかな?」と思った。だが、次の日も、そのまた次の日も、乗っている人の顔が少しずつ薄れていく。目、鼻、口が曖昧になり、まるで消えかかっているかのようだった。日に日にその違和感は強まり、通勤電車の乗客の顔が徐々に完全に消えていった。顔のない人々が無言で座る車内。僕は恐怖を感じ、この事を周囲の人に話したが、誰にも信じてもらえなかった。


日々の生活で、電車に乗るたび、僕の周りの人々は顔を失っていった。通勤だけじゃない。職場の同僚や街中を歩く人々まで、僕が出会うすべての人が、次第に“顔のない人々”になっていったのだ。


「どうしてみんなの顔が見えなくなっていくんだ…?」と混乱した僕は、顔のない人に話しかけてみたが、返事はない。まるで世界が静寂に包まれ、僕だけが取り残されているようだった。


ある夜、疲れ切って家に帰り、ふと鏡を見つめた瞬間、背筋が凍りついた。鏡に映る僕の顔が、少しずつぼやけ始めていたのだ。最初は眉が、次に目が、そして口が消えていく。まさか、自分の顔まで消えてしまうなんて…。


僕は焦りと恐怖に襲われながらも、何もできずにその場に立ち尽くしていた。


翌朝、顔のない人々に囲まれながら電車に揺られていると、車内で一人だけ、顔のある老人を見つけた。勇気を出して近づき、問いかけてみた。


「どうして僕の周りの人たちは、顔が消えていくんでしょうか?僕もこのまま顔がなくなってしまうんでしょうか?」


老人は静かに微笑み、こう言った。


「君は、最近どれだけ他人の顔を見てきたかね?人をよく見て、話を聞き、気にかけることが少なくなっていなかったかね?」


僕はハッとした。確かに、日常の忙しさにかまけて、いつからか周りの人に無関心で過ごしていた。挨拶もせず、会話も避け、自分のことしか考えていなかった。


「顔というのは、君がどれだけ他人を見ているかによって形作られるんだよ」と老人は続ける。「他人の顔をよく見て、大切にすれば、君の顔もまた戻ってくるだろう」


その言葉に、僕は心を入れ替えることにした。翌日から、僕は駅員さんに挨拶をし、同僚には声をかけ、近くにいる人と積極的に話をするようにした。人々と交流を深めるたびに、少しずつ周りの人々の顔が戻ってくるのがわかった。


やがて、鏡に映る自分の顔もはっきりと戻っていた。なんとも不思議な気分だったが、顔が戻っただけでなく、人との関わりが増えたことで毎日が充実し、孤独だった日々が嘘のように心が温かくなっていった。


僕の世界は、かつての無表情で無機質なものではなくなった。他人を見つめ、声を掛け合い、喜びを分かち合うことで、僕の世界は彩りを取り戻したのだ。


「僕の顔も、そして周りの人の顔も、ちゃんとここにある」


僕は自分が他人に無関心でいたことを反省し、他人を大切にする喜びを見つけることができた。そして、もう決して、顔のない世界には戻らないだろう。

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