美佳と愉快な仲間たち

@daidoji

負ける女

「人の不幸は蜜の味」とはよく言ったものだ。

「ぴぎゃぁぁぁぁ」と滅多に耳にすることのない美佳の独特な悲鳴が、防音室を突き抜け、私の耳に響く。その声を聞いた瞬間、心の奥にじわりとした感覚が広がった。何だろう、この感じは。なぜだか分からないけど、私の胸が不思議と熱くなる。

「まって……まって……やめてぇぇ……」

泣き叫ぶ美佳の声がさらに大きくなる。今日も絶好調だ。

美佳が頭を振り乱すたびに、ヘッドドレスの黒いレースが揺れる。

両手を挙げ、頭を抱え込むのに合わせて、袖口のフリルが舞う。

身をよじれば、漆黒の布地に細かく施されたレースとリボンがなびく。

中世の貴族のお人形のような端正な顔立ちと、優雅な服を身に纏った装いが、美佳が暴れて叫ぶほどに乱れていく。

「そんなはずない、そんなはずないよぉぉ!」

泣き崩れる美佳の姿を楽しみに、彼女の配信には毎日数多くの視聴者が集まる。皆、彼女が苦しみ、涙に濡れた顔を、絶望に沈んでいく悲鳴を待っている。

私もその一人だ。美佳の配信している防音室のすぐ外側で、耳で聞こえるだけでなく、体にじんじんと可愛い悲鳴が響き、しみ込んでくる。美佳が地団駄を踏み、机を叩き、壁にぶつかるたびに、美佳の苦しんでいるさまが感じられる。美佳が荒ぶるほどに、ついつい私の心も高ぶってしまって、気が付けば防音室の壁に抱きつくようにして、美佳を感じている。

ふと、我に返り、配信画面を映したモニターに目を向けると、美佳の姿が消えていた。

「私のお金……お金がぁぁ……」

椅子は空っぽのまま、配信にはただ美佳の泣き声だけが響いていた。

「もういや、もういや、もういやぁぁぁ!」

きっと美佳が床の上で子どものように手足をばたつかせて駄々をこねているのだろう。

カメラが振動している。それに合わせて、テーブルの上においていたコップが、少しずつ動いていく。やがて、テーブルの端にまで迫ったコップは、ついに零れ落ちる。

「ぴやぁぁっ!」

水の音とともに美佳の悲鳴が上がる。

防音室の扉を開けると、狭い防音室内に充満した美佳の香りがふわりと溢れだすと同時に、びりびりと体中がしびれるほどの鳴き声がぶつかってくる。

美佳の漆黒のスカートは黒のレースがふんだんにあしらわれ、腰元の大きなリボンとあいまって、羽を広げた蝶のような優雅な代物のはずなのに。

それなのに、美佳が泣きじゃくり、床に転がって子どものように駄々をこね、頭からジュースを被ってしまっては台無しだ。

フリルは張り付き、リボンはつぶれた。本来のふんわりとしたシルエットも、今じゃまるでしぼんだ風船のような、水たまりに落ちて表面張力にあらがえなくなった蝶のようだ。どんなに素晴らしい服も着る人を選べない。本当に服が、製作者がかわいそうだ。

「はぁ……」

私は思わずため息を漏らしていた。

防音室に足を踏み入れ、美佳に近づき声をかける。

「美佳、頑張って、まだ配信中だよ」

顔を上げ、私を見つめる涙でぐしゃぐしゃに濡れた美佳の顔は、つい時を止めてしまうほどに愛らしい。

「もう無理!もう無理だよぉ」

美佳は甘える様な可愛い声で泣く。

本当は抱きしめて慰めてあげたいけれど、今は心を鬼にする。

「立って!まだ終わってないよ」

腕を引っ張り、強引に立たせる。

美佳はもう一方の手で顔についたジュースと涙を拭いながら弱々しく立ち上がった。

「まだ配信中だよ」

美佳を椅子に座らせると、顎を掴んで顔をカメラに向けさせる。

涙で腫れた瞳、頬を濡らす涙の筋がと、ジュースで濡れて垂れ下がった前髪が美佳の整った顔を歪めている。美しく整ったものがめちゃくちゃに崩れる様には、胸を締め付けられるような苦しみと同時に不思議な快感がある。美佳の瞳が涙で腫れ、その瞳が弱々しく私を見つめている。まるで助けを求めているかのようだが、その涙に濡れた頬を見ていると、私は逆にその弱さに引き込まれる。彼女の口が震え、すすり泣くたびに、喉元がかすかに動く。その小さな動きさえも、まるで私だけに向けられたかのように感じられた。

視聴者のみんなも、きっと私と同じ思いなんだろう。美佳のこの表情に、しぐさに胸を鷲掴みにされているに違いない。みんなにも望んでいる顔を見せてあげる。

『葵ちゃん鬼畜!』なんてコメントと共に投げ銭が飛ぶ。

「諦めちゃダメだよ。ちゃんと取り戻さないと」

励ますと、美佳はこくりと頷いた。

私はまた防音室を出て、モニターを確認する。

美佳の配信画面と、視聴者からのコメントと、それから株価が映し出されたモニターがそれぞれある。

『もっと泣け!』

『これを待ってた!』

『もっと下がれ!もっと美佳を鳴かせ!』

そんな酷いコメントが投げ銭と共に飛び交う。美佳は配信で大勢の視聴者からひどい仕打ちを受けているはずなのに、私が守ってあげなきゃいけないはずなのに、とても心地いい。

外から防音室の扉をぴたりと締めて、美佳を中に閉じ込める。別に鍵なんてついていないから、中からいつでも開けられる。いつでも逃げ出せる。それなのに、美佳は素直に私の言うことを聞いてくれる。そんな素直な美佳を、まるでいじめの輪の中に突き落としたかのような錯覚を覚える。そこには罪悪感なんて少しもなくて、ただただひたすらに心が満たされる。

私のことを『鬼畜姫』なんて揶揄するコメントがちらほら見受けられる。

私は悪くない。これも美佳のためなんだから。こうして稼いだお金が、美佳の生活費になって、大学の学費になっているんだから。


美佳はこれでも投資の配信をしている。

美の女神の嫉妬を買いそうなほどに、容姿とスタイルに恵まれた美佳が、英知にまで恵まれて、まるで全てに恵まれた完全無欠の存在であるかのように、自信満々に経済情勢の解説を始める。

「昨日の日銀総裁の0.5ポイントの利上げの発表は、短期的に株価に悪影響を与えると思われがちだけれど、ここで委縮するのはバカね。ここで債権を購入するなんてひよってる人は投資なんてやめた方がいいよ。利上げをしたら金融銘柄が上がるのはサルでもわかるんだから、銀行株を買うしかないでしょ」

美佳は、そんな強気な発言をしながら、銀行株を買った。

『あれぇ?銀行株が上がるとか言ってるのに全財産突っ込まないとかひよってるんですか?』

なんて煽るようなコメントに、まんまと乗っかって、美佳は全財産を突っ込む。

「ぴぎゃぁぁぁぁ」

市場の開幕を告げるかのように、美佳の悲鳴が響き渡る。

画面に顔を近づけて、チャートを覗き込む顔が、大きく配信画面に映し出される。

大きく見開かれた黒い瞳に、みるみる下落しているチャートの様子が写りこんでいる。

「なんで?なんで下がるの?」

美佳の手が、声が震えているのが、配信越しにも伝わる。

『下がった!』

歓喜のコメントが一気に流れる。

これでも美佳は自他ともに認める天才投資家だ。きっと、美佳は言葉通り自分は天才だと思い込んでいるはずだ。けれど、みんなはそうじゃない。美佳の予想は絶対に外れるということを知っている。美佳が上がるといえば下がるし、下がるといえば上がる。たった一度の例外もなく、絶対にだ。だから、視聴者のみんなは美佳の予想を聞いて、逆の投資をする。

その結果何が起こるか。株価は通常では考えられない動きをみせる。みんなは利益を上げ、その損失が美佳に跳ね返ってくる。

「もうやめて、もうやめて、もう下がらないでよぉぉぉ」

美佳の叫び声に反応して、コメントが反応する。

『今日も儲けさせてくれてありがとう』

お礼の言葉とともに、上限金額の投げ銭が飛び込む。きっと、みんなはこの金額以上に儲けたんだろう。

「なんで!?なんであんたたちばっかり儲けてるのよぉ!こんなのひどいよぉぉぉぉ」

そう叫んで、子どものような泣き声を上げる。

「なんで私ばっかりこんな目に合うの!?」

叫びながら机を叩く。

一度下落を始めた株価は、容赦なく下がり続ける。まるで、株価までもが『もっと泣け』とあざ笑っているようにも見える。

もちろん、視聴者は投資をしている人ばかりじゃない。

一見完璧に見えた鼻持ちならない女が、無様にどん底に沈んでいく様を楽しんでいる視聴者もいる。

他人の失敗を見て留飲を下げている人もいる。

美佳には、そんな視聴者の期待に応えるつもりなんて微塵もない。投資で大成功して、己の知性の高さを見せびらかしたいという欲求で動いているだけに違いない。

けれど、美佳のその美貌はきっと幸運の女神の反感を買ったらしく、全てが裏目に出る。著名な経済評論家の講釈をまねてみても、必ずその通りにはならない。そのたびに美佳は絶望の底に突き落とされる。やらせも演技もないこのエンターテイメントはいつの間にか『負け芸』と呼ばれて定着し始めていた。

「ごめんね……葵のくれたお小遣い……なくなっちゃった……」

嗚咽を漏らしながらつぶやく美佳。

『人の金でギャンブルするとか人間のクズ!』

そんなコメントが飛ぶけれど、みんなはわかっていない。

そうやって稼いだ投げ銭が美佳の投資の種銭になっているなんて、わかっていないし、知られると都合が悪い。

「美佳、逃げちゃダメ。負けた分はちゃんと取り戻して」

少し強い口調で美佳に指示を出す。防音室の外のマイクは、スピーカーを通じて美佳に伝わり、配信にも乗る。

『葵さん鬼畜すぎ』

私が美佳を追い込むと、みんな嬉しそうに投げ銭をしてくれる。

負けた分をギャンブルで取り戻すなんて、負のスパイラルに落ち込む悪手。でも、それでいい。美佳が負けて、絶望するほどにみんな喜ぶし、私たちも稼げるんだから。

だから、私は絶望の淵で蹲っている美佳に鞭を打ち、絶望の底へと追いやる。

素直な美佳は、私の指示に従って、株価の映し出されたモニターを凝視する。

瞬きも忘れて、呆然とした表情で、ただ目を見開いている。

瞳が小刻みにプルプルと震えていて、きっと美佳の眼には現実は写っていないだろう。

「はぁ……はぁ……はぁ……」

美佳の荒い息遣いが、静まり返った配信にのっている。

『美佳壊れちゃった』

『逝っちゃってるね』

『もう使い物にならないね』

そんな嬉しそうなコメントと投げ銭が飛び交う。


「美佳。もうあきらめよう。損切りしよう」

複数の銀行株に分散した結果、そのすべてで大きく株価が下がったおかげで、当初の資金は1/4にまで減ってしまった。けれど、ここで失ったお金を切り捨てれば、1/4のお金は残る。

「でも……でも……」

ためらう美佳の声が配信画面を通して聞こえてくる。

美佳がためらっている間にも、刻一刻とお金が減り続けている。これ以上損失を拡大させないために、引き際が肝心ではある。美佳だって、そんなことはわかっているはずだ。頭でわかっていても損切りは簡単じゃない。この後上がるかもしれない。今は一時的に下がっているだけ、この後予想通りに株価は上昇に転じるかもしれない。損切りをするということは、そんな希望を切り捨てて、損失を確定させ、負けを認めることだ。

それでも、損切りが大切だといわれているのは、負けている勝負に固執せずに、さっさと気持ちを切り替えて、別の勝負でもっと儲けようという、ポジティブなものだ。

だが、それは次で勝てる自信のある人の理屈だ。

でも、美佳はそうじゃない。美佳が勝ったことなんて一度もない。美佳は勝てない、絶対に。損切りするということは、連敗記録をまた一つ延ばすことだ。やっぱりダメだったという実績を積み上げるだけだ。そして今日も自分のお金を失うだけになってしまう。

そもそも、美佳の配信を見ている視聴者は、美佳が儲ける姿を期待しているんじゃない。

「止まって……もう下がらないで……もうやめて……やめて……」

弱弱しい声が美佳の口から洩れている。

「美佳、あきらめよう。もう駄目なんだよ」

美佳はしばらく黙って、下落を続ける株価を見つめていた。

ぱっちりと目を見開いたまま、「……わかった……」と消えそうな声を漏らした。

そう言っただけで、美佳の手は少しも動いていない。

「準備して」

促すと、美佳は震える手でマウスを掴む。

相変わらず少しも瞬きをしないせいで、目が真っ赤に充血している。

配信画面に映った取引画面の上を、震えながらマウスカーソルが動く。

カチリ……カチリ……

ゆっくりとマウスをクリックする微かな音だけが配信されている。

「美佳、いくときはちゃんと言ってね」

美佳の取引とは逆の取引をしている視聴者だっているんだから、その人たちに対する配慮だ。

美佳に指示を出しながら、私も自分の取引画面を操作する。私だってみんなと同じように、美佳の予想と逆の取引をして、確実に稼いでいる。美佳は絶対に予想を外すから、こんなに確実な予言はない。

「葵……いくよ……いっちゃうよ……いっちゃうよ……」

どうやら準備ができたらしい。配信画面上では『取引する』ボタンの上でマウスカーソルが小刻みに震えて、私の指示を待っている。

『あぁ、俺もイキそう』

『美佳、一緒にいこう』

そんなコメントが嬉しそうに乱舞する。

美佳は知らないだろうけれど、これも視聴者サービスの一環だ。

「良いよ。いって。イケっ!」

「いくよっ!」

同時に、美佳はカチリとボタンをクリックした。

それから、取引画面が切り替わり、再び株価が表示されるまで、一瞬の間があった。

「ああぁっ!……あああああぁぁぁぁぁっ!」

美佳の絶叫が防音室を震わせた。

この一瞬の間に、今までの下落が幻であったかのように、株価は一気に上昇していた。

美佳が購入した時の価格をはるかに飛び越えて、本来あるべき価格まで一気に上昇し始めていた。

「なんで!?なんで!どうしてこうなるの!なんでこんなこと!こんなこと!」

美佳はバンバンと両手で机を叩いた。

いや、正確にはぽすっ、ぽすっと柔らかくて鈍い音が微かに聞こえる程度だ。

取り乱した美佳が暴れても怪我をしないように、防音室の中にはクッションが敷き詰めてある。だから、机を叩いても、頭を机に打ち付けても、ほとんど痛くない。

「こんなのってないよ!こんなのってないよ!おかしいよ!おかしいよぉぉぉ!」

美佳は過呼吸になりながら叫び続けている。

『ありがとう美佳』

『みんなの養分』

『おかげで爆益だよ』

『儲かりすぎて笑いが止まらない』

美佳をあざ笑うようにコメントが活気づく。

「なんで!?そんなのおかしい!なんであんたたちばっかり儲けてるの!ずるい!ずるい!!」

美佳はバンバンと机を叩きながらカメラに向かって叫んでいる。

突然黙り込んだかと思うと、ぎゅっと強く閉じた目から、ぼろぼろと涙をあふれさせ始めた。

「もうやだぁぁぁ……」

子どものように大泣きする美佳。

かわいそうな美佳。可愛い美佳。思わずぎゅっと抱きしめて慰めてあげたい衝動を我慢する。

「美佳。まだお金残ってるでしょ」

努めて冷静な声で美佳に指示を出す。それが、冷酷に聞こえるのかもしれない。

『さすが鬼畜の葵さん』

『地獄の底に突き落とすんだね』

『またいくのかよwww』

『やめろwww』

『美佳ちゃん、もう無理だよw』

『葵ちゃん、もう許してあげて』

少し同情のコメントも目立ってきた。

でも、まだやめられない。もっと美佳を虐めないと視聴者のみんなが喜んでくれない。もっと美佳が泣いてくれないと、私が満足できない。

「もう無理……」

美佳は弱弱しく首を横に振っている。

「大丈夫。美佳の予想通り株価は上昇しているじゃない。この勢いに乗っかるだけだから簡単だよ。美佳は少しも間違ってなかったんだから自信をもって」

私は心にもないことを言う。美佳が絶対に勝てないことなんて、美佳以外のみんな分かっている。

『葵さんエグイ』

『悪魔のささやき』

『全てをむしり取るつもりだ』

『美佳、もっと泣け!』

『やめてあげて!彼女のお金はもうゼロよ!』

みんな盛り上がっている。投げ銭の額も膨らんでいる。きっと、みんなもう一儲け狙っているんだろう。

「後期分の学費、まだ払ってないんでしょ」

嘘じゃない。美佳はまだ後期分の学費を払っていない。払っていないだけで、十分なお金は既に稼いでいる。でもそんなことは視聴者のみんなも、美佳も知らない。

『やば』

『それ使っちゃいけないお金』

『もうやめろ!』

同情するようなコメントと共に、投げ銭がまた増える。

「うん……私、頑張る」

最後の力を振り絞ったかのように、か細い声が漏れる。

「今買ったらきっと上がるよ。このチャンスに負けた分を取り戻さなきゃ」

根拠のないことを言って美佳を励ます。

そう言いながら、私は美佳のおかげで上がった株を売却して利益を得る。

そして、下がる時にもう一度稼ぐ。

「どう、美佳。イケそう?」

聞きながら配信画面に目を向ける。そろり、そろりと美佳の取引画面上をマウスカーソルが動いている。

美佳にはそんなつもりはないんだろうけれど、こうやって私や視聴者のみんなが取引の準備をする時間を稼いでくれる。

「イクときはちゃんと言うんだよ」

「うん……わかってる……」

美佳の荒い息遣いが聞こえる。

「葵、いくよ?」

「いいよ。イっていいよ」

「いくよ……いっちゃうよ……」

美佳は震える手で、カチリとマウスをクリックする。

不思議なことに、その瞬間、さっきまで勢いよく上がっていた株価が、たちまち反転を始めた。するするするするとチャートが下がっていく。

「こんなのってないよ……こんなのってないよぉぉぉぉ……」

もはやわめく気力も失ったのか、美佳のか細い声が恨めしそうに聞こえてくる。

「おかね……私のお金……なくなっちゃう……なくなっちゃうよぉぉぉ」

美佳は頭を抱え込むようにして、机の上に突っ伏した。

「ごめんなさい……もう許して……」

美佳が追い詰められている。

『もうやめろ!』

『早く損切りするんだ!』

『美佳はよく頑張った』

そんな同情のコメントが増えてくる。

『授業料の足しにして』

そうして投げ銭をしてくれる優しい人たちが増えてくる。

みんな偽善者だ。

美佳が泣き叫ぶ姿を見て喜んでいたくせに。

ぼろぼろになって、立ち直れなくなって、壊れていく美佳を見ていると、不思議と気持ちよくなっていく。

大丈夫。美佳が本当に壊れてしまっても、私がずっと一緒にいてあげる。

そうして、配信画面に目を向けると、もっと虐めたくなる。美佳はまだいけるはず。

「美佳。現実から目を逸らしちゃダメだよ」

臥せっていた美佳が顔を上げると、涙にぬれた顔が画面に映し出される。

「ほら、株価が上がってるかもしれないよ。ちゃんと見て」

そんなことありえないんだけど。

「ぴぎゃぁぁぁぁ……」

痙攣したかのように、ピンと体を伸ばして硬直した美佳は、そのまま椅子から転がり落ちて、画面から消えた。

「もうやだ……もうやらない……こんなのもうしない……」

全く動きのなくなった画面から、うわごとのような声だけが聞こえている。

「あおい……私ダメだったよ……ダメだったよぉぉ……あおいぃ……」

か細い声で私を呼んでいる。

思わず防音室のドアを開けていた。

美佳は床の上に臥せって泣いていた。

美佳が体を震わせるのに合わせて、腰の大きなリボンが小刻みに揺れる。

床に転がった美佳に近づいて膝まづくと、美佳は私にしがみついてきた。

甘えるように膝に顔をうずめて、私の腰に手をまわしてしがみつく。

その瞬間、私の白いスカートにジュースが染み込む。ミカの頭が私のブラウスのフリルに擦り付けられるたび、繊細なレースがジュースで濡れていく。

染みにならなければいいけれど。そんな心配がふと頭をよぎった。

「あおぃぃぃ……」

甘えるような美佳の泣き声を聞くと、自然と手が美佳の頭に伸びる。ジュースで濡れてべとべとになった髪を、そっと撫でる。

「よしよし、よく頑張ったね。えらいよ」

そう言ってあげると、美佳はぎゅっと強く私にしがみつく。

「頑張ったもん……私頑張ったもん……」

仕方がない。どんなに頑張っても結果がついてこない。

「美佳はいい子、いい子」

何度も、何度も、美佳の頭をなでてあげる。

美佳の涙が私のスカートにしみこんでくるのがわかる。ジュースの染み込んだ髪を撫でていた手がべたべたになってくる。

「お風呂入ってきれいにしなきゃね」

「うん」

美佳は私の膝に顔をうずめたまま返事をする。

「あおい……」

「なに?」

「もっとして」

こうやって甘えてくれる美佳の頭を撫でているのが至福の時間。

ずっとこうしていたい。ずっとこのままだったらいいのに。

「あおい……あおい」

美佳は甘えた声をあげながら私に抱きついてくれる。腰に回していた手で、這い上がる様に私の服にしがみつく。膝に埋めていた顔が、お腹から胸に登ってくる。背中に両手を回し、抱きつくようにして目一杯体重をかけてくる。

「美佳、待って!ダメ、ダメだって……」

美佳の体重を支えきれずに、背中から床に押し倒されてしまう。後頭部を床にぶつけてしまったけれど、柔らかいクッションの床で良かった。

「ダメって言ったでしょ」

怒ってみても美佳は少しも気にしたそぶりも見せず、私の胸に顔を埋めていた。

私のブラウスも、真っ白なレースや刺繍で飾られているのに、ミカと抱き合うたびにジュースの湿り気が広がっていく。ミカが私に顔を埋めると、彼女の頬が私の胸元に触れ、そこに飾られたフリルがくしゃりと潰れる。

「あおい〜」

そう言いながらしがみつく美佳は本当に子どもみたい。

可愛い可愛い可愛い可愛い可愛くて仕方がない。美佳の背中にそっと手を回し、もう一方の手で頭を撫で続ける。

めちゃくちゃにいじめた分だけ、たっぷりと甘えてくれる美佳がどうしようもなく可愛い。美佳をいじめて良かった。またいっぱいいじめてあげる。

美佳の重さがずっしりと体全体に伝わって、身動きが取れない圧迫感が心地いい。

胸で美佳の呼吸のリズムを感じる。

頭からメロンジュースの甘ったるい匂いが漂ってくる。

回した腕から美佳の体温を感じる。

ずっとずっとこうしていて、このまま美佳と一つになってしまいたい。

けれど、そうも言っていられない現実がある。「美佳、足が痛い」

正座していた状態から押し倒された上に、美佳の体重まで乗っているから、そろそろつらい。

「やだ」

そんなわがままをいう美佳も可愛いけれど、足も痛い。

「美佳はジュースで濡れちゃったからお風呂も入らないといけないでしょ」

美佳は顔をあげると、甘えるような目で私を見つめる。

「そんな顔しないで」

言いながら美佳の体を持ち上げようとする。でもちっとも持ち上がらない。私より小柄とは言え、容赦なく体重を乗せられるとさすがに重い。

「やだやだ」

ずるいなぁ。そうやって甘えた顔を向けられると、私が断り切れないってわかってるんだろうか。

「じゃあ今度は葵が上になって」

そう言ったかと思うと、美佳は私にギュッとしがみつくと、そのまま床の上を転がった。そうして今度は私が美佳の上に覆いかぶさる形になった。

「苦しい。あおい、重い」

「重くない!」

そりゃ、美佳よりも身長だってあるし、美佳よりも少しだけ胸だってあるし、美佳よりも少しだけ脂肪がついているかもしれないけれど、少しだけ。

「あおい~」

重いって言ったくせに、構わずに私の背中に両手をまわすばかりか、両足で私の腰を挟み込んで、しっかりしがみついて放そうとしない。

「美佳、だめっ!」

「やだぁ!」

「ヤダじゃないよ!」

さっき美佳が暴れてこぼしたジュースがまだ床に残っていた。美佳はそれを気にもせずに転がったせいで、美佳の背中はジュースの上だ。美佳のきれいな長い髪が床に溢れたジュースに浸かっている。

なんだか冷たいと思ったら、床についた私の手足にまでジュースで濡れてしまっている。

「べたべた~」

美佳は嬉しそうに、ジュースで濡れた手で私の顔を包み込むように、両手で頬に触れる。というより、ジュースを顔に塗りたくられている気分だ。

「だめっ!やめてってば!」

いくらかわいい美佳でも、これはちょっと嫌だった。

「どうせお風呂に入るんでしょ?」

「私まで汚れちゃうじゃない」

そう言って美佳を制止しようとする。

「一緒に入らないの?」

一瞬見せた美佳の寂しそうな顔。

私はどきりとした。美佳の不意打ちのような表情もそうだったけれど、美佳と一緒にお風呂に入れるなんて思ってもみなかったから。

「いいの?」

私は思わず聞き返していた。

「いいよ」

美佳はどうして私がそんなことを聞き返したのかわからないって表情だった。

普通はそうかもしれない。女同士、一緒にお風呂に入るなんて不思議なことじゃない。

ただ、それは銭湯とかそういうところでは普通であっても、自宅のそれほど広くない密室のお風呂に裸で二人っきりっていうのは、想像するだけでドキドキしてしまう。

「じゃ、じゃあ、お風呂はいろうか」

自分でもびっくりするくらい声が震えてしまった。

「うん」

と美佳が頷くや否や、私は立ち上がり、美佳の両手をとって、彼女を立ち上がらせようと力いっぱい引っ張った。

『配信きり忘れ芸』

『次はお風呂配信』

『百合営業』

そんなコメントがひっきりなしに流れ続ける画面が目に入った。

私は一瞬硬直してしまった。

見られた!?いや、そんなはずはない。配信に使っているのは机の上のカメラだけ。床に転がっていた私たちの姿は見られていないはず。でも声は?声は聴かれているはず……何喋ってたっけ!?私、美佳と何喋ってたっけ?!何か恥ずかしいこと言わなかっただろうか?

「何でまだ配信中なの!?」

私は思わず叫んで、その場にしゃがみ込んだ。こんなことをしたって、聴かれてしまったことはなかったことにはならないけれど、消えてしまいたいくらい恥ずかしい。せめてカメラの前から隠れたかった。

「だって葵が終わりにしようって言わなかったから」

美佳は平然と答える。

「忘れてたの!言ってよ!恥ずかしいじゃない!」

「何が」

美佳は不思議そうに小首を傾げた。

「だって……だって……みんなに聞かれちゃったでしょ!」

「ダメだった?」

「ダメ!ダメ!ダメダメダメ」

迂闊だった。美佳は悪くない。美佳がこんな子だってわかっていて油断した私が悪い。

思わず頭を抱え込んでしまっていた。

「みんな、あおいちゃん可愛いって言ってるよ」

「やめて!言わないで!!」

それが一番恥ずかしいんだから!

「葵……ごめんね」

そう言って、しゃがみ込んでいる私の頭を撫でてくれる。

「美佳は何も悪くないよ。私こそ取り乱してごめんね」

言いながら、こんなことをしている場合じゃないことを思い出す。

またみんなに聞かせてしまうところだった。

「とりあえず配信を終わろうか」

「うん」

そう言って美佳は私の手をぎゅっと握っていう。

「じゃあこれから葵とお風呂に入ってくるからこれで終わるね」

そう言って、繋いだ手をカメラに向かって振って見せる。

「やめて、恥ずかしい!」

私は思わず空いた方の手で顔を隠そうとしていた。

「何で?」

言いながら美佳はまだ手を振っている。

「そうだ、株!」

慌てて美佳の取引画面に目を向ける。

「遅かった……」

株価は既に下がるところまで下がって、ストップ安になっていた。暴落に歯止めをかけるための、今日はもうこれ以上下がらない最低の価格で強制的に止まっている。

繋いだ手を美佳がぎゅっと握っていた。

慌てて振り向くとまた美佳が泣きそうな顔をしている。

「大丈夫だよ。何とかなるから」

俯いてしまった美佳を抱きしめて、頭を撫でてしまった。今度はしっかりとカメラに映っていることを思い出してももう遅い。

私は思わず後ろ手で、カメラのレンズを手で覆い隠していた。

「また損しちゃったよぉぉ」

私にしがみついた美佳が震えている。

「大丈夫。私に任せて。美佳は私の言うことを聞いていれば平気だから」

「あおい〜」

私を見上げる美佳はまた涙を溢れさせていた。

「美佳。早く株売って終わりにするよ」

美佳に売却操作をさせる。

そしてせっかくの美佳の泣き顔をカメラに映す。

美佳は片手でマウスを操作しながらも、私と繋いだ手を放そうとしない。

「葵、もういっていい?」

「いいよ、一緒にいこう」

そう言って美佳の手をきゅっと握り返す。

『百合営業次回も期待してるよ』

狙い通りにみんな反応してくれる。

「じゃあ葵とお風呂入ってくるね」

美佳は涙を拭い、カメラに向かって手を振った。

そして配信が終わる。

「お風呂行こ」

美佳が私の手を引く。気後れしてしまっている私の手を、無邪気にぐいぐいと引っ張る。

美佳と一緒にお風呂に入るのは嬉しい反面、恥ずかしい。そして後ろめたくもある。美佳はただ友達と一緒にお風呂に入るくらいにしか思っていないんだろうけれど、そんな無防備な美佳に私が性的な視線を向けているなんて気づくはずもないだろう。


脱衣所に美佳と二人で入る。

配信中じゃないよね、なんてついつい気にしてしまう。それは裸をみられること以上に、私の後ろめたさの表れだと思う。

「服、汚れちゃったね」

美佳は人ごとのようにいう。

「早くクリーニングに出さないと染みになっちゃうよ」

配信費用で最もお金がかかっているのが私たちの服代だ。それくらい高い服なんだからもっと丁寧に扱って欲しい。

だいたい美佳の身長に合わせた服なんて既製品じゃ滅多に見つからないから、オーダーメイドだ。お金もかかるけれど、制作期間だってかかる。せっかく仕上がったばかりなんだからもっと気をつけてくれないと困る。

「葵は小言ばっかり」

美佳がため息をつきながら言う。

「何も言ってないでしょ!」

「顔見ればわかるもん」

「じゃあもっと気をつけてよ!」

「はいはい」

美佳はいい加減な返事をして背を向ける。

「早く脱がせて」

美佳はさも当然のようにいう。

そりゃ、この服は着るのも脱ぐのも一人じゃ大変だけれど。

「もうちょっと気をつけないとダメだよ」

「は〜い、葵お姉様〜」

なんて私の神経を逆撫でるように生意気ないい方をする。

黒いひもでしっかりと締め上げられたコルセットに手をかける。

結んである紐をほどくと、両方の手に巻き付けてしっかりと握る。

それから力いっぱい締め上げる。

「ぴぎゃぁぁぁぁぁっ!」

美佳が気味のいい悲鳴を上げる。

「あら、大変。濡れちゃったせいでひもが固くなって解けないわ」

締め上げる必要のない美佳の細いおなかを、さらに強く締め上げる。

大丈夫。今はお昼ご飯前だからもっといけるはず。

「ぴぃぃぃぃ……」

お腹の空気が絞り出されたかのように、美佳の悲鳴が細っていく。

「ごめんなさい!ごめんなさい!なんで怒ってるの?ねぇ、なんで?ごめんなさい!!」

「わからないの?」

「最近葵のドレスがきつそうだなって思ってたせい?」

「へぇぇ……」

この子は心の中でそんなことを考えていたのか。

ぎりぎりと私の手にコルセットのひもが食い込んでいって痛い。

「つぶれちゃうよぉぉぉぉ……」

あぁ、なんて生意気なんだろう。その分、痛めつけると可愛い声で鳴いてくれる。

「ごめんなさい。もうデブだって思わないからもうやめて!ごめんなさい!」

なんだかちっとも謝られている気がしないどころか、むしろ腹が立ってくる。

「いい、美佳。私は美佳よりも20センチメートルも背が高いの。胸だって7センチメートルも大きいの。美佳は痩せすぎなだけで、私は標準体型。美佳より体重が重いのは当たり前なの。わかるよね?」

ついつい、説明する手に力が入りすぎちゃって、そろそろ指先が青紫になってしまいそう。

「わかった!葵はデブじゃないってわかったからもう許して!」

本当に分かったんだろうか。

いや、きっとわかっていない。けれど、コルセットだって安くはない。これ以上痛めつけるとコルセットが壊れてしまう。

「緩めて!早く緩めて!」

叫ぶ美佳のコルセットの網目に指を入れて、一つずつ解いていく。編み上げが少しずつ緩むたびに、美佳の背中にかかる圧迫が和らぎ、彼女はほっとした表情を浮かべる。

コルセットを外したついでに、ブラウスの背中についているファスナーも下ろしてあげる。雑なことをするとリボンを嚙みこんでしまいそうだから。

美佳がブラウスを脱いでいる横で、私も背中の白いリボンに手を伸ばして解く。ゆっくりと背中のファスナーを下ろしていく。私の服は一人でも脱げるけれど、着るのは大変。着替える時はいつも二人で助け合っている。だからお互いの下着姿はもう見慣れている。

けれど、その下は別だ。

スカートもパニエも、アンダースカートも足元に落とした美佳は、そのまま何の躊躇いもなく、キャミソールの肩紐をずらして、足元に落とすと、申し訳程度に膨らんだ可愛い胸が露わになる。

次にショーツに手をかけ、一気に引き下ろすと、今度は小さなお尻が私に向かって突き出される。

太ももを締め付ける黒いオーバーニーソックス以外、何も身に纏っていない美佳の姿に視線を奪われていた。

「何?」

私はいつの間にか手を止めて見入ってしまっていた。

美佳は不思議そうに私に体を向ける。羞恥心がないのか、同性の私に裸を見られることを少しも気にしていないのか、全く体を隠そうともしない。

無駄のない綺麗な体。無駄な毛も、無駄な脂肪も、染みもない透き通るような白い肌。

まだ足を包んでいる黒いオーバーニーソックスとの対比が眩しいくらい。

「どうしたの?葵も脱ぐの手伝って欲しいの?」

そんなわけじゃない。ただ、美佳のストリップに見惚れていたなんて言えずに口籠ってしまった。

「じ、自分でできるから!」

伸びてくる美佳の手から逃げるように、一歩後ろに下がってしまった。

美佳は不思議そうに私の顔を伺っていた。

何だか私の邪な心を見透かされてしまいそうだ、思わず顔を背けていた。

美佳の視線を感じながらブラウスを脱ぐ。

スカートを脱いで、パニエを脱いで、ペチコートを脱いでもまだ美佳の視線を感じる。

「ねぇ、何でみてるの?」

私は美佳と違ってそんなに見られると恥ずかしい。美佳に下着の下を見られるのはもっと恥ずかしい。

「葵もコルセットつければ良いのに」

「はぁっ?」

美佳の一言で一瞬にして羞恥心が蒸発する。

「私が太いって言ってるの?」

「言ってないよ。コルセットしたらもっと綺麗に見えるのにって思っただけだよ」

美佳は慌てて言い訳をする。

「つまり私はデブで見苦しいってこと?」

「言ってない!言ってないよ!ウエスト絞ったらもっとおっぱい大きく見えるかなって思っただけだよぉ……」

美佳は言い訳をしながらジリジリと後ろに逃げていく。

美佳は本当に素直な性格をしている。

ふと自分のお腹に目を向ける。

そりゃ、あばらが透けて見えそうな程に細い美佳と比べられたらどうしようもない。

私が目を逸らしている隙に、美佳は履いていたオーバーニーソックスを投げ捨てて浴室に逃げ込んだ。

私も一糸纏わぬ姿になって、浴室へ向かう。美佳にこの姿を見られるのは恥ずかしい。ドキドキしながらも、美佳の待つ浴室のドアを開けた。

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