23.聖ヨハネウス史徒文書館⑤ ルシフィーとアイリスの女子会/食堂のオランジェ厨房長


「アイリスちゃんみたいな、可愛い女の子がイストランダに来てくれて、本当にうれしいですね!

 ふふ、まるで妹ができたみたい!エルとリアードのことも本当に可愛いですけれど、2人は男の子だし、やっぱり女の子同士でキャッキャしたりっていいですよね」


 ルシフィーは、ウキウキしながらアイリスの手を引いて、文書館内を案内している。


「――まずは、女子宿舎を案内しますね。

 史徒ヒストリアの宿舎は、他の文書館職員の宿舎とは分けられていますけれど、アイリスちゃんは――サンマルコ様から聞いたと思うけれど、この国にとって、とても大切な存在ですから、護衛を付ける必要があるのです。だから、ちょうど私のお隣のお部屋が空いていましたから、そこのお部屋を宛がってもらったのですよ」


 エレベーターで10階に上がっていく。ちなみに、11階は男子史徒ヒストリア用の宿舎で、8階から9階が文書館職員用の宿舎だ。家族を持つ文書館職員は、イストランダ敷地内か隣地区のベレンツィアの家から通っている者が多い。


 エレベーターが10階に着くと、目の前の扉の前には大天使ガブリエル像が立っていた――先ほどのサンマルコの書斎部屋と仕組みは同じようだ。ラッパを手にしている。


 ルシフィーとアイリスが扉に近づくと、ガブリエル像が急にラッパを吹き鳴らした。


「っ!な、なになに!?私、通っちゃいけなかったのかな…!?」


 突然鳴り響いたラッパの音に、アイリスが体をビクッと跳ね上げ、驚いている。


「パラパパーン!ようこそ、アイリス!私、ガブリエルはあなたを歓迎します!どうぞ、中へ!」


 ガブリエル像なりの歓迎だったようで、石像はすぐに元の形状へ戻り石化した。


 扉を開けると、そこには高い天井と円形の広い空間が開けていた。

 天井には星座を象ったフラスコ画が広がっていて、それらは天空の動きに連動して動いている。時々星が流れたりしていた。頭上の空間にはいくつものランタンが浮かんでいて、1つ1つは異なる形をしており、中で色とりどりの魔法石が光を放っている。

 そして、空間の中心には、慈しみ深い聖女帝マリア・テレア像が我が子を腕に抱いている。

 マリア像を取り囲むようにベルベット生地の重厚なソファーやアンティークのロッキングチェアが並べられている。そして、円形状の壁面には扉が6つ。


「第12史徒ヒストリアリリィはまだ赤ん坊ですから、女子史徒ヒストリアたち皆で、それはそれは深い愛情を込めて、育てているのです。

 だから、私のお部屋のお隣は空室なのです。ちなみに、そのお部屋はエルが5歳まで使っていたのですよ。ふふ、あのころはエルもまだ小さかったですし、リアードもいなかったですからね」


 ルシフィーは1番左の扉を開けた。

 中は天蓋付きの大きなベッドに古い姿鏡、使い込まれた書斎机、そして、小さめながらも繊細な装飾の施された本棚が設置されている。本棚には、『汝、求める叡智と真理。ここに繫がる』と書かれている。

 それにしても…とアイリスは思う――文書館にやってきてから、凄まじい数の書物を見てきたが、それにしては、史徒の部屋に設置された本棚は小さいと感じた。


 アイリスの疑問を感じ取ってか、ルシフィーは背後からアイリスの肩を包み、耳元でこっそりと伝えた。


「ふふ、不思議に思っているのですね。あまり知られていることではないのですけれど、史徒ヒストリアの部屋にある本棚は、この文書館内のすべての本棚と繋がっているのです。

 だから、本棚自体大きい必要はないですし、史徒ヒストリアは必要な時に、必要な書物を手に取ることができるのですよ。

 もちろん、『記憶の書物』としてなら、本棚なんかなくたって、いつでもどこでも、出現させられるのですけれどね」


 アイリスは、本棚の仕組みが気になって、中に顔を突っ込んでみたが、普通の本棚のようにしか見えなかった。

 ルシフィーはロザリオを両手で包んで目を瞑り、本棚に向かって唱えた。


「『我、所望するは≪図鑑 ドラコーンの森≫、ここへ』」


 すると瞬き1つの間に、本棚に1冊の書物が現れた。ルシフィーは両掌を胸の前で組んで、神に祈った。


「どうか、アイリスちゃんが故郷を想って、淋しい想いをしませんように」

「――ルシフィー様…」


 ふいに、アイリス自身も気が付かぬ間に、頬を涙が伝った。

 アイリスは、昨晩からの目まぐるしい展開と出来事に、きちんと哀しみを感じる時間がなかったことに、気が付いた。

  激動に流されるままにやって来た見知らぬ地、変わり果てた父、これから迎える闘い――自分でも気が付かぬうちに、不安と心細さでいっぱいになっていたのだ。


「ふ、ふぇ~ん」


 泣きじゃくるアイリスを、ルシフィーは大きな胸で抱きしめた。


 アイリスにとっては、聖女帝マリアよりもよほど、目の前のルシフィーが神々しく慈しみ深い存在だと感じた。


 ◆


 一頻り泣きじゃくった後、アイリスはルシフィーの後に続いて、文書館内の他の場所を案内されていた。


 多くは、書物が保管された書棚がびっしりと並んだ部屋だ。

 ――ある部屋は『聖霊の棲まう書物』が保管されていて、部屋の至る所にピクシー妖精やユニコーンなどの空想動物、伝説の勇者や偉大なる英雄などの半透明な霊体なんかが、ウヨウヨしていた。

 またある部屋は『呪われし書物』が保管されていて、部屋の中は呪詛が木霊し、寒くもないのに、凍てつくほど背がゾクゾクした。


 そのほか、科学調査班の研究室――先ほど出会ったメフィストが、ルシフィーを見つけるや否やソワソワしだして、怪しい色でブクブク泡立った薬品をぶちまけていた。


 書物修復班の作業室――部屋の中では身長60センチほどの『ブラウニー』と呼ばれる小人妖精たちが、大勢きびきびと動き回って、古びた書物の破れやほつれを丁寧に縫い合わせたり、貼り換えたりしていた。


 礼拝堂も備わっている。祝祭や式典なんかの時には、別建物のイストランダ大聖堂へ赴くが、日頃毎日の朝礼、昼礼、夕礼は、文書館内の礼拝堂で執り行うのだ。


「さあ!ここはが、文書館の食堂ですよ――」

「僕、オランジェ厨房長にこの書物を贈りたいんだ。

 『我、神の史徒エルが所望するは≪お料理のキホンーだれでも簡単美味しいー≫』。

 ――さあ、僕からのプレゼントだよ……」

「エル坊!あんた、要するにアタシの料理がマズいって言いたいのかしら!?」


 食堂と厨房を結ぶカウンター越しに、誰かと話すエルを見つけた――誰かはカウンターの影になって見えない。エルは背伸びをしながら料理本を手に、何やら訴えている。


「ねえ、エル坊。アタシの作る料理にはね、愛…ラブがたくさんこもっているんだよ。毎日頑張る文書館のみんな…あんたたちを想う、愛…ラブがね」

「僕、騙されないよ!今まで本のなかでしか見たことがなかったけれど、街にはたくさん美味しいお料理があるんだって知っちゃったから――オランジェ厨房長のお料理、イマイチだって、知っちゃったから!」

「このクソガキ!ついにアタシの料理にケチつけたわね!」

「ぐぇ…」


 エルはカウンター越しに、にゅっと伸びた、ぶっとい腕に捕まり、ぐいっと持ち上げられた。


「――た、大変!エル!」


 その様子を見て、慌ててアイリスは駆け寄るが、ルシフィーはにこにこ微笑んで眺めているだけだ。


 駆け寄ったアイリスがカウンター越しにぶっとい腕の主――オランジェ厨房長を見る。

 オランジェ厨房長は、フリルとレースたっぷりのエプロンを身に纏った…筋肉隆々な厳つい面をした、大男だった。


「ひっ!」


 エルを助けようと駆け寄ったアイリスであったが、想像と異なる…というか、何ともちぐはぐな姿形をしたオランジェ厨房長に面喰い、一瞬怯んだ。


「エル坊!あんたにアタシの気持ちが分かるかい!?日々神から与えられる、慎ましやかな恵み…何とか皆に分け隔てなく…皆の空腹を満たせるようにと、工夫を凝らした私の努力!愛…ラブ!

 厨房班は日々必死なの!それはつまり――食堂運営予算が足りてないのよ!!」


 マッチョなオランジェ厨房長はエルを締め上げる。


「それをエル坊、あんたって子は!……ん?あら、キュートな女子発見!」


 オランジェ厨房長は、見慣れないピンク髪のアイリスに気が付くと、締め上げられていよいよ青くなってきたエルを、ぱっと離した。


「ふう~、死ぬかと思ったよ…。あれ?アイリス、とルシフィー様!」


「あら?このキュートな女子、エル坊のガールフレンド?」


 今さっきまでのバトルも何事もなかったかのように、オランジェ厨房長がキャッキャしながら、アイリスを眺めている。


「この子は、ドラコーンの森のアイリスだよ」

「こ、こんにちは!アミリア族のアイリスです」

「んまぁ!カワイイわぁ!今日は歓迎パーティーしなくっちゃ。料理人魂が震えるわ!」

「それはそうと、話が途中だよ!オランジェ厨房長!」


 エルは、オランジェ厨房長に果敢にアタックし続ける。


「アタシの料理には、何を言われようとも、アタシの主義ってもんがあんのさ!」 


 アイリスに構うことなくバトルを再開した2人を見つめるアイリスの肩に、ルシフィーがポンと手を添え、次の場所へと促した。

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