11.古書『ブルワインの妖精小人(ノーム)村』②


 それから、もう夜も更けた、というエルの言葉を合図に、今晩は皆解散し、各々自室へ戻ることにした。


 エルは、あまりに衝撃的な場面を目の当たりにし、暫く寝つけず、ガレリア司祭が広げていた書物のことを考えていた。

 エルにとって、書物はいつも魔力を貸してくれる味方だった。それが…あんな恐ろしさを感じる書物に出会ったのは、初めてだった。


「僕は、ガレリア司祭に…あんな魔力をもつ書物に、――本当に打ち勝つことができるだろうか…?」


 暫くうつらうつらしながらも、信じられない出来事の数々に疲れていたのだろう、次第に眠りに就き、朝を迎えるのだった。


 ◆


 翌朝、修道士たちの朝は早く、4時頃から朝の仕事を始め、6時には教会内に朝礼の鐘が鳴り響いた。


 エルら3人も、皆と一緒に聖堂で朝の祈りを捧げた。祭壇ではガレリア司祭が、朝の澄んだ空気そのままに、清らかな祈りを神に捧げている。その姿に、昨晩の邪悪さは全く感じられなかった。


 朝の礼拝後、――ミルクに浸されたパン粥、茹でた卵、果物、山羊のチーズという朝食を、エルはまた残念な表情をして、ちょぼちょぼと食べた。


「べちょべちょのパンをお恵みいただき、神よ、感謝いたします。アーメン」


 向かいの席からフーゴ神父に睨まれ、隣のリアードには肘で小突かれた。


 食堂を出る際に、エルはフーゴ神父を呼び止めた。


「――フーゴ神父!今日はフーゴ神父にお願いがあります」


 フーゴ神父は、ガレリア司祭の様子をチラチラと伺って挙動が不審である。

 そんなフーゴ神父にエルは小さな声で、「平常心で。かえって怪しまれますから」と言った。


「今日は、聖カルメア教会の書庫の中を案内してほしいのです。昨日フーゴ神父が教えてくれた、『ブルワインの妖精小人ノーム村』を読みたいと思いまして」


 ◆


 エル、リアード、アイリスの3人は、フーゴ神父を先頭にして、聖カルメア教会の書庫へと向かった。 

 書庫のドアに鍵は掛かっていない――ドアを開けると、そこは、インクと少し埃っぽいのが混じった、古書の匂いに満ちていた。重厚な本棚は天井まで届くほど高く、ぎっしりと書物が並べられている。本棚の間の壁には明かりをとるための小さな窓が点々とあり、その下に書物を閲覧するための机が設置されている。


「えーと……どこだ、どこだ。No.265の棚は…」


 フーゴ神父は、本棚に立てかけられた梯子に上り、上の方の棚から、一冊の書物を持ち出した。


「――あった、あった!エル殿、ありましたぞ!――ちょっと受け取ってくだされ。重たいから、気をつけられよ」


 エルはフーゴ神父から、大した大きさでもない割に、ずっしりと重い書物を受け取った。

 長い年月で薄汚れてはいるが、かつては色鮮やかな赤だっただろう表紙には、美しい金色インクの細工が施されている。表紙には、草花に囲まれて長閑に暮らす妖精小人の絵が描かれていた。


「――これが『ブルワインの妖精小人ノーム村』ですね!うん、素晴らしい!」

「しかし……エル殿らが探し求める書物は、昨晩ガレリア司祭がお持ちだった、黒魔術的書物でありましょう?

 ――生憎、私はこの書庫でそのような書物に心当たりがないのですよ」


 エルはにこっとフーゴ神父に微笑みかけた。


「――書物のことは、書物に聞け……ですよ」


 エルは、『ブルワインの妖精小人ノーム村』の表紙を開くと、ロザリオを両手で包み、目を閉じた――


「『我が名は神の史徒ヒストリアエル。我、汝に語り掛ける。書に宿りし聖霊よ、我に姿を現せ――≪ホーリースピリット≫!」


 ――『ブルワインの妖精小人ノーム村』は淡く光り、ぱらぱらとページを捲らせた。

 そして、特定のページでピタッと止まると――書物から、わらわらと小さな生き物が15体程飛び出してきた。


「わわっ!こんなにたくさん出てきた!」


 それらは皆、10センチ程で、赤や黄色、オレンジ色の尖がり帽子を被った、陽気でいかにも平和そうな妖精小人――ノームだった。

 ノームらは、書物から飛び出すと、素早く移動し、一番近い本棚の影に隠れた。


「これは、驚きましたぞ!私が読んだ時には一度だってこんなことはなかった!」


 ノームらは、本棚の影から顔をちょこちょこと出して、こちらの様子を窺っている。


「やあ!僕は書物の友だち、史徒ヒストリアのエルだよ!元気かい?」


 エルが近づくと、ノームらは、一つ先の本棚の影へと逃げた。


「怖がらないで、大丈夫!さあ、こっちへおいで」


 エルは、にこやかに手招きする。


「φ$ΨΔ~!γΛ~Θ…」


 ノームらは、こちらを指さし、皆でこそこそと話している。何を話しているかはわからない――ノーム語だ。


「手こずらせるな、ガウッ!」


 焦れたリアードが、早くこっちへ来いと威嚇した。すると、ノームらは、更に2つ先の本棚の影に隠れてしまった。


「もう、リアード!怖がらせちゃ、小人さんたち可哀想だよ!」


 アイリスが、リアードに向かって、めっ!と叱り、ノームたちの隠れる本棚に近づいた。


「こんにちはっ!私は、ドラコーンのアイリスです。ふふっ、可愛い小人さん」


 ノームたちは互いに顔を見合わせて、こそこそと話し合った後、本棚の影から姿を現し、少しずつアイリスに近づいた。

 アイリスが、手のひらを近づけると、先頭のノームが、アイリスの手に、鼻先をこすり合わせてきた――ノームたちの親愛の挨拶だ。


「これはすごいね!さすがは、アイリス。アミリア族は、本当に全ての生き物たちと仲良しなんだ。ノームたちにも、伝わったんだね」


 ノームたちを、腑に落ちないと謂わんばかりに睨む、リアードの頭を撫でながら、エルが感心している。


「それだけではないですぞ、エル殿。ノームたちは大地の聖霊――同じく自然と動物たちを愛するアイリス殿のことを、仲間と感じられたのでしょうな」


 フーゴ神父も、うんうんと頷き、納得している。

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