10.聖カルメア教会の黒い影②


 夕礼の鐘が鳴る。時刻はちょうど午後5時である。


 40名程度の神父、修道士の一同が聖堂へと集まった。ガレリア司祭は主祭壇に立ち、燭台の蝋燭に火を灯すと、聖ヨハネウス像と十字架に向かって優雅な声で祈りを捧げる。

 エルとリアードは慣れたもので、ガレリア司祭に続いて深い祈りを捧げている。その隣で、アイリスは見様見真似で一生懸命に感謝の祈りを捧げた。


 約1時間の夕礼が終わると、夕食のため、皆がぞろぞろと食堂へと向かった。縦に長い食卓が、縦横2列に並んでいる。


 食卓に並んだ夕食のメニューに、エルは傍からもわかるほどがっかりとした表情をしてみせた

 ――肉と野菜のかけらが浮かんだスープに、豆のペースト、歯が欠けるほどの固いパン……イストランダの外の食事が、いつも昨晩のようだと思ったら、大間違いだった――神に仕える場所、皆然りなのだ。


「……質素で慎ましやかな食事を、神に感謝して、いただきます。強靭な歯と顎を鍛えるパンを与えてくださり、感謝します。アーメン」


 フーゴ神父が、向かいの席から睨んでいる。リアードがエルを隣の席から肘で小突いた。


 ◆


 夕食を終えると、皆が自室へと篭り、神学古書を読み耽る者、眠りの前の祈りを捧げる者、明日に備えて早々に眠る者、神に仕えるに相応しくない破廉恥な妄想に耽る者など、各々の時間を過ごしている。

 しかし、夜も9時を過ぎれば、皆寝静まり、教会は深い闇と静寂に包まれた。


『――コン、コン、』


 こんな時間に3人の部屋を訪れるのは、モリリス修道士である。昼間より一層、辺りをきょろきょろし、ドアの隙間からスルッと入って来た。


「やあ、モリリス修道士。誰にも見られていませんね?」


 エルが訊ねると、胸のドキドキを何とか落ち着かせながら、モリリス修道士がコクリと頷いた。


「いいかい?絶対にガレリア司祭に見つからないように、ひっそりと、警戒して――さぁ、行こう!」


 4人は、足音一つさせないように、そろりそろりと、聖堂へと続く回廊を進んだ。

 辺りは耳が痛くなる程の静けさである。時折夜風が木々を揺らして、4人をドキリとさせた。


 何とか誰にも見つかることなく、無事に聖堂へと辿り着いた。

 リアードが扉に耳を付けて、聖堂内の物音を確認する――何も聞こえない。扉を開けてみるが、聖堂の中は真っ暗だ。

 ガレリア司祭はまだ現れていないようだ――あるいは、思い掛けないイストランダからの来訪者に、警戒しているのだろうか?――だとしたら、今日は儀式を執り行わないかもしれない。


 4人は、聖堂内の柱に身を隠し、一寸の時間待ってみることにした。


 暫くの間、4人は暗闇の中で息を潜めていたが、何も起こらないまま時間ばかりが過ぎ、半ば諦めかけていた

 ――と、その時、扉がゆっくりと開けられた――誰か訪れたようだ。

 4人は息を呑み、闇の訪問者を見つめた。――フーゴ神父だった。


「ふぅ~…。今日は無礼なお客人に、散々な目に遭いましたなぁ。

 怒り心頭のあまり、うっかり聖書を置き忘れてしまいましたぞ。私としたことが、不謹慎極まりない!」


 すると、フーゴ神父の後、回廊に足音がもう一つ――


「ん!?なんと、誰か来たようだ。いかんいかん、私としたことが、教育係として示しがつかん!隠れよう!え~っと……」


 おろおろと隠れ場所を探しているフーゴ神父を、アイリスとモリリス修道士が、ぐいっと引っ張って柱の影に隠した。


「ん!?なんと、こんな時間にお客人方…と、モリリス修道士!こら、もうちびっこは眠る時間で……モゴモゴ!」


 騒ぎ立てるフーゴ神父を黙らせようと、リアードは羽交い絞め、腕でフーゴ神父の口を塞いだ。


「――しっ!静かにしてください、フーゴ神父!僕らは今、任務中です。

 『我らに静寂と沈黙を、≪サイレント≫!』」


 エルが唱えるのと同時に、扉が開いた。月の光に照らされた横顔は――ガレリア司祭だ。

 ずんずんと祭壇へ進み出て、燭台の蝋燭に火を灯す。ぽぉっと祭壇周りが照らされる。


 フーゴ神父はリアードの腕のなかから何とか抜け出し、酸欠になりそうな肺に思いっきり息を吸い込んだ。


「はぁ…はぁ…。――ん?はて、祭壇におられるのは、ガレリア司祭ではないか?何をしておられるのだ?」

「フーゴ神父。あとで説明しますから、静かにしていてください!」


 ガレリア司祭は、≪サイレント≫が施されたエルたちには気が付かないまま、灯火のもと、司祭服のローブから何かを取り出し、祭壇上に広げた――1冊の書物だ。


「っ!!」


 エルは、ガレリア司祭が取り出した書物から放たれる凄まじい魔力に、思わず、ごくりと息を呑んだ。

 ――なんという邪悪な魔力……今まで出会ってきた書物の、どれとも比べられない魔力だ。


 準備が整ったのか、ガレリア司祭はモリリス修道士の報告のとおり、何やら儀式を始めた。


「『我、『大罪の黙示録』の所有者――聖カルメアの強欲の罪を背負う者。汝、我に力を与えたまえ――』」


 すると、ガレリア司祭のいる祭壇付近が、ぱぁっと鋭い光を放つ。

 エルたちは、目を開けていられないほどの光に、目を逸らした。

 その瞬間、祭壇は闇に戻り、何処へ消えたのか、ガレリア司祭の姿はなかった。


「!」


 モリリス修道士の話には聞いていたが、実際に目の当たりにしたエル、リアード、アイリスの3人は、驚きを隠せない。


「――…何てことだろう!本当に消えてしまった…!

 ――そうだ!あの書物はどうなった!?」


 エルは、祭壇へと駆け寄り、ガレリア司祭が広げていた書物の姿を探した。

 しかし、案の定、書物はガレリア司祭とともに消えてしまっていた。


 何が起こっているのか、何も知らないフーゴ神父は、口をぱくぱくさせて、夢でも見ているのではないかと、自分の目を疑っている。

「――なっ!何がどうなっとるのです!?ガレリア司祭は、一体どこへ行かれた!?」


 そして、ガレリア司祭の姿が忽然と消えた後、何処からだろうか、獣の唸るような声が微かに教会内に響き始めたのだった。


 ◆


「――なるほど…。それで、モリリス修道士の勇敢なる告発によって、エル殿らは、聖カルメア教会へいらっしゃったのだな。

 そして、アイリス殿もまた、お父上を探しに遥々、ドラコーンの森から聖カルメアへ…。

 おぉ、まさか、こんなちびっ子らが、そんな使命を背負っていたとは!神は何と無慈悲な!」


 フーゴ神父は目頭を押さえて、涙をこらえている。

 そして、表情に一層の悲しみを浮かべて、話を続けた。


「――それにしても、ガレリア司祭。彼は、近隣の病院や孤児院にも多くの加護を与え、熱心に奉仕されておりました…尊い聖職者であると信じておったのに…神に仕える身でありながら、なんと罪深いことを…ぐすっ」

「…フーゴ神父。お気を落とさずに…コレ使ってください」


 エルは、いよいよ涙しだしたフーゴ神父に布切れを渡した。


「――エル殿、ありがたきお気遣い、ずび~っ!

 ……だが、きっとガレリア司祭は悪魔的儀式を行っているに違いないでしょう。

 彼が聖カルメア教会へ赴任してきて、間もなくのころからであった…この、獣の如き唸り声が聖カルメアに響くようになったのは――」


「…!ガレリア司祭が、聖カルメア教会に赴任されたのは、いつのことですか?そのころから、この唸り声のようなものが聞こえるようになった?」


 エルは、フーゴ神父へずいっと迫った。


「――えぇ、15年ほど前です。間違いありません。私はかれこれ50年、この聖カルメアで神に仕えていますが、それまでは、このような恐ろしき声が聞こえたことはありませんでした。

 彼の赴任後から、毎夜響くようになったのです」


 フーゴ神父の言葉に、エルは頭のなかで考えを巡らせた。

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