第1章 商業都市『ベレンツィア』聖カルメア教会 初任務 編
1.エルの初任務
「本当なんです!さっきまで、麻袋に銀貨7枚と銅貨10枚を入れていたんです。
――どなたか、僕の麻袋を見ませんでしたか?きっとこの辺りで落としてしまったんです。信じてくださ~い!」
黒い修道士服の長いマントの腰辺り――先ほどまで小さな麻袋をぶら下げていた辺りを弄りながら、エルは涙目でおばさん店主に訴えた。口元にはべっとりと白いクリームをつけたままだ。
「いくら修道士の坊やでもね、私のマンマドールをタダ食いされちゃ困るわよ。お代は銅貨2枚。払えないなら……その一緒にいるワンちゃんを置いていってちょうだい、うちの店の番犬にするからさ」
店主は、エルの隣にぴったりとくっついた、犬というには精悍な獣を指さした。黒く立派な毛並みをした獣だが、今はエルと同じく白いクリームをたくさんつけて、両方の耳を垂れている。
「おばさん、このリアードはウルフなんです!お店の番犬にはなりませんよ。
――そうだ!番犬が必要なら、代わりに僕が店先に『魔除け文字』を記しますよ!『古代ルーン文字―実用編―』という書物で、うんと小さい頃に覚えたんですけど、これが結構効くんです。――こらっ、リア!マントにクリームを擦り付けないで」
店主は、1人と1匹のやりとりを呆れ顔で見つめながら、どうしたものかと、悩まし気にこめかみを抑えた。このまま店先に居られては堪ったものではない。
「修道士の坊や、おばさんを神父様のところに案内しておくれ。神父様からお代をもらって、しっかり坊やを叱ってもらわないとね」
その言葉に、エルはぎょっとして青ざめた。
「そんなっ!それは困ります。今日は僕の初任務の日なんです。任務をこなして、ルシフィー様にたくさん褒めてもらうんです。まだ帰るわけにはいかない…!僕、まだ『イストランダ』から30キロしか進んでませんから」
店主は、目を丸くして驚いた。
「坊や、中央大聖堂都市『イストランダ』から来たのかい?こんな小さな坊やが、司教様か何かだっていうの?」
「僕は司教様ではありませんよ。でも、そのうちにお代はお支払いしますから――神に誓って」
エルは、左手で胸元のロザリオに触れ、右手では魔法の杖を掲げた。
「『時空、しばし留めよ――時の羅針盤≪タイムリープ≫』」
動きを止めたのは店主だけではなかった。エルとリアードの周囲50メートルのすべての時が止まった。
「ごめんなさい、おばさん。――さて、まずは僕らの全財産を取り戻さなくっちゃ」
◆
黒いマントのフードを被った1人と黒い狼1匹だけが動いているその様子を、物陰から1人、息を潜めて見つめている少女がいた――彼女には、エルの魔法が効いていないらしい。
「どうしよう、どうしよう!…皆、石みたいに固まっちゃったよ。私、とんでもないことしちゃったみたい。あのシスターとワンちゃんは、一体何者?」
少女は、手の中にある麻袋を握りしめて、恐々と様子をうかがっていた。麻袋には、円陣の中に星や文字が記されたシンボルが描かれていた――中身は銀貨7枚と銅貨10枚。
「とりあえず、この汚い袋は用無しだよね!中身だけいただいちゃおうっと」
少女が麻袋の中に手を差し入れた瞬間、少女の手に電撃が走った。
『ビリビリ、バッチーン!』
ビクーッと背筋を跳ね上げ、悲鳴を上げそうなところを、なんとか口に手を当てて声を抑え込み、涙目になりながらしゃがみこんだ。
「――っ!な、なにコレ!?え~ん…もうやだよ」
「それじゃ、それを返してもらいますよ」
いつの間に近づいていたのか、先ほどまで見つめていた先にいた人物の声が聞こえ、少女は背後をパッと振り返り――今度こそ、悲鳴を上げた。
「きゃあ!――ど、どうして…」
「どうして、君の仕業がバレたのかって?その君がポイッとしようとした麻袋には、僕が『盗人撃退護符』を記しておいたからさ。『我のもとに≪ムーブ≫』」
エルが唱えると、麻袋はいとも簡単に元の持ち主の手の中に戻った。
「ご、ごめんなさい、ごめんなさい!悪気はなかったんです!」
「悪気がなくって、人のお金を盗むことってあるかな?神はいつも、あなたを見ていますよ」
エルは、頭をペコペコと下げる少女には目もくれず、麻袋に手を入れて、銀貨銅貨の無事を確認した。
「私、どうしても…その……」
少女は何か言いにくそうに口ごもりながら、お腹を両手で押さえて、両足をモジモジさせている。すると、彼女のお腹が『グゥ~~』と切なく鳴った。
少女は頬を赤く染めて、鳴るお腹を両手で抑え込んだ。
エルは少女をチラッと見た。少女が身に着けている衣装は民族調の色とりどりの刺繍リボンで縁取られ、動物の角や牙で装飾されている。中央大聖堂都市『イストランダ』や、ここ商業都市『ベレンツィア』では見ないものだった。
エルは、足元で我関せずとそっぽを向いているリアードを一瞬見遣った後、はぁ~っとため息をついて、少女に言葉を掛けた。
「…神は、飢える仔羊を見捨てたりもしないでしょう」
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