SDG

ほのぼの太郎

第1話

 吊り革が汗でぬるりとすべる。

限界が近い。腹の中に手を突っ込まれて腸内をかき回されたような凄まじい痛みが間断なく続いている。トイレはすぐ隣の連結部にあるが、この折り重なる人の壁を押しのけてそこまでたどり着くのは、不可能に近い。

 目的の駅はあと三つ先だ。

 体の震えが止まらない。腹痛で気が遠くなりそうだ。

 高野修一(たかのしゅういち)は吊り革をぎゅっと握りしめた。平然とした表情で取り囲む他の人たちがなぜか恐ろしく思えて叫びたくなる。

 ようやく車内アナウンスが流れ、電車が止まった。

 目の前の自動ドアが開くや否や、ホームに飛び降りた。腹を押さえ、体をかがめたまま走る。階段を上り、トイレへと駆け込んだ。

 個室に入り、体を折り曲げて、洋式便器の便座に座った。

 右の手のひらで時計回りに腹をなでる。思わずうめき声がもれた。苦痛の元凶が便器にほとばしる。

 ようやく修一は一息つくことができた。

 だが腹の膨満感は残り、鈍痛も去ることはない。

 毎朝行われる苦痛の儀式。

 企業説明会は完全に遅刻だ。目的の駅は二つ先にある。

 

 修一は自律神経失調症だった。医者には過敏性大腸症候群だと診断されていた。

 緊張を強いられると、とたんに腹具合いが悪くなるのだ。

 人間の体は二種類の自律神経でバランスを保っている。交感神経と副交感神経である。たとえば人は緊張すると心臓の鼓動が速まるが、これを助長して緊張を高めるのが交感神経だ。逆に、その緊張を和らげ、鼓動を抑えようとするのが副交感神経で、要するにリラックスを促している。この二つの自律神経がバランスよく活動することではじめて、人は精神的ストレスを緩和しながら健全に生活することができる。

 自律神経失調症とは、そのバランスが崩れている状態をいう。仮に、副交感神経がうまく機能していない場合、精神的ストレスが肉体的症状となって現れることもある。頭痛や吐き気などさまざまなケースがあるが、修一の場合は腹痛だった。

 トイレが近くにないと落ち着かない。近くにあったとして、簡単に動くことのできない閉鎖状況にいれば同じだった。たとえばラッシュアワーの電車内、講義中の教室、バスの中、渋滞の車中。生活していく中でそうした場所は数限りなく存在する。

 トイレに行くことができない。そう考えただけで、修一にはものすごいストレスとなった。それに大腸が過敏に反応し、腹痛が起こる。そのたびに、顔を青くしながら閉鎖状況が解けるのを待ち、トイレへ駆け込んでは、体を折ってうならねばならなかった。

 この病気が発症したのは今から三年前、大学一年の春。長かった受験勉強もようやく終わり、大人になってしまう前の最高に自由な四年間が始まるはずだった。ところが、その一歩を踏み出そうとしたまさにそのとき、原因不明の腹痛が修一を襲ったのだ。

 病院へ行くと、発症の原因は過度のストレスだと説明を受けた。修一はストレスの原因を考えたが、これだと断定できるものはなかった。

 希望していた大学に受かった。ストレスというならば、そこに至るまでの受験勉強のほうがよほど重たく感じていた。これまでの人生で精神的に一番安定しているとの自覚もあった。

はじまった大学生活は苦痛でしかなかった。

 大学へは実家から電車で通っていた。大学近くの駅までは一時間かかる。突然の腹痛に恐怖しながらも、修一は毎日電車に乗らなければならなかった。だがそんな状態で授業に集中できるはずもない。それどころか人の目がすごく気になりだした。一日に何回もトイレに行く自分はどう見られているのだろう。そんなことばかり日々考えるようになった。

 他人と一緒にいるだけで緊張を強いられるのだ。友人などできるはずがない。はじめはクラスの顔見知りから飲み会に誘われたりもしたが、断り続けるうちにいつしか声をかけてくる同級生は一人もいなくなっていた。

 そうして孤立すると、今度は大学へ通うことがおっくうになってきた。留年しない程度に最低限の単位を取得し、必要のない授業には出席しないようになった。しだいに、外に出ることも少なくなり、気づいたときには立派なひきこもり予備軍になっていた。

 家にいればトイレの心配はないが、腹の鈍痛が止むことはなかった。腹の中に鉛を埋め込まれたような感覚がずっと続く。便が出ず、逆に、ひどい便秘に悩まされるのだ。一度、外に踏み出せば鈍痛は激痛へと変わり、血相を変えてトイレを探すことになった。

 腹を押さえながら自室のベッドで横になる生活が続いた。部屋の電気は消したまま、ただテレビだけはつけて、それをぼうっと眺めている毎日。未来を憂いながらも何もできない自分自身に、修一は憤りを覚えていた。

 両親には、病気のことを説明したが、理解してもらえなかった。反対に気の弱さを指摘され、修一に対して両親はつらく当たった。

 結局、修一は自分の殻に閉じこもるしかなかった。病気のことは誰にも相談もできずにいた。

 そんな生活を二年ほど続けた。

 最低限の学科だけを履修し、どうにか留年だけは免れた修一は、大学三年になっていた。

 そろそろ就職活動の準備をしなければならないが、依然として過敏性大腸症候群に快復の兆しはなかった。修一は自分の人生に危機感を抱きはじめていた。このままでは本当にひきこもりになってしまう。何のためにあれほど努力して大学に入ったのか。それに女性とだってまだ一度も付き合ったことがない。ベットで腹を抱えて貴重な二十代の時間を垂れ流し続ける自分の姿が容易に想像できた。

 とにかく外に出なければ、何もはじまらない──。

 修一はネットで情報を収集して評判の病院をいくつも回った。体のゆがみが自律神経にも影響を及ぼすという話を聞いて整体にも通った。改めて内科や胃腸科にも行ってみた。だが、何度検査をしても内臓疾患の徴候が出ない修一に、医者は「大人になれば治る」「必要以上に緊張しない」などと、適当な言葉を投げかけるだけだった。そして、毎日砂利のような食感の恐ろしく苦い漢方薬を飲みながら、こんな臭い薬を毎日飲み続ける自分は口臭も最悪に違いない、彼女など絶対にできるわけがない、と心はどこまでも沈むばかりだった。

 心療内科というのにも通ってみた。心療内科は心理的側面から治療のアプローチを行い、その原因を突き止め、肉体的疾患への影響を和らげようとする治療を主とした。

 修一は週に二回、通院を三ヶ月間ほど続けたが思ったような効果は得られなかった。医師との問診も幾度となく行われたがストレスの原因を特定することはできなかった。診察は回を重ねるたびに通り一遍のものとなり、その時間も徐々に減っていった。整腸剤をもらってただ帰る。結局、通常の内科と何ら変わらない、むなしい治療となった。

 そうこうしているうちに、大学生活も三年が過ぎようとしていた。来月からはいよいよ四年になる。すでに就職活動は始まっている。あと一年で社会に出なければならない。修一は恐怖で身が縮こまる思いだった。

 しかし逃げるわけにはいかない。逃げたらそこで人生が終わってしまう。

 修一は歯を食いしばって就職活動を始めた。めまいを起こしそうな不安にかられながらも毎日のように早起きをして会社説明会に参加した。履歴書を何枚も書いてさまざまな企業に送った。が、何とかできたのはそこまでだった。その先は緊張の連続となった。やっとの思いで面接にこぎつけても腹痛でまったく集中できない。そして、面接が終わるや否やトイレに駆け込む始末。そんな状態で内定が勝ち取れるわけもなかった。


 修一はトイレの個室から出た。

 手を洗い、鏡を見る。

 顔色の悪い病的に痩せ細った若者が映っていた。その姿はまるで幽鬼のようだった。この三年間で約二十キロ、体重が落ちていた。

 修一の中で何かが、音もなく崩れ落ちた。

 トイレを出て時計を見た。完全に遅刻だ。たとえ遅刻をしても、これまでは企業説明会の会場には必ず足を運んでいたのだが。

 修一は改札を通った。降りたホームとは反対側のホームに立つ。

 電車がすべり込んでくる。車内は空いていた。電車が修一の向かうべき方向とは逆へと動き出す。修一は出口の見えないトンネルへと向かっていた。

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