漂流者は標的を必ず殺す

高城剣

第1話 辰馬、異世界に流れ着く(前編)

「待っていたわ。あなたを」

大きな広間に置かれた、石造りの寝台で、男が目を覚ました時、傍らにいたのは妖艶と評するしかない女であった。薄く全身が透けて見える黒い服をまとっている。一見、教会のシスターのようでもある。しかし、邪悪な笑みを浮かべたその顔は、無数の傷が刻まれていた。

「ここは、どこだ?教会の聖堂のようだが。俺は、いったい」

という男の問いに、

「ここは西ガンド大陸にあるバードゥ教の教会の一つ。そうね、あなたのような人間には、異世界、と言った方が理解が早いのかしら?」

と、妖艶な女は答えた。

女の発した言葉。異世界、バードゥ教、西ガンド大陸。

男は狂人を見る目で女を見つめた。

「あはははは、あたしが狂っていると思ってる?そんな顔ね。でも残念、ここは、あなたにとって異世界なのよ、漂流者」

女がその顔を男の胸に近づけ、妙に長い舌で、文字通り嘗め回し始めた。

「殺しを生業としてきた男の味。くくく、たまらないわ。あなたの味だけで、あたしはイキそうよ」

「ふざけんな!俺に何をした!」

男の首から下は、全く動かない。

「いやぁねちょっと大人しくなる薬を飲ませただけ。見えて聞こえて喋れるでしょ?現段階で問題はないわ。あなたのような漂流者を待っていたの。あたしの役に立ってくれる人をね」

「は!夜の相手でもしろってか?」

「あら?期待しちゃった?駄目よ。抱かせてなんかあげないわ」

女は男の股間を冷たく一瞥し、顔を上げ、男を見つめた。

「じゃあ、何の役に立てっていうんだ?」

「あなたの生業を活かしてほしいだけよ。ハヤカゼの異名を持つタツマ・マサオカさん」

「…なぜ知っている?」

「不思議?まぁ、ここは異世界。魔法もある世界よ。納得なさいな」

(魔法?だんだんと記憶が戻ってきた。俺は最後の戦いを奴らに挑んで、あいつにとどめを刺した。それで…どうなった?)

「ちなみに、あなたは死んではいない。死人はこちらに来れないから」

「それは良い知らせだな」

「そうそう、あなたは身一つでこっちに来てるの。あなたの中にいたおかしなものは、もういないわよ」

(おかしなもの…神蟲が、いない?)

「あれは、あなたを超人化させる寄生虫みたいなもの、でしょ?寄生虫もいなくなって、あなたは正真正銘の健康体ってわけ。喜びなさいな。どうせ、能力と引き換えに寿命を削るんでしょ、あの蟲」

(どこまで知っている?この女、いったい)

「黙って、あたしに喋らせて情報を引き出そうとするのは立派だけど、別に隠すようなことじゃないし、そもそも漂流者への基本説明だから。そうね、自己紹介が遅れたわね。あたしのことはキヨラとお呼びなさい。元締めでもいいけど」

「元締め?」

「言ったでしょ?あなたのような男を待っていた、って。あなたの得意な、殺しの仕事、させてあげる」

「キヨラ、おまえが元締めってことは、お前の指示で動く殺し屋が必要ってことか?」

「そうね。バードゥ教は困っている人々の味方だから、そんな仕事も必要になるのよ」

「調子のいいことを言うな。俺に何の得がある。すぐに元の世界に戻せ」

「得?この世界で生き延びられる。報酬もある。お得ばかりでしょ?そもそも人殺しが損得勘定なんて烏滸がましいわ」

男=タツマは微妙に感覚の戻ってきていた右腕を動かし、キヨラの首を掴んだ。

「へぇ、もう動けるの」

「死にたくなければ、俺を元の世界に戻せ」

「ふふ、かろうじて、絞め殺せる程度の握力は戻っているみたいね。凄いわ」

「ふざけてる余裕があるのか?」

タツマは更に右手に力を込めた。

「今まで戻ることのできた漂流者はいないけど、あたしを殺してどうにかなると思っているなら、殺しなさい。ほら、あたしをイカせて、タ・ツ・マ」

キヨラは首を掴んでいるタツマの右手に両手を添えた。快楽に浸るかのように、嫣然とした笑みを浮かべながら。

(脅しは通用しない。そんな気はしていたが、やはりそうだ)

タツマはキヨラの首から手を離した。

「あら、もう終わり?」

「やかましい、変態女。とりあえず、今後どうすればいいのかを教えろ」

「もう一度言うわ。あたしが欲しいのは腕の立つ殺し屋。今のあなたには武器も超人的能力もない。それでもやるなら、しっかり面倒見てあげるってこと」

「とりあえずは従うしかなさそうだな」

「拍子抜けするくらい素直ね。後で何とかなるとか思ってるのかしら?」

タツマは黙ってキヨラを睨んだ。

「はいはい。好きになさい。それじゃまずは、この世界の基本から、ね。そうだ、はい」

と、キヨラがタツマの頬にキスをすると、全身の麻痺が解けた。

「それで、これでも着ていて。欲しくなっちゃうから」

次に麻のような繊維でできた、簡易なシャツとズボンを渡された。

「着ながらでいいわ。ここは西ガンド大陸。そして中央諸島には王城があり、その先に東ガンド大陸がある。そして、この西ガンド大陸から中央や東に行くことは出来ない。海で隔てられいるし、海は岩礁が多く天候が不安定で船での移動はほぼ不可能。そのため移動には転移門と呼ばれる移動装置を使う必要がある」

「いかにもファンタジー異世界だな」

「そして転移門があるのは、この西大陸じゃ、海沿いにあるレファントメルテという都市の中だけ。その転移門は王立の騎士団に守られていて、西大陸の住民は近づくことさえできない」

「そこまでして行き来を封じるわけは?」

「いい質問ね。この西大陸は流刑地だから、よ」

「とんでもないところに送られてきたもんだ。どんな犯罪者でも、ここに来るのか?」

「そうね、取り締まりに逆らえば、その場で騎士団に殺されることが多いけど、捕まったら、大体、ここに送られるわ」

「ここに流す意味は?」

「んふ、それもいい質問ね」

「そもそも刑期とかあって帰れるのか?」

「それも絡んでの答えは…生贄が必要だから。つまり帰ることは出来ない」

「生贄、だと?」

「東大陸じゃ、魔王が倒されたと信じ込まされてるし、実際、あっちは平和なんだけれど、魔王はこっち、西にいるのよ。追いやられただけ、ってこと」

「その魔王とやらへの生贄、なのか?」

「こっちの大陸に留まっている限り、魔王が人を襲おうと、騎士団、ましてや勇者は派遣されない。ここは偽りの平和の為のドブ溜め、魔王の餌場みたいな場所」

「で、俺に魔王を倒せとか言うのか?」

「あはははは、まさか。超人的な力を失った、しかも殺し屋風情が、魔王になんか敵う筈がない」

「ふざけてんのか」

「ふぅ、まったく漂流者って皆そうよね。何か特別な使命のために、特別な能力を持って、こちら側に来たって思い込む。ありえない。あなたたちは、偶々ここに流れ着いた、文字通り漂流者なのよ。さっきも言ったでしょ?あたしが必要なのは殺し屋。困っている民草を少しでも救うための手段としての殺し屋が必要なのよ。バードゥ教には、まして、この西大陸には、ね」

「経験者募集中のところに、偶然来ちまっただけってことか」

「そういうことね。道具と仕事はこちらで準備する。報酬もわずかだけどある。それに今の身体の状態で殺しが出来るよう、準備期間を1ヶ月あげる。イヤなら、自害するか、ここから出て行って、挙句の果てに魔王に殺されるか、勝手にしていいわ。次を待つから」

タツマは深くため息をついた。

「破格の条件だな」

「でしょ?」

「偶々流れ着こうが、故意に呼ばれようが、俺は死にに来たんじゃねえ。受けてやるよ。気に食わねえがな」

「そうこなくちゃ、ね」

(例え世界が違おうが、俺に許される生き様は、他人の命を奪う事しかないのか)


タツマはバードゥ教会の外に出た。今の現実感のない状態を何とかしたかったのだ。

一歩も外に出ずに、話をここまで進めた後悔も多少はある。

タツマが周囲を見回すと、石造りの家や商店らしき物が立ち並ぶ、街並み。

ただし、時刻は真夜中らしい。星明りで街並みをおおよそは確認できるが、人っ子一人歩いてはいない。街灯なんてものがない、電気がない世界。

そもそも殺し屋候補が堂々と人前を歩いていいのかどうかも不明だが、元の世界でも普段は日常生活と呼べるものを送っていたので、問題は無いと判断した。

しかし、こんなに暗い中、ふらふら歩いて不審者扱いされて無用なトラブルを招く必要などないので、さっさと中へと戻った。


「おい、キヨラ。今が夜中なら夜中って言え」

「ごめんなさいね。この世界は…時計が日時計しかないのよ。暗くなったら寝る時間、それだけ」

「キヨラ、俺のいた世界のこと、それなりに詳しそうだな」

「ん?まぁ、あなたが最初の漂流者じゃないし。色々話は聞いたわ」

「で、そいつらは、どうなった?」

キヨラは大きく目を見開いた。

「あら、気になるの?」

「…死んだのか?」

「うーん、やっぱり過酷なのかしら、ここって」

タツマは思った。まともな神経じゃ耐えられないはずだ。死と隣り合わせで、元の世界よりも科学文明が遅れている、この世界では、と。

「そんなことより、準備する得物は仕込みガントレッドでいいの?」

「そんなことまで知ってんのか」

元の世界でタツマが殺しに使っていた武器。手甲に刀身を仕込んだ攻守一体の得物である。

「こっちの文明水準にあった得物で助かるわ。無限に打てる弓矢とかだったら、無理矢理にでも魔法を仕込まなきゃ無理だもの」

「魔法、覚えられるのか?」

「無理矢理って言ったでしょ。頭の中に魔法陣を焼き付けて、生命力と引き換えに発動可能にする禁術があるんだけど…ご希望かしら?蟲で慣れてるから平気、とか?」

「要は漂流者には魔法の素養がないから、禁術施す以外、無理なんだろ?」

「そういうこと。ほんと、タツマは理解が早いわね」

「元の世界じゃ、オタクって奴だったからな。そういう方向の理解や推測はしやすい」

「オタク…それじゃ、あたしは寝るわ。襲ってもいいけど」

「御免だね。呪いでもかけられそうだ」

「正解。タツマの部屋は、右隣の空き部屋使って。一応ベッドもあるし、トイレもあるわ」

「豪華だな」

「そうね、漂流者はまず持て成すのよ。バードゥ教は」

そう言うと、キヨラは聖堂の奥へと消えて行った。

「異世界。西ガンド大陸。流刑地。バードゥ教。漂流者。殺し屋。魔王。設定盛り過ぎだな」

タツマはそうつぶやくと、キヨラに指定された部屋へと向かった。


朝日が顔に当たり、タツマの意識を覚醒させる。

(4時間くらいだろうか、睡眠時間は)

タツマは起き上がり、汲まれて置いてあった水で顔を洗い、部屋の外に出た。

聖堂では祭壇らしきものに、手を組んで祈りを捧げるキヨラの姿があった。

今朝は昨夜のようには透けていない、普通の紺色のワンピースのような服装だ。

タツマが一番気になったのが祭壇だ。そこには神様とかの像は無く、黒と白の煙のようなものが混じり合わずに渦巻いていた。

(魔法?あれが本尊のバードゥ?気味が悪い)

キヨラは祈りを終え、ゆっくりとタツマに顔を向けた。

「あら、おはよう、タツマ。よく眠れた?」

昨夜と全く違う、朗らかな表情と声。何よりも顔にあった傷がきれいに消えている。

タツマはその変化に驚いたことを隠し、訝しげにキヨラを見つめるだけにした。

周囲を見回すと、数人の人間がいる。

(信者、なのか?)

「みなさん、今朝もバードゥ様への祈り、ありがとうございました。幸多からん日々を」

「「「バードゥ様の元で」」」

と、声を合わせて応えると、彼らは出て行った。

「毎朝のお勤めってやつです。さ、朝食にしましょうか」

ニコリと微笑んで、タツマを促すキヨラ。

「信者の前だから猫を被ってたわけでも、なさそうだな。昼と夜で豹変するタイプか」

「うふふ、どうでしょうね」

そんな気味悪いキヨラの準備した朝食は、美味であった。


「さ、まずは鍛冶屋に行きましょうか。タツマの武器を作りに」

「殺しの道具は、堂々と鍛冶屋に依頼するものなのか?それに、教会を留守にしてもいいのか?」

キヨラ以外に教会の人間がいないことを、昨晩タツマは確認済みである。

「懇意の鍛冶屋がいますし、朝の礼拝以外、人が来ることは滅多にありません。何か用事があれば、手紙を残されますし」

「ふーん。識字率は高いんだな」

「へえ、面白いことに気が付きますのね。ここは流刑地とは言え、こちらの世界って基本的な教育は行き届いていますから」

「結構なことだ」

外に出ると、昨夜とは打って変わって、人通りが多い。

「西ガンド大陸でも有数の大きな町なんですよ。ここゼストガンは」

皆、家の前を掃除したり、何やら店の開店準備に勤しんでいる。

「キヨラ、ここは流刑地なんだよな」

「ええ、平和なのが不思議ですか?常に盗み合い、騙し合い、殺し合いでもしていないとおかしい?ですか」

「いや、ここに送り込む判断をしてる奴がおかしいんだな」

「うふふ、正解です。当然、送られるべき者もいます。だからこそ、泣く者、笑う者が出て、裏の稼業が必要なんです」

と、タツマの耳元で、無駄に熱い吐息とともに囁く。

あまり興味本位にキョロキョロして歩くと、無駄に怪しまれるだけなので、タツマは意識的に視野を広げて、情報収集に努める。

通常100度程度の有効視野角を180度以上にまで上げる技。

(以前習った技術は使えるようだ。どこまで俺は体内にいた神蟲に頼っていたのか?一つ一つ試さないと、自覚出来ない。非常にまずい)

「さぁ、この店です」

と、まだ町中にも関わらず、キヨラは一軒の鍛冶屋へと歩みを進めた。

(日本語では当然ないが、なぜか看板の文字が「鉄火亭」と読めてしまう。言葉もそうだが、どうせ「翻訳魔法」の一言で片づけられるんだろうから、敢えて訊かない)

「おはようございます、バウルさん」

「キヨラか。ふん、そいつは新入りってわけか」

バウルと呼ばれた男は髭面でガッチリ体型で背が低い。ドワーフという種族である。

「はい。タツマっていうの。よろしくね」

「タツマ・マサオカだ。バウル、よろしく頼む」

「ふーん、長持ちするといいな。で?」

「彼の言う通りの物を作ってあげてほしいの」

「ほぉ、ありものじゃ駄目な男か」

「そうみたいね」

「なんか俺が変態かのような会話はやめて欲しいんだが」

「ほら、大丈夫だからリクエストしてみて。腕良し、秘密厳守の職人だから」

「わかったよ。それじゃ刀身を仕込んだガントレットを両腕分、頼みたい」

「攻防一体ってヤツか。それで斬るのか?刺すのか?」

「片刃で両方に使えるやつだ」

「ふむ。おいキヨラ、どこまでやればいいんだ?」

「そうね。ミスリルで」

「ほぉ、気張るのぉ」

バウルは髭をしごいてうなづいた。

「おい、タツマとやら。腕を見せろ」

俺は両腕をバウルに突き出す。

「使い込んだ腕だな。サイズもわかった。ミスリルの在庫もあるしな。1週間で仕上げる」

「はい。お願いしますね」

タツマはさっさと出ていくキヨラに付き従って、店の外に出た。

「キヨラ、ミスリルってのは、稀少な金属じゃないのか?」

タツマはオタク知識で訊ねた。

「そうですね、人間相手には過ぎたものかもしれませんが、簡単に折れて欲しくないので」

「刀身か?俺か?」

「両方です」

「ご期待に沿えるよう、頑張るさ」

「次は仕事の装束を仕立てましょうか」

「もしかして…全部、俺の借金になってないか?」

「そこに気づける、タツマに期待してます」

「滅私奉公は勘弁してほしいんだが」


今度はやたらと路地裏の道を右へ左へ。

迷路みたいな道が続く。さっきの鉄火亭とは大違いな、後ろ暗そうな場所だ。

と、一軒の看板も何もない普通の石造りの家の前で、キヨラは立ち止まった。

「えーと…」

なにやらぶつくさ呟きながら、そのまま扉を開けて、中に入っていく。

続いてタツマが入ってみると、家の中は殺風景そのもの。4人掛け程度のテーブルに椅子、そのテーブルの上には枯れた花が刺したままの薄汚れた花瓶。

他には何もない。埃っぽいだけの空間。

キヨラは黙って、花瓶から枯れた花を取り出し、椅子の上に1本ずつ並べていく。

まるで儀式の如く。

そしてキヨラが3回手を叩くと、奥の壁だった場所に、人の背丈くらいの黒い暗い穴が開いた。

手順を踏まないと開かない、魔法的なセキュリティ、なんだろうか。

タツマは首を振ると、穴に入っていくキヨラに、黙って続いた。


穴の中は下り坂の階段。遥か下の方に明かりが見える。

「何も聞かないんですね」

「呆れてるんだよ、こっちの世界の不思議魔法に」

「すぐに慣れますよ」

「そう願いたい」

5分ほど下り続けると、明かりの漏れる扉の前に来た。

そこも躊躇なく開けるキヨラ。

「注文に来ました」

特に声を張り上げるでもなく、だれもいない部屋に向かってキヨラが言うと、いつの間にか若い男が立っていた。

タツマは男の気配を感じなかった。まさに瞬きする間に現れたのだ。しかも真っ赤なスーツ姿の…そう、背広姿の男が、である。

「いらっしゃいませ、キヨラ様。彼の装束でよろしいですか?」

「ええ」

「承知しました。こちらへどうぞ、タツマ様」

ここでも名前まで知られている事を、タツマは気味悪く感じた。

「ふふ、わたくしはサモン。あなたと同じ漂流者にして錬金術師。でも今はしがない仕立て屋でございます。以後、お見知りおきを」

「錬金術?」

「はい。こちらに来てから少々学びまして」

「胡散くせぇな」

「郷に入りては、と申しますからね。こちらの表現では錬金術、というのが正解なだけで。元々の科学知識は存分に生かしてあります。さぁ採寸させていただきますので、こちらへ」

不安げにタツマがサモンに付いていくと、何やら化学実験室のような部屋に案内された。

「裸になって、そこのシリンダーの中に入っていただけますか?」

指さす方に大きなガラスの筒がある。

「あれに?」

「はい」

「ここで暴れて逃げ出したところで生存確率は低くなるだけ、だよな?」

黙って笑みを浮かべるサモンを睨みつつ、タツマは黙って服を脱ぎ、そのシリンダーに入った。後部に梯子が付けられていたので、入るのに苦労はなかった。

「まずは解析液で中を満たしますが、呼吸は出来るのでご安心を」

「液で満たすって、おい」

有無を言わさず、頭上から何やら液体が一気に注ぎ込まれた。

(瞬時に頭の上まで液体が…死ぬ…ん?液体である感覚はあるが、気体のような…比重がおかしい)

「そのまま呼吸してください。体内に取り込む必要がありますので」

タツマが覚悟を決めて息を吸うと、気管から肺へと何かが流れ込んでくるが、苦しさは全くなかった。

「はい、そのまま…完了です」

まるで人間ドックのような雰囲気を漂わせつつ、タツマの体表からも、吸い込んだはずの体内からも瞬時に液体の存在感が消えた。

「もう出ていただいて大丈夫です。服も着てください」

中には梯子はなかったが、微妙な凹凸があったので、そこに手をかけて、タツマはシリンダーから抜け出して服を着た。

サモンの方を見やると、机の上に置かれた紙の上で、誰も触れていないペンが動いて文字を認めていくのを眺めている。

「お化け屋敷か、ここは?」

「さて、どうでしょう」

「あとは何かあるのか?」

「いいえ、タツマ様の解析は完了しました。ほぉ、面白いですね、蟲術ですか。無茶をされてきたのですね」

「向こうじゃ禁術で極秘だったんだが、なんで、こっちの連中には即バレするんだ?」

「魔法のある世界では、よくあることです」

「キヨラと言い、おまえと言い、はぐらかし方がいい加減すぎないか?」

「ふふふ、1週間後にお届けいたします」

「あぁ、俺一人じゃ、二度とここに来れる気がしない」

「ご謙遜を。あぁ、もう一つ確認事項が」

「ん?」

「武器は何を使用されますか?」

「…ガントレットに刀身を仕込んだものを両腕に」

「そう睨まないでください。もちろん他言は致しません。信用第一の商売ですから。衣装の方、そのように調整させていただきます。あ、それと」

「まだあんのか?」

「くれぐれも、安易な方法に頼らないように。隙間はわたくしの服が、お埋めしますので」

そうよくわからない事を言ってウインクしてくるサモンを無視し、タツマはキヨラの元へと戻った。

「終わったようだぞ」

「じゃあ、戻りましょうか」

「サモンのやつ、部屋にいるままのようだが、いいのか?」

「もう、こっちに興味を向けることはないと思います。あなたの服を作り終えるまでは」

「どこが信用第一の商売何だか」

「うふふふ、職人気質なんですよ、サモンは。そしてバウルもね」

裏稼業に関わる人間だ。おかしなのしかいないのは、向こうもこちらも同じらしい。


階段上って、入り組んだ道を抜けて、元の通りに戻り、幾ばくかの食料を買い出しし、教会へと戻った。

「それではタツマ、あなたの仕事ですが」

「早速か?」

「表の仕事ですよ。何もしない人間が教会にいるのも怪しいですから」

「なるほど。教会にヒモ男がいるのはよろしくないな」

「立場的には下男?召使い?小間使い?まぁ、そんなところです」

「嬉しくないが、仕方がない。何をすればいい」

「教会周りを履き掃除してくださいな。信者の方たちに恥ずかしくないくらい、きれいに」


とある一軒の粗末な石造りの家の前に3人の男たちが立っていた。

その内の背の高い、無精ひげの男が家の扉を叩く。

「マグさん、マグさーん、ここ開けてくださいな。お金を返す時間ですよー」

家の中からの返事はない。

「無視しないでくださいな。俺、悲しいですよ」

ダンダンダン!

男はさらに扉を強く激しく叩き始めた。

「ねーねー、開けましょうよ。開けないと、俺、怒っちゃいますよー」

ガンガンガン!

それでも反応はない。

「わかりましたー、怒りますねー」

男は他の二人に顎をしゃくった。

「さぁ、窓ぶち破って、松明放り込んじゃってください」

二人は黙って家の両脇に周り、木の板で閉じられていた部分を拳で壊し、手にしていた火のついた松明を家の中へと投げ込んだ。

「悲しい。貸して差し上げた端金の回収できず、借りた本人は死んでいく。ほんと、悲しいですね」

などと、男がぶつくさとつぶやいていると、家の扉が開き、そこに一人の犬型獣人の男が立っていた。

「きさまら、何しやがる!」

「おやおや、マグさん、いらっしゃったんですね。いくら呼んでも無視するから、俺、怒っちゃいました。だからまずは帰る場所なくしちゃおうと思って、火を着けてみました」

犬型獣人の男、マグはグルルルと低く唸り、無精ひげの男を睨みつけた。

「金はもう返したはずだ!」

「元本はね。金を借りたら利息ってものが付くんですよ。獣人風情には難しい話かもしれませんが」

「ふざけるな、借りた金の十倍の金なんか、払えるわけがない!」

「わけがあろうが無かろうが、払うんですよ。これ決まり事です。ルールです。ここが流刑地、西ガンド大陸であろうとなかろうと、それは変わりません。お貸しする時に言いましたよね?利息、付きますよって。それで、わかったっておっしゃいましたよね?契約は成立しています。払えないなら、これ以上利息が増える前に死んじゃえばいいんですよ。獣人の牙や骨、高く買ってくれる、親切な魔術師さんがいるんでね」

無言で男に飛び掛かったマグだが、いつの間にか戻ってきていた二人の男が振るった剣に両腕を瞬時に切断された。

声も出せずに地面でのたうち回るマグ。

「あーあ、もう、お手も出来ませんね」

そう、無精ひげの男が言うと、二人の男はマグの首と両足を斬り飛ばした。

「だいぶ運びやすくなりましたね。さぁ、帰りましょうか」

松明を放り込んだ家は本格的に燃え始め、散らばったマグのパーツを二人の男がズタ袋に詰め、先に行く無精ひげの男の後を追って、歩き去った。

血の滴るズタ袋を肩に背負ったまま。

彼らが去ったあと、恐る恐る表に出てきた近隣の住人が、桶に汲んだ水をマグの家へとかけ、消火活動を始めた。自分の家まで燃えては困るから。


タツマが教会の周りを一通り掃除し終えたころには、夕暮れ時になっていた。

教会の中へと戻ると、キヨラが元に戻っていた。

そう、顔に無数の傷が浮かび上がり、笑みが邪悪なものへと変貌していた。

「キヨラ、昼と夜で変わってるそれ。どういうことなんだ?」

「さも当たり前のように、困惑することもなく聞いてくるあなたが怖いけど」

「元の世界で、色々おかしなヤツと殺り合ったから、慣れがあるのかもしれない。言えないなら、別に構わない」

「これはバードゥ様の福音。夜は恨みを、昼は祝福を司れるのが、あたし」

「表と裏の顔が極端なだけか、わかった」

(ジキルとハイドとか、そういう類か?ただ、記憶は連続しているようだから別人格とかではなさそうだ)

「心が広いのね、タツマは」

「さてな。キヨラ、お前に興味がないだけかもしれないぜ」

「あははは、貞操の心配をせずに眠れるなら、それでもいいかもしれないわね」

「俺にとって、害がある存在なら、俄然興味を持つ、かもな」

「ふーん、そう。とにかく、現役復帰のトレーニング、がんばりなさいな」

「掃除で疲れてるんだが…」

キヨラは殺意の籠った目でタツマを睨んだ。

「はいはい、頑張りますよ。も・と・じ・め」

(ちとからかいすぎたか。さて、自分の筋力や柔軟性を、改めて確認するか。今日の買い物や掃除で、通常の動きには問題ないことは確認済みだ)


明かりがいくつかの蝋燭しかない、薄暗い部屋の中。丸い木のテーブルを挟んで二人の男が向き合っている。

一人は、獣人マグを殺した無精ひげの男。

もう一人はローブ姿の白髪の男。短く切りそろえられた髪と口ひげは全て白いが、その顔つきは鋭く、老いているようには見えない。

「ご依頼の獣人の身体、ちょいとバラしてあるが、裏の木箱に入れてあります」

「なぁ、デンロ。私は五体満足で、と言ったはずだが」

「ちょいと血は抜けちまっていますけど、中身は落としてない、ですよ」

「まぁいい。ダンとバンの剣の腕は信用している」

「で、俺は信用できないと。ジェルムさんは手厳しい」

「うるさい。用は済んだ。さっさと出て行け。報酬は現物を確認したら、支払う」

「わかりました。今後ともご贔屓に」

デンロは大仰にお辞儀をし、部屋から出て行った。

「さて、大柄な犬系獣人だったか。良いパーツがあるといいが」

ジェルムは顔を右手で覆い、その人差し指で額を叩きながら椅子から立ち上がると、デンロが出て行った方とは別のドアの向こうに消えて行った。


トレーニングと夕食を終えたタツマは、キヨラに話しかけた。

「なぁ、模擬戦みたいな感じで訓練したいんだが、相手をしてくれそうなヤツっているか?」

「いいわよ。あたしが相手したげる」

「おまえが?」

「ええ。タツマが来るまで、あたしが頑張っていたんだもの。少しは相手出来るわ」

良くも悪くも不安しかないが、まぁ仕方がない。

「腹ごなしに今から少しやる?剣でも素手でも大丈夫よ」

「じゃあ、とりあえず、素手での格闘、お願いしたい」

「了解。地下に闘技場があるから、そこで」

「闘技場ね。どんな教会なんだか」


結果、タツマはキヨラにまったく歯が立たなかった。

タツマの攻撃は空を切り、キヨラの攻撃はタツマを捕らえた。

「ばけもの、め」

(元の世界でも、幹部クラスのやつの実力だ。今の抜け殻の俺じゃ、敵わない)

「だって、元締めを名乗るくらいなら、子飼いの殺し屋より弱かったら駄目、でしょ?」

「なんだ、そのボス猿みたいな発想は」

「んふ。身体は覚えているって感じの動きだけど、今のままじゃ、最初の仕事で死ぬわ」

(確かに神蟲の抜けた穴は大きい。イメージ通りには動けない。反応できない)

「こっちには蟲術みたいなものは無いのか?」

キヨラはタツマの問いかけに、大きくため息をついた。

「タツマ、寿命を縮めてでも、元に戻りたい?」

「確かに、そこいらのヤツを始末するのには今でも困らないだろう。だが、キヨラ、お前クラスの相手だと無理だ」

「素直なのはいいけど、褒められた発想じゃないわね」

「その言い方だと、手があるってことだな」

「訓練初日で、そういう発想になるって言うのは、逆に褒めた方がいいのかしら」

「なんでもいい。俺を役に立てたいなら、なんとかしろ」

「他力本願?それとも手段は選ばない?」

「好きに取れ。昨日言ってたよな。武器も超人的能力もない。それでもやるなら、しっかり面倒見てあげるって」

「頭の中に魔法陣描くことになっても?逃げて死ぬか、裏稼業に殉じて死ぬかの違いはある。でもタツマは積極的に寿命を削って殉じたいわけ?生き延びるために寿命を減らすの?本末転倒の愚かな行為よ」

「借金返すまでは死ぬな!って話か?」

「そうね。貴重な殺しのできる漂流者。ミスリルまで投資をしちゃった後に死にたがらないで欲しいのだけど」

「どうすればいい…」

悔しげにつぶやくタツマを呆れた表情で見つめるキヨラ。

「手は無くもない。でも、それはギリギリまで使わない。今は、少しでも体技を上達させることを考えてくれる?」

黙って構えを取るタツマを、キヨラは再び容赦なく打ちのめした。

そんな中、タツマはサモンの言葉を思い出した。

『くれぐれも、安易な方法に頼らないように。隙間はわたくしの服が、お埋めしますので』

という言葉を。

「あいつの、作る、服か…」


台の上にきれいに並べられた、獣人マグの身体のパーツ。

台から零れ落ちた血液が床に染みを作っているが、ジェルムは気にする様子もなく、じっくりとパーツを眺めている。

「右腕の筋肉。両足のふくらはぎ」

ジェルムは頭部を手に取り、口を開き牙を見て、驚愕に見開かれたままの瞳を覗き込んだりした。

「頭部は質が悪い、か。所詮犬だから仕方なし。あとは内臓だが…」

ジェルムは脇に並べてあったナイフを手に取り、マグの遺体の腹部を切り開く。

「ふむ、酒浸りにはならなかったようだな。あぁ、そんな金もないのか。おかげで、心臓と肝臓は使えそうだ」

ジェルムは黙々と心臓や肝臓、右腕やふくらはぎを切り取り、背後にあったガラスの筒に入れ、そこに怪しげな赤い液体を注ぎ、蓋をした。

「あとは使えそうな頭部だ、頭部。馬鹿で愚かではない、賢い獣人の頭部だ」

ジェルムは顔に血が付くのも厭わず、右手で覆い、その人差し指で額を叩く。

「あと少し、だ。あは、あははは、あはははははは」

ジェルムは台の上に残ったマグのパーツを全て叩き落としながら、狂ったように笑い続けた。血まみれで笑い続けるジェルムは、まさに悪魔のようであった。


とある酒場。

酔客で混みあう店内を見事に避けつつ、小さな獣が、とあるテーブルにいた客の足から肩まで駆け上った。

「まったく、急に来られると心臓に悪いと言ったはずなんですがね」

デンロは肩に来たナルンと呼ばれる、リスのような生き物を見つめた。

「ツギ、リコウナ、アタマガ、イル」

と、小さな声で片言でしゃべると、そのナルンは走り去った。

「はぁ、お利口さんですか。そういう奴を嵌めて堕とすのも楽しいですが、時間がかかるんで、目星付けて、ダンとバンに頼みますかね」

デンロは目の前のジョッキの酒を一気に煽った。

「あぁ、利口な獣人ね。いた、いた、いましたね。よし、下見でもしますか」


「大いなる古き神々の聖名の元、回復の祝福を授けん」

キヨラが両手を組み、祈りを捧げると、タツマの身体が黒い光に包まれ、傷が回復していく。

「どう?痛みは?」

「んーーーーー消えた、な」

タツマはキヨラの問いかけに自分の身体を捻ったり、キョロキョロ見たりして答えた。

「なんで黒いんだ?」

「え?」

「いや、俺の身体、黒い光に包まれたよな?」

「なんで?って言われても、そういうものだから、としか答えられないわ。バードゥ様のお力だし」

「そうか、なら仕方がない」

(祭壇の光と言い、この魔法と言い、絶対まともじゃないのは分かるんだが)

ここで疑念や恐怖を感じていたら、殺しの仕事は出来ない。現状、自分にとって不利なことは起きていない。タツマは、そう思い、素直に引き下がった。


ゼストガンの町の西の外れには森があり、そこはランウッドの森と呼ばれている。

その森の入り口に丸太組みの小屋があり、そこには薬師のマァリとジュリという猫獣人の姉妹が住んでいる。二人はゼストガンの住民に薬草を調合した薬を売って、生活していた。

「ジュリ、そろそろ出かけるけど、準備はいい?」

姉のマァリは28歳。灰色のきれいな毛並みで、頭部に大きな猫耳。

「うん、大丈夫。ばっちり。お姉ちゃんは、あたいが守る」

妹のジュリは20歳。茶トラのややぼさついた毛並みで頭部の耳は左だけ垂れている。

粗雑な感じではあるが、マァリに対する反応は子供っぽい。

「ほら、普段から喋り方に気を付けなさいって言ってるでしょ」

「…町のやつらに何言われようが、あたいは気にしないもん」

「その町の人が薬を買ってくれるから、わたしたちは生活出来てるの!雑な対応すると、買ってくれなくなっちゃうのよ」

「大丈夫だよ、お姉ちゃんの薬は凄いもの!無くなると困るのは向こうだって」

「そういう思い上がりで足元掬われちゃうの!もう、行くわよ」

マァリはジュリの右耳を掴むと引っ張った。

「とれるもげるわかったちゃんとするいくから、お姉ちゃん、はなしていたいいたい」

マァリは小屋の外までジュリを引っ張り出し、ようやく耳から手を離した。

「ほい、出発しましょ」

「絶対、もげた、取れた」

自分の頭部を叩いて確かめるジュリに、マァリは苦笑しつつ、ジュリの手を引いて歩き始めた。

「何言ってんの、耳付いてるでしょ」

尚もぶつくさ言うジュリを連れて、マァリは森の中へと歩みを進めた。


姉妹の丸太小屋から、かなりの距離をおいた岩陰で、デンロは顔の前に掲げていた透明な石を下に下げた。

「ふふ、元気そうで何より。妹の方はアレですが、姉の方なら、ジェルムもお気に召すでしょう。それにしても」

ジェルムは再び透明な石を顔の前に掲げた。

「この遠見の石は便利ですねぇ。離れた場所が近くに見えて、声まで聞こえる。ジェルムの大発明です」

デンロは遠見の石を革袋にしまって、立ち上がった。

「さぁて、さっさと片を付けちゃいますか。ね?ダン、バン」

同じく岩陰に隠れていたダンとバンが昏い顔をして立ち上がった。


ランウッドの森の中。茂る木々の間からの木漏れ日で、結構明るい。

獣道ではあるが、歩くのに困らない程度の道もある。

東ガンド大陸をも巻き込んでの魔王との戦いが激しかったころは、この森も魔物が溢れていたこともあり、冒険者や騎士団たちによる数多の討伐戦が繰り広げられた。

その甲斐もあり、森を跋扈する魔物の数は極端に減った。そして魔王自身も現在は積極的には戦争を仕掛けてこず、この西ガンド大陸で供給される生贄で満足しているという。

「ジュリ、そろそろ現れてもおかしくない場所よ。お願いね」

「お姉ちゃん、まかせて!」

ジュリの瞳が青から金に変わる。

ガサガサっという音ともに、茂みの中から3頭のギエヌと呼ばれる肉食のトカゲが姿を現した。魔物ではなく、純粋な野生動物ではあるが、体長がマァリやジュリたちよりも大きい。尾も含めると、おそらく2倍になるだろう。普段は小型の動物を主食としているが、群れを成すと人間までも襲う。

「お姉ちゃん、下がって」

ジュリの全身の筋肉が盛り上がる。爪も伸び、鋭く尖る。

ジュリは3頭のギエヌに向かって突進。

各々が尻尾を鞭のように振り回し、接近するジュリを牽制。

ジュリは構わず突っ込み、両腕をふるって、その爪で、3頭の尻尾を一気に切断。ジュリの両脇に回った2頭が噛みつこうと口を開くが、ジュリはその場でジャンプし、その2頭の頭部を踏み潰すように着地。

バキっと音がして、2頭のギエヌの頭部が潰れ、死の痙攣。

ジュリは、不利を察し逃げようとする残りの1頭の残った尻尾の付け根を掴み、振り回すように地面に叩きつける。

そして仰向けになったギエヌの腹部を右手で貫き、そのまま下へ裂く。

吹き出る血を浴び、恍惚の表情を見せるジュリ。

「ジュリ!そこまで!」

マァリの叫びとともにジュリの瞳は金から青に戻り、途端にバツの悪そうな顔で俯いた。

「助けてくれるのは感謝してるけど、血に酔うのは我慢にしなさいって、言ってるよね」

「ご、ごめんなさい、お姉ちゃん。また、やっちゃった」

「ほら、こっちいらっしゃい」

マァリは水筒の水で布を濡らし、血に汚れたジュリの顔と手を拭いてやった。

「服は…多分、洗っても落ちないわね」

「うぅ、ごめんなさい」

「気持ち悪いかもしれないけど、帰るまで我慢しなさい」

「脱いじゃダメ?」

「だーめ!他の誰にも会わないとは限らないでしょ」

「わざわざランウッドの森になんか、人間も獣人も来ないと思うけど」

「ゴブリンだっているんだし、わざわざ誘うような格好したがらないの!」

「さ、誘いたいわけじゃないよ!もう!…あたい、お姉ちゃんみたいに胸無いし」

「はいはい、それじゃ、ちょっと川に寄っていこうか」

「うん、水浴びしよう!」

「遊びに来たんじゃないんだけどなぁ」

そう言いつつも、嬉しそうなジュリの様子に、顔を綻ばせるマァリであった。


小川に到着すると、ジュリは早速、血に汚れた服を脱ぎ、一糸まとわぬ姿になり、小川の真ん中で水に漬かりながら、服をこすり洗いし始めた。

「はぁ、恥じらいのない娘はモテないのに」

マァリがため息交じりに呟く。

実際、ジュリの身体はスレンダーではあるが、もう子供の体形ではない。

「あら、珍しくケティ草が生えてる。寄り道もいいことあるのね」

と、マァリは水辺に生えている赤い草=ケティ草を摘み始めた。

「お姉ちゃんも水浴びしない?」

とジュリが呼びかけてくる。

「もう、さっさと服を洗って、火を起こして乾かして、本来の目的のクッバスの花を取りに行くから!」

「お姉ちゃん、火を起こしてぇ」

「わたしはケティ草の採取で忙しいの」

「けちぃ」

などと言いながら、仰向けに浮いたまま、流れに身を任せていたりする。

マァリは、溜息を一つつくと

「暗くなる前には森から出なきゃいけないから、わたしだけで、ちょっと取りに行ってくるから、ここで服を乾かして待ってて」

「え、え、危ないよ、一人だなんて。あたいも行く」

「びしょ濡れの素っ裸の娘なんて連れて行けないの!大して離れてないし、何か危なかったら、逃げるか呼ぶかするから」

「でもぉ」

服を絞りながら川から上がってくるジュリ。

「そのままじゃ風邪ひくから、言うこと聞きなさい」

ジュリは、マァリの薬があれば、風邪なんかすぐ治ると反論しようと思ったが、余計叱られると思い、思いとどまった。

「…待ってるから、早く戻ってね。何かあったら、呼んでね。逃げてね」

マァリとて獣人であるから、戦闘力はあるが、ジュリには遠く及ばない。

「はいはい、すぐ戻るね」

マァリは、川から離れ、木々の中へと分け入って行った。


風下の茂みから、マァリとジュリの様子をうかがっていたデンロ、ダン、バン。

「運は我らに味方した。日頃の真面目な仕事ぶりのおかげですかね」

デンロを湧き上がる笑いを押し殺し、

「厄介なバーサーカー娘から離れた今がチャンス。ダン、バン、頼みます」

ダンとバンは黙ってうなづくと、マァリの後を追い始めた。

残ったデンロは懐から細い筒を取り出した。

吹き矢である。

デンロは躊躇なく、筒を口に当て、吹き矢をジュリへと放った。

矢はジュリの首の後ろへと刺さり、あっけなく昏倒させた。

「起きたら地獄のごとき光景が見れますよ。この西ガンドへと流された甲斐があるくらいのね」

そのまま、デンロはダンとバンの後を追い、歩き始めた。


デンロがダンとバンに追いつくと、二人の足元には手足の腱を切られ、もがくことしかできなくなっている、猿轡をされたマァリが転がっていた。

「相変わらず、仕事が早い。さて、薬屋のマァリさん、あなたの薬はとてもよく効くという評判は聞き及んでいます。だいぶ薬草学を学ばれたようですね。感心、感心」

マァリはそんなデンロを唸り声を上げながら睨むことしかできない。

「で、結構才女でいらっしゃると目を付けさせていただきまして、今回、頂きに上がりました。何しろ雇い主が急かしますんでね、事前のご挨拶が出来なかったことはお許しください」

デンロはダンに目で合図を送る。ダンがマァリの猿轡を外した。

「ふざけないで!妹のジュリも近くにいるのよ。お前たちなんて皆殺しにできる」

「はいはい、あのバーサーカーな子猫ちゃんは、あっちでグースカ寝てますよ。そう、事が終わるまでくらい」

「ジュリに何を!」

「だから、寝てるだけですよ。起きてからの絶望を味わっていただくために…あ、これは個人的な趣味ですんで、依頼人とは無関係。んふふ」

「お前たち!お前たち!」

デンロ達を睨みつけるマァリの頬を涙が伝う。

「はいはい。それじゃあ、時間をかけると妹さんが起きちゃうんで。はい、さようなら」

デンロが深く頭を下げると同時に、バンの剣が、マァリの首を斬り落とした。

バンがマァリの首を拾い上げ、ズタ袋へと詰めた。

ダンが剣を振り上げ、マァリの身体を分解しようとする。

「ちょっと待った。身体はそのままで、妹さんの傍らに置いてあげましょう。ね」

ダンは呆れたかのように溜息をつき、首のないマァリの身体を脇に抱え、歩き始めた。


濃密な血の匂いに鼻が刺激される。

ジュリは痛む頭を右拳で叩きながら起き上がった。

「いったい、なにが…お、お姉ちゃん?」

ジュリの傍らにはマァリが横たわっていた。

首のない、マァリの死体が。

ジュリは混乱した。いったい何なのだ?気が付いたら、姉が死んでいた。しかも首を失って。

恐怖、怒り、悲しみがない交ぜになり、ジュリは吠えた。

ただ吠えた。

涙を流す瞳は右目だけが金色に変わった。

血の匂いを嗅ぎつけ、ギエヌが数匹寄ってきたが、ジュリの吠え声に恐れをなし、逃げて行った。

辺りが闇に包まれ、星明りだけになる頃、ジュリの喉は枯れ、涙も枯れた。

このままにはしておけない。

ジュリはマァリの亡骸を背負い、家に向かって歩き始めた。


ジェルムはデンロから届けられた猫型獣人=マァリの頭部を抱きしめ、まるで貴族の舞踏会のごとく踊っていた。

「あはははは…おっと、脳が傷まないうちに処理をしないと、くくく」

ジェルムは以前と同じく、マァリの頭部をガラスの筒に入れ、そこに怪しげな赤い液体を注ぎ、蓋をした。


タツマが鍛錬を始めて1週間後、バウルからは仕込みガントレットが、サモンからは仕事用の衣装=簡易に見える全身鎧が届けられた。

気が付くと礼拝堂の祭壇の上に置いてあったので、キヨラが受け取りに行ったのかと思ったが違うとの事。

いつの間にか、殺し道具一式が置かれている状況というのは、如何なものかとタツマは思ったが、考えても仕方がないこと。どうせサモンだろう程度に考えておくことにした。

キヨラに促されるまま、それら一式を身に着け、地下闘技場へと赴くタツマ。

「じゃあ、始めましょうか」

と言うやいなや、キヨラの猛攻が始まる。

今回はレイピアを使っている。

しかし以前と違い、身体が動くのが、タツマは実感した。

この1週間の鍛錬の結果とも違う。明らかにサモンの鎧によるサポートを感じた。

「あら?急ね」

「サモン様様のようだ」

「いやね、気張っちゃって、あの男」

タツマは両腕のガントレットから刃を展開。

キヨラの猛攻を押し返す。

ついにはキヨラの振るうレイピアを巻き上げ、弾き飛ばす。

タツマがキヨラの首元に刃を突き付け、勝敗は決した。

「魔法陣、刻み込み損ねたわね」

「やりたかったのかよ」

「やったことなかったから、一度くらいは、ね」

「そんな初体験は一生しなくていい」

「昨日までは、されたがってたくせに、現金ね」

「早まらなくて良かったよ」

「ふふ、男は早くしたがるものなのに」

「一時の感情に流されると、ろくなことがないんでな」

「期待してるわ。相手が必要なら呼んで。もう、相手にならないかもだけど」

「ああ」

キヨラはタツマに背を向け、闘技場から出て行った。


キヨラは礼拝堂まで戻ると、その場にうずくまった。

「バードゥ様、期待以上の逸材です。きっと、多くの哀しみを救え、ます」

キヨラは恍惚とした表情で、自分の胸を揉みしだき見悶えた。


ジュリはマァリの亡骸を自宅脇に深く掘った穴の中に埋めた。

浅く埋めると、ランウッドの森の生き物たちに掘り返され、荒らされる恐れがあったからだ。

そしてジュリは旅支度を始めた。

マァリの敵を討つために。

相手が誰かもわからないのに。

ただ、頭部だけを持ち去るような異常犯罪者だ。町まで行けば、何か噂は掴めるかもしれないと考えた。

その程度の淡い期待。

マァリが薬を売って溜めたわずかなお金と、身の回りの物を荷物にまとめる。

家の中を数日間かかって整理した。マァリとの思い出の品は、皆燃やした。

未練は残したくない。

ただ、マァリの尾の毛を使い、ミサンガを編み、身に着け、マァリが最後に摘んでいたケティ草をすり潰し、傷薬として、小さな壺に入れた。

右目は金色となったまま戻らないので、前髪を垂らし、顔の右半分は隠した。金色の目の獣人は、狂戦士と忌み嫌われる。マァリの仇を探し、殺すまでは、無駄な軋轢は生みたくなかった。

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