師弟の絆
───戦いには勝利した。勝利したのだが、その空気はあまりよくはなかった。
「無理だ……。なんなんだよあれ!聞いてない!勝てるわけがない!」
嘆きの声は一つではない。無数に伝播していき、勝利の後とは到底思えない。
「フェンはそれでも勇敢に戦った。種子島など物ともせず、果敢に戦ったぞ!」
「でも結局殺されたじゃないか!それに恐ろしい異郷者も待っている!」
吉村の実力は圧倒的だった。コボルトは亜人の中でも戦闘に長けた種族。その代表、即ち一番の実力者が簡単に殺されたのだ。今も震え上がり、まるで捨てられた子犬のように隅で縮こまっているコボルトたちの姿を見ると、誰もが感じるのだ。この戦いは勝てないと。
「……宗十郎はわからないだろうが、この世界においてドラゴンとは圧倒的存在なんだ。神にも等しい超生物。それが容易く殺された。理解は難しいかもしれないが……」
カーチェも流石に参っていた。闘志こそは失っていないものの全体の空気の悪さが明白。この状況を打破する手段が思いつかない。先程から幽斎の姿も見えず、どうすれば良いのか先が見えないのだ。ふと宗十郎は袖を引っ張られているのに気がつく。振り向くとリンデだ。思い詰めた表情でこちらを見ている。
「どうした、何か用件があるのか?」
「宗十郎、最早ここまでです。今すぐ私とまぐわい子を作りましょう。
「そうだ、こちら側にはリンデ様がいるじゃないか!我々には希望があるぞ!」
エルヴィンはその長い耳で会話を盗み聞いたのか、大きな声で皆を鼓舞するように叫んだ。それは一気に広がり亜人たちはまるで勝利の凱旋のように騒ぎ始めた。
「ふふ、これはもう既成事実のようですね。まさか断るとは言いませんよね?貴方はこれまで亜人と共に戦ってきました。途中で抜けるのはブシドーではないですよね?」
カーチェは困惑した様子で周囲を見回す。こんな形で士気が回復するとは思わなかったからだ。だが……確かに合理的解決策かもしれないが、心情的に納得ができない。
「い、いや!これは違う!違うのです!」
当の本人。宗十郎は冷や汗をかき、心底焦った様子で叫んだ。
「拙者はまだ何も言っておりませぬ……師匠!!
視線の先、幽斎がそこにいた。その表情は無表情……だがその内は阿修羅の如し……いや、般若という方が正しいか!
「そうだね、シュウはそんなこと言わないもんね。リンデちゃんさぁ……知ってるよね?ブシドーの婚姻はあたしの許可がいるんだけど……?」
「婚姻ではなく子作りです」
リンデの物言いに空間が割れた気がした。幽斎は抑えている。今にも溢れ出そうな激怒のブシドーを。だがそれでも、同じブシドーの宗十郎は感じるのだ!今、そのブシドーを解き放てば周囲一体更地不可避!故に爆発物を扱うかの如く慎重なのだ!
「婚姻と子作りの何が違うのかなぁ?」
「正妻でなくても良い、という意味です。ここは亜人として私の力を……」
「は?答えになってないし、あたしは婚姻と子作りの違い聞いてるんだけど?」
最早、一瞬即発!その危険な事態に気がついているのは宗十郎のみ!亜人たちは知らないのだ!目の前の可愛らしい女性が、この場を壊滅できるほどの実力者であることに!
宗十郎はフォローに入りたいが心底わからない!師匠の言い分は分かる!ブシドーの掟を破るのは禁じ手!ありえぬのだ!だが……怒りすぎである!悩みに悩み、そのときであった!
「お、宗十郎殿、先程の戦い見事でござったぞ~。それよりも見るでござる!某、お主の勝利を確信していた故に祝いの宴に使う食材を探していたのでござるが……これ!大物でござる!立派な魚ですぞ!!」
巨大な魚を持ったハンゾーが能天気に現れた。ピチピチと跳ねる魚が宗十郎に当たる。
「ハンゾー……今はその……」
「おぉう?これは……?」
ようやく状況に気がついたのか、リンデと幽斎の間に入っているハンゾーは自分に向けられた殺意に気がついた。
「……修羅場でござったか……ふむなるほど……?女ゴブリンの特性とな。エルフから話は聞いているが……別に問題ないのでは?」
ビキッ!ビキビキッ!!
嫌な音がした。その言葉にこの空間に満ち足りたブシドーが破裂寸前まで高まった。このままでは全員死ぬ。
宗十郎はこの危機的状況を脱するためにハンゾーの首を刎ねて余計なことを言わないようにさせるのが吉であると本気で考えた!
「あぁ誤解なさるな。ブシドーの掟はしっている。だが宗十郎、この世界には婚姻の承認権を持つお主の血縁はいないではないか。とはいえブシドーと関係の無いものと婚姻を結ぶのは確かによろしくない。つまり、そこの細川の女を正妻とし、リンデ殿を側室とすれば解決でござる」
ハンゾーは知らない。その細川の女と勘違いしているのが、細川幽斎に他ならぬと。故にハンゾーはブシドーの生態知識から正論の回答を出す。
「ふぇ!?あ、あたしがシュウと婚姻……?い、いやいやあり得ないし!!」
顔を真っ赤にして幽斎は否定する。当然である。そして同時に張り詰めたブシドーは一気に消えていた。なぜなのかは分からないが、九死に一生を得た宗十郎は心底ホッとする。
「と、ともかく!!駄目だ!いいなシュウ!リンデとの婚姻は許さぬぞ!!あ、あと、後で儂の部屋に来い!話すことがある!!」
逃げるように幽斎は走り去っていく。宗十郎が「勿論です!」と即答する時間すらなく、あっという間だった。
「そういうことだリンデ。お主の理屈は分かるがこれだけは引けぬ」
「むぅ……ではどうするのです?宗十郎はともかく、他はただ殺されるだけです」
危機的状況は去った。その解決策については宗十郎は考えがあるが、説明の時間はない。ひとまずは幽斎の部屋へと向かうことにしたのだ。
対オルヴェリンの連合軍の前線基地として設営されたこの場所であるが、カーチェや、各亜人の代表者には個室が用意されている。これは立場を明確にするためでありカーチェはこんな部屋は必要ないと訴えたが渋々了承したのだ。そして幽斎も同様に個室が与えられている。
「師匠、入りますぞ」
ノックをして入る。
しかし宗十郎には呼びつけられた理由に見当がつかない。ただ、もしやすると先程の戦いを直接、師の口から武功を褒めてもらえるのだろうか。そんな期待は少しあった。
「よし、服を脱げ」
「え?」
「聞こえなかったのか?服を脱げと言っていのだ」
意味不明な命令に宗十郎は思わず聞き返してしまった。すぐに無礼な態度をとってしまったと恥じ、急いで服を脱ぐ。
「師匠……下もですか?」
「!……ば、馬鹿!下は良いわ!そこのベッドにうつ伏せになるのだ」
言われるがままに、ベッドにうつ伏せになる。師匠の考えがさっぱり分からない。
そんなことを考えていると背中に重みを感じた。これは師匠が自分に乗っかっているのだ!そしてようやく宗十郎は察したのだ。
「な、なるほど按摩ですか!申し訳ありませぬ。気が付きませんでした。しかし師匠自らそのようなことをしなくても……」
「他の者に頼むつもりか?誰に?リンデか?それともカーチェ?」
いや、ハンゾーに頼むつもりだったと宗十郎は言いかけたがやめた。幽斎の口ぶりが少し不機嫌になったので余計なことを言うのはまずいと思ったのだ。
「し、しかし師に按摩をしてもらうなど……」
「昔はよくしたではないか。何を戸惑う必要がある」
そう、決して按摩……即ちブシドーマッサージは変わったことではない!
師弟関係である幽斎と宗十郎は、その修業の過程でマッサージを施すのは当然のことなのだ。これによりブシドーの経絡経穴は活性化されさらなる高みに向かう他、筋力の適切な増量にも期待ができる。
だがそれは、あくまで修行での話。免許皆伝を終えた宗十郎にとってはやはり抵抗があるのだ。それは尊敬する師に按摩をさせるという屈辱。決して悪い意味ではない。
「師匠!拙者はもう師匠の教えを十分に修めたはず!無論拙者はいつまでも師匠の弟子ではありますが……半人前扱いはやめてください!」
「へぇー……あたしの教えを十分に修めた……ね」
口調が変わった。まずい。そう宗十郎は意識した。
「ぬぐぅぅぅ!!?」
激痛。師匠の指圧が宗十郎のツボを押さえているのだ!思わず悲鳴をあげてしまう!とてつもない激痛だ!
「ねぇ……シュウ……?なにかあたしに隠してることないかな……?」
「あ、あ、ありませぬ!なぜそのようなことを!?拙者が師匠に隠し事をするなどひぐぅぅおぉ!?」
言い終える前にさらなる激痛!さながら血管に溶けた鉄を流し込まれているようだった!脂汗が流れ出る。息が荒くなる。
「見たんだけどさぁ……さっきの戦い……最後のあれ……なに?」
「!?……見てくださっていたのですか、あの戦いぃぃぃい!!?」
激痛。幽斎は先程の戦いの一部始終を見ていた。吉村との戦いは宗十郎にとっても意義のある、素晴らしき戦いだった。
故に宗十郎は師匠に褒めてもらえると思ったのだがこれである。分からない。なぜ師匠が不機嫌なのか理解ができなかった。最近の師匠はまるで分からない!
「ねぇ、質問に答えて?最後のあれは……なに?」
師匠の重みが背中全体に伝わる。耳に息が吹きかかる。耳元で囁かれているのだ。そして師匠の指は致命的な経穴を触れている。返答次第では殺されそうな勢いだ。
だがそこで理解した。最後のあれ……つまり無明月落花!千刃家の秘伝の技!細川の技ではない!
師匠の怒りは当然だった。弟子が他流の技を使ったようにしか見えないのだ。それは即ち師への裏切り。そのようなブシドーは処されて晒し首になっても文句は言えない。
故に、誤解を解くために、宗十郎は慎重に言葉を選んだ。
「あれは千刃家の秘伝の技です!一子相伝!名を無明月落花!決して、師匠の……細川の技に泥を塗ったわけではありませぬ!!」
師匠の動きが止まる。しばらくして背中から重みが消えた。そして指圧。
「いぃ!?ぬぅぅぅ!?な、なぜですか師匠!?まだ何か!?」
「無明月落花、懐かしい響きだ。お前の父の技だったな……なるほど不細工な型ではあるが思い返すと似ている。まだまだ修練が足りぬ」
「そ、そうですか!いやそうですとも!父上は最高のブシドーであります!拙者の目標でありぐおぉぉぉぉぉ!!?」
激痛!激痛!痛みが絶え間なく続き、最早この世の地獄のようだった!
「いや、あいつよりも儂のほうが強いからな?シュウ、そこは履き違えるな」
宗十郎は忘れていた!父と師匠はライバル関係!ともに武を競い合い高めあった関係なのだ!
そして袂別れ、お互い別の主君についても、こうして息子の宗十郎の育成を任せる程度には宗十郎の父は幽斎の実力を認めているのだ!
そしてようやく全て理解できた。師匠の怒りが!師匠にとっては宗十郎の父と比較されるのが屈辱なのだ!
「も、申し訳ありませぬ!拙者……師匠の心の内が……なのでこれ以上は勘弁を……」
精神も限界だった。久々の師匠の折檻はあまりにも強烈で耐えきれぬ程だったのだ!
「そうだな、やりすぎはよくない……よし立てシュウ。具合はどうだ?」
「具合ですか……軽い!どういうことですか師匠!?背中に羽根が生えたようです!」
「何を言っているのだ?最初から按摩だと言っただろう」
何ということか。激痛は全てこの時のため。師匠は最初からこの身を案じ、按摩をしていたに過ぎないのだ。だというのに自分は、最初から師匠を疑ってかかり……!
「まだ行けます師匠。どうかこの愚かな弟子に今一度挽回の機会を!」
咄嗟にベッドに転がり込む!次こそは師匠の厚意を受け止めるために!
「んん?なんだお前、先程は恥と言っておきながら……まだまだ未熟だな」
そう言いながら師匠は微笑む。だがそれも束のこと、すぐに険しい表情に戻る。
「しかしシュウよ。心して聞け。千刃家の技、使うのは控えよ。激痛を感じたのはお前の経穴がズタズタになっていたからだ。それを今、治癒した。もともとお前に細川の技を教えたのはお前の父の頼みあっての故。千刃家の技は、自らを斬り裂く劇薬と知れ」
千刃家の技を使うな。そう断言した。使い続ければいずれ、自らを滅ぼすと。
「しかし師匠……拙者は千刃家の人間。だというのに千刃家の技を使うなというのは……」
「シュウ?最近、何か反抗的になってない?邪魔な師などいらないってわけ?」
笑顔でそう答える。それは先程の笑顔とは明らかに違う意味合い。失言を思い出した。そういえば吉村と戦っていた時に、気が昂りつい言ってしまったことがある……!
「め、滅相もありません!はい!分かりました!以後、控えます!!」
その返答に幽斎は納得がいった表情を浮かべ頷く。そして宗十郎の希望通り按摩を始めた。久方ぶりの師の優しさを宗十郎は身に沁みるのであった。
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