ただ信念のため
───宗十郎たちは森の中を歩いていた。あれから逃げ回り、追跡をかわすために森を選んだのもあるが、もっと大きな理由がある。
「宗十郎、迷いなく進んでいるが道はわかるのか?」
「分からぬ。だが師匠に託したサムライブレードの位置はわかるのだ。今は師匠たちと合流するのが先決であろう」
サムライブレードとはブシドーにとって魂のようなもの。故にその位置はブシドーならば分かる。深き密林の奥に、確かに感じるのだ。
しばらく森を進み数刻。少しずつ景色は青々としたものになり、人の手の入らない獣道が目立ち始める。森は更に深奥へと続き、原始林に近づいていく。苔むした岩肌と光すら遮るほどの大森林。知っている。ここはエルフの領域。危険地帯だ。
「カーチェの言いたいことはわかる。先程から凄まじい殺気……憎悪にも近いか。しかし我が剣はこの奥地に確かに感じるのだ」
着実に近づいている。そう感じ取った宗十郎は更に無造作に足を踏み入れる。
その時、矢が宗十郎の足元に突き刺さった。
「止まれ人間!それは警告だ。これ以上、踏み入れるのであれば射殺するぞ!」
どこからか声がした。エルフの番人である。完全に擬態したそれはカーチェですら見つけるのは困難である。周囲を見渡すがどこにも人影はない!
しかし宗十郎はグルリと首を動かし、あらぬ方向へと叫んだ。
「我が名は千刃宗十郎!此度はお主らの敷地に無断で立ち入った無礼を許してほしい!だが待ち人がいるのだ!名を細川幽斎とリンデ!人とゴブリンの女性だ!覚えはないか!?」
エルフの番人はぎょっとした顔で驚きを隠せなかった。完全に擬態していたはず。だというのにあの男は完全にこちらを捉え見据えているのだ。
「待ってください!その人は私たちの知り合いです!」
一瞬即発とも言える空気の中、聞き覚えのある声がした。リンデだ。エルフたちは警戒を解く。歓迎はされていないようだが宗十郎たちは足を進めた。ここより先はエルフの領域。人類が踏み入ろうとするならば蜂の巣になる、火薬庫のような場所である。
エルフの領域は森の中、完全に擬態されていた。木の上に作られた彼らの住居は自然と一体化していて、一見彼らの住処とは分からないだろう。
「シュウ!よかった!心配したぞ、何もされなかったか……?」
案内された部屋に入った瞬間、幽斎に抱きしめられる。その様子をリンデは不機嫌そうに見ていた。いくら師匠とはいえ……距離が近すぎるのではないかと。
「しかし本当にリンデ様との知り合いだったとは……おい人間、勘違いするなよ?お前たちなどリンデ様がいなければ立ち入ることなどできんのだからな」
そんな様子を出入り口で眺めていたエルフが呟く。
「む、リンデ、そこまで立場のある者だったのか?随分と待遇が良いようだが……」
「はぁ……まぁ……エルフは何かと私を歓迎はしてくれますね」
「当たり前です!良いか人間、よく聞け。女ゴブリンとは他種族と交配が可能なのだぞ。そしてゴブリン特有の繁殖力の高さ!それは即ち繁殖力のないが強力な力持つ特定種族と交配することで一気にパワーバランスは変わるのだ!フフフ、リンデ様がその気になれば人間文明なんて簡単に滅ぼせる……まさに私たち亜人にとって救世主!」
かつてカーチェが話したことがあるのを思い出した。国を乗っ取ったことがあるのだの、本来少数であるドラゴンとのハーフを大量に生み出したのだの……。
「随分と人間を嫌っているのだなエルフは……」
「当たり前だ!人間が我々に普段からしていることなど、それは酷いものだからな!まぁ異郷者の貴様には分からんだろうが!」
「しかし……そんなに嫌いなら何故、攻めないのだ?」
当然の疑問。その言葉にエルフは痛いところを突かれたのか意気消沈する。
「それは……奴のせいだ。オルヴェリンの守護者、原初の異郷者……黒衣の者……」
エルフたちは長寿故に知っている。オルヴェリンを護る異郷者の存在を。宗十郎は察したのだ。黒き矢と槍を放つ男。恐るべし絶対強者。
「原初の異郷者……最初の異郷者ということか」
「そうだ……そもそも昔は亜人と人類、それぞれが平等の関係であった。平和……とは言い難いがパワーバランスとしては対等なものだったのだ。それを壊したのがあの男!あぁぁぁあ!まるで私たちエルフを紙切れ、ボロ雑巾のようにたった一人で!!」
突然、エルフはひきつけを起こしたかの如く頭を抱え叫びだす。
「おい、どうした!落ち着け!!どうしたんだ……!」
「いつもの発作です宗十郎。エルフは変わっていて、知識を継承するんです。彼女は今、かつて昔……黒衣の者との戦いの記憶を思い出し、ちょっとナーバスになったんですよ」
リンデはそう解説すると、錯乱したエルフを落ち着かせるように背中をさすった。しばらくすると落ち着きを取り戻したのか呼吸を整え始める。
「はぁ……はぁ……そういうことなので……私たちエルフはお前たち人間が嫌いです。そして関わりたくもない」
そう言って嫌悪感を露わにしている。しかしその根底にあるのは恐怖。黒き異郷者に蹂躙された過去が強い心的外傷となっているのだ。
「しかし、こうしてサムライブレードも手元に戻ったことだ。奴には二度も煮え湯を飲まされている故、ブシドーに三度の敗走は許されぬ。カーチェがオルヴェリンと戦うというのなら、助太刀もやぶさかではないな」
───オルヴェリンと戦う。宗十郎が自然と口にした言葉が改めてカーチェには重たくのしかかる。そうだ。真実を知り、非人道的行為を止めるということは、オルヴェリンと戦うということ。それは祖国に故郷に弓引くこと。思い詰めた顔で曇る。心臓は高鳴り嫌な汗が流れる。本当にそんなことが許されて良いのだろうか。そんな想いが頭の中によぎる。
「ここにいたか!皆来てくれ!非常事態だ!!」
大声でドタバタと大きな足音を立てながら走ってきたのは聞いた声。亜人王エルヴィンであった。彼もこのエルフの森にいたのだ。
「エルヴィン、お主もこの森にいたのか」
「お前は……どういうことだ、また争いに来たのか?」
「いや、もう戦う道理はない。そうだろうカーチェ」
宗十郎の問いかけにカーチェは頷く。
「……まぁ良い。それよりも来い!」
慌てるエルヴィンに連れられて一行は外に出る。そこにはエルフの人だかりが出来ていた。中心にはボロボロで傷だらけのエルフたちが大勢いる!
「何だこれは!畜生!また人間どもの……オルヴェリンの連中の亜人狩りか!!」
その姿を見てエルフの一人は激怒し、そしてカーチェを睨みつけた。怒りと憎しみ……憎悪に満ちた感情をぶつけられ、ただでさえ弱気になっていたカーチェは、びくつく。
「こいつらは奴らの仲間だ!皆、見ろ!俺たちの同胞をこんな風に痛めつけるのが人間の本性だ!いくらリンデ様の知り合いとはいえ……人間をこのまま放っていいのか!?」
エルフたちはざわめく。そうだ……そのとおりだ。リンデの仲間とはいえいつ本性を現すかもわからない。殺される前に殺さなくては……そんな声が広がる。
「はぁ……はぁ……くれ……まって!くれ!!」
ボロボロのエルフが苦しそうなに叫ぶ。殺気立っていたエルフたちは静まり返った。
「おいあんた……無理をするな……傷が開くぞ!」
「違うんだ……俺たちは……救われたんだ……人間に……早く助けに行ってやってくれ……あの人は……今も一人で……戦っている……」
彼らは別の集落のエルフたちであるという。よく見ると皆、同じような装飾品を身につけていた。そしてエルフの一人が気がついたのだ。皆、ボロボロではあるが……全員無事であるということに。誰一人、いなくなっていないのだ。誰の犠牲もないのだ!
「あの人は……俺たちを助けるために一人であの悪魔を……引き付けたんだ……。頼むよ……あの悪魔を……このままじゃ、あの人は殺されてしまう!」
懇願するようにエルフを近くのエルフに縋り付く。その様子にエルフたちは皆、黙り込んだ。悪魔……思い当たる節がたくさんある。黒衣の者。奴が近くにいるのだろうか。だとしたらこの村とて危険ではないかと。皆が目を逸らす。誰もが行きたくないと思っていた。
そんな中、宗十郎はボロボロのエルフが縋り付くように、救いを求めるように伸ばした手を優しく包み込んだ。
「安心しろ。場所はどこだ。俺が今すぐ向かう」
エルフたちは困惑していた。自分たちのために命をかける人間がいるということに。そして恥じていた。本来なら同胞である自分たちが真っ先に名乗りあげなくてはならないというのに、命おしさに声をあげなかったことに。
「宗十郎といったか……なぜエルフを助けようとする」
エルヴィンは打倒エムナのために、あの孤島で力を蓄えていた。だがオルヴェリンに存在を知られてしまった以上、祖国の森に戻ったのだ。だが、その森もまた荒らされる始末。怒りを感じていた。人の傲慢な振る舞いに。だというのに、同じ人が、迷いなく同胞を助けようとしていることに疑問を感じたのだ。
「エルヴィン、なぜ助けるか。簡単なことだ。拙者がブシドーであるからだ。傷つき苦しむ人を助けるのに理由はない。それはエルフとてゴブリンとて、同じこと」
「何を……」
エルヴィンは宗十郎の綺麗事に言い返そうとするもリンデに止められる。
「エルヴィン、彼は本気でそう言っているのですよ。私たちもそんな彼に助けられた」
「人がゴブリンを助けただと……?」
にわかに信じがたかった。ゴブリンはエルフと比べ更に人による迫害が強い。自業自得なところもあるが。それを助けたというのか。この男は?この男にとっては、エルフもゴブリンも、そして人も大差ないというのか。
宗十郎は黙り込んだエルヴィンを見て微笑み、サムライブレードを手に取る。そして顔を上げた。そこには一片の曇りなき。静謐の如く。
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