どうして私に嘘をついたんですか?

古野ジョン

 嘘は嫌いだ。三年間、嘘に振り回されてばかりの高校生活だった。担任のいい加減な進路指導に惑わされ、クラスメイトの噂話に悩み、友人の言葉に嫌悪感を抱いていた。


「あーあ、もう卒業しちゃうんですね」

「今更なんだよ」


 春だというのに冷たい風が吹き抜ける中、後輩の佐倉さくらとともに坂を下っていく。卒業式が終わり、部室なんかを訪ねているうちにだいぶ時間が過ぎてしまったので、周りを歩いている人間はほとんどいない。しかしなあ、飽きもせずに三年間よくこの道を上ったものだ。


「先輩、本当に東京行っちゃうんですかー?」

「まあ、受かればの話だけど。自己採点の感じは大丈夫だと思うね」

「そっかあ。残念だなあ……」

「おいおい、受かりそうなのに残念ってことはないだろ」

「あはは、そうですね」


 佐倉はアイデンティティであるポニーテールを春風に揺らしつつ、けらけらと笑った。コイツは放送部の一個下の後輩だった。あまり部員数も多くない部活だったので、一年半くらいの間でかなり懐かれてしまった。よく放課後は一緒に帰り、ほぼ毎日アイスやら何やらを奢らされる羽目になっていたのだが。


「先輩と帰るのも今日が最後かあ」

「それが何だよ」

「えー、もっと後輩との別れを惜しんでくださいよお」

「財布の心配をしなくて済むなってせいせいしてるとこだ」

「むー」

「だいたい、俺なんかいなくても彼氏くんがいるじゃないか」

「それは……そうですけど」


 そう、コイツには同級生の彼氏がいる。……ということになっている。なぜそんな言い方をするのかと言えば、一度もその姿を拝んだことがないからだ。


 佐倉との思い出はいろいろとある。入部したてで右も左も分からなかったコイツに、撮影機材や編集ソフトの使い方を一から教えてやった。予選敗退して泣いているのを慰めているうち、いつの間にかファミレスの一番高いメニューを奢らされていたこともあった。しかし何よりの思い出は――帰り道にあるコンビニの前で、毎日のようにしょうもない雑談を繰り広げていたことなのだ。


「――ほら先輩、なんか食べていきましょうよ!」

「えっ?」

「最後なんだから、ねっ?」

「あ、ああ」


 考え事をしているうちに、件のコンビニの前に差し掛かっていたようだ。佐倉は俺の腕を引っ張り、店の中に引き入れようとしてくる。あ~あ、今日も払わされるみたいだな。ため息をつきつつ、佐倉の仰せのままに店の中へと入って行った。


***


「ありがとうございましたー」

「先輩、ごちそうさまですっ!」

「はいはい、感謝しろよな」


 店員から受け取った釣銭をチャラチャラと財布に戻しながら、肉まんを持ってご機嫌そうな佐倉の顔を眺めた。仮にも高校二年生だってのに、コンビニの肉まんを買ってもらっただけでこんなに嬉しそうなのはどうなんだろうか。俺と佐倉は店の前のスペースに並んで立ち、いつもと同じように会話する。


「先輩、何も買わなくて良かったんですかあ?」

「今日は家族で外食なんだ。卒業祝いだってな」

「へえ、いいなー!」

「わざわざ東京から来てくれたんだよ。四月になったら向こうに行くんだから、無理して来なくていいって言ったのにさ」

「先輩と同じで優しいんですねえ」


 佐倉は知ったような口を利きつつ、肉まんの包みをピリピリと開いていた。もともと俺は東京出身だったのだが、親の転勤でこちらに引っ越してきた。高三の夏に再び親が東京勤務になったのだが、そのタイミングでの転校は大変だろうということで、俺だけ下宿という形でこちらに残っていたのだ。


「いただきまーす!」

「熱いからちゃんと冷ませよ」

「わかってまふよお」

「しゃべりながら食うなって」


 はふはふと肉まんを頬張っている佐倉。コイツ、相変わらず美味そうに食うなあ。


「お前は幸せそうでいいなあ」

「ふえっ?」

「なーんか、悩みとかなさそうだなあって」

「そんなことないれふよ?」

「えー、お前が?」


 俺にたかることしか考えてなさそうなのに、何を悩むことがあるのだろうか。若干失礼なことを思っていると、佐倉はごくりと口の中のものを飲み込み、滔滔と話し始めた。


「あのですねえ、先輩が知らないだけでいろいろと考えているんですよ?」

「へえ、例えば?」

「先輩はどうして私を部長に任命したんだろー、とか」

「それはお前が一番しっかりものだったからだよ」

「先輩はどうして私に奢ってくれるんだろー、とか」

「それはお前が可愛い後輩だからだよ」

「ふへえ、思ってもないことを」

「まあ、最後だからな」


 何か気に入らないのか、佐倉は頬を膨らませてぷんぷんと怒っていた。別に可愛い後輩というのは嘘じゃないんだけどなあ。部活ではよく言うことを聞いてくれたし、こんな俺に最後までついてきてくれた。優秀でもなければカッコよくもない先輩だったと思うのだが、それでもこうやって相手をしてくれるだけでもいい後輩だと思う。


「でもですねえ、一番気になることがあるんですよお」

「ほお、それは何だ」

「単刀直入に言いますよ?」

「なんだよ、改まって」

「……先輩はどうして『好きな人がいる』なんて嘘をついたのか、とか」


 その瞬間、時が止まったような気がした。佐倉はじっとこちらの目を見る。右手にはかじりかけの肉まんを持っているが、空いた左手の方はもじもじと動かすばかり。佐倉が何を思ってこんなことを言い出したのか、なんとなく想像は出来る。……そして、コイツの望むような結末が得られないことも、俺には分かる。


「俺がいつそんな嘘をついたって?」

「文化祭が終わって、先輩が引退した日。……このコンビニで」


***


「先輩って、好きな人とかいるんですか?」

「へっ?」


 コンビニの前でソフトクリームを舐めていた佐倉が、急に変なことを言い出した。今日は文化祭が終わり、俺の放送部員としての活動がすべて終了した日。目の前の新部長様におやつを奢ってやるだけのつもりだったのに、なんだか気まずい雰囲気になってしまった。


「そんなこと聞いてどうすんだよ」

「いいから、答えてください」


 緊張しているのか、佐倉はいつになく神妙な面持ちをしていた。「好きな人がいるのか」という問いに、この尋常ならぬ表情。いくら俺だって、これから佐倉が何を言わんとしているかくらい察しがつくというものだ。


「いるよ。好きな人くらい」

「本当ですか? それって――」

「東京」

「えっ?」


 こういう時は、先手必勝というもの。


「東京にだ。それより俺、お前に言わなくちゃいけないことがあるんだ」

「な、なんですか?」

「先月、親が東京に戻ったんだ。来年には俺も戻る」

「それって……」

「東京の大学に行く。お前とは来年春でお別れなんだ」

「……」


 佐倉の右手に握られたソフトクリームが、誰に舐められることもなく溶けていく。「彼氏が出来た」と言われたのは、この日から一週間が経った日のことだった――


***


「そんなこともあったかもな。でもなんで嘘だって?」

「……好きな人がいるのに、どうして私と一緒に帰ってくれたんですか」

「それはお前もだろ。彼氏がいるのに、俺が引退した後もずっとついてきたじゃないか」

「そうじゃなくて! ……好きな人がいるって、嘘なんですよね?」


 佐倉はあの日と同じように俯いたまま、こちらに向かって問いかけてきた。まるで嘘が嘘であることを望むように。自らの信じ続けた虚像が、実像として結ばれることを期待するかのように。だが――俺は、嘘は嫌いだ。


「嘘じゃない。俺の好きな奴は東京にいる。これで満足か?」

「……っ」


 下を向いたまま、佐倉は何も言わない。右手に持つ肉まんから湯気が上がり、寒空へと消えていく。


「悪かったな、佐倉。彼氏と仲良くやれよ」

「……分かってるくせに」


 ああ、そうとも。佐倉が一週間で恋人を作るような簡単な女ではないことなど分かっていた。それが俺の気を引くための嘘だということも。……そんな嘘をつく奴だと知らなければ、心が動くこともあったかもしれないのにな。


「寒くなってきたし、そろそろ行くか」

「えっ……」

「ほら、早く肉まん食っちゃえよ」


 突き放すように、すたすたとコンビニの前から歩き出す。どのみち東京に行って、コイツとは離れ離れになるんだ。だったら付き合わない方がいいに決まっている。そうだろう佐倉、お前だって遠距離は――


「ばーかっ……!」

「んんっ!?」


 次の瞬間、食べかけの肉まんを口に突っ込まれていた。思わず息が詰まりそうになる中、なんとか呼吸を整え、一口だけ食べる。げほげほとむせこみながら、佐倉に苦情を言った。


「ちょ、何すんだよ……!」

「さようなら、先輩。今まで嘘をついて、すいませんでした」

「えっ?」

「でも、これだけは。これだけは嘘じゃないって信じてくれますか?」

「信じるって、何が?」


 いつの間にか佐倉は駆け出していて、俺の歩くずっと先にいた。そして大きく息を吸い込み、こちらに向かってはっきりと叫んだのだ。


「あなたのことが、ずーっと好きでした!」

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