最終章

第24話

 実は心が女子だった、と玲央がカミングアウトしたのは今から一週間程前。

 そのときの俺――渋谷圭太は、衝撃の事実を知ったことでかなり混乱していた。とはいえ、いくら玲央の心が女子だとわかったとしても、俺の心はすぐに変えることはできない。だから俺は今までと同じく、なにも変えることなく玲央に接していたし、玲央も見た目以外で、なにかが変わることはなかった。

 しかし周りの状況は大きく変化する。その当初、二年A組前の廊下は休み時間の度に野次馬が溢れかえる騒ぎとなっていたのだ。そんな彼らの多くは玲央を嘲笑するために来ていたわけではない。というよりは憧憬の眼差しで、女子の制服を着た超絶可愛い玲央を一目見てみたいがために押し寄せていたらしいのだ。

 その証拠に、ネット上では誰が運営しているのか定かではない『T学院推しJKランキング』なるゲスい投票サイトが存在し、それは誰がどう見ても天河学院の好きな女子ランキングに他ならないのだが、この一週間で玲央が三位に躍り出ていたのだ。この結果が、彼の人気ぶりを物語っている……のかもしれない。

 余談ではあるがこのサイト、生徒名の記載はなく、クラス名やイニシャル、本人の特徴などで表記されているため、世間的には問題となっていないようだ。しかし天河の生徒が見れば誰のことなのかある程度わかるようになっており、ちなみに公開されているトップ50のうち、昨日時点でチョカが二位、美琴は五位、猫は七位だったと思われる。とはいっても、誰が管理し誰が投票しているのかも不明な、まったく信憑性のないサイトなのだが。

 そんなことはさておき、さすがに一週間も過ぎるとA組前の野次馬も自然と減り始め、俺と玲央も元の落ち着いた生活に戻ることができ安堵していた。

 だがしかし、また事件が起こってしまう。

 それはLHRで、担任教師が7月から行く修学旅行の説明をしている途中だった――。


 クラスで一番のお調子者キャラである井澤が、ニヤつきながら手を上げて質問する。

「先生。部屋のグループ分けは自由に決めていいってことなんすけど、御剣くん……じゃなくて御剣さんは女子と男子、どちらと同室になるんですかぁ?」

 なんてゲスい奴なのだろう。その答えがどうであれ、玲央が井澤と同じ部屋を希望することなどあり得ないから、彼にとってはいらぬ心配なのだが。

 しかし、こいつの質問に対する答えは皆が気になっている様子だ。ジェンダー平等を掲げる天河学院は、この状況にどう対応するつもりなのか――その答えに皆が注目する中、担任教師は玲央に声をかけた。

「御剣はどうしたいんだ?」

 ――丸投げかっ――。

 俺は思わず声に出して突っ込みそうになったが我慢する。まあ確かに学院の方針がなんであれ、玲央自身がどう思っているのかを確認することは、大切なことだろう。

 すると玲央は、その質問に躊躇なく回答した。

「僕は圭太と同室でいいですよ。ホテルの部屋っていくつかある中から選べるんですよね? その中に二人部屋がありますから、圭太との二人部屋がいいです」

「圭太っていうのは渋谷のことだな。渋谷もそれでいいのか?」

「は、はい……」

「まあ、お前たち二人は仲がいいからな。それでいいだろう」

 担任教師はそう言うと、話を切り替えて修学旅行の説明を続けようとするのだが、次第に教室内がざわざわと騒がしくなる。

 ――そう言えば以前、玲央と修学旅行の話しをしたとき『同じ部屋に泊まろうぜ』と確認し合ったことはあったけど、それは玲央が女子になる前だった。

 それを今、この状況で同意したのがまずかったのか?

 でも俺は別に玲央と同室でも問題ないし、玲央もそれでいいと言ってるんだから、問題ないと思うけど――。

 そう自分に言い聞かせながらも、皆に注目されていることが恥ずかしくなり教室の隅で小さくなる俺。

 そして、ただならぬ雰囲気を感じた担任教師は、皆に確認する。

「お、おい、みんなどうした? なにかまずいのか?」

 すると、教室中央に座るクラス代表の大島香織が立ち上がり大きな声を出した。

「問題大有りです!」

 いつも温和な大島が声を荒げた姿に、教室は一瞬で静寂となった。そしてすぐに我に返った様子で恥ずかしそうに着席する大島に、担任教師が恐る恐る声をかける。

「あ、あのな、大島。本人たちが同室でいいと言ってるのに、どうして駄目なんだ?」

「でも御剣さんは、女子なんですから……」

「それなら、大島が御剣と二人部屋でいいのか?」

「そ、それは……。その……」

「もしくは御剣だけ一人部屋にするかだが、今回泊まる旅館は一人泊ができない旅館なんだ。だから、二人以上でないと駄目なんだがな」

「で、でも渋谷くんと、ふ、ふ、二人きりなんて、駄目ですよ!」

 ――あの大島が興奮するなんて珍しい。

 でも、どうして彼女はこんなに反対するんだ? 担任が言う通り、玲央本人が俺と一緒の部屋でいいと言ってるし、俺も別に構わない……って、ちょっと待て。もしかして、俺と玲央がなにか如何わしいことでもするんじゃないかと心配してるのか?

 女子になった玲央と俺がそういう関係だと? そんなことあるわけないだろ! 俺たちは長い付き合いで、一週間前までずっと男友達のつもりだったし、これからもそんな感情になることはない!

 もし……もし百歩譲って俺たちが既にそういう関係だったとしても、わざわざ旅行先の二人部屋でイチャコラする必要ないだろ! しょっちゅうお互いの家で遊んでるんだし、そんなチャンスはいつでも……って、なにを考えてるんだ俺は。玲央相手になにを……。

 旅行中ずっと同じ部屋でも俺は全然……。

 しかし……。あの美少女モードの玲央と一緒の部屋か……。

 二人きりの部屋……。隣で可愛い玲央の寝顔が……。

 あ、あれ? な、なんか、急に緊張してきたぞ。

 い、いやいや、なにを考えてるんだ俺は!

 相手はあの玲央だぞ? 大丈夫。俺は理性を保てるはずだ――。

 そんな考えがぐるぐると頭の中を巡る中、他の生徒も次々と声を上げ始める。

『そうだ! 反対だぁ! 反対!』

『不純だと思いまぁす』

『それなら、私も彼ピと二人部屋がいい』

『渋谷ばっかりいい思いしやがって!』

『渋谷、地獄に落ちろ!』

 ――なんだか、単なるやっかみが混ざっているようにも思えるが。

 しかしこの状況は他人事ではない。俺もなにか発言した方がいいのか――。

 と悩み始めたとき、お調子者の井澤が追い討ちをかける。

「先生、風呂はどうすんっすかぁ? このしおりだと、大浴場って書いてますよね」

 ――ゲスいぞ! 井澤!

 しかし……そうだな。今まで考えたこともなかったが、この話題は避けて通れない。

 確かに部屋は俺と一緒でいいとしても、男子風呂に皆と一緒に入るのはどうなんだろうか。玲央は嫌じゃないのかな。かと言って女子風呂に入るのも……。

 井澤、よく聞いた。ゲスいと言ったのは一旦取り消そう。

 さあ、教師よ。この問いになんて答えるのか聞かせてもらおうじゃないか――。

「御剣はどうしたいんだ?」

 ――やっぱ丸投げかっ――。

 俺は再び声に出して突っ込みそうになるが我慢した。学院はなにも考えてなかったのだろうか。それとも本人の判断に委ねるという方針なのか……。しかしこれは非常にデリケートなことで、玲央本人だけで決められることでもないとは思うのだが。

 しかし俺の心配をよそに、玲央は躊躇なくその質問にも回答した。

「僕はホテルについてる部屋風呂でいいですよ。圭太と一緒なら大丈夫です」

 ――おい! もう少しちゃんと説明しろ! 言葉足らずすぎるだろ!

 一緒に部屋風呂入るみたいに言わないでくれ!

 せめて『幼稚園からの幼馴染だしずっと一緒にいるんで、もう兄弟みたいなもんですから』くらいの補足も入れてくれ――。

 その不安が的中し、生徒たちの異議が止まらない。

『男子がいる部屋でお風呂はもっと駄目でしょ!』

『先生、不純だと思いまぁす』

『それなら、私も彼ピと一緒に入る!』

『男子の大浴場に入ったらいいんだよ』

『渋谷、調子乗んなよ!』

『渋谷、男子全員から呪われろ!』

『二人でイチャコラする気か!』

 これはいったい、どうすればよいのか。俺には答えが見つからない。

 そんな中、教室中が『反対、反対』の大合唱となり、他クラスの担任も何事かと様子を見に来る始末で、困った教師たちは廊下に出てヒソヒソとなにかを相談をし始める。そして五分程経過したあとで教室に戻り『少し自習して待っていなさい』と告げると、またどこかへ行ってしまった。

 そしてA組には生徒だけが残され一旦静寂となる。が、やはり納得いかないのか、数名の生徒が玲央のことはそっちのけで同じような議論を繰り返すのだった。

『御剣さんはもう女子なんだから男子と一緒の部屋は駄目よ』

『それじゃあ女子の部屋で、風呂も女子風呂ってこと?』

『それは……恥ずかしいかも』

『だったら仲がいい、渋谷と同室しかないじゃん』

『なんで渋谷と二人部屋なんだよ。しおりには一部屋四人~六人って書いてあるだろ? 男子扱いなんだったら、俺たちと同じ扱いしろよ』

 そのとき、俺の隣席から『バンッ』という大きな音が鳴り響く。

「五月蠅いなぁ!」

 美琴だ。彼女の怒号でA組は一瞬で静寂となった。そして眉間に皺を寄せ、腕組しながら大声で提案する。

「あたしが玲央と一緒の部屋にするから! あたしと玲央は幼稚園からの付き合いだし、別に一緒に寝泊りするのも恥ずかしくないし! これで解決でしょ?!」

 すると、鶴の一声に圧されたかたちで、皆が次々と賛同し始める。

『ま、まあ、弾丸……じゃなくて、神崎さんがそれでいいって言うなら……』

『そうね。幼馴染だもんね』

『渋谷でないなら、いいか』

『そうだな。渋谷よりましか』

『うん。渋谷くんと同室じゃないなら誰でもいいよね』

 ――おい、なんだそれは。

 俺も美琴と同じ幼馴染だぞ! 玲央と風呂に入った数なら俺の方が多い!

 なのに、どうして俺は駄目で美琴ならいいんだ?

 俺ってもしかしてハブられてる?

 ちょっとショックなんだが……、でもまあこれ以上揉めるよりはマシか。

 確かに美琴と一緒なら問題ないのかも。

 玲央も、これ以上自分のことで皆が言い合いするのは見たくないだろうし――。

 そう安堵した矢先、この議論の中心にいる玲央が信じられない一言を放つ。

「ごめん。僕、美琴と同室はNGで」

 美琴に向かって苦笑しながら、大きく両手でバツをつくる玲央。

 それを見て怒りが爆発した美琴が玲央に向かって突進しようとするのを、俺は両腕をつかんで必死に止める。

 結果、教室内が一層カオス状態となってしまった。

 そして俺は、心の中で叫び声を上げる。

 ――玲央! いい加減にしてくれぇ!

 そこは、『美琴、ありがとう』でいいじゃないかぁ!

 美琴も幼馴染なんだから、大丈夫だろ?

 いったいなにがNGで……。いや、待てよ……。

 そう言えば昔、美琴は玲央を子分のように扱っていたときがあった。

 確か小学校の修学旅行のとき美琴の部屋へ呼び出され、女子たちのパシリにされたり、夜のマッサージを強要されたりと、奴隷のような扱いを受けて泣いてたことがあったような。

 それを根に持ってるのか――。

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