幼馴染の抜け駆け禁止協定

はるなん

プロローグ

「圭太って、ラノベ書いてんだ」


 隣席のそいつが突如放ったその言葉。

 それはまさしく弾丸のように俺の心を激しく貫いた――。


 そこは日本のとある場所にある、私立天河(てんかわ)高等学院の二年A組。

 日直当番で誰よりも早く登校していた俺は、制服の上着を脱ぎ、一汗かいた身体を窓から入る風で冷ましているところだった。

 なぜ俺が誰もいない教室で、朝早くから一汗かかなければならないのか――それは日直当番に課せられた義務の一つに理由がある。生徒手帳に書かれた校則の……何章の何条何項だったかは忘れたが、『週初めの日直当番は朝のHR開始までに教卓付近および黒板の拭き掃除をすること』という項目があり、まさに今日がその日にあたる月曜日であったからなのだ。週初めは皆が気持ちよく授業を開始できるようにと校則でそう決められているのだが、天河学院は一風変わった校則が多いことで有名らしい。

 しかしだ。これは結構きつい。終わらせるのに十五分程度の拭き掃除であったが、日頃夜遅くまでネトゲやアニメ鑑賞などに明け暮れているような俺にとっては、この早朝作業はなかなかの重労働であった。

 中等部では剣道部の主将を務め体力には自信があったし、今日の作業も『ただの吹き掃除だし余裕っしょ』と高を括っていたのだが、それは甘かった。高校に入ってからの堕落した生活習慣が、積み上げてきた体力を削り落としていたことを思い知ったのだ。

 と、そんなことを考えながら掃除道具を片付けたあとのこと。窓側一番後ろの自席に腰を下ろした俺は、上着を脱いで机の上に放り投げる。そしてカーテンを揺らす涼しい風を感じながら、ほっと一息ついたそのとき、それは起こった――。


「圭太って、ラノベ書いてんだ」

 いつの間にか教室に入り隣席に座っていた女生徒が、突如その言葉を放ったのだ。


 彼女の名は神崎美琴(かんざきみこと)――スカートは少し短めで、肩まで伸びた茶髪に両耳のピアス。総合してやんちゃな容姿をしているが背も高く容姿端麗ハイスペック。

 そして、幼稚園から小・中も同じで自宅は隣、そして二階にある互いの部屋は向かい合わせ(彼女の部屋のカーテンはいつも閉まっているが)という、絵に描いたような幼馴染だ。

 もし幼少期に彼女から『甲子園に連れてって』と言われていたら、その気になって野球をはじめていたかもしれない。それほど親しい関係……であった。小学校を卒業するまでは、の話だが。

 そんな彼女がクラスメイトから陰で呼ばれる名は『弾丸』である。

 これはあくまでも『陰で』呼ばれている名であるため、彼女自身は皆にそう呼ばれてはいることを知らないだろう。


 弾丸――それは花も恥じらうJKに付けるには少々可哀そうな名だと思っているし、俺は彼女をその名で呼んだことは一度もない。いやそもそもこの天河学院には、いじめ防止のためという理由で『あだ名呼び禁止』の校則があるのだ。しかし実際、生徒たちの間では『校則には《あだ名呼び禁止》と書いてあるが、《あだ名付け禁止》とは書いていない』と、ただの屁理屈としか思えない解釈をすることが慣例となっており、あだ名は当たり前のように存在しているのだ。

 ちなみに、この陰で呼ぶあだ名のことは『二つ名』と呼ばれている。そして、二つ名があるのは当然ながら彼女だけではないということ。学院内で目立っている生徒は二つ名を付けられているケースが多く、ちなみに俺も俺自身の二つ名は知らないし、付けられているのかどうかも知らない――。


 まあそんな話は横に置いといて。ではどうして彼女に『弾丸』なんていう物騒な二つ名が付けられたのか、の話をしよう。

 彼女は中等部時代、陸上部に所属していた。それも全国大会に出場するほどの短距離選手である。そして彼女の得意としていたのがスタートだ。ピストルが鳴ると同時に誰よりも早い反応速度で飛び出すと、先行逃げ切りで一気に駆け抜ける。それを見た誰かが『弾丸のようだ』と比喩したことから、この二つ名が付けられたらしい。

 と、ここまで聞けば格好よいエピソードなのだが、この名の由来は高等部に進学した頃から悪い意味に変わり始める。

 というのも、彼女は所謂KY――空気が読めない子、良く言えば天然――で、悪気なく口にした言葉が知らず知らずのうちに相手の心を傷つけてしまうことが多々あり、それが正に『弾丸のようだ』という噂が、皆に浸透してしまったのだ。

 結果今となっては、彼女を賞賛する意味ではなく、警戒する意味を込めて『弾丸』と呼ばれるようになっていた――。


 そして今朝、初めて俺に向け放たれてしまった弾丸。

「圭太って、ラノベ書いてんだ」

 という、美琴の口からは絶対に聞きたくはなかったその言葉。

 俺と美琴。二人きりの教室。一番後ろの窓側の席。

 春風でカーテンが揺れる中、その言葉に激しいダメージを受けた俺は、彼女の顔を見つめながら固まってしまった。


 ――って、呑気に語ってる場合じゃない!

 今、こいつなんて言った?

 『ラノベ書いてんだ』って言ったんだよな? 『お鍋炊いてんだ』の聞き間違い……いやいやいやいや、んなわけない。

 間違いなくこいつは今『ラノベ』という単語を口にしたはずだ。

 それに『圭太』って、名前呼びされたのはどういうことだ? 確かに俺はお前の幼馴染で、小学生を卒業するくらいまでは本当によく遊んだ。それは親友だと思えたほどに、だ。しかし中等部の二年頃から学校で一、二を争うような美人になり、高等部になったら茶髪にピアスで大人の階段を駆け上り、次第に俺からは遠い存在になり……その間ずっと、一言も会話したことなかったはずだぞ! それなのにお前は、小学生のときと変わらず俺のことを躊躇なく『圭太』と呼べるのか。

 ま、まあ、いきなり苗字で『渋谷(しぶたに)くん』なんて呼ばれるのもこっぱずかしいし、名前呼びされるのも悪い気がしないわけでもないが……。まあそれに、俺も心の中ではお前のこと『美琴』と呼んでいたけどな――って、今は名前の呼び方なんてどうでもいい!

 それより、なぜだぁ! なぜ、こいつが俺の密かな趣味であるラノベ執筆活動のことを知っている!

 確かにこの一年、小説投稿サイトで自作ラノベを連載してはいるが、美琴がそれを知ることはあり得ない! ペンネームは辞書で適当に引いた言葉にしたし、登場人物にも自身はおろか知人の名前を使ったこともない!

 絶対、絶対、絶っっっっっっ対に! リアルばれしないよう細心の注意を払ってきたつもりだ! なのに! どうして?!

 美琴は、誰にも知られたくない俺の秘密を知っているんだ――。


 と、そんなことを三秒ジャストで考えたのち、俺が精一杯に絞り出した言葉はこれだった。

「え? 今なんか言った?」

 すると美琴は眉間に皺を寄せ、もう一度同じセリフを吐く。

「だからぁ。圭太って、ラノベ書いてんでしょ?」

 ――やはり聞き間違いではなかった……。

 このあとどう展開すればよいのか――俺は頭の中の小さいCPUをフル回転して考えてみたがすぐにオーバーヒートする。

 その結果。

「ラ、ラノベって、ライトノベルのこと?」

 という有り得ない質問返しを、声を振るわせながら口にするのがやっとだった。

 そして額には大量の汗が。掃除のときよりも汗をかいている。美琴がもし敏腕刑事(でか)だったなら、俺は明らかにクロだと思われ連行されていたに違いない。

 しかし俺は、なんとか挽回しようと次の言葉を振り絞った。

「な、なんで、いきなりそんなこと言うんだ?」

「だって先週、これ忘れて帰ってたし」

 ――なんてことだ……。

 美琴の右手には俺のスマホが。

 それは、先週機種変したばかりで、友人に自慢げに見せていたマイスマホ。

 その後いつからか行方不明だと気づき、家中探し回っても見つからなかったマイスマホ。

 そして、親に失くしたと言える勇気もない俺を、泣きべそ状態にさせたマイスマホだ!

 ……なるほど、なるほど。とりあえず一旦落ち着こう。

 そうか、そうか。美琴はスマホの中を見て、俺がラノベを書いていると気づいたのか?

 いやその前に! いったいどこでそれを見つけたんだ――。

「金曜、あたしが最後に教室出たんだけど、そのとき机の上に置きっぱだったのよ。先生に言ったら困るだろうし、誰かに取られるのもまずいと思ったから、あたしが一旦預かっといてあげたんだし。感謝しなさいよ」

「……なるほど」

 ――いや、なにが『なるほど』だ。

 感心してる場合か、俺。

 確かにうちの学校はスマホ持ち込み禁止だ。だから、持ち帰ってくれたのはナイスプレイといえる。それは素直に感謝しよう、がしかぁし! どう考えてもおかしいだろう。忘れたスマホを見つけて、それを安全の為預かってくれたとして……普通、中見るか?

 こいつの頭にはプライバシーとかコンプライアンスという言葉はないのか?

 他にも疑問はたくさんあるぞ――。

「そ、そっか。助かったよ。ありがとな。でもな。俺のだってわかってたんなら、家が隣なんだし持ってきてくれてもよかったんだけど! 何度もその電話鳴らしたけどな!」

「それ無理。金曜は学校から直でバイト行ったから家帰んの遅かったし。だからこのスマホに着信あったって気づいたのも帰ってからだし。土日もずっとバイトで、まあ月曜に言えばいっかと思って。それに、ずっとこれで圭太のラノベ読んでたし」

「……っ! お、俺が書いたやつを?! ……読んだの?!」

「うん。読んだよ」

 ここで俺は『どうだった?』という言葉だけは死んでも口にしないと神に誓う。

 そしてスマホを返してもらいながら、一番の疑問を口にした。

「……どうやってロック解除した?」

「ああ、四桁の数字? よくあるパターンだからすぐわかったし。圭太んちの電話番号の下四桁だったでしょ。うちの親が番号知ってたから試しに入れてみたら解除されたからびっくりしたよ。すぐばれるから変えた方がよくなくない?」

「よくあるパターン……なの?」

 ――知らなかったよ……。

 自宅電話番号の下四桁ってそうなの? 駄目なやつなの?

 ま、まあ、それは仕方ないとして、疑問はまだあるぞ――。

「でも、なんでわざわざロック解除したんだ?」

「謝礼よ」

「……は? なんだって?!」

「謝礼よ。スマホ預かってあげた謝礼として見せてもらったの」

「くっ……。なんだよ、その理由は! そんなに自信満々で言われると俺がおかしいのかと思ってしまうが……。で! どこまで見た?」

「どこまでって……。スマホのこと? ラノベのこと?」

「ス、スマホの中はどこまで見たんだ? (いや、どっちも気になるけどな!)」

「あはは。心配しなくても大丈夫。やっぱ、まずかいなと思って、スマホの中はどこも見てないから。ラノベ以外は」

 ――いや、ラノベが一番見られたくなかったのだが――。

「な、なんで、ラノベだけ見たの?」

「投稿サイトのアプリが入ってたの見えたからさ。あたし読専だけど同じアプリ使ってたから、ちょっと開いてみたんだ。そしたら自作ラノベ公開してるからびっくりしたよ。でも、あれって誰でも読めるんだから、あたしも読んでいいのかなって思ったんだけど……。もしかして駄目だった?」

「ま、まあ、知り合いには内緒にしてたし、正直読まれたくはなかった……かな。頼むから、このことは他の誰にも言わないで欲しい。二人だけの秘密にしてくれないかな」

「ふ、二人だけの秘密?! わ、わかった。約束ね。でも……またやっちゃったかな」

「……また?」

「あたし、たまに言われるんだ。こういうとこ良くないよって」

「こういうとこって、どういうとこが?」

「なんか、思ったことすぐに行動しちゃったり口に出しちゃったりしてさ……」

 俺は思わず『だからお前は弾丸って呼ばれてるぞ』と言いかけたが、口に出すのはやめた。知って嬉しいことではないだろうし、あだ名を本人に言うのは禁止だからだ。

 すると美琴は、なぜか自分のスマホを出して俺に渡してくる。

「じゃあさ、あたしのスマホ見ていいよ!」

 目を合わさず恥ずかしそうにスマホを差し出す美琴。

 俺はその行動の意味がわからない。

「え……。ええ?! な、な、なんで?!」

「だって、あたしだけ見たのってなんか悪いし。これでアイコでしょ」

「そ、そういうもんなの?!」

 俺は鼓動が早くなるのを感じながら、彼女のスマホを受けとる。

 スカートのポケットから取り出したばかりのスマホ。生暖かい……。これが禁断のJKスマホ……。それが今俺の手に……。

 そして、画面を開くと同時に質問した。

「あの……パスワードは? ロック解除の」

「はぁ? そんなの言えるわけないじゃん」

「はい?」

「だってあたしは自分で解除したんだから、圭太も自分で当てないと。でも六回間違えたら暫く使えなくなるから、五回までなら試していいよ」

 少し意地悪な表情をする美琴。なんなのだこいつは。

 しかし可愛いのは間違いない。

 だがそれを見てなんだか恥ずかしくなった俺は、目を反らしながらスマホを突き返した。

「だ、だったらいいよ! そんなの当たるわけないから」

「いや、なんで。それだとあたしが納得いかないし」

「絶対無理だよ。これって四桁設定だから十の四乗で……一万通りか? そんなの無理だし。別に見れなくてもいいから」

「挑戦する前から諦めるなんて、そんなことじゃあ女性にモテないよ? まあまあ、とりあえず試すところまでやってみなよ。それでアイコだから。さあ、早く」

 俺は『モテないよ』という言葉にピクリと反応し、スマホの画面をもう一度開いた。

「なんだよ、アイコって……。まあ試すのはいいけど、なんかヒントないの?」

「ヒントなんて、あるわけないじゃん。あたしもヒントなしで解除したんだから」

「いや、だから一万通りだって――」

「あ、もし解除できても、見ていいアプリは一つだけね。私も一つしか見てないから」

「……わかったよ。じゃあ、もう適当に俺に誕生日入れるし! 0908――って、あれ?」


 ――解除されてしまった。

 え? ちょっと待って。これ、どういうこと?

 俺の誕生日で? なんで?

 どうして――。

 俺は混乱したまま、美琴の顔を見る。

 すると、彼女はうつむいたまま顔を真っ赤にし、スカートの裾をぎゅっと握りしめ固まっていた。そして次の瞬間、俺の手から自分のスマホを奪い取ると、そのままなにも言わずに弾丸のようなスピードで教室から走り去るのだった。

 ――俺の誕生日がパスワード?

 もしかして、ばれたのが恥ずかしくなって逃げたのか?

 それってまさか俺のことを……。

 いや、ないない! んなわけないだろう。

 だってこの四年間、まったく会話もなかったし。

 そんな素振り全然なかったし――。

「って、おい! まだスマホの中、見せてもらってないぞ!」

 俺は誰もいない教室でそう突っ込みを入れながら、ふと思う。

 遂に、この俺にもモテ期がやって来たのか?! と。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る