応援コメント

すべてのエピソードへの応援コメント

  • 吾輩も、とても学校が苦手です。
    注意力欠如に近い症状があり、集団行動が絶対主義の校内で上手く行動ができず、よく教師に叱られます。
    また、極度の女物嫌いも、学校内では珍しいようです。
    学校って、言わば「模擬社会」ですからね。
    健常者であり大衆意見に賛成する身勝手な大人たちが、子供たちを、大衆意見に賛成するような大人に育成するため〝だけ〟に創設した、監獄のようなものです。
    義務教育という文化自体、吾輩は反対しています。端から見ると極端で、過度な批判ではないかと思われるかもしれませんが、あくまで当人の一介の意見なので。
    日本の義務教育は、小学校六年、中学校三年です。
    けれども現代社会では、義務教育の課程はきちんと修了していても、高等学校、はたまた大学まで進学していないと、人としてきちんとしていると見做されない……そんな印象を受けます。
    もちろんこれは、あまりにも無知な中学一年生の意見なので、実際には違うのかもしれません。
    しかし、吾輩の通う中学校は私立で、尚且つ大学進学が、ほぼ絶対条件となっているので、そうなのかな、と思っただけです。
    でも、義務教育課程で学ぶのは勉強以外にもあります。
    社会性、社交性、協調性、道徳性、エトセトラ。書いてて自分が傷付いています。
    学校には、孤立したり、荒れたり、出来損ないと見做されてしまう子達が居ます。実のところ、吾輩もその一人です。
    では、その責任は、当人にあるのか。
    もちろん「欲望に負けてしまったため」や「勉強を怠ってしまったため」という、当人に責任のある理由も考えられますでしょう。
    では、その理由が「発達障害や知的障害を持って生まれたため」や「家庭環境に社会的問題があったため」だったら、どうでしょうね。
    発達障害や知的障害を持って生まれることを望む子も親も居ませんよね?
    DVや家庭内暴力、虐待、貧乏など、難がある家庭や、遊び人で浪費家、悪人の親のもとに生まれることを望む子も居ませんよね?
    当人たちのせいではないですから、彼らが学校で忌まわれるのは間違っています。
    けれども、大人たちが押し付けた「義務教育」に、それは通用しない。
    裕福だろうが貧乏だろうが、健常者だろうが障害者だろうが、親が優しかろうが酷かろうが、義務教育に格差はない。その言葉は、響きはよくても、実際には違いますね。貧乏でも学費を払い、障害者なのに障害者のできないことをやさられ、酷い親の圧力に耐えるため子供らしい時間がとれなくても頑張る、それらは人間がやることではないです。
    きっと、義務教育を定めた大人たちの中に、精神障害を患う人間は一人もいなかったのだろう。
    そんなことを思っております。
    また、日本の美徳の「統一感」も、そういう人たちを苦しめるのでしょうね。民主主義とか、まさにその表れですよね。精神障害者でも、健常者と同じことをやる……みたいな。
    長文失礼しました。

    作者からの返信

    応援コメントありがとうございます。
    とても考えておられて驚きました。
    勉強になりましたよ😊✨
    ありがとうございます!✨

  • 若い方たちに読んでもらいたいです。
    学校に通っている時期は、そこが世界の全てみたいに感じるけど、本当は違う。
    この作品を読んで、気が付いてほしい。
    そして、そのままのあなたでいいんだと、わかってほしい。
    そう感じました。
    ありがとうござきました😊

    作者からの返信

    応援コメントありがとうございます😊